キャリア&転職研究室|転職する人びと|第4回・前編 フリーターから大企業

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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第4回 前編 今井正志さん(仮名) 37歳/商品企画
高卒・日雇い・フリーターから大企業 常識を覆した37歳・6回目の転職
高校卒業後、上京した今井さんはその日暮らしの荒んだ生活を送っていたが、定職に就くことを決意。4社目でようやく天職に巡り会えたかに思えたがあえなく会社が消滅。しかし今井さんはあきらめなかった──。
日雇い、フリーターからの出発 すさんだ生活 見えない未来
 まだ夜が明けきらぬ午前3時。降りしきる豪雨の中、高校を卒業したばかりの今井龍二さん(仮名・当時19歳)は山のようにそびえる新聞を積んだ自転車に乗って、東京の街を走っていた。故郷の長野から上京してきたばかりで、文字通り右も左も分からない。配達順路帖とにらめっこしながら次の配達先を探しているとき、大型トラックがすぐそばを猛スピードで走り抜けた。

 「ガッシャーン」

 バランスを崩して倒れた自転車。水溜りに落ちた新聞の束の上に、さらに容赦なく雨が降り注ぐ。

 「やってられるか」

 新聞配達は3カ月しか続かなかった。

………………………………………………………………………………

 今井さんは高校二年生のとき、両親と死別。以後アルバイトで生計を立てながら薬学の研究者を目指して大学受験に挑戦したが、生活と受験の両立はやはり難しく、失敗。卒業後上京して、新聞配達をしながら再度合格を目指したが、あまりのキツさに3カ月で挫折。同郷の友人のアパートに逃げ込んだ。以後、青春を謳歌する同世代の若者を尻目に、引越しや建築資材運びなど日雇いの肉体労働でなんとか生計を立てる日々が続いた。

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   「あのころは本当にすさんでいました。社会からドロップアウトしてしまったという負い目と、同居していた友人も無職になり、二人してやけっぱちになって……。稼いだ金は、飲む・打つ・買うにすべてつぎ込んでいました」

 世間はバブル経済の到来で浮かれていたが、手元にはいつも小銭しかなかった。電気、ガスが止められた四畳半の部屋は真昼でも薄暗く、寒かった。生死に関わる水道すらもよく止められた。数カ月家賃を滞納していたら、大家にドアの鍵を付け替えられた。しかし壊して侵入、そのまま暮らし続けた。

 いよいよ金がなくなると日雇いのアルバイトに出かけるか、知り合いの女の子にせびって集めた。そうして日銭が入っても、その日にすべてパチンコにつぎ込んだりしていた。

 絵に描いたような荒んだ生活。将来のことも何も考えていなかった。しかし絶望は感じていなかった。絶望を感じるほど、自分の人生について真剣に考えていなかった。

29歳で初めての定職に 以後9年間で3社経験
 そんな生活が2年続いた後、定職に就くことを考え始めた。きっかけは日雇いの仕事でとある建設現場へ行ったときのこと。着替えを持ち運ぶのに、他の作業員は布製のバッグ、イラン人はビニール張りの紙袋、今井さんは普通の紙袋だった。それを見た他の作業員に「イラン人に負けてらぁ」と笑われた。俺にはビニール張りの紙袋を買う金もない。何も言い返せない自分が悔しかった(※1)

 「日雇いで稼いだ金もその日にパチンコで全部使ったりしてました。やっぱり日給では金が身に付かないから月給制がいいかなと思ったんです。このころからもう少しまともな暮らしがしたいと思い始めたんですね」

 だから仕事は何でもよかった。アルバイト情報誌で時給が高いファミリーレストランの深夜帯のウエイター(※2)の求人を見つけ応募。アルバイトながら、初めて就いた定職。20歳の春のことだった。


 まともな生活を営むために勤め始めたファミリーレストランでは、すぐに深夜帯の責任者に昇格(※3)。しかし、「昼夜逆転の生活に嫌気が差したのと、このままここにいても先が見えなかった」ため、2年で退職。その後、高級喫茶店(※4)で3年ほどコーヒーを淹れるカウンターマンとして勤めたが、「元々接

客がやりたかったわけじゃない」と、コーヒーの通販会社の営業職(※5)に転職。社会人としての基礎と通販ビジネスのいろはを一から叩き込まれた。しかし3年が過ぎるころ、上司との関係悪化で、うつ病になりかけたため転職を考えるようになる。そのとき目に留まったのが全国の名産品を扱う通販会社の求人だった。

 
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4社目で「キャリアの軸」バイヤーの仕事に出会う
 1996年5月、28歳のとき4社目となる大手食品会社の子会社だった通販会社に転職。バイヤーとして全国各地の名産品を買い付けに飛び回る日々が始まった。

 「自分がいいと思って仕入れた名産品や、オリジナルで開発した商品がヒットしたときはうれしかったですね。また、自分で考えて動けたので仕事はおもしろく、やりがいもありました」

 28歳にしてようやく味わった仕事の醍醐味。仕事を通じて全国の食品加工メーカー、農家、水産業者とネットワークもできた。今でも電話一本で全国各地から名産品のサンプルが届く(※6)という。さらに前職のコーヒーの通販会社の営業職に比べ、収入も150万円アップした。

 そんな充実した日々はしかし、7年目に終了を余儀なくされる。突然の会社解散。34歳の冬だった。

 「発表されたのが解散の2カ月前だったので、本当に寝耳に水でした」

 当然転職を考えた。インターネットで転職に関するサイトを検索。必死で情報をかき集めようとした。その過程で【人材バンクネット】を知った。登録したのは解散が発表された当日だった。

 当初は転職に関して楽観的だった。これだけバイヤーとしての経験と実績を積んだのだから、すぐに次が見つかるだろう。しかし現実は甘くはなかった。そもそもバイヤーの求人数が少ない上に、年齢ではじかれることも多かった。次第に高くなる不採用通知の山。

 危機感を募らせた今井さんは、ある大手ショッピングサイトに直談判。人材募集はしていなかったが、これまでのキャリアとこれからやりたいこと、会社に貢献できることを職務経歴書、履歴書とともにメールで送った。すると人事まで届き、二度の面接を経て最終の社長面接まで駒を進めた。ここまでくれば──。扉は開くかに思えた。しかし今井さんの元に届いたのはまたしても不採用通知。

 「最終面接まで行けたことでほぼ採用は確定だと思っていましたから、かなりショックでした。目の前が真っ暗になりましたね」

 他に内定を取れた企業もあったが、条件的に折り合いがつかず辞退。そうこうしているうちに会社解散のタイムリミットがきた。結局会社が出してきた条件は、親会社に契約社員で転籍というものだった。未経験のマーケティング部、しかも年収50万円ダウン。定期昇給もなし。嫌ならこの話はなしだ。何の苦労もなしに本社に戻れる出向組の上司は冷たくこう言い放った。

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   「当初は(※7)正社員として本社に転籍できるという話もありましたから、ギリギリになってそれはないでしょ! と怒り心頭でしたよ」

 今井さんは固く握ったこぶしを震わせたが、家族を抱える身で無職になるわけにはいかない。厳しい条件を飲んで未経験の部署に移ることにした。しかし待っていたのはストレス漬けの毎日だった。

  応募:22
  (内1社は募集が出ていない会社)
  内定:社→辞退

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4社目にしてせっかく見つけたやりがいのある仕事を取り上げられた今井さん。ここからどう考え、行動し、大逆転劇への道筋を見出したのか——。
その鍵となったのは「あきらめない心」だった。
以下次号「後編」に続く

 
プロフィール
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昭和42年生まれの37歳。転職回数6回目にして大手小売店の新規事業を担うグループ会社に転職。新しいビジネスモデルを軌道に乗せるため奮闘中。
今井さんの経歴はこちら
 

※1 何も言い返せない自分が悔しかった。
「日払いで賃金をもらうとき、日給8000円でしたが、事務員に『1万円でお釣り、無いですよねぇ』といわれたこともあります。実際に手持ちが数百円しかなかったので、言い返せなかった自分が悔しかったです」

※2 ファミリーレストランの深夜帯のウエイター
深夜のファミリーレストランには暴走族やヤンキーなどがよく来店。店内で傍若無人に振る舞う彼らをよく抑えていたという。おかげで常に生傷が絶えなかった。

※3 深夜帯の責任者に昇格
責任者になったことで、仕事に対する取り組み方が変わった。「責任を与えられた事が意外と大きかったのかも知れません。やっぱり、地位は人を変えますね」

※4 高級喫茶店
コーヒー好きが高じて、一杯1000円のこだわりのコーヒーを飲ませる高級喫茶店へ。豆の種類、選び方、挽き方、淹れ方などを習得。初めての正社員雇用だったが、社会保険は未加入で、給料も小切手支払い。将来に不安を感じ「もっとまともな会社で働きたい」と思ったことも退職理由だった

※5 コーヒー通販会社の営業職
身に付けたコーヒーの知識を生かせることと、「これからは通販だ」との思いで転職。入社と同時期に結婚したが、薄給、しかもその後一向に上がらない給料に生活の不安を感じていた

※6 今でも電話一本で全国各地から名産品のサンプルが届く
「バイヤー時代は、仕入する際、ただ電話するだけじゃなく仕入先まで足を運んで、直接会って話すようにしてました。また、夜は地元の居酒屋に行って食事をしながら店長から情報集中。何気ない料理の中に、その土地でしか取れないものがあったりするんですよね。これは売れると思ったものは、店長に仕入先を聞いて訪ねてみたりしてました。そうやってネットワークを広げていったんです。ちなみに対会社のネットワークを築くコツは、専務クラス以上の決定権をもつ人とコネをつくること」















※7 当初は

「私が当時在籍していた会社の社長は正社員として移籍できると言っていたのですが、それが親会社の社長との間で交わされた口約束レベルの話だったんです。人事を全く通していなかったので結局ダメになりました」

 
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