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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第42回(前編) 吉田健二さん(仮名)40歳/営業
20年経って見えてきた 会社への不満と老後の不安 「自分で何とかするしかない」 40歳で転職を決意

専門学校卒業後、20歳で運輸会社に入社した吉田健二さん(仮名/40歳)。入社以来、自分の担当以外の仕事も覚えようと奮闘し、着実に知識と経験の幅を広げてきた。40歳を迎え、ビジネスマン人生の折り返し地点に立っていることを自覚した吉田さんは、残り20年で何をすべきか、その先の人生をどうするかについて考え始めたのだった。

「将来、年金がちゃんともらえるのか、心配ですね」

 テレビの街頭インタビューで若いビジネスマンが答えている。年金の問題を扱うニュースを見ながら、吉田さんは自分自身の行く末を考えざるを得なかった。今、勤めている会社には退職金制度がないからだ。給料も働きに見合った金額とは思えず、育ち盛りの子ども2人を抱える身では、老後の生活資金に回す余裕などなかった。

 定年までまだ十分猶予はある。とはいえ、折に触れて「今のうちにできることはないのか?」と考えてしまうのだった。

 吉田さんが焦りを募らせる理由は仕事そのものにもあった。運輸会社で働き始めて、ちょうど20年。経理、通関業務を経て、今は営業担当として毎日忙しく走り回っている。若いうちは新しい仕事を覚える楽しさや年々上がっていく給料がモチベーションになっていたが、今はそういったやりがいは感じられなくなってしまった。社員への評価がいい加減な会社や無理難題ばかり押しつける上司に飽き飽きし、「この会社でこれ以上の成長は望めないのでは?」と思うようになっていたのだ。

「会社にも頼れないし、国にも頼れない。だったら自分でなんとかしようじゃないか」

 これまで培ってきた経験とスキルには自信がある。定年までの20年は必要とされるところ、喜んでもらえるところで活躍したい。それに年俸アップに成功すれば、それなりに貯えもできるはずだ。ビジネスマン人生の後半戦を新天地で戦おうと、吉田さんは立ち上がった。

会社に認めてもらえる人材になるため
自分の担当以外の仕事も覚える
 

 専門学校を卒業した吉田さんは20歳で運輸会社に入社(※1)。学生時代に取得した簿記1級の資格が物を言い、海外物流を担う国際事業部の経理担当として社会人生活がスタートした。

 入金処理、請求書の作成など、必死に仕事を覚えた。頑張って実力をつければ、将来は大きな仕事を任せてもらえるチャンスもあるだろうし、当然、報酬にも跳ね返ってくると思っていたからだ。しかし、だんだん会社に慣れてくると、思い通りにことは運ばないことがわかってきた。会社の制度に大いに疑問があった。

「給料の金額も出世のスピードも、最終学歴によって決まっているんです。私は専門学校卒ですから、大卒で入社した社員とは大きな差がありました。それに納得がいかなかった。それなら仕事ぶりで会社に認めてもらうしかないと思ったんです。こうなったら、いろいろな仕事を覚えて、活躍してやろう! と」

 吉田さんはまず、本来の仕事である経理をできるだけ早くこなす努力をした。スピード化によって生まれた時間は、事業部内の他の仕事を覚えることに費やした。輸出入の手続、書類の作り方、保険や配送の手配など、各担当者に頭を下げて仕事のやり方を教えてもらった。今までにそんなことをする社員はいなかったため、最初はびっくりされたが、吉田さんのやる気を買ってくれる人も多かった。

入社2年目に独学で通関士の資格を取得
ゼネラリストを目指すことを決意
 

 吉田さんがぜひとも覚えたいと思っていたのは通関の仕事だ。通関とは、輸出入をする者が貨物の品名、種類、数量、価格などを申告し、必要な検査や関税の支払いを済ませた後、税関から輸出入の許可を受けるという手続き。業者からの依頼で輸出入の手続きから貨物の輸送までを請け負うのが国際事業部のメイン事業なのだが、吉田さんはその分野に関しては全く知識がなかった。

「顧客から問い合わせの電話がきても何も答えられないんです。先方は事業部の誰もが通関に詳しいと思っていますけど、専門知識のない私には対処のしようがなかった。そんな自分が悔しくて、独学で通関士の資格(※2)を取ることにしたんです」

 平日は帰宅時間が遅くなる日が多かったが、それでも1、2時間は勉強に当てた。そして休日の土日には集中して机に向かった。実務を教えてくれる周囲の人々の協力もあり、吉田さんは入社2年目の秋に晴れて合格を手にした。

 若くして資格を取得したこと自体は快挙だったが、会社には通関士の有資格者が多いせいか、特別に評価されるといったことはなかった。それでも、吉田さんは満足していた。新しい知識を得る喜びを感じていたし、仕事の幅が広がることは確実だったからだ。

 資格を取得したとき、吉田さんは思った。「この業界でゼネラリストを目指そう!」と。運送業界では、一つの分野におけるスペシャリストになる人が多い。社内を見渡しても、特定の業務に精通している人はたくさんいるが、さまざまな業務の知識や経験を持つ人は少ない。しかし、国際物流が増えるにつれて、幅広い知識や経験を持つ人材が必要になるはず——吉田さんは「これからはスペシャリストよりもゼネラリストが求められる時代が来るのではないか?」と考えた。「できる仕事をもっと増やしていこう」──吉田さんの意欲はさらに高まった。

 資格取得から数年後、ようやく通関業務に携わる(※3)ことになった。そして25歳のときには、自ら希望して海外研修制度に応募し、現地法人のあるフランスでの業務も経験することができた。

20年経って見えてきた会社への不満と老後の不安
「自分でなんとかするしかない」と転職を決意
 

 通関業務の担当になって10年が過ぎたころ、吉田さんは上司から呼び出された。

「どうだ、そろそろ営業に出ないか?」営業部への異動の打診だった。

「わかりました。ぜひ、やらせてください」通関業務はやりつくしたという実感を持っていた吉田さんは、喜んで新しい仕事に挑む決意をした。

「通関業務は与えられた仕事をこなすという受動的な態勢でしたが、営業は能動的に仕事を進めなければなりません。仕事の性格が全く違いますから、自分に営業ができるだろうか? という不安はありました。でも私は元来、新しいことにチャレンジするのが好き(※4)ですから、前向きに取り組むことができました」

 航空輸送による輸入部門の担当となり、200〜300社の顧客を抱えた。スピーディーな対応を求められるため常に多忙だったが、持ち前のバイタリティーで確実に成果を上げ、しばらくすると「主任」の肩書がついた。吉田さんの希望通り、営業戦略の策定から若手の人材育成まで幅広い仕事に携わることができた。

 しかし、上の立場になって頑張れば頑張るほど、会社に対して不満を感じるようになっていった。まず、目についたのが社員に対する評価の仕方。会社側は言葉では「成果主義」を標榜していたが、実際のところは有名無実だった。成果を上げた分だけ評価や給与に反映されるというシステムはなく、やってもやらなくても評価はほとんど変わりがない。そうなれば当然、手を抜く社員も出てくる。

「評価されないからといって手を抜くなんてことは私にはできない。プライドだけでがんばり続けていたのですが、だんだんそれもむなしく思えてきましてね」

さらに、上司から無理難題を押しつけられる(※5)ことも続き、次第に「この会社でこれ以上の成長ができるのだろうか?」という思いが頭をよぎるようになっていた。今まで感じたことのない不安だった。

 そのとき、ちょうど入社20年を迎えようとしていた吉田さんは、今までの仕事について振り返って考えてみた。若いころは常に新しい仕事を覚える楽しさがあり、好景気だったこともあって給料も年々上がってきた。だから、辛いことがあっても頑張ることができた。しかし、今はどうだろう? 20年経った今、「これがあるから頑張れる」といったモチベーションが全くなくなっていることに気づいた。

 そんなとき、テレビや新聞で将来の年金不安に関するニュースを見て、吉田さんは考え込んでしまった。会社に退職金制度はないし、ここのところ給与額も頭打ちだ。2人の子どもを育てるのはなんとかなるだろうが、その後にやってくる老後の生活が成り立つかどうか。大いに不安だった。

 入社して20年。定年まであと20年間働くと考えると、今がちょうどビジネスマン人生の折り返し地点といえる。どうせなら、自分を必要としてくれるところ、喜んで迎えてくれるところで培ってきた経験とスキルを生かしたい。老後の人生に備える意味でも、今が転職のときだと思えた。

「会社にも頼れないし、国にも頼れない。よし、こうなったら自分でなんとかしようじゃないか。40歳の転職だ!」

 吉田さんは膝を打って立ち上がった。

 
プロフィール
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※写真はイメージです

大阪府在住の40歳。専門学校卒業後、運輸会社に入社。国際事業部に配属され経理を担当。独学で通関士の資格を取得し、入社5年目から通関業務に携わるようになる。35歳のとき、営業部に抜擢され顧客開拓のほか、若手の人材育成にも関わった。40歳を迎えるのを機に老後の人生設計を考えるようになり、転職することを決めた。

吉田さんの経歴はこちら
 

大手運輸会社に入社(※1)
学生時代にこの会社でアルバイトをしていたことがきっかけで、馴染みもあり、給与や福利厚生などの条件も良かったことから採用試験を受け、合格した。

 

通関士の資格(※2)
通関士は貨物の輸出入の手続に携わる国家資格であり、難易度も高い(平成19年度の合格率は7.7%)。通関業法、関税法など3つの試験科目があるが、実務経験によって免除される科目もある。資格取得者は運送会社、倉庫会社、商社、旅行会社など通関業者を兼業している会社などで活躍するケースが多い。

 

通関業務に携わる(※3)
主に輸出入に関する書類を作成するのだが、日本だけでなく相手国の法律まで熟知している必要があり、当然、英語力も求められる。

 

新しいことにチャレンジするのが好き(※4)
吉田さんの趣味はスポーツ。野球、ゴルフ、スキー、スノーボード、卓球、釣りなど誘いがあればなんでもトライするという。「仕事でもプライベートでも、いろいろなことに挑戦することによって自分の引き出しが増えるし、営業トークにも役立つので一石二鳥です」

 

上司から無理難題を押しつけられる(※5)
「無茶なことはいろいろ言われましたけど、一番印象深いのは『人材が全然育ってないじゃないか』となじられたことですね。人材育成の方法は社員ごとに違っていて正しい方法があるわけじゃない。それに時間もかかる。そういったことをまったく無視して頭ごなしに言われることに納得がいかなかったですね」

 
 

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