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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第34回 (後編) 平沢明彦さん(仮名)34歳/営業
ほしいのはただ、仕事のやりがい 勤続15年の慎重派サラリーマンが 初めての転職で勝ち取った「天職」

12年目の「晴天の霹靂」な異動後も、仕事にやりがいを感じていた平沢さん。しかし現場の実情とかけ離れた会社の体制に身動きが取れなくなり、3年目にして、ついには仕事がなくなってしまう。平沢さんの頭には「転職」の選択肢がちらつき始めたのだが——。

転職か、現状を我慢して残るか
なかなか固まらなかった決心
 

 営業支援としての仕事がなくなって以来、転職サイトを訪れるのは、平沢さんの日課になっていた。

「その頃は現場に行くどころか仕事もない。それに見積もりの見直し、営業への働きかけ、上司への提案などやってみたけどすべてダメで、万策尽きたという状況でした。仕事が減ったことで定時で退社することも多くなったので、帰宅後、自宅で転職サイトをチェックするのが習慣になりました。最初はどんな会社があるのかな、という好奇心からでしたね」

 転職を考えたのは勤続15年の間で初めてのことだったので、とりあえず最も手軽なインターネットで検索してみた。その過程で【人材バンクネット】を見つけ、とりあえず登録したのが2007年6月初旬。

「条件にしたのは、自宅から通勤圏内であることと、現在よりも給料が上がること。業種や職種は……自分の専門分野って、その頃はないような気がしていたんですよ。資格も持っていませんでした(※1)し。逆に自分が書いた経歴から、どんな仕事が紹介されるんだろうという興味の方が強くて、特に希望を出しませんでした。まあ、経歴から考えると、生産技術か営業ということになるのかもしれませんが、どちらでも、自分はやりがいを見出せる自信はありました。ただ、自分がどちらの仕事により充実感を感じていたかというと、お客様とコミュニケーションが取れる営業支援の仕事の方だなと思っていました」

 だがこの時点で、平沢さんは転職しようと決意していたわけではなかった。

「もし会社を辞めることになったとして、これといった資格も何もない自分を受け入れてくれるところがあるのか。それに転職なんて初めてだし家庭もあるし、正直、『転職は不安だ』という気持ちが強かったんですね」

 いろいろ不満はあったが、15年間勤めた会社にはそれなりの愛着もあった。もし今のチームがなくなるとしても、また新たな異動の辞令が出るに違いない。異動先でこのまま働き続ければ、少なくとも食いっぱぐれることはないだろう——。

「でも、生産技術の同期たちもあちこちに異動してバラバラになり、部署の顔ぶれが全く変わっていたんです。生産技術に戻れる可能性は限りなく低いし、仮に戻れたとしても、もう私の知らないメンバーで構成された部署になっている。そんな状況を考えると、自分はこの先、どうなるのかなって不安もありました」
転職への不安と、どこに異動になるかわからない不安。どちらの不安を受け入れるか決心のつかなかった平沢さんに変化の兆しが訪れたのは、人材バンクネット経由で届いたスカウトメールだった。

「とにかく話だけでも」の気持ちで
スタートした転職活動
 

 平沢さん宛てのスカウトメールは、6月と7月にそれぞれ1通ずつ届いた。

「登録してすぐスカウトメールが届いた時、うれしさより、正直なところ、わからないという感じでした。でも『せっかくメールが来たんだからとりあえず話を聞いてみよう』という思いで返信したんです。コンサルタントとの面談も初めてだったし、全てに対して『どんなものなのかな』と様子を見てみるような、どちらかというと興味本位な気持ちでした」

 面談後、コンサルタントからは書面で4社紹介され、通勤できそうにない遠方の会社はその場で断ったものの、ほかの会社は、「話を聞くだけでも」という思いから、選考に進めてもらった。しかしそれから、なぜか急に連絡が来なくなり、7月に入って、その人材紹介会社とは全く連絡が途絶えてしまう。

「こんなものなのかな……とあきらめていたところ、7月半ばに、またスカウトメールが来たんです」。

 それは、アヴァンティスタッフの岩本浩明コンサルタントからのものだった。この時も平沢さんは、「話だけでも聞いてみよう」という思いで返信、7月末に面談に臨んだのだが——。

「その時用意した履歴書には、今思い返しても恥ずかしいんですが、携帯電話のカメラで撮った私服姿の写真を貼っていた(※2)んです。それに履歴書や職務経歴書の書き方もよくわからず、とてもわかりづらいものだったと思います。でも岩本さんは事例を見せてくださったり、一から丁寧に適切にアドバイスして下さいました(※3)

 岩本氏の指導を受けて、平沢さんの気持ちも徐々に転職に傾き、前向きになってきた。

「面談の際に、建材を取り扱う商社を紹介されたんです。本社は大阪なんですが、勤務先は東京営業所。社長が出張で東京に来る時、面接を受けてみないかという話でした」

 職種は営業。営業支援として客先に出向いていたとはいえ、未経験の職種だった。

「ただ岩本さんの話を聞くと、営業といっても飛び込み営業はなく、ノルマもないということで、それならできるかもしれないという思いがありました。たとえ未経験ゆえに苦労することがあっても、今よりはマシだという気持ちもあった(笑)。それに、会社自体は小規模ながらも非常に教育熱心だという説明にも魅力を感じましたし、給料も満足できる金額だったので、話を進めていただきたいとお願いしました」。

 やがて8月に入り、面接の日はやって来た。

この会社ならやっていけそう…
面接の手応えと、まさかのスピード内定
 

 岩本氏と一緒に向かった面接場所は、東京営業所の応接室。面接は社長と営業所長によって行われた。いきなりの社長面接——。そもそも、この面接は一般的な「書類選考・人事および現場担当者による面接・社長面接」という段階を踏んだものではなかった。

「大阪本社から社長が東京に来ているので、面接というより、とりあえず会ってみましょうという意味合いが強かったようです。私も会社が終業してから、面接に向かったんです」。

 まずは会社に応募した理由、転職の理由など基本的な質問が投げかけられ、平沢さんは正直に、自分の気持ちを話した。現在の仕事に対してやりがいが感じられないこと。自分としてはお客様とコミュニケーションを取ることに充実感を感じていたこと。そしてこれまでの経験を活かし、お客様としっかりコミュニケーションを取って提案活動をしていきたいと考えていること——。

「社長は3代目ということでしたが、40代でまだ若く、一方の営業所長は50代の、物腰の柔らかい方でした。3代続いているという歴史の古さにも好印象を抱きましたし、話をしながら、この会社に入社できたらうまくやっていけそうだな、という感触を持ちました」

 まずまずの手応えを感じた面接から約1週間後、平沢さんの手元に届いたのは、なんと「採用」の通知だった。

 アヴァンティスタッフの岩本氏から紹介されてから、約2週間のスピード決定。あまりの展開の速さに、平沢さんは喜びよりも「逆にこんなにトントン拍子に進んでいいのだろうか」と心配になった。

 確かにこの結果は予想外だった。そのため、思ってもみなかった重大な選択を、平沢さんは迫られたのである。

自分は一体どうしたい?
ギリギリまで悩んで出した結論は…
 

 「実は面接を受ける前に、神奈川への長期出張の辞令が出たんです。当時、転職活動のことは誰にも言っていなかったし、そんなに簡単に転職先は見つからないだろうと考え、承諾してしまったんですね」

 ところが、あれよあれよという間に、自分の条件にピッタリで、なおかつ好印象を抱いた会社に内定してしまった。

「長期出張は10月から半年間。建材商社が提示する採用希望日は9月1日。ものすごく悩みました。出張については、辞令を受けたことに対する責任というものがあると思っていたんです。岩本さんに、建材商社への入社を、半年先まで待ってもらうことは可能だろうかと相談もしました」

 しかし岩本氏は、しばらく考え、こう言ったのだった。「出張の辞令も内定通知も、結局会社が決めたこと。ここからはもう、平沢さんご自身が判断をするところじゃないですか?」と。

「あ、言われてみればそうだな、と。確かに出張の辞令は受けたけど、面接前のこと。それに断ったとしてもそれほど会社に責任を感じる必要はないなと思ったら、開き直れたというか」

 平沢さんが何よりも求めていたの——それは、仕事のやりがいだった。たしかに今在籍している会社は、大手という安心感はあるかもしれないが、ここ3カ月はやりがいはおろか、仕事もなく、自分にできることはし尽くしてもなお現状を打開できない。そして仮に、神奈川への長期出張に応じたとして、出張が終わる半年後、自分がどうなるのか全く予想できない。平沢さんの気持ちは決まった。

「いったん受けた辞令を断るからには理由を話さなければならない。というわけで、そこで初めて(※4)、仕事にやりがいを感じられなかったため転職活動を行い、現在、内定をいただいた会社があるということを上司に話したんです」

 まず課長が、次いで部長が、慌てて慰留をしてきた。だが平沢さんの説明を聞き、最終的には、退職と転職を納得してくれた。

「私の気持ちがすっかり決まっていたのを上司も感じ、引き止めても無駄だと思ったのではないでしょうか」。

 平沢さんの退職は9月末、そして新しい会社には、10月1日から採用されることが決まった。平沢さんの、新たな人生のステージが始まったのだ。

ようやく手に入れた仕事のやりがい
この仕事を長く続けていきたい
 

 入社して3カ月。現在は大手建築会社の各支店やグループ会社といったクライアントの元を回っている。

「入社して1カ月は研修期間。大阪本社に行ったり、会社の工場や倉庫も見学させてもらったりして、本当に教育がしっかりしていると感心しました。11月は所長と一緒に客先に回り、そして12月から、一人で営業に行かせてもらえるようになりました」

 平沢さんがあれほど求めた「仕事のやりがい」。それは現在の仕事で感じられているのだろうか。

「まだ3カ月なのでこれから、という感じではあります。でも、前の会社のような、やることもなくてひたすらデスクに向かっているということはありません。現在の会社は、前の会社に比べて規模が小さいけど、教育も含めて、社内規則とかISOの取得だとか、環境は整えられているという感じがします。それに何より良かったと思うのは、社内や社外を含め、小さいからこそ(※5)、コミュニケーションをしっかり取らなければならないと同時に、コミュニケーションが取りやすいというところ。もともと、お客様の声を聞きたいと思っていたので、充実感を感じていますね」

 今回、転職を経験して、平沢さんは自分の性格の新たな一面を発見したと言う。

「私は、物事を決める際に慎重、悪くいえば優柔不断だと思っていたんです。でも今回の転職で、思い立ったら案外すぐに行動できるんだなと、我ながら意外でした。迷いながらも【人材バンクネット】に登録し、スカウトメールが来たら面談に行き、紹介された会社の選考を進めてもらい——。でももしかしたらその背景には、不満のあった仕事に対して、自分のできることはやり尽くしたという思いがあったからかもしれません。それに、アヴァンティスタッフの岩本コンサルタントが、とてもよくしてくださったことも大きいと思います。実は岩本さんには、退職の手続きの方法までお聞きしたんですよ。本当にいろいろと親身になって対応していただいてとても感謝しています」

 平沢さんは、現在の会社も「長く勤めたい」と考えている。

「前の会社で15年勤めたということもありますが……。でも長く勤められるということは、すなわち、誰もが認めてくれているということでもあると思うんです。長く勤めるためには、商品や会社、そして自分の提案に対する自信が必要だし、自信がなければ気持ちで負けてしまう。だから商品知識をどんどん身につけて、お客様に自信を持って提案できるようになりたいと思っています」

 そう語る平沢さんの目は未来への希望で輝いていた。やることもなく将来の不安だけが色濃く映し出された3カ月前とは、まるで別人のように。

コンサルタントより
 株式会社アヴァンティスタッフ
 大阪人材紹介事業部 岩本浩明氏
まずは覚悟を決めて踏み出すこと。
タイミングを逃さず、柔軟な姿勢で
臨むのが転職成功のカギです。
 
 
コンサルタント

平沢さんにメールを送り、電話でお話した最初の印象は、純粋で、まじめそうだということ。

 弊社では、転職希望者の方にお仕事を紹介する時は、可能な限り事前に、コンサルタントが転職希望者の方と面談をすることになっているのですが、私が大阪で勤務しているため、実は最初の面談は東京のコンサルタントが担当したんです。面談後の印象を聞いてみると、「礼儀正しく受け答えがしっかりされていた」ということだったので、私の電話での印象と合わせ、この人なら、今回ご紹介した企業にピッタリだと直感しましたね。

 内定が出た後、平沢さんは、前の会社の辞令に従うべきかどうかかなり悩まれて、「入社を半年待っていただけるでしょうか」と相談されたのですが、私はその時、内心それは難しいだろうと思っていました。前の会社で平沢さんは、いわば正当に評価されていなかった状態だと思っていたので、平沢さんが転職の方を選ばれた時は本当に安心しましたね

転職がうまくいくかどうかは、タイミングやチャンスも重要な要素です。平沢さんの場合、面接も社長の出張に合わせることができましたし、やはりタイミングやチャンスを逃さないことは大切だと思いますね。

 平沢さんは履歴書についてかなり恐縮されているようですが、確かに、最初に見せていただいた履歴書と職務経歴書は、企業の選考に落とされる可能性の高い、ちょっとわかりにくいものだったと思います。でも、書き方などはコンサルタントが指導しますし、転職への不安や疑問、こだわりは、何でもコンサルタントに話していただきたいですね。逆にコンサルタントも、転職希望者の方が直接、不安や疑問、こだわりを話されなくても、何気ない会話から感じ取ってきめ細かくフォローしなければならない。それが人材紹介コンサルタントに必要なことだと思いますし、私どもアヴァンティスタッフのセールスポイントだと思っています。

 転職は、誰もが不安なもの。年齢が高くなればなるほど、それは強まるでしょう。でも覚悟を決めて最初の一歩を踏み出さなければ何も始まりません。また、自分の経歴と経験を、思ってもみなかった業種や職種に活かせる可能性もあるため、「これでなければ」という先入観を捨てることも大切。平沢さんは最初の一歩を踏み出せたし、とにかく話を聞いてみようという柔軟な姿勢をお持ちだった。それが、今回の転職の成功に繋がっているのではないかと思います。

 
プロフィール
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千葉県在住の34歳。高校卒業後、大手住宅設備メーカーのグループ会社に入社し、12年、製造業の設計の現場に携わった後、親会社の事業所に異動。製造の立場から商品を説明・提案する営業支援として活躍していたが、会社の体制がクライアントの要望にマッチしていないことから仕事が激減。転職を決意した。

平沢さんの経歴はこちら
 

資格も持っていませんでした(※1)
平沢さんが以前所属していた生産技術は技術系の職種だったが、「生産技術での仕事は、資格を取ってまでやらなくてはならないというものはなかったんです。部署によっては資格が必要なものもあったのですが…。そういうわけで私の場合、残念ながら資格は何も取得していないんです」。

 

私服姿の写真を貼っていた(※2)
「履歴書なんて、高校卒業以来書いたことがなかったので、どう書けばいいのか、本当に最初はわかりませんでした。写真の件も、あとで妻から『信じられない』って、呆れられました。本当に恥ずかしい話なんですが…でも裏返せば、転職に対して、結局気持ちが入っていなかったということだと思います。最初の人材紹介会社から連絡が来なくなったのは、そのあたりにも理由があるのかもしれません。」

 

一から丁寧に適切にアドバイスして下さいました(※3)
「履歴書については、職務経歴も書き込んでいたのでそれは職務経歴書に書けばいいなど、アドバイスを受けました。実は最初の人材紹介会社でもいろいろ指導していただき、それを岩本さんにお見せしたのですが、それでもやっぱり余計なことを書き込んでいたようですね。職務経歴書は、時系列に沿ってタイトルを大きく書けばいいとか。最初に自分で作ったものはエクセルでずらっと書いていただけでしたので…。岩本さんは、「この年で何を聞いているのか」という態度でもなく、当たり前のことを、とても丁寧にきちんと答えて下さって、とてもありがたかったです」

 

そこで初めて(※4)
「転職を考えていること、その活動をしていることは、誰にも話していませんでした実は妻にも、上司に話す前日に打ち明けたぐらい。もちろん、かなり驚かれましたが(苦笑)。話したくなかったというより、話すタイミングを逸していたとうか。今回の転職は、打ち明けるタイミングを見計らうのが、一番難しかったかもしれません」。

 

社内や社外を含め、小さいからこそ(※5)
「現在、職場には所長と、同僚と私の3人しかいないんです。私が入社する前は、所長しかいなかったぐらい。今回の営業募集は、ルートである程度は受注は取れているけれど、提案活動を充実させるために2人ほど入れたいということだったようです。これから仕事には、自分の経験や強みを活かしていきたいですね」。

 
取材を終えて

 インタビューの質問一つひとつに、丁寧に答えて下さった平沢さん。お話を伺う前は、12年携わられていた設計の現場を離れたことが、転職を決意されるきっかけになったのかなと思っていたのですが、異動後の仕事に、異動前以上のやりがいを感じられていたとお聞きし、とても頭の切り替えの早い方なのではないかと思いました。また、一貫して仕事にやりがいを求められていること、やりがいとはつまり充実感であることが、お話を伺っていてもよくわかり、仕事に対して真摯に取り組まれる方なんだなぁと思いました。

 転職が珍しくもない現在、平沢さんのように、同じ会社に長く勤め続けるということはどういうことなのか。安定は手に入るかもしれませんが、コツコツと仕事に取り組む根気や、時には不本意なことを我慢する忍耐、そして会社の方針を受け入れられる、いい意味での従順さが必要ではないかと思います。平沢さんが以前の会社に15年勤め続けられたということは、この全てをお持ちだったのだと思うし、だからこそ、今回転職を決意された状況は、相当に厳しくつらいものだったのではないかと思うのです。

 転職された会社で一番良かったこととして、「コミュニケーションをしっかり取らなければならないと同時に、コミュニケーションが取りやすいというところ」と話されたのが、いかにもコミュニケーションを楽しみ、大切にされている平沢さんらしく、印象的でした。今後のますますのご活躍をお祈りしています。
(名越秀実)

次回は2008年1月21日配信予定
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取材・文/名越秀実

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