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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第31回(前編) 斉藤博之さん(仮名)34歳/コンサルタント
営業方針を巡って上司と激突 理想の仕事と会社を求めて 3度目の転職を決意

ソフトウエア開発会社、特許事務所と、自らの考えのもとに、着々と経験と実力を積み上げてきた斉藤博之さん(仮名・34歳)。培ってきた専門知識を生かして、研究機関や企業の研究開発部門の役に立ちたいと、研究試薬メーカーに転職。しかし、会社の方針は斉藤さんの考えと大きくかけ離れていた。常に高い営業成績をキープすることで上司の声を抑えながら、顧客のために奔走する斉藤さんだったが……。

 顧客にとって必要なものを必要なときに必要な量だけ売る——メーカーとして当たり前のことが全くなされていないことに、斉藤博之さん(仮名)は、入社当初から違和感を覚えていた。会社のやり方を変えようと、独自のアイデアによる提案営業を行ってきたが、ことあるごとに上司から注意を受けていた。

「今のままでは顧客満足度を上げることはできません。メーカーなら、お客さまの利便性を第一に考えるのが当然ではないでしょうか。売上も上がっていることだし、問題ないと思います」

「四の五の言うな! これ以上、勝手な行動は許さん。会社の方針通りにやればいいんだ!」

 論理的な説明もなく、威圧的な態度をとり続ける上司。心の中で何かがスーッと引いていくのを斉藤さんは感じていた。

理想のキャリアビジョンを追い求めて
 
※写真はイメージです

 大学の理学部から大学院に進んだ斉藤さんの専門はバイオ研究。修士課程を終えて就職先を考える時期になったとき、斉藤さんの頭の中には二つの選択肢が浮かんでいた。一つは、企業の研究部門などで研究者として生きる道。そして、もう一つは企業経済を学べるような仕事を選ぶ道だ。

「もともと、バイオ関連のほかに経済学にも興味を持っていたんです。将来はさまざまな研究機関と企業を結びつけるような仕事がしたかった。それなら、企業のしくみを知っておく必要があるので、結局、販売管理ソフトを作成・販売する企業を選びました」

 業務コンサルタントとして、クライアントのワークフロー分析から、ソフトウエア開発までを手がけた。一方で、独自に簿記の勉強も行った。約1年半で企業活動におけるキャッシュ・フローを理解できたと判断。次の職場では専門分野であるバイオ関連事業に関わる職場を選び、医療や製薬などを専門とする特許事務所に入社した。

 斉藤さんの仕事は英文で書かれた海外メーカーの知的財産に関する書類の翻訳業務。バイオの知識は生かせるものの、早朝から深夜に及ぶ激務(※1)がひたすら続いた。優秀な同僚が体を壊して次々と辞めていく。斉藤さん自身も、体調に不安を覚えるようになり、半年後に退職した。

「自分の知識を生かして、お客さまに満足していただけるような仕事をしたい」。そう考えた斉藤さんが次に選んだのは、研究用試薬メーカーの営業職。研究機関や企業の研究開発部門に対して、試薬や機器を販売する仕事だ。大学院で研究を重ねてきた経験があるから、研究者のニーズに応える自信はある。斉藤さんは意気揚々と新しい仕事に向かった。

理想とかけ離れた営業方針に
入社直後から疑問
 

 ところが——。職場の雰囲気は、斉藤さんが思い描いていたものとは、全く違っていた。営業職である以上、売上を伸ばすのは当然だ。しかしこの会社は、顧客の事情を考慮せず、自社の売上目標の達成を最優先する空気が強かった。

「外資系の日本法人なので、“メーカー”というよりは“販売代理店”という感じでした。国内の事情やお客さまの研究状況などを無視して、本国が決めた特定の試薬を大量に売るという方針(※2)だったのです。使用期限のある製品であるにも関わらず、使用ペースを考えないで一度に大量に買わせようとしていました。それなのに、保証期限を過ぎたものは使わないようにと言う。顧客の使用ペースには波があるので、そこを考慮した提案をするのが本来のメーカーの務めなのに……研究者の気持ちがわかるだけに、これは納得いきませんでした」

 西日本を中心に約130社を担当していた斉藤さんは、いかにして顧客満足度を高めるかという観点から、営業の立場でできうる限りの工夫を凝らした。その一つが、顧客の研究内容に合わせ、必要な複数の試薬をセット販売するというものだ。採用してもらう製品の幅を広げることによって、売上を確保した。これなら、顧客にも喜ばれ、自社側も損がないと考えたからだ。

 しかし、会社はそれをなかなか認めようとはしなかった。

「社の方針に背いて勝手なことをしている」
「ウチは好きなものだけを売る個人商店ではない」

 ことあるごとに非難され、そのたびに意見を戦わせた。大勢の社員が集まる場で、公然と斉藤さんのやり方を否定されたときもある。

「お客さまのことを第一に考えるのは当たり前のこと。自社の利益を優先していたら、そのうち立ち行かなくなります。私のやり方は間違っていません。何よりもお客さまから支持をいただいているのが、証拠です」

 斉藤さんの正論に会社はなんら反論できなかった。

「かわいくないヤツ、と思われていたと思います(笑)」

同じ思いで戦っていた同士の退職
風当たりが一気にきつくなった
 

 反対する上司との攻防を繰り広げながら、独自の営業スタイルを貫いていた斉藤さんに転機が訪れた。

 それは、斉藤さんと同じ思いで行動していた営業所長と同僚が相次いで会社を去ったこと。大きな壁となって会社側の非難から守ってくれていた営業所長と志を同じくする同僚がいなくなり、斉藤さんは一身に非難の風を浴びる。

「自分のやり方の正しさを証明するためには、誰にも負けない営業成績を上げるしかない。だから、それまで以上にがむしゃらに働きました。たった一人になっても、絶対にやってやる! って。実際、営業成績は常にトップクラス。これなら会社も文句を言いにくいですからね」

 そのころには、顧客に対して効率的な実験方法の提案も行うようになり、実験の流れに沿って必要な試薬や機器をすべて揃えた「実験セット」を用意。実験がやりやすくなったと、顧客からは好評だった。

 顧客との関係は良好だったが、新しい上司からは常に厳しい目を向けられる。そんな状況に、どんどん疲れがたまっていくのを実感しながらも、“顧客のために”という一点が揺らぐことはなかった。

上司から威圧的な言葉を浴びせられ
心の中で何かが変わった
 

 しかし、上司を見返すために、売上を積み重ねていくことに目線が移ってしまい、このまま続けたとしてもどれだけ自分を高められるのか……と虚しさを感じるようになった。自分ひとりでは、会社のやり方を変えることはできない。それに、いくらお客さまのためといっても、自社製品だけを売るメーカーの立場では、できることが限られている(※3)

 そんなときだった。また上司から厳しく非難された。斉藤さんはこれまでどおり、自身の正当性を訴えたが、上司はこれまでにも増して威圧的な態度で言い放った。

「四の五の言うな! 勝手なマネは許さん!」

 自分の思いに反して白を黒と言わなければ、この会社では生きていけないのか……。斉藤さんは、自分の心が冷めていくのを感じた。

 もう限界だ──。

 そのときハッキリと、転職の二文字が脳裏に浮かんだ。


以降9月24日配信[後編]に続く

 
プロフィール
※写真はイメージです

大阪府在住の34歳。大学院修士課程修了後、ソフトウエア開発会社に入社。セールスエンジニアとして業務コンサルティングに携わる。その後、特許事務所に転職。製薬・医療関連の翻訳業務に携わるが、激務のため半年で退職し、研究用試薬メーカーの営業職に就いた。しかし、顧客よりも自社の利益を優先する会社側の考え方に疑問を持つように。そのうち、かねてから志望していた仕事への思いが強くなり、転職活動をスタートした。

斉藤さんの経歴はこちら
 

早朝から深夜に及ぶ激務(※1)
毎日、8:30から仕事が始まり、夜は23:00より前に退社できる日がなかった。オフィスでは、会話もなく、皆がただひたすらパソコンに向かっていたという。「あまりの激務に命の危機を感じました」(斉藤さん)

 

特定の試薬を大量に売るという方針(※2)
「日本は試薬が高く売れる市場と見られていて、本国としてはとにかく数を出したい市場だったのでしょう。実際、同じ試薬でも他の国よりも高い値がつけられていました」

 

できることが限られている(※3)
既存製品は保証枠が決まっているため、使用方法などに制限がある。自社製品だけを扱う立場では、実験方法の提案にも限度があり、もどかしさを感じていたという。

 
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取材・文/田北みずほ

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