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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第11回 前編 西田 明さん(仮名)39歳/システムエンジニア
このままでいいのだろうか……背中を押した早期退職勧告 38歳で初めての転職を決意
大きな不満もなく、日々淡々と仕事に励んでいた西田さんに突然伝えられた会社の合併統合。ある程度予想していたとはいえ、そのあまりの体制の変わり方に会社と自分の将来の不安を感じずにはいられなかった。そしてそれまで考えもしなかった「転職」の2文字が頭から離れなくなる。
青天の霹靂とはこのことか……
決断の書類はある日突然やってきた
 
 

 2005年の正月休み明け、いつものように西田さんが出社すると上司が素っ気なく書類を手渡して言った。

「これ、人事部からあずかってきた書類。読んでおいて」

上司はその書類の中身は知らされていないようで、無表情のまま自分のデスクへ戻っていく。

「人事部から俺に……?」

 首をひねりながらその書類に目を通すと、そこには「早期退職者制度」に関する案内が書かれていた。文字の意味はわかるが、今ひとつ自分にコレが渡された意味が実感できない。

 「もしかして、俺に辞めろってことか……?」

 でもその書類からははっきりとしたリストラの意思は認められない。どういうことなのだろう。とりあえず仕事に向かうが、その日一日は頭の片隅に「早期退職」の文字がちらつき、仕事に集中できなかった──。

 業界再編、M&Aの文字がメディアで報じられない日はないくらい、「企業の吸収・合併」は珍しくはない昨今ではあるが、それがもし自分の身に降りかかってきたら……。

 西田さんが以前勤めていたシステム会社は2004年に合併統合され、社員は例外なく新しい体制下で働くことになった。その状態になって程なく、彼のもとに早期退職を勧める沙汰がやってきたのだ。

 それは彼が新卒入社以来勤め続けて16年目のことだった。  「学生の頃からとくにIT関係に興味があったとか、詳しかったとかいうわけじゃないんです。大学で英語を勉強していたので、それを生かせる職場を探したところ就職活動のアドバイザーに『将来を考えたらSEなどの方向を考えた方が良い』と言われて……。そこで外資系企業でSEになって活躍できるところを探したところ、コンサルティング会社系列の会社に採用されたんです(※1)

 入社後は情報システム部門に配属。以来開発と保守に携わる。システム開発と運用が主な仕事だった。扱っていた言語はCOBOL。最近は使う現場がめっきり少なくなってきた。

 「使用言語がCOBOLオンリーだったので、将来的な適応力をつけるために新しい言語を身に付けなければ……と思ってはいたんです。でも焦ってはいませんでした」

 そして2004年1月、順調に働いていた西田さんをはじめ全社員に「会社の合併統合」が通達される。それぞれの仕事の内容は変わらないものの、職場の体制と空気はガラリと変化した。そしてその時まで感じなかった「不安」が西田さんを包んでいく。

安穏と流れる日常は突然終わった
頭をよぎる転職の二文字
 

 合併後は相手側の会社主導で社内ルールや制度が変革された。西田さんが特に違和感を感じたのは「従業員の評価制度」。

 「合併以前は、まず上司と面接して目標に対する結果と次期への対策などを話した上で、評価してもらっていたんですが、合併以降は同等かそれ以上の成果を残しても、同じようには認められなくなりました。ひとことでいえば、厳しい成果主義に傾きつつあったと

 
いうか……。そのせいか年収も約50万円下がってしまったんです」

 大きな体制の変化もあった。それまではSE職と事務職しかなかったのだが、新しくその中間職(アシスタント職)を作る事になった。SEとして不適格と会社が判断した場合、その中間職になり、年収も4割減になるとの説明だった。そして自分がそうなる可能性は高いと思った。

 不本意な体制の変化、収入ダウン。それだけでなく事業の失敗の責任をとらない新しく就任した社長(※2)……そんな状況の中で「この会社にいて大丈夫か?」という不安は日に日に増大していった。しかしこのときは漠然と動く(転職する)ことへのリスクばかりを感じ、積極的に転職する意志はなかった。

 「確かに新体制はやりにくい面があったし、収入も減りましたけど、すぐに辞めてやる! とは思いませんでした。上司からは『取得しているCOBOL以外にも新しい言語を修得しなければ先はない』と言われていたので、COBOLしか使えない自分が今辞めても転職は難しいだろうと」

 このまま今の会社にいることに不安を感じているが、自分の実力にも不安はある。その間で揺れていた西田さんに「早期退職」を勧める声がかかった。2005年1月下旬が締め切りだという。それまでは転職に関して100%受け身だった彼だが、このときから将来進むべき道について真剣に考えるようになった。つまり、それまで「現職=収入減しかし安定、そしてリスク小」、「転職=リスク大」と無意識に判断していたことを、初めて自分の頭で考え直し始めたのだ。

 「このままこの会社にいて年収を下げられるくらいなら、転職した方がいいかなと。早期退職者制度を利用すれば割り増しの退職金がもらえるし、失業保険もすぐに支給されるのですぐに生活に困るということはなくなりますからね」

 

 だがタイミングが悪かった。交際を続けてきた元同僚の奥さんとの挙式を目前に控えていたからだ。そんな時期に「転職」の相談を持ちかけた西田さんを、奥さんは「年齢的に不安(このとき西田さんは38歳)」という理由から反対した。当然といえば当然の反応。しかし彼にとってスキルアップは必要だ。さらに合併後の会社の状態をよく知る彼女だけに、将来を考えたら早いうちに会社を離れた方が得策であることもわかってくれた。

 考え続けるものの早期退職者制度応募の締め切りを過ぎても西田さんは結論を出せないでいた。しかしその後、再度応募の勧誘がかかる。そのとき以降、彼の中である決意が固まっていく。転職に対する不安はあるものの、このまま中途半端な日々を続ける方がもっとハイリスクだという結論にたどりついたのだ。


次回は西田さんがいよいよ本格的に転職活動を開始する様子をお伝えします。とはいっても在職中は一切動かないで、退職した翌月にようやく【人材バンクネット】に登録するというスローペース。それでも彼のマイペースながら前向きな姿勢が次の会社を引き寄せていくのです。詳しくは[後編]で。

 
プロフィール
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東京都在住の39歳。大学卒業後にコンサルティング会社系列のシステム会社に入社し、情報システム部門に配属。企業向け商品の開発業務を中心に電算運用業務全般に関わる。2004年の会社の合併に伴った社風の変化に不安を感じたのと、自分自身のキャリアアップのチャンスを生かしたいと考え転職を決意。現在は出向会社(希望通り外資系)で活躍中。
西田さんの経歴はこちら
 

コンサルティング会社(の傍系会社)に採用(※1)
「就活のアドバイスでSEの道を選びましたけど、入社して1ヶ月くらいで向いてないことに気付きました。でも入った以上は辞めないでがんばろう、と続けていたら16年経ったという感じです」

 

新しく就任した社長(※2)
「お金のかかった大きなプロジェクトがあったんですが、社長自らが判断した見積もりが甘くて結果的に失敗してしまったんです。会社に多大な損害を与えて、自らの非を認めたんですけど具体的な責任は一切取らないんです。疑問を感じるよりあきれました」

 
「このままでいいのだろうか……背中を押した早期退職勧告」後編へ
 

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