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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第29回(前編) 今井明子さん(仮名)34歳/法務
こんなはずではなかった——最悪の職場から4度目の転職 積み重ねてきた努力が 高いハードルを越える原動力に

大学卒業後、英語と法律の勉強を続け、3度の転職を経て、順調にキャリアを築いてきた今井明子さん(仮名・34歳)。しかし、さらなる飛躍を目指して転職した4社目では、今まで経験したこともないような数々の困難にぶちあたったが、何とか耐えてきた。しかし2年後の上司からの一言でついに転職を決意した。

「これからはインセンティブがゼロになる」──。

 その一言は、まるでいつもの業務連絡のひとつであるかのように、上司の口からサラリと放たれた。定例ミーティングの席で手帳を眺めていた今井さんは、あまりのさりげなさに、危うくその言葉を聞き逃しそうになった。

(え……? インセンがゼロに……?)

 上司は表情ひとつ変えずに、部下たちの年収が大幅にダウンすることを宣告したのだった。どこからともなくもれるため息、重苦しい空気……誰もが暗い表情で押し黙っている。

 しかし今井さんの場合、驚きはすぐに諦観へと変わった。給料が下がる状況は2年も前から繰り返されている。インセンティブ・ゼロの宣言は、ショックというより「ついにきたか……」といった感じだった。

「もっと早く転職すべきだった」

 今井さんは入社してからのことを思い出しながら、我慢し続けて今に至ってしまったことを激しく後悔していた——。

英語を極めるため突き進んだ日々
そして訪れた転機
 

 中学時代から英語が好きで独学でも勉強を続けていた今井さんは、都内の大学の英文科を卒業後、英語を生かせそうな自動車関連会社に入社。通訳や商談への参加などやりがいのある仕事でキャリアの好スタートを切った。しかし日本企業独特の古めかしい社風や管理体制(※1)になじめず2年後に退職。その後、英語力にさらなる磨きをかけるためアメリカへ留学をした。

 アメリカでの生活は実りの多いものだった。(※2)教科書からは学べない生きた英語に触れ、異文化を肌で感じるイキイキとした毎日……。ネイティブ英語にもすっかり慣れた今井さんは、帰国後に外資系の大手コンピュータ会社に入社してキャリアの再スタートを切る。そこで任されたのは、契約書のチェックや翻訳といった法務事務だった。それは今井さんのその後を決める大きな転機となった。

「法律には以前から興味があったので、契約書に携わる仕事には大きなやりがいを感じました。しかし、いかんせん専門知識がなくって……もっと法律について学びたい、知識を増やしたい……仕事を通してそんな気持がどんどん強くなっていきました」

「法律」という自分の核となるものを見つけた今井さんは、その後、努力を重ねて自分のキャリアを切り開いていくことになる。

「英語」と「法律」を軸にステップアップを目指す
 

 法務事務で法律の面白さに目覚めた今井さんは、ここで大きな賭けに出た。仕事を一度辞めて、法律の専門学校で勉強することを決意したのだ。目指したのは司法書士の資格(※3)。難関であることは承知の上での挑戦だった。

「初めから、頑張るのは一年間だけにしようと決めていました。挑戦した試験の結果は、残念ながら不合格でしたが、それでも、それなりの知識を得たという自信とやるだけやったという満足感は得られました。だからその後も、スッキリした気持で前向きになれました」

 その後は小規模のIT企業に転職、法務担当者として4年のキャリアを経たのち、「より大規模な企業でスキルアップを目指したい」と転職活動を開始、1カ月後、誰もがうらやむ大手IT企業への転職を成功させたのだった。ポジションはマネージャー。法律に携わるようになって8年が過ぎていた。

「これまで、英語も法律も自分の努力で知識を身につけてきましたし、それを生かすための転職も成功させてきました。ですから、今回の新しい仕事でも必ず成長できるはずだと信じていました」

 今井さんはこの転職で大きな飛躍ができることを夢に描いていた。今までのように前途は明るいと信じて疑わなかった。しかし、そこには大きな落とし穴が待っていたのだった……。

こんなはずじゃなかった……
期待はずれの環境に落胆の毎日
 

 新しい職場に意気揚々と出社した初日、いきなり違和感を覚えた。社内の雰囲気がやけに重く感じられたのだ。社員同士が挨拶もしない、態度がやけによそよそしい。パソコンキーを叩く音だけが響く静かなオフィスでは、私語どころかちょっとした会話さえも聞こえない。ふと、パソコン画面を凝視しながらものすごい速さでキーを叩いている社員の姿が目に飛び込んできた。どうもチャットで打ち合わせをしているようだった。なんとも形容しがたい異様な雰囲気……すでに3社での経験がある今井さんだが、こんな不思議な感覚は初めてだった。

 不安を感じながらも何とか気持を奮い立たせて働き始めた今井さん。しかし、初日に感じた「嫌な予感」は日を追うごとに現実のものとなっていく。

 まず今井さんが最初にショックを受けたのは、直属の上司とのコミュニケーションがどうしてもうまく取れないことだった。上司は今井さんから言葉を発しない限りは、自分からは何も言ってきてくれないのだ。背中合わせに座っているにも関わらず、業務連絡はメールで、打ち合わせはチャットでパソコンに届く。簡単な伝言すらしてくれない。

「最初は嫌われているのかなと思いました。でも、私以外の誰に対しても同じ態度だったので、きっとそういう人だったのでしょう。上司としては非常にやりずらかったですね」

 そんな上司から下りてくる仕事も理想からかけ離れたものだった。今井さんは契約書の作成や管理をする部署でマネージャーとして採用されたのだが、取引先との折衝など主要な仕事は、すべて上司が持っていってしまうのだ。入社直後には小さなチャンス(※4)もあった。しかし今の上司になってからは、まわってくるのは、その上司がとりこぼした小さな仕事や、法務の本流から外れた雑務的な仕事ばかり……。やりがいなど感じられるはずもなかった。しかもその上司は保身のためか自分の失敗を平気な顔をして今井さんにかぶせてくる。

「上司の指示が的外れだから、無駄な仕事も多くなりがちでした。たとえば、書類を作ってふと気づけば他部署で同じものを作っていたり、同じ作業を進行中だったり……そんなことはしょっちゅう。せめて部署間の風通しが良ければ情報も入ってきたのでしょうが、それも期待できなくて。頑張るほどバカバカしくなりました」

 コミュニケーションが乏しいのはその上司だけではなかった。全社的にも、社員同士が無関心で、おしゃべりはおろか業務に必要な会話すらパソコンで行うような冷めた雰囲気があった。それはおよそ人間が介在しているとは思えないような無機質なものだった。派遣社員はあっという間に入れ替わり、正社員は時期を見て次々辞めていく。入社したばかりの今井さんにも「まともな神経の人は長く働き続けられない会社」だということが徐々に分かってきた。

「すぐにでも辞めたい」——まだ転職したばかりであるにも関わらず、今井さんは毎日そんなことばかり考えるようになっていた。しかし入社してすぐ辞めてしまうのはキャリアに傷がつく恐れもあって簡単にはできない。大企業に勤める安定感(※5)も捨てがたい。嫌な上司が近々異動するという噂もあり、その可能性にかけてみたい気もした。幸い他部署だがランチタイムに愚痴をこぼせる友達はできた。

「もうちょっとだけ……せめて1年だけは頑張ってみよう。そうすれば道が開けるかもしれない」

 苦しい状況にもがきながらも、今井さんはとりあえず「耐える」ことで状況を乗り切ろうと心に決めた。事態が好転することを信じて……。

これでとどまる理由はなくなった
 

 しかし状況は一向に改善されないまま月日だけがいたずらに流れていった。そしていつの間にか、心の中にくすぶっていた「ある火種」は、徐々に我慢できないほどに大きくなっていった。それは入社当時から下がり続けていた給料についてだった。

 入社前に人事担当者から、「インセンティブは年3回、年収の13パーセントが確実に支給される」と説明されていた。今まで支給されなかった年はないから99.9パーセントほぼ確実だろうと。それは入社を決めた理由の一つでもあった。しかし、実際にその約束が果たされたのはたった1回だけ。その後はアメリカの本社の方針転換で、年3回から1回になり、昇給もなくなり、給料は入社当時の一番良かったときから比べて70万円も下がってしまったのだ。

 そして入社2年後にはさらに状況は悪くなった。

「アメリカの本社が業績不振を理由に、インセンティブは査定の上位数パーセントの社員にしか出さないと言い出したのです。そうすると、残り90パーセント以上、つまりほとんどの社員がもらえないという状況になります。これじゃあ最初の話と全然違いますよね」

 それが「インセンティブがゼロになる」という上司からの通達だった。

 さらに情報を集めてみると、昇給が5年もない同僚がざらにいることが分かった。今井さん自身もなかったし、今後も業績が急激に上がるような見通しもなかった。

 無機質で会話のない職場環境、場当たり的でやりがいのない仕事、下がり続ける給料、将来への不安……。それでも頑張れたのは、「もしかしたら状況が好転するかもしれない」というかすかな望みがあったからだ。

 しかし2年間必死に耐えてきたその思いは、ミーティングで放たれた上司の一言で、まるで波打ち際の砂城のようにあっけなく崩れ落ちてしまった。今井さんはこの瞬間「ここにいる理由はひとつもなくなった」と思った。

 入社から2年後、今井さんはそれまでおぼろげに見据えていた「転職」という道を選ぶ決意をした。


以降7月30日配信[後編]に続く

 
プロフィール
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東京都在住の34歳。大学卒業後自動車関連会社で働いた後、2年間の語学留学を経て、コンピュータ会社とIT会社の2社で6年間にわたり法務の仕事を経験する。その後は1年間司法書士資格取得の勉強に専念した後、大規模IT企業に入社。しかし、理想とかけ離れた環境と当初聞かされていたのと大きく異なる条件に頭を悩ませていた。

今井さんの経歴はこちら
 

日本企業独特の古めかしい社風や管理体制(※1)
今井さんが最初に勤めたのは一昔前の伝統をひきずった典型的な日本企業。仕事はそこそこ面白かったが、朝のラジオ体操や社歌の合唱など、今井さんが苦痛と感じる不自由な厳しさが色濃く残っていた。いよいよ女性を活用しようという気運の中で「名刺を作ってもらった女性社員」第一号になったが、長く勤め上げることはできなかった。

 

アメリカでの生活は実りの多いものだった。(※2)
前の会社で通訳などを経験するうちに、単に英会話力があるだけでは限界があると判断、仕事で使える英語を身につけるため、留学先では「ビジネス英語習得コース」を選択する。今井さんの場合は一定レベル以上の英語力があったため、留学で飛躍的に英語力がアップしたということはなかったが、生きた英語を学ぶ良いチャンスとなった。

 

司法書士の資格(※3)
司法書士は、裁判所・検察庁、または法務局へ提出する書類を作成したり、簡易裁判所における訴訟代理、登記または供託に関する手続きの代理などを行う。弁護士ほど深い理解は必要ないが、幅広い知識が必要だ。一次試験と二次試験があり、合格率は約2パーセントと難易度はかなり高い。

 

小さなチャンス(※4)
実は、今井さんは入社後数カ月間、別の上司と一緒に仕事をしていた。その上司は今井さんが「あの会社で唯一尊敬できた人」と評する人。今井さんに仕事を任せ、アメリカとの電話会議に参加できるように便宜もはかってくれた。しかし残念ながら今井さんが仕事に慣れた頃に退職。そしてそれは今井さんが「まともな人はみんな辞めていく」と気づいたきっかけにもなった。

 

大企業に勤める安定感(※5)
小規模の会社から転職してきた今井さんにとって大企業の安定感はとても重要だった。知名度の高い大企業に勤めていれば世間からもそれなりに信頼される。知人からも「家を買うときに全然違うよ」とアドバイスされ「なるほど」と思い、それが転職の判断を鈍らせてしまった。

 
次回は7月30日配信予定
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取材・文/内藤すみこ

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