転職お役立ち情報|キャリアデザイナー|「中南米への憧れ」を原動力に築いていったキャリアとは

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長年の目標、ペルーで働くことを実現
 宮田さんはペルー行きを目指して具体的に動き始める。まずは資金。再び派遣社員として働き始める。外資系製薬会社での勤務は、秘書業務の他に薬剤のマーケットリサーチ業務も経験する貴重な場となった。派遣契約更新の合間には、実際ペルーに行って住めるかどうかリサーチし、満を持して退社。35歳で単身ペルーに渡る。
「現地では商工会議所や知人からの情報を通じて履歴書を配り、勤務先を探していきました。外国人のニーズは観光の仕事に多かったですね。でも今までずっとメーカーや商社でコーディネートの仕事をしてきたので、ここでも経験が活かせる仕事がしたいと思っていました」
 幸い、日系自動車メーカーの現地法人に入社が決まり、コーディネート業務に従事する。日本人社長と現地スタッフ、および日本本社と現地法人の間に立ち、社内の活性化に努めるが、1年半で再び帰国する。
「日本とペルーの間で商売をするのが将来の目標。現地で働く目的は、そのために商慣行を含めた広い意味での習慣に慣れるためでしたので、最低でも二社、二年は働き、その後いったん帰国し、開業準備のために日本で働こうと思っていました。ペルーのサラリーマンの在職期間は短く、どんどん転職してキャリアアップしていく風土で、サラリーマンをしながら同時に自分で商売をやっていても構いません。人脈も広がり、生活の基盤はでき始めていたのですが、大統領が変わってから景気も政情も悪くなる一方で、現在もそれは加速しています。そんなこともあり、当初の予定を早め帰国し働くことにしました」
苦しいときはいつもペルーを思い出す
 1年半ぶりに帰国した日本での転職活動は、37歳という年齢もあり予想以上に厳しいものとなった。
「人材バンクを使って転職活動をしたのですが、直近の経験の業種である医薬品業界に絞るようアドバイスを受けたり、アピール効果が高い職務経歴書の書き方を教えてもらったりと、いろいろ相談に乗っていただきました」
 3ヶ月の就職活動中は焦りもしたが、旧知の人を訪ねて情報収集をしたりしながら取り組み、エドコンサルティングの紹介で現在のヘルスケア・アウトソーシング企業に入社が決まった。

 宮田さんは今も気持ちがへこみそうになるとペルーでの日々を思い出す。
「ビジネスのシーンでは日本は段違いです。でも、ペルーではストリートチルドレンがあふれていたり、純粋に食べるだけのために朝から晩まで逞しく働いている人々がいたり、日本にはないエネルギーがありました。その姿を思い出すと、自分も頑張ろうという気持ちになります」
 ライフワークとしてペルーを位置づけている宮田さん。次の目標を見据え、着実に歩みを続けている。
 


2002.12.10 Text by Masako Yamada  
STEP
24歳
学習院大学経済学部経済学科卒業後、大手アパレルメーカーに入社。マーチャンダイザーとして活躍
28歳
派遣社員として就業しながらスペイン語を学ぶ
31歳
ペルー企業の日本法人に、社長アシスタントとして入社
32歳
外資系製薬会社に派遣社員として勤務。秘書業務や薬剤のマーケティング業務に従事
35歳
ペルーに渡り、日系大手自動車メーカーの現地法人に勤務する
37歳
帰国し、ヘルスケア・アウトソーシング企業 クインタイルズ・トランスナショナル・ジャパン株式会社に入社。現在に至る

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