「入社して12年目の年末、大阪へ異動の辞令が出たんです。もともと、親会社の本社が大阪にあるのですが、そこの工場へ行ってほしいと」。
異動願いなど出していない平沢さんには、寝耳に水の辞令だった。
「以前から事業拡大を目的として、親会社の工場との間でちょこちょこと異動は行われていたんです。同期が一人異動したこともあり、自分は無関係だと思っていたわけではなかったのですが……。実はその頃、結婚して家も買ったばかりだったんですね。子どもも作りたいと思っていましたし……」。
何日か悩みぬいた平沢さんは事情を説明し、辞令を断りたいと上司に伝えた。すると今度は、「それなら、東京の事業所に営業支援として行ってほしい」と言われた。東京なら十分通勤圏内だったのでこれを了承し、2004年2月、事業所へと転籍・異動した。
「この会社の営業支援とは、営業先へ営業マンに同行し、そこで製造の視点から技術的な説明や提案をするという仕事なんです。私の異動先は設置されたばかりの、マンションへの営業を行うグループ。そのため営業先は、マンションを手がけるゼネコンやデベロッパーがほとんどでしたね」
平沢さんに期待されたのは、12年間キッチンの製造に携わって培われた専門知識。
「でも実際のところ、私が携わっていたのはキッチンの製造の一部、それも商品ではなく商品を作る機械でしたからね。当時、キッチンのことが全くわからないといっても過言ではなく、キッチンについて説明しろといわれてもできなかったんです」
これではいけない——平沢さんの、商品知識を頭に叩き込む日々が始まった。
「すべての商品の品番はもちろん、細かな機能や、扉や引き出しなど部品のカラー、大きさなども覚えました。また、営業先でも、営業マンとやりとりする上でも必要な金額も覚えましたね」
12年間携わった製造の仕事とは全く異なる仕事に、最初は戸惑いを隠せなかった平沢さんだったが、しかし徐々にやりがいを見出していく。
「一番うれしかったのが、お客様の意見を直接聞けることや、私の提案が受け入れられ、お客様に喜んでもらえるというところ。それまでは同じ会社内の違う部署の人間の意見を聞くことはあっても、商品を採用してくれるお客様の話を聞くことはありませんでしたから」
クライアントとのスムーズなコミュニケーションは、商品知識を覚える励みになり、そうして覚えた知識はまた、クライアントとのコミュニケーションに活かされる。
「お客様の要望やマンションの仕様に合わせてオリジナル商品を提案するのですが、先方に採用された時の達成感と充実感といったら……! まあ、マンションの場合、金額が安ければ安いほどいい、というところがあったので、簡単に採用されることはなかったんですけどね。お客様が望む金額に折り合いをつけるのは大変でしたが、だからこそ、やりがいも感じていたんです」
だが、クライアントの望む金額と折り合うための「苦労」は少しずつ大きくなり、平沢さんを苦しめるようになる。 |