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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第27回(後編) 村田友樹さん(仮名)39歳/フィールドエンジニア
会社の都合でやりがいを奪われた 39歳エンジニアの起死回生転職

フィールドエンジニアとして、顧客から絶大な信頼を得て、充実した毎日を過ごしていた村田さん(仮名)。しかし、会社の都合でその仕事は取り上げられてしまった。会社から新たな仕事を引き受けるよう打診されたが、納得できず、転職を決めた。しかし、フィールドエンジニアの経験は転職市場で評価してもらえるものなのか。胸中の不安は日に日に大きくなるばかりだった……。

【前回までのあらすじ】

 製薬会社のMRから精密機械メーカーに転職した村田さん。フィールドエンジニアとして、写真プリント機の据え付けや修理を担当していた。会社の都合で2度も所属会社が変わる転籍を経験したが、顧客に喜んでもらうことをやりがいに仕事に打ち込んでいた。しかし、会社が写真プリント機事業から撤退し、不本意な仕事を要求。それを機に【人材バンクネット】に登録した。

「会ってみなけりゃわからない」
スカウトメールの翌日に面談へ
 

 フィールドエンジニアという仕事が好きで、誠実に仕事をしてきた村田さん。そのことに誇りを持っているものの、客先に出向いて機械を直すという経験しかない自分を、どんな企業が雇ってくれるのか。30代後半という年齢でチャンスがあるものなのか。不安は尽きなかった。実際、登録していた転職サイトからはほとんど反応がなかった。「ひょっとして転職できないのでは」──。不安に駆られることが何度もあった。

 もっと動かなければと焦る一方で、いったいどういう基準で会社を選べばいいのか、全く見当がつかず途方に暮れた。

「いくらホームページやパンフレットを熟読したところで、会社は入社してみなければわからない」──。転職と転籍で複数の会社を経験してきた村田さんの持論だ。

 そんなとき、2つの人材バンクからスカウトメールが届いた。

 メールだけでやりとりすることも可能だったが、村田さんはあくまでも現場主義。「コンサルタントも会ってみなけりゃわからない」と判断し、翌日に面談に向かった(※1)

 知りたいことはただ一つ。「私が応募できる求人はあるのでしょうか?」。村田さんは単刀直入にコンサルタントに聞いた。2件の人材バンクで同じ質問をしてみたが、両方とも答えは同じだった。「大丈夫、ありますよ」。そして実際にいくつかの求人票を見せてくれた。可能性が見えてきたことによって、村田さんの心はすっと軽くなった。

「威勢よく会社の辞令を断ったのはいいけれど、私には妻と小さな子供が2人いますから、できるだけ早く転職先を決めたかったんです。コンサルタントから『大丈夫』という一言を聞いて、なんだかすっきりしましたね。自分に合う会社なんてわからないけれど、彼らに任せておこう、と思いました」

 コンサルタントに相談したおかげで、自分の可能性が見えてきた。また、コンサルタントに任せるだけではなく、村田さん自身も努力した。たとえば職務経歴書。転籍が2回という異例の経歴のため、職務経歴書の表記はそれがわかるように工夫した。コンサルタントのアドバイスも参考になった。

「社長賞や表彰を受けたことを含め、やってきた職務内容もわかりやすく記入しました。また、若い人と違ってそれなりの職歴があるのだから、できるだけ多くのことを記入するようにしました。完成した職務経歴書をコンサルタントにほめられて、さらに自信がつきましたね」

マネジメントよりもやっぱり現場がいい
「フィールドエンジニアは天職」と気づく
 

 人材バンクに登録後、すぐに医薬品の検査機器メーカーの面接を受けることになった。しかし結果は不採用。その理由を村田さんは次のように分析する。

「マネジメント力を求めている会社でした。私にはこれといったマネジメント経験はなかったのですが、チームリーダー経験くらいはありましたらから、それをアピールしたんです。もうすぐ40歳ですし、現場もいいけどマネジメントもできるようにならなければいけないかな……と思っての応募でしたが、やっぱり難しかったようです」

 しかし、この会社に応募したことによって、はっきりとわかったことがあった。それは「自分はやっぱり現場が好きなんだ」ということ。

 顧客から機械の不具合の連絡を受けると、即座に駆けつけて故障の原因を探る。すぐに原因が見つからないときも、一つひとつの状況を確認すれば必ず見えてくる。修理が速ければ速いほど顧客に喜ばれるし、自分の腕も上がっていく。さまざまな難問にぶつかってきたけれど、問題の答えはすべて現場にあった。現場で教わったことが今の自分を築き上げてくれたのだ。経験を積み重ね、どんな故障も直せることに誇りをもっていた。

「やっぱり現場に出られる仕事をしよう。フィールドエンジニアは自分の天職なのだから」──。村田さんは自分の進むべき方向を再確認した。

2次選考時に英文メールの課題
かつての上司に添削を依頼
 

 2006年の暮れも押し迫ったころ、人材バンク「キャプラン」の大阪支社の夏梅暁コンサルタントからメールが届いた。外資系の金属部品検査機器メーカーの求人紹介だった。職種はもちろんフィールドエンジニア。驚くべきことに、応募の翌日に面接が行われた。

 企業側の面接官は大阪支社長と技術部長の2人。会社の説明を聞き、自己紹介を終えると、「じゃあ、一緒に機械を見に行きましょうか」と技術部長が言い、一緒に工場へ向かった。

 検査機械を目の前にして、村田さんの心は踊った。

「大学時代は機械工学科でしたから、学生時代に学んだことを思い出しました。すごく興味を惹かれましたね」

 1次選考は無事通過。2次選考は1週間後、社長面接だ。それと同時に英文メールの作成という課題の提出を求められた。

「機械に不具合があったとき、本国の技術部門に問い合わせ、解決方法を確認する際の文面を作成せよ」というものだ。

 1回目の転籍で外資系の精密機器メーカーに勤めていたため、村田さんは問い合わせメールの書き方のポイント(※2)を知っていた。だからそれほど難しい課題ではなかったが、万全を期すため、かつての上司に連絡をとった。自分で作成したメールを添削してくれるよう、頼むためだ。

「私でよかったら協力させてもらいます」

 多忙を極めているはずなのに、快い返事をくれたのが本当にうれしかった。おかげで課題は無事に完成。自信を持って2次選考に臨む準備が整った。

大事な仕事と面接日が重なった!
ピンチを救ってくれたのは意外な後輩
 

 ところが2次面接を間近に控えたある日、問題が起こった。面接日と客先でのパソコンの取り付け作業が重なってしまったのだ。3人のエンジニアで現場に出向かねばならない仕事で、村田さんもメンバーの一人だった。

「困ったな……」

 実は、村田さんは自分が転職することを周囲に宣言していた。仕事と面接が重なったことも打ち明けると、ある人物が声をかけてくれた。

「行ってきてくださいよ。面接を終えて昼から合流してもらえれば、なんとかなるようにしておきますから」

 そう言ってくれたのは、ここ半年でいろいろと一緒に仕事をした後輩からだった。「悪いな。ありがとう」。その好意を甘んじて受けることにした。

 そして迎えた2次選考当日。社長面接は晴れ晴れとした心で臨むことができた。今までやってきたこと、今の会社を辞めようとしている理由、仕事に求めること、仕事内容や待遇面での希望条件など、すべてありのままを語った。自分の実力以上に大きく見せることもしないし、都合の悪いことを隠すこともしない。それが村田さんのやり方だった。

 内定の知らせが届いたのは2日後。フィールドエンジニアとして顧客のために努力を積み重ねながら、誠実に仕事をしてきた姿勢が評価された。

「念願のフィールドエンジニアでしたし、技術力が身につく仕事で、年収などの条件面(※3)も悪くなかった。断る理由はありませんでした。内定が出て本当にホッとしましたね。やっと今の会社を辞めることができる、しかも間を空けずに転職できるって」

現場の楽しさを再確認しながら
一人前のエンジニア目指して奮闘中
 

 新たな勤め先は欧州に本社がある検査機器メーカーの子会社。輸入した装置を納入先別にカスタマイズして販売している。機械の設置とアフターケアを行うのがフィールドエンジニアである村田さんの仕事だ。

 入社して、まだ3カ月足らず。今は機械の構造を学んでいるところだが、金属部品の検査機械を出荷する際の配置や配線を覚えるため、現場に出向く機会もあった。

「工場のラインに検査機械が組み込むところに立ち会いました。やっぱり現場は楽しいですね。今回導入した機械も、1年後には点検作業が待っている。そのときには、一人前のフィールドエンジニアとして活躍したいですね」

 今回の転職を振り返って、村田さんはこう語る。

「フィールドエンジニアになってから、2度も転籍という形で会社を変わることになって、たいへんな面もあったけど、今まで経験してきたことはムダじゃなかった。すべてが自分の力になっていて、転職を後押ししてくれたように思います。39歳という年齢(※4)で新しいことに挑戦する苦労はあるけれど、考えようによっては、この年齢で新しいことをやれるのは幸せなことかもしれない。早く現場で活躍できるように頑張りますよ」

 仕事を選ぶ際、重視する点は人それぞれ。村田さんは「給料や待遇も大切だけれど、一番必要なのはやりがいと楽しさ」と言い切っていた。それが村田さんにとって、仕事を続ける原動力だからだ。

 これからは自らの手でつかみ取った新たなフィールドで、新しいやりがいと楽しさが膨らんでいくはずだ。村田さんを信頼して待つ顧客がいる限り——。

コンサルタントより
 キャプラン株式会社 大阪支社
 コンサルタント 夏梅 暁氏
自分の仕事に誇りと信念を
持って取り組んできた点が
高く評価されました
 
 
夏梅 暁氏

村田さんのキャリアシートを見て、真っ先に注目したのが「顧客満足を実現するフィールドエンジニアの仕事は私の生きがいです」という言葉。フィールドエンジニアは、いつ飛び込んでくるかわからない顧客からのサポート要請に対応しなければならないため、とても気苦労の多い仕事です。そういう仕事にやりがいを感じる村田さんは貴重な存在。すぐに検査機器メーカーの求人を紹介しました。

入社された検査機器メーカーは、自動車メーカーや鉄鋼メーカーなど大手企業を得意先としており、フィールドサポートを重視している会社です。顧客の要望を細かく拾い上げ、新たな製品づくりに生かすためです。

先方の採用担当者は、村田さんのキャリアシートを見るなり「すぐに会いたい」とおっしゃいました。内定の決め手は、フィールドエンジニアとして一貫したキャリアを持っていたことと、信念と誇りを持って仕事に取り組み、実績を残してきた点です。顧客に慕われそうなやさしくて明るい人柄もフィールドエンジニアに欠かせない資質であり、評価の対象となりました。

もうひとつ、ポイントとなったのは、村田さんの英語力です。この検査機器メーカーは欧米企業の日本法人なので、一定レベル以上の英語力が必須でした。村田さんは自ら努力され、仕事を遂行するに差し支えない英語力をお持ちでした。その点も採用を決定づける要因となったようです。

実はフィールドエンジニアの求人の多くは35歳までが中心。しかし、企業によってはもう少し幅を広げているところもあります。村田さんの場合、上限ギリギリでしたので、タイミングもよかったのだと思います。

転職で実現したいことは人それぞれですが、村田さんは企業規模や年収にはこだわらず、あくまでも仕事内容を重視して転職先を選ぶというスタンスを貫いていました。そうした選択基準を持っていたことも、スムーズに内定に至った要因だったと思います。

年収に関しては、村田さん自身の希望が控えめでしたので、経歴や実力を考慮して、前職の年収よりも高くなるよう交渉しました。

村田さんが入社されてから、部署の責任者とお会いする機会がありました。積極的に新しい仕事に取り組んでいらっしゃる村田さんに対し、「よくやってもらっています。いい人が来てくれました」とおっしゃっていただき、私自身も喜ばしい気持ちになりました。

 
プロフィール
photo

大阪府在住の39歳。既婚。大学卒業後、製薬会社のMRを経て精密機械メーカーに入社。当初はフィールドエンジニアとして、写真プリント機の据え付け、修理・点検などの仕事に従事していたが、その後2度も会社都合により転籍。さらに、写真需要の減少による業績低迷から、会社は写真プリント機の修理・点検事業から撤退。顧客先で仕事をする喜びを奪われたため、転職を決意した。2007年2月、機械部品や鉄鋼製品などの検査機器メーカーに入社。フィールドエンジニアとして働く。

村田さんの経歴はこちら
 

翌日に面談に向かった(※1)
スカウトメールを受け取ってから、日をおかずに面談を申し込んだ村田さん。コンサルタントからは「そんなに転職を急いでるんですか?」と驚かれたほどだ。転職に対してなんらかの手がかりを得たかったための行動だったが、結果的には「早く相談してよかった」という。

 

メールの書き方のポイント(※2)
村田さんによると「どの機械に、どんな症状で、どのような処置をして、現状はどうで、どうしたいのか。これらを相手に伝わるように書いておくことが大事なんです」とのこと。過去に書いたメールが手元に残っていたので、それを参考に課題を作成してから、添削をお願いした。

 

年収などの条件面(※3)
転職前の村田さんの年収は550万円。応募した企業でも同額を提示されたが、年収とは別に残業代がプラスされるので、実質の年収は100万円ほどアップする予定だという。

 

39歳という年齢(※4)
村田さんが応募したのは全部で8社。そのうち、面接に進むことができたのは2社だった。「応募できる企業はたしかに少なかったけれど、職務経歴書の書き方など、自分を知ってもらうための努力もしましたから、あとはコンサルタントに任せておけば大丈夫という安心感がありました」(村田さん)

 
取材を終えて

顧客から指名されるほど、エンジニアとして信頼されていた村田さん。実直で誠実な仕事ぶりが想像できました。そこまでに至るには、相当の努力もされたことでしょう。「機械を直して、顧客に喜んでもらうことがやりがいであり楽しさです」と語る村田さんに、真のエンジニア魂を見たような気がしました。

堅実な仕事をしてきた村田さんも、転職の際には自分の力がどれだけ評価されるのか、心配だったといいます。「考えるより先に進むことが大事」。村田さんが何度か口にした言葉どおり、コンサルタントに相談することで、不安はすぐに払拭されました。自分の力を客観視して、心を落ち着けて転職活動に臨むことも必要なことですね。

40歳を目前にした転職は不利な面もあるかもしれません。しかし、村田さんは現状に満足することなく、ハードルが高ければ高いほど燃えるタイプ。これまでの実績に加え、そんな前向きな姿勢が現在の会社に評価されたように感じました。

今いる場所でコツコツと努力を続けていれば、必ず何らかの力がつくし、それを評価してくれる会社が現れる。村田さんの転職がそれを物語っているように思います。
(田北みずほ)

次回は6月18日配信予定
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取材・文/田北みずほ

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