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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第4回 前編 今井正志さん(仮名) 37歳/商品企画
高卒・日雇い・フリーターから大企業 常識を覆した37歳・6回目の転職
無職になるよりはと、未経験のマーケティング部への転籍を受け入れた今井さん。しかしバイヤーへの思いは断ちがたく、年収大幅ダウンにも関わらず小売店のバイヤーへ転職。この選択が後のジャンプアップの大きなステップボートとなった。
未経験かつ興味が持てない仕事
ストレスはたまる一方
 
 「データの分析がメインのマーケティング(※1)には興味も魅力も感じていませんでしたが、経験しておけばひとつの売りになるかと思って。もちろん転籍後も転職活動は続けるつもりでしたから」

 いったんはそのまま会社を辞めて転職活動に集中する道も考えたが、失業保険が支給される半年間で転職先が決まる可能性は、これまでの経験を踏まえると極めて低い。妻のみとはいえ扶養家族を抱える身でそのリスクは大きすぎる。ならば「新しいスキルを身に付けながら転職活動」という選択がベストに思われた。

 だが、転職サイト、雑誌、人材バンク、考えられるあらゆる転職媒体・支援会社を使っても、なかなか事態の好転の兆しは見えなかった。応募する会社が見つかれば、職務経歴書のほかに、入社後こんなことがしたいという具体的な販売計画書も用意しプレゼンした。それでもダメだった。10カ月間、応募するも不採用の連続。加え、好きでもない仕事を繰り返す日々。毎日がストレスとの戦いだった。

 「未経験で興味がなかった分野なので、精神的なストレスは半端じゃなかったですね」

 バイヤーのように外に出ることはなく、一日中オフィスにこもってデータの収集分析ばかりを行う仕事には、何のおもしろみも感じられなかった。しかし今後何かの役に立つかもしれないと、好きにはなれずとも懸命に取り組んだ。しかし焦りは募るばかりだった。

 「私の一番の武器は何だろうと考えたとき、やはりバイヤーとしての経験であり、その中で培ってきたネットワークだと思ったんです。それが時間とともにさび付いていくことに大きな危機感を抱いていました」

 一刻も早くバイヤーの世界に戻らなければ。感性、感覚がさび付いて使い物にならなくなる前に。その一念で転職活動を続けていた11カ月後の2004年2月、某人材バンク経由で応募した会社からようやく内定が出た。自然食品を扱う小売店のバイヤーの仕事だった。しかし年収はさらにダウン。300万円台まで落ち込んだ。

 

 「自然食品という分野に興味と将来性を感じましたが、やはりバイヤーに戻れる【注2】ことが最大の理由でした。再び武器を磨ける環境に行くためには年収ダウンも致し方ないと。カミさんにはえらい怒られましたけどね(笑)」

 目先の年収よりも、自分のスキルの軸を強化する戦略を取った今井さん。妻にどやされはしたが、後にこの選択が大きな飛躍への踏み台になる。

  応募:9社
面接:3社
内定:2社→自然食品を扱う小売店のバイヤーへ
 
転職動機
●キャリアの軸となる仕事へ戻りたい
  ●マーケティングの仕事に苦痛を感じていた
  ●契約社員という待遇への将来的な不安
 
 
6社目で再びバイヤーに
自然食品という新たなテーマに挑戦
 
 やはりバイヤーの仕事は楽しく、やりがいがあった。自然食品という分野も未経験ではあったが、知れば知るほどその魅力の奥深さに引かれていった。社内の人間関係も良好。ただひとつ、ネックとなるのが低すぎる年収だった。というのもこのころ妻が妊娠。300万円台の年収では生活にかなりの不安があった。

 とはいえすぐにバイヤーで年収アップ転職ができるとも思えない。しばらくはこのままいくしかないか。半分あきらめムードに入っていた。しかし情報収集だけは怠らなかった。

 「情報の入り口を締めたら本当に可能性がゼロになるので、とにかくアンテナだけは張っておこうと思っていました」

 【人材バンクネット】から送られてくる求人情報メールも毎週必ずチェックしていた。そんなある日、一件の求人情報が目に飛び込んできた。

 「大手小売業の新規ビジネス立ち上げにともなうマネジャー職」

 全国に店舗を展開している大手流通企業が自然・健康をコンセプトにした新しい小売店を作る。その新規ビジネスを軌道に乗せるために作られた子会社の募集だった。自然と小売。今井さんはこの二つのキーワードに反応。しかし応募資格欄に、"大手百貨店などの部長職、またはフロアマネジャー経験者"と書かれてあった。

 「確かに経歴的にはかなり厳しいと思いましたよ。でもこの事業内容ならやってみたいし、思い込みかもしれないけど自分にマッチしてると思ったんです。だからダメモトで応募しました」

 この思い込みが、重く分厚い門を開いた。

 
 今井さんは早速この求人の担当だったインターウォーズ株式会社のE・Kコンサルタントと面談。主な経歴を説明、応募資格は満たしていないが、これまで身に付けたスキルがきっとこの仕事に生かせるはずだと強くアピールした。話をひととおり聞いた後、E氏は言った。「企業が望んでいる人材像とは違いますが、話してみましょう」。まずは第一関門突破。その約二週間後、面接の日程が今井さんの元に届けられた。  
お茶を飲みながら行われた面接
今までのキャリアをアピール
 
 一回目の面接は、ホテルのラウンジで行われた。出てきたのは親会社の新規事業開発部のトップと人材開発部の部長。名刺には取締役と書かれてあった。コーヒーを飲みながら、志望動機、これまでの経歴、これからやりたいことなどを話した。

 「特に経歴に関しては、通信販売バイヤー、マーケティング、自然食品の経験を複合的に積んでいる人材はいないだろうとの思いで、強くアピールしました」

 すると面接終了後、面接官が「もう一回会いたい」と言った。その場で二次面接の日取りが決定した。

 二次面接も同じ場所、面接官で行われた。前回の面接で宿題とされた「会社に入ってやりたいこと」をまとめたものを提出。

 「今回のような全国規模で展開していくような小売店の経験はなかったので、客の立場から見て、人が集まる自然派志向の店にするにはどうすればいいか、というようなことをA4のレポート用紙1枚に書き連ねました」

 これを元に質疑応答を行って一時間弱で二次面接は終了。言いたいことは全部言えた。あとは結果を待つばかり……ではなかった。面接官のひとりがおもむろに書類を出しながら、こう言った。「この額でよければウチの会社に来てもらえませんか?」
その書類には年収含め雇用条件が書かれてあった。その額は当時の年収よりも300万円以上多かった。

 「びっくりしましたよ。その場で内定ですからね。しかも破格の好条件で。もちろん私もその場でOKしました。そうしたら、面接官から『こういうことは即答しないでよく考えた方がいいんだよ』なんて言われちゃいまして。そっちこそ、こんなに簡単に決めちゃっていいの? って感じでしたよ(笑)」

 この2年間、「受けては落ち」の繰り返しだった。書類選考さえも通らないことも多々あった。

 「これまでの苦労は何だったの? って思いました。でも今回のように決まるときはあっさり決まる。転職は本当にタイミングだなと思いましたね」

   しかし一番の要因は決してあきらめなかったことだ。転職を、自分のやりたいことを。今回の求人を見つけたとき、自分には無理だと思って応募しなかったら、今の今井さんはない。「情報は貪欲に収集する」と「ダメモトでチャレンジ」のふたつの信念が実を結んだ。
 
毎日が修行
きついけど楽しい毎日
 
 現在今井さんは7社目となる会社で、商品企画部のマネジャーとして、新商品の開発や新規事業のプランニングに心血を注ぐ日々を送っている。

 「新しいビジネスモデルを確立する仕事は毎日が試行錯誤の連続。しかも大企業だけに周りは恐ろしく優秀で頭のキレる社員ばかり。量質ともに今までで一番キツいです。だからこそやりがいがあるんですけどね」

 今井さんは目を輝かせながらこう語った。今まで経験、蓄積してきた接客、販売促進、仕入れ、商品開発、通販、マーケティングの経験、自然食品の知識、人的ネットークを総動員して、毎日必死で戦っている。

 「今まで経験してきた仕事がすべて生きているんです。将来何が役に立つが分からないもんですね」

 一見脈絡のないキャリアの積み方のように見えるが、その時々で真剣に自分と向き合った。ファミリーレストランから2社目の高級喫茶店へ移るときは「接客」のスキルと「コーヒー」への興味。3社目のコーヒーの通販会社へは「コーヒー」の知識と「通信販売」への興味。4社目の名産品の通信販売会社へは「通販」の経験と「食品」への興味──というふうに、興味を引かれ、身に付けたスキルを生かせそうな仕事を選んできた。

 軌道修正もいとわなかった。「本当に自分はこの仕事をずっと続けたいのか?」 接客業から通販業へ転職した理由は、現状と未来の自分のあり方に疑問を感じたからだった。

 その過程で軸になりそうなスキルを見つけ、強化。同時に枝葉となる関連スキルを身に付け、キャリアに付加価値をつけてきた。その結果がすべて「今」につながっている。

 モチベーションの原点は、ファミリーレストランの次に勤めた高級喫茶店にあるかもしれないと今井さんは振り返る。薄暗い喫茶店でコーヒーを淹れていた22歳のころ、一杯1000円のコーヒーを飲む客を見ながらいつも思っていた。

 いつかはカウンターの向こう側へ行きたい──。

 

 「私のように高卒、日雇い、フリーターからでも、あきらめなければ大きなステージで、やりがいのある仕事ができるんです。ちょっとくらいつまずいても大丈夫。クサらず、貪欲に情報を収集していればいつか突破口は開けます。私もこれからが本当の勝負なので毎日必死です。"期待外れだった"って言われたくないですからね(笑)」

 
 
 37歳からの挑戦はこれから本番を迎える。
 
 
   
  仕事とは楽して金儲け  
最終目的は自分を含め、みんなが楽してお金儲けできる仕組みを作ることです。そのために改善点はどこかを洗い出し、対応策を考えています。この作業にはかなり長い時間がかかるのでつらいし大変だし、もしかしたら自分が楽できるようにはなかなかならないかもしれませんが、みんなが楽しく働く姿を想像するとそのつらさも苦になりません。
  やりたいことはない  
「あなたのやりたいことはなんですか?」と聞かれたら、正直「そんなのありません」と答えるしかないですね。ただ、昔から「こだわり」、「新しいものを作り出すこと」に興味がありました。ですから、今の仕事はその二つを満たしているのでやりがいがあるのかもしれませんね。
  影響力のある人になりたい  
3年後、5年後どうなっていたいかという明確なビジョンは持っていません。あえていうなら、一緒に仕事をする人に刺激を与えられる人、影響力のある人になりたいと思っています。
  世の中をおもしろくしたい  
今までなかった、見た人が「へぇ、コレおもしろいじゃん」って思えるヘンなモノ、仕組みを作りたいと思います。自分の関わった仕事で、世の中が少しでもおもしろくなったら最高ですね。それが今の会社ならできそうです。
  得るものがなければすぐに辞めていい  
よく「石の上にも三年」って言いますが、私は今の会社に得るものが何もないと思ったら3日で辞めていいと思います。肝心なのはそれを見究める目。それがないとただのジョブホッパーになってしまいますから。
  仕事は自分で考えてやりたい  
縦割り業務というか、あらかじめラインを決められて、言われたとおりにやらなければならないような仕事はできませんね。目標に向かって自分でプランを考え、ある程度自由に動くというやり方が性に合ってます。その分責任も大きいですが。
コンサルタントより
インターウォーズ株式会社
 コンサルタント E・K氏
  キャリアそのものよりも
 構築プロセスが決め手に
 
  今井さんから「この求人に応募したいんですが」という連絡を受けたときは、正直難しいと思いました。  
当初企業の求めていた人材像と大きくかけ離れていたからです。先方は大手小売店の仕入部隊を統括する部長クラスを求めていましたからね。

しかし今井さんと実際にお会いして話を聞くうちに、「応募条件は満たしていないけれど、募集していた企業に必要な人材だ」と感じたんです。

募集企業は、名前を聞けば誰でも知っているような大手小売店の100%子会社。親会社の新規事業部が考え出した新しいビジネスモデルを実現するために作られました。親会社はこの新規事業に社の未来をかけています。今までにない、新しいことをやろうというのですから、指示待ちのいわゆるサラリーマンタイプではダメで、事業の方向性を理解し問題点を洗い出した上で、仕事そのものを作り出して動かしていけるような人でないと務まらないと思っていたんです。

そういう意味で今井さんのこれまでの経歴、特にバイヤーとしてのキャリアの積み方はまさにぴったりでした。また、人間的な魅力も感じました。今井さんは早い段階から自立し、自分の力で人生を切り開いてきた方です。そんな「生き様」「人間力」もこの会社にぴったりだと思ったんですね。

ですから「今回の応募資格は満たしていないけれど、御社にとって必要な人材だからとにかく一度会ってほしい」と、企業に頼んだんです。面接には親会社の新規事業を統括する責任者と人材開発の責任者が出てきました。どちらも執行役員です。今回は私も面接に同席したのですが、やはり大企業のトップでいろんな人を見てきただけあって、今井さんと少し話しただけですぐに会社に必要な人材だと理解したようでした。今井さんも聞かれたことに的確に答えていたので、あまりフォローする必要もありませんでした。ほぼ一次面接で採用は決まったようなものでした。

待遇も破格で、長年コンサルタントをやっていますが、こんなに年収がアップした例は初めてです。通常、応募資格からこれほどかけ離れた人が採用となるケースも、高卒で大手関連企業に転職できるケースもほとんどありません。しかし仕事、人生に真剣に向き合って、「今できること」を自分の頭で考え、行動していれば実現可能だと、今井さんは証明したといえるでしょう。
 

 
プロフィール
photo
昭和42年生まれの37歳。転職回数6回目にして大手小売店の新規事業を担うグループ会社に転職。新しいビジネスモデルを軌道に乗せるため奮闘中。
今井さんの経歴はこちら

※1 マーケティング
「精神的にはキツかったんですが、少しでもマーケティングの知識・ノウハウがついたことは大きかったですね。なぜなら、マーケティングの視点が自分の中に生まれたおかげで、バイヤーとしての能力の幅が確実に広がりました。どちらかのスペシャリストはたくさんいますが、両方経験してる人って案外少ないんです。今回の転職でもアピールポイントになりました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【注2】バイヤーに戻れる
「バイヤーに復帰できれば、取引先の付き合いの中で、転職情報が入手できるかもしれないという思いもありました。可能性は低くてもできるだけ情報の間口は広くしておきたかったので」

 
 
取材を終えて

今回、今井さんに取材の申し込みをしたら、「反面教師的な内容になると思いますが、それでもよければ……」というメールをいただきました。この「反面教師的な内容」に、今井さんからはとんでもない話が聞けるような気がして、改めて取材をお願いしました。

その予感はやはり的中しました。突然天涯孤独になった高校時代から現在に至るまでの人生はまさしく波乱万丈で、聞いていて幾度となく震えを感じました。

計4時間に及んだインタビューの中で強く感じたのが、あきらめないことの大切さ。今井さんはどんな逆境にあってもあきらめずに希望を探し出し、どんなに可能性が低くてもチャレンジし続けました。今回の転職でも、「あまりにもハードルが高すぎるから自分のキャリアでは無理だろう」と思って応募しなかったら今の今井さんはありません。

そしてもうひとつ重要なことは、その時々の仕事に真剣に全力で取り組むということ。だからこそ力がつき、次の転職に生かせる武器となるのだと思いました。

よく転職回数が多い人や35歳を超えたら転職は難しくなるといわれますが、真剣に自分と向き合い本当にしたい仕事は何かを考え、その時々の職場でスキルを身に付け、あきらめない心を持ち続けられれば、いくつになっても幸せな転職が可能だということを今井さんは証明してくれました。

もちろん、上記のようなことを実行するのは簡単ではありませんが、限られた人にしかできない不可能なことではないと思います。私自身、今回の取材で勇気をもらった気がしました。


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