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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第33回(前編) 滝本隆文さん(仮名・32歳) 経理
大手企業で味わった屈辱の日々 意外な方法でたどりついた 自分らしく働ける職場

仕事は一歩一歩堅実に。これがモットーの滝本隆文さん(仮名)が7年間勤めた中小企業から転職したのは、大手ソフトウェア会社の経理セクションだった。大手というだけあって、周囲のパソコンスキルは高く、自分自身、まだまだ学ぶことが多いと感じていた矢先、上司から厳しい注意を受ける。日を重ね、仕事が増えるに連れ、上司の言葉は辛辣を極めていく……。ついには「吊るし上げ」にまでエスカレートし、入社わずか半年にして、「転職」のふた文字が滝本さんの脳裏に浮かんできたのだった。

 背中の向こうから、上司である「お局様」の長いため息が聞こえる。

『なんでこんな男が、ウチに来ちゃったのかしら……』

 もちろん、それは耳に聞こえてくる言葉ではない。しかし、滝本隆文さん(仮名)には、「お局様」がそう考えているのが手に取るようにわかる。

 その朝、出社した滝本さんは、お局様とチームリーダーの二人に別室に来るよう命じられた。部屋に入るなり「きのうやった仕事の内容を細かくここに書き出しなさい」と言われた。なぜそんなことをしなければならないのかと思っているとお局様は続けてこう言った。

「転職したばかりとはいえ、あなたはミスがあまりにも多い。ですから、これから毎朝、前日にやった仕事を細大漏らさず私に報告してください」

滝本さんは一瞬、耳を疑った。入社したての新入社員じゃあるまいし──。

以来、屈辱の日々が始まった。

ITバブル崩壊で
7年間勤めた企業が倒産の危機に
 

 大学で会計学を学んだ滝本さんは、卒業後(※1)、従業員50名ほどの電子部品メーカーに入社。経理部に配属され、経理マンとして社会人のスタートを切った。しかし、数年後、ITバブルの崩壊とともに、経営が悪化。入社2年後には給料もカットされるほどの危機的状態に陥った。そもそもただでさえ普通に生活するのがやっとという給料だったその会社で、このまま働き続けていいのだろうかと思い始めた。

 しかもこの会社では、経理全般を任されていたわけではない。年次決算にも携わってはいたが、リーダーが別におり、あくまで補助的な仕事しかできなかった。経験を積み、スキルを上げたいと考えていた滝本さんには、とても満足のいく仕事とはいえなかったのだ(※2)

面接で長時間の自己アピール
意外にあっさりと内定が決まる
 

 7年目に入っても状況は変わらなかったので、転職を考えるようになり、【人材バンクネット】経由で転職活動を開始。50社ほど応募し、ようやくIT企業の経理職の内定を獲得した。しかし、平行して選考が続いていた別の会社(A社)でも1次面接を通過していた。報酬面ではA社の方が断然高かったので、できればA社に入社したいと考えていた。そこで、A社を紹介してくれた某人材バンクのコンサルタントに相談したところ、「A社の場合、これまで1次面接で通った人は全員内定が出ています。だから内定と思っていて間違いないですよ」と言われ、それならばとIT企業の内定は断ってしまったのだった。

 しかし、ただの形式といわれていたA社の面接に行ってみると、重役の前で30分ほど自己アピールをするようにといわれた。これといった準備もしてこなかった滝本さんには青天の霹靂で、満足な受け答えもできず、最終的に不採用になってしまった。しかしもうIT企業の内定は辞退してしまっている。結局、この時点ですべては振り出しに戻ってしまったのだった。

 そこで、滝本さんは、太鼓判を押してくれたコンサルタントに相談に行った。しかし、その際の対応は冷たいものだった。

『それはあなた個人の問題ですから、当社の関知するところではありません(※3)』。ただそれだけでした。それならば、あの時のアドバイスは何だったのでしょう。複数の会社を天秤にかけるのはよくあることで、選択違いは仕方ないにしても、一言、最後の面接も気を引き締めていきましょうと言っていただいていれば……。とても悔しい気持ちでしたね」

 50社応募してやっと転職できると思ったのに。これまでの苦労は何だったんだ──。怒りと悲しみでいっぱいだったが、かといっていつまでも立ち止まってもいられない。再度IT企業の内定を辞退したコンサルタントに連絡をとり、「何とかもう一度サポートしてくれないか」とお願いしたところ、大手のソフトウェア会社の経理職を紹介してくれた。これまでの経験から、こんな大手ではきっと内定が出ることもないだろうと、ダメ元の気分で応募した。書類は通過、面接に進む。ここからが滝本さんにとっての正念場だった。

「前回の失敗を踏まえ、今度は自己アピールをしてやろうと面接に臨みました。自分の能力も、うそとはいわないまでも、多少誇大して話したかもしれません。御社の即戦力として働きたいと強くアピールしました。そしたら即座に内定が出て、入社が決まったんです。大手企業だから、まずは安泰。当初の給料は、以前とそれほど変わらなかったのですが、それも勤め上げているうちに上がるとのことでした。これで新しい道が開けたと思ったのです」

「そんなこともわからないのか」
上司の言葉に思わずうつむく
 

 新しい職場である大手企業の会計チームは、滝本さんの上に女性が1人。陰では「お局様」と呼ばれる社内でも有名な我の強い人だった。そのほかには、チームリーダーの男性が1人、派遣社員が1人、ERP専従の外部スタッフが1人いるだけの小さなチームだった。滝本さんは入社当初から「即戦力」として、「お局様」の片腕となり、バリバリ仕事をこなしてくれるであろうというのが、会社の見込みだった。しかし、実際はそう簡単にはいかなかった。

「いきなり任された仕事は、未経験のものが多く、戸惑うことばかりでした。例えば、最初はERPの操作方法(※4)がわかりませんでした。上司に聞くと、ごく簡単な説明しかしてもらえず、さらに質問すると不機嫌になる。ついには、そんなことも知らないのか、と怒り出すという具合です。また、伝票を切る場合でも、間違った伝票を切ると、その記録がログとして残るので、その修正のための伝票をさらに切らなければなりません。そうして、戸惑えば戸惑うだけ余計な仕事が増え、効率が下がっていきました。上司にとってはとても我慢がならないことだったのでしょう。私に対しては常に冷たく見下すような態度でしたし、そうされると私もひるんでしまい、いつもビクビクうつむき加減で仕事をするようになってしまいました」

 入社して半月で、早くも職場は重い雰囲気になっていった。小さなチームで、お互いの能力に信頼がおけない関係は、業績の上でも最悪の状態になる。

「思えば、面接でアピールしてやろうと思ったのがアダになってしまったのかもしれません。これまで培ってきた能力を最大限活かし、即戦力として活躍したい。確かにそうアピールしましたし、会社もそれを認めて、入社させてくれたのでしょう。しかし、その『能力』は、会社がイメージする『能力』とのギャップがありすぎました。上司も私も、お互いに『こんなはずではなかった』と感じていたのです」

慣れない作業で毎日残業に加え
朝のつらすぎる「ミーティング」
 

 滝本さんは、入社直後から周囲のスタッフたちとの、とりわけパソコンスキルの差に気づき、自費でパソコンスクールに通って学んでいた。しかし、帰宅後や休日を使っての勉強だけではとうていカバーできるものではない。仕事をこなせばこなすほどミスを出し、効率の低下を招いてしまう。そんな状況だから、残業続きの日々に。さらに年次決算の時期になると、業務はそれまで以上に多くなり、終電で帰る日が続いた。

 しかし、残業手当はほとんどつかなかった(※5)。「ろくな成果も出していないあなたに残業代を払うことはできない。それくらい、わかるでしょう?」。「お局様」にはよくそう言われたが、確かに慣れた人ならもっと早く仕事を終え、家に帰っているのかもしれない。終電の時刻を気にしながら、たった1人デスクに残り、仕事を続ける自分がつくづく情けない気持ちになった。

 そんな滝本さんに業を煮やした上司は、早朝、滝本さんの前日の仕事のチェックをする「ミーティング」を開くことにした。

「これは大丈夫か」「あれは間違っていないか」と、まるで注意力のない子どもをたしなめ、噛んで聞かせるような扱い。間違ったカ所を見つけると容赦なく突っ込まれる。つじつまが合わない部分が判明したときの「このとき、あなた、何をやっていたの?」という上司の言葉は滝本さんの頭を混乱させた。間違えた理由を言ってもその何倍もの辛らつな言葉が返ってくる。次第に言葉を返すことすらもできなくなった。そのたびに背中からいやな汗が流れるのを感じた。もう少し丁寧に教えてくれていたら、こんな間違いもないのに。自分を未熟だと思い、自主的に学んだりもしているのに……。

 チェックを受けている毎朝の数十分間は、自責の念と屈辱感が入り交じったつらい時間だった。

「これじゃまるで吊るし上げじゃないか」──。こんなつらい朝の「ミーティング」を終え、自分のデスクに戻ったときのなんともいえない惨めな気持ち。グチを聞いてくれる仲間もいない小さなチームでの仕事は、滝本さんにとって到底堪えられるものではなかった。

社外の人の前での罵倒で,
決別を決意
 

 そんな状況でも滝沢さんはまだ頑張ろうと思っていた。だがその気持ちもある出来事でぽっきり折れてしまう。

 年次決算の仕事もようやく終わり、社外スタッフも多く招いての送別会が開かれた。その席で、「お局様」は、酔った勢いもあったのだろう、得意先のひとりに、仕事の愚痴をとうとうと話し始めた。

「私もとんでもないお荷物を抱えちゃって。中小企業で長くやってきたってことだったんですけど、実際のところ、何年もいったい何をやってきたんでしょうかねえ」

 その言葉は、近くの席に座っていた滝本さん本人の耳にも届いた。もちろん、その場に居合わせた人たちの耳にも。だれが聞いても自分のことだった。自分に聞こえるように言ったとしか思えなかった。

 自分のスキル不足を棚に上げるわけではないが、いや、それを棚に上げて考えたとしても、この人のやり方は間違っている。職場の人間関係を作り上げていこうという点で、大きな欠陥がある。この人の周りで人は育たないし、結果として効率を上げるチームも生まれない。もうここには、一刻たりともいるべきではない──。滝本さんの胸の内は固まった。

(※写真はイメージです)


以降11月26日配信[後編]に続く

 
プロフィール
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東京在住の32歳。大学卒業後、中小企業で経理を担当するも、将来に不安を感じ大手ソフトウェア会社に転職。しかし、上司が求める仕事がこなしきれず、毎日終電で帰宅の日々が続く。加え、パワハラともとれる劣悪な人間関係に耐えかねて、1年を待たずに転職を決意した。

滝本さんの経歴はこちら
 

卒業後(※1)
滝本さんが大学を卒業した1998年ごろは、大学生の就職率はかなり厳しい時期で、公務員を目指していた滝本さんは、卒業の年には公務員試験に失敗し、就職も叶わなかった。1年のブランクを経て、大学の就職課の斡旋する企業に入社したのだった。

 

満足のいく仕事とはいえなかったのだ(※2)
「会社そのものは温かみのあるいい雰囲気だったのですが、社長は80代、社員の平均年齢も50代という会社でしたし、新人をどんどん入れて若返りを図るという雰囲気でもありませんでした。完全に上がつかえている状態で、ここでは責任のある仕事を任されて経理としてのスキルアップを図るのは無理だろうと思っていたので、骨を埋めるという気にはなれませんでした」。

 

『それはあなた個人の問題ですから、当社の関知するところではありません(※3)』
それはあまりにも無責任だろうと思った滝本さんは、その人材バンク本社に連絡を入れ、事情を説明した。応対に出た副社長は最初、言い逃れをするなど真剣に取り合ってくれなかったが、怒りを露にすると事の次第を重く受け止め、担当コンサルタントに対してしかるべき処置をしたという。

 

ERPの操作方法(※4)
ERPパッケージ。財務・管理会計から、人事、生産、調達、在庫、販売などすべてを包括する情報システムを構築するために開発された大規模な統合型パッケージソフトウェア。もともと平均的なユーザーを想定した汎用的なソフトだが、企業ごとにカスタマイズされて使うことが多い。滝本さんの場合、このソフトの操作経験があまりなく、また会社側では、一般的な操作法は慣れているものと解釈していたと思われる。

 

残業手当はほとんどつかない(※5)
2週間で60時間ほどの残業をした時期もあったが、付いた手当はわずか2時間分だった。

 
次回は11月26日配信予定
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取材・文/有竹 真(ジャネット・インターナショナル)

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