1996年5月、28歳のとき4社目となる大手食品会社の子会社だった通販会社に転職。バイヤーとして全国各地の名産品を買い付けに飛び回る日々が始まった。
「自分がいいと思って仕入れた名産品や、オリジナルで開発した商品がヒットしたときはうれしかったですね。また、自分で考えて動けたので仕事はおもしろく、やりがいもありました」
28歳にしてようやく味わった仕事の醍醐味。仕事を通じて全国の食品加工メーカー、農家、水産業者とネットワークもできた。今でも電話一本で全国各地から名産品のサンプルが届く(※6)という。さらに前職のコーヒーの通販会社の営業職に比べ、収入も150万円アップした。
そんな充実した日々はしかし、7年目に終了を余儀なくされる。突然の会社解散。34歳の冬だった。
「発表されたのが解散の2カ月前だったので、本当に寝耳に水でした」
当然転職を考えた。インターネットで転職に関するサイトを検索。必死で情報をかき集めようとした。その過程で【人材バンクネット】を知った。登録したのは解散が発表された当日だった。
当初は転職に関して楽観的だった。これだけバイヤーとしての経験と実績を積んだのだから、すぐに次が見つかるだろう。しかし現実は甘くはなかった。そもそもバイヤーの求人数が少ない上に、年齢ではじかれることも多かった。次第に高くなる不採用通知の山。
危機感を募らせた今井さんは、ある大手ショッピングサイトに直談判。人材募集はしていなかったが、これまでのキャリアとこれからやりたいこと、会社に貢献できることを職務経歴書、履歴書とともにメールで送った。すると人事まで届き、二度の面接を経て最終の社長面接まで駒を進めた。ここまでくれば──。扉は開くかに思えた。しかし今井さんの元に届いたのはまたしても不採用通知。
「最終面接まで行けたことでほぼ採用は確定だと思っていましたから、かなりショックでした。目の前が真っ暗になりましたね」
他に内定を取れた企業もあったが、条件的に折り合いがつかず辞退。そうこうしているうちに会社解散のタイムリミットがきた。結局会社が出してきた条件は、親会社に契約社員で転籍というものだった。未経験のマーケティング部、しかも年収50万円ダウン。定期昇給もなし。嫌ならこの話はなしだ。何の苦労もなしに本社に戻れる出向組の上司は冷たくこう言い放った。
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