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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第25回(前編) 志村秀和さん(仮名)34歳/営業
派閥争いに巻き込まれ転職を決意 最後まで年収にこだわった 34歳営業マンの意地とプライド

営業職を自分の天職と考えている志村秀和さん(仮名)は、経験を積むごとに実績を上げ、転職するごとに年収を増やしていった。3社目でも順調に昇進、志村さんのキャリアは順風満帆に思われた。しかし思わぬところから暗雲が立ち込め、転職を考えるようになる。

「あかんヤツの友だちは、やっぱあかんヤツやろ」

 志村秀和さん(仮名)を高く買ってくれている部長は、ときどきそんな言葉を口にしていた。

「ダメな奴にはダメな奴が集まる。みんなでたむろして、現状に満足しようとしてる。群れるのはラクや。それでいいときはいい。しかし、ひとたび強い風が吹いてきたらどないする? 群れの者みなが肩寄せ合って縮こまって、風がやむのを待つんか? それでやっていけるんか?」

 志村さんは、部長の考え方に共感することが多かった。もしその環境に不平や不満があるのなら、まず改善を考え、実行しようとすべきではないか。少なくとも志村さん自身はそうしてきたし、あれこれと愚痴を言うだけで何もしないという生き方には全く賛同できなかった。

 そんなポジティブな考え方が志村さんと部長との共通点だった。しかし、ある日部長はため息混じりにこう言った。

「でもまあはっきり言って、こんなふうにポジティブに考えとる人間は、世の中に1割くらいやろな。たいていのヤツは、ラクな方を選ぶもんや……」

 弱音ともとれるこの発言に志村さんは、彼らしくないなと感じた。この「悪い予感」は後に的中することになる。

営業職として高い実績
転職するたびにレベルアップ
 

 志村さんは大学卒業後、地元大阪の証券会社に入社。営業部に配属された最初の1年で、新規口座獲得ランキング新人の部で1位を獲得する。その後も営業マンとして実績を出し続けた志村さんだが、3年後、「これからはIT関係の仕事を経験しておくことも必要」と、ソフトウェア開発会社に転職(※1)。前職と全く畑違いの業界だったが、ここでも営業マンとして高い販売実績を残す。

 会社から高い評価と期待を受けた志村さんは、会社の関東進出戦略にともない千葉営業所へ転勤となった。そのときすでに結婚し、二人の子供を抱えていたが、家族で千葉県へ引越し、新天地で仕事を開始。ほぼ未開拓な地域にも関わらず、ここでも志村さんは自社の商品を売りまくる。そのため、会社はなかなか大阪本社へ返してはくれなかった。

 家族の将来のため、そろそろ家を買いたい(※2)と思っていたが、融資の相談に行った銀行で言われたのは「ちょっとした国産車が買えるくらいなら」。そこでこれからの将来を見据えた上での仕事について考えた。

「今の会社でしゃにむに働いて結果を出しても、家ひとつ買えないのであれば、今の会社にいる意味はない」

 そう考えた志村さんは家族のためにより収入の高い会社への転職を決意した。

年収アップは実現したが……
 

 転職活動はインターネット検索で見つけた【人材バンクネット】(注3)を利用した。

「スカウトメールもかなりの数だったし、仕事を続けながら、常に新しい情報を手に入れることができる」と、頻繁に使った結果、転職できたのが大阪に本社をもつソフトウェアメーカーだった。

「収入」を条件として探したので、結果として年収200万円以上のアップを実現。職種はもちろん、これまでに経験を重ね、実績も残してきた営業職。家族全員で関西に戻ることも叶った。

 ここでも志村さんは人一倍の努力で成果を出し続け、1年目に主任、2年目に係長、3年目に課長と一直線に昇格。4年目にはよりハイレベルな活躍を期待され、営業推進部に異動となる。収入も年を追うごとにアップしていった。

 しかし、異動となって少し経ったころ、順風満帆と思われた志村さんのキャリアに暗雲が立ち込める。

「2004年の4月ごろから、会社全体の業績悪化が見え隠れするようになりました。もともと、会社ではソフトの開発を外注に任せて、自社では作っていなかったのですが、その頃、商品の返品が増え、業績が落ち込んでいったのです。その影響で部長クラスの年俸が一律ダウン、次いで派遣社員をカットするようになりました」

 この状態が続けば、自分の年俸も削られるだろう。さらにこのままいけば……。志村さんをはじめ、多くの社員に重苦しいイメージがつきまとう。そんな中、志村さんにとって転機を促す事態が起こった。志村さんを営業推進部に引っ張ってくれた部長と社長との確執である。

 その部長は、実績もあり現社長からの信頼も厚かったので、次期社長とも目されている人物だった。しかし、業績が悪化するにつれ、部長と社長は意見の衝突を繰り返すようになる。

 社長の方針は、社員を切ることで困難を乗り切ろうというもの。それに対して、部長の考えは、リスクを覚悟しても社内の改革・改良を進め、業績をアップさせようとするもの。正反対の考えをもつふたりの溝は次第に深くなっていった。

 そしてついに社長は最後まで自分の意見を譲らなかった部長を降格。部長職を解いてしまった。この知らせを聞いたのは、冒頭の部長の弱気なセリフを聞いた直後のことだった。

この会社にいてもダメだ
転職を決意
 

 その直後、志村さんに営業推進部から営業部に戻れという辞令が下った。さらに、「業績の上がらない営業マンの管理も頼みたい」という指示まで与えられる。営業推進部では、100人ほどの社員を相手に販売促進のセミナーを行うなど、単なる営業にとどまらず、さらにその上の仕事をこなしていた。それがまた1年前の仕事に逆戻りすることになるわけだ。

「営業推進部に引っ張ってくれたのも部長だったから、私にまでその余波が来たのかと思いました。これが派閥争いに巻き込まれるということなのかと……」

 これまで、会社のために努力し続け、成果を上げてきたという自負をもつ志村さんはやりきれない思いだった。

「成果が出せないとか大きなミスをしたとか私に原因があるならともかく、私個人の努力や実績とは全く関係のないところで状況が変わっていく。これは納得のいくことではありませんでした」

 さらに周りを見渡せば、次々に給料を下げられたり、首を切られていく社員たち。残った社員もやる気を失い社内には沈滞ムードが色濃く漂うようになっていた。

 そんな状況を見て、かつて部長が言ったあの言葉を思い出した。

 あかんヤツの友だちはやっぱりあかんヤツや──。

「自分を取り巻く状況はさまざまな要因で変わっていきますが、その状況を変えていくのもまた自分自身でしかありません。その努力を惜しんでなあなあで仕事をしていても、状況がよくなるとは思えないし、本人もつらいのではないでしょうか。自分はこんなものだとあきらめてしまったら、それ以上にはならない。例え世の中の9割の人がネガティブになっても、自分は残りの1割の中にいたいと思っていました」

 常に自分を高めていきたい。その成果として得るもので、家族を守っていきたい。それが自分の本分なのだ。

 2006年10月、志村さんは転職を決意した。

 以下次号「後編」に続く
 
プロフィール
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大阪府出身の34歳。既婚。大学卒業後、証券会社→建築CADソフト開発企業→ソフトウェア開発企業と3社で営業を経験。3社目では、営業職としての才能と実績を認められ、年を追うごとに昇進をするも、会社全体の業績が悪化。上司が社長とは別の派閥グループであったことから、降格ともとれる人事異動を命じられ、勤続4年目にして3度目の転職を決意。現在は、ソフトウェア開発会社、オックススタンダード株式会社の大阪支店長に就任。新店舗開設準備に大忙しの日々を送っている。

志村さんの経歴はこちら
 

ソフトウェア開発会社に転職(※1)
証券会社は、退職する人も多く、同期の人が辞めれば、その分の仕事が残った者に回ってくる。いわば仕事の増え方が、体力ばかりに負担がかかる「足し算」にしかならない。この仕事では、仕事の効率を倍にしていくことは難しいのではないか、と考えたことが転職の大きな要因だった。

 

そろそろ家を買いたい(※2)
「子供に卑屈な思いだけはさせたくないと思います。言ってしまえば、私が仕事を頑張っているのは、私自身の自己実現といったような偉そうなものではなく、子供や家族を失望させたくないというその一心なのです」

 

【人材バンクネット】(注3)
その後、転職が決まってしまったら特に必要はないのだが、何かあったときのことを考えて、とりあえず【人材バンクネット】の登録は残していた。日々の仕事に全力で取り組むことは当然だが、常に最終兵器として「転職」という奥の手があると考えていれば、日々の惰性に流されることなく、仕事に打ち込むことができるというわけだ。

 
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