キャリア&転職研究室|転職する人びと|第1回・前編 目標を定めてキャリアを構築

TOP の中の転職研究室 の中の転職する人びと の中の第1回・前編 目標を定めてキャリアを構築

第1回 佐藤宏さん(仮名)32歳/経理部
目標を定めてキャリアを構築
32歳からの新たなる挑戦(前編)
 
「何かが違う……」。新卒で就職した会社で働くうちに、徐々に湧き上がってきた心の声に抗えなくなった佐藤さんは1年半で退社を決意する。ここからキャリア再構築の旅が始まった。
 
「俺が本当にやりたいことはこれか・・・」苦悩の末、1年半で退職
 佐藤宏(仮名)さんは大学院卒業後、25歳でコンサルティング会社に就職。マーケティングコンサルタント【注1】としてスーパーなどの小売店の販売促進や地方自治体の町興しのプランニングなどに携わる。しかし1年半ほど勤めたころ、ある思いが浮かぶようになる。

 自分の仕事に「リアリティがない」。それは日増しに大きくなっていった。

「コンサルタントの仕事は、結局アドバイス止まり。どんなにいい戦略を策定しても、実際にやるかやらないかは、クライアントの企業次第です。そんな仕事にリアリティを感じられなくなったんです」
 
photo
自分の仕事にリアリティを感じられない……。 入社1年目から佐藤さんは苦悩する
 結果に対して責任をもつ一スタッフとしてかかわりたい。コーチよりもプレイヤーになりたいという気持ちは年々高まり、抑えられないものになっていった。となれば目指す先は必然的に事業会社。

 と同時に、コンサルティング会社での業務を続ける中で、自分に向いている分野を探してみた。浮かび上がってきたのは「財務」。財務は会社の中枢を担う重要な部署。さらにその先にあるのは、経営に携わりたいという思いだった。

 この自らの適性と志向性を組み合わせて導き出されたキャリアの最終目標が、CFO【注2】だった。このとき佐藤さんの目指す山とその頂がはっきり見えた。あとは、登っていくために必要なものを身につけていくだけだ。

 1998年7月、佐藤さんは転職を決意した。26歳の夏のことだった。
小規模会計事務所に転職 睡眠3時間の日々が続く
 しかしコンサルティング会社での仕事自体はおもしろく、年収も同世代のビジネスマンに比べ高かった。人間関係も悪くない。普通に考えたらどこにも辞める理由は見つからない。しかも目指す先は未経験のフィールド。年収ダウンは避けられない。さらに学生時代から付き合っていた恋人とこの年に結婚していた。不安や恐怖はなかったのだろうか。

「全くないといえば嘘になりますが、不安よりもやりたいことの方が勝ったという感じでしょうか。元々楽天的な性格なので、『ダメならダメでそのとき考えればいいや』と思ってました(笑)」

 事業会社で財務の仕事がしたい。そう思っていた佐藤さんが探した転職先は、事業会社ではなく、会計事務所。実はこの戦略は、アメリカのCFOがたどる典型的なキャリアパス【注3】だった。

「経理・財務のことを何も分からない状態でいきなり事業会社に入るのは、かえって遠回りだと思ったんです」

 しかし当時、新聞、雑誌などのメディアに掲載されている会計事務所の求人は非常に少なかった。そこで佐藤さんは、こう考えた。「財務・会計の資格に強い専門学校なら、当然求人も集まってるはずだ」

 結果的に佐藤さんの目論見は的中。専門学校の掲示板に張られていた会計事務所の求人に片っ端から電話、そのうちの一社から内定を獲得した。そしてコンサルティング会社を退社。1カ月後、会計事務所に入社すると同時に、専門学校に入学、税理士コースに通い始める。

「それまで簿記や会計の勉強はしたことがなかったので、資格取得というよりは、知識の習得のために入学しました」

 
資格の専門学校には、会計事務所からの 求人情報が数多く寄せられていた。佐藤さんの読みは的中した
 転職すると同時に、昼は会社勤め、夜、土日は学校で勉強という「二束のわらじ」生活が始まった。さらに勉強は深夜にもおよび、毎日の睡眠時間は3〜4時間。

 そんな生活が5年もの間続くことになる。

100万円の年収ダウンと引き換えに経理の基本業務を習得
 大いなる目標への第一歩を踏み出した佐藤さん。転職先の会計事務所は社員6名の小さな事務所だった。当然給料も激減。前職に比べ年収で100万円はゆうに下がった。しかし佐藤さんにとって待遇や規模の大小は問題ではなかった。

「あくまで大きな目標に近づくための第一歩ですから。しかも未経験の職種ですので一時的な年収ダウンは避けられないことは覚悟していました。規模に関しても、逆に小規模の組織の方が業務をひととおり覚えられるので好都合だと思っていました」

 しかし入社する前からこうも思っていた。「この会社で働く期間は2年間。その間に経理として基本的なスキルを身に付ける」

 会社の規模が小さいと、仕事の広がりにも限界があり、おのずと身に付けられるスキルの幅にも限界が生ずる。小規模の事務所なのでクライアントはほぼ固定。さらにある特定の業界に特化していた。ゆえに2年も経験すればあらかたのスキル・知識は得られる。そう佐藤さんは読んでいた。そして会社の規模からも年収アップは望めない。

「この仕事は場数を踏んでナンボ、というところがありますからね。とにかく経理・財務としてのキャリアの幅を広げ、スキルアップしたかった。同時に給料アップも(笑)」

 キャリアと待遇、両方のステップアップのため、佐藤さんは次なるステージへいくことになる。
続きを読む
 
photo
昭和47年1月、宮城県仙台市生まれの32歳。経理職。過去の転職歴は3回。現在CFOを目指して奮闘中。
佐藤さんの主な経歴

1997年3月 25歳
明治大学大学院法学研究科公法学専攻博士前期課程修了
(国際法の研究)

1997年4月 25歳
コンサルティング会社入社
・小売店のセールスプロモーションの
 コンサルティングなどに従事

1998年2月 26歳
結婚

1998年7月 26歳
転職活動開始
・資格の専門学校の求人掲示板で
 見つけた転職先に応募→内定

1998年8月 26歳
コンサルティング会社退社

1998年9月 28歳
小規模会計事務所入社
専門学校入学。税理士取得に向けて勉強スタート

2000年7月 26歳
転職活動開始
・事務系スペシャリストに特化した
 人材バンクに登録→紹介→内定

2000年8月
28歳
中規模会計事務所入社

2003年5月 31歳
【人材バンクネット】経由でイムカ株式会社に登録
・ 紹介された件数:10社
・ 応募:6社
・ 面接:2社

2003年12月 31歳
事業会社の経理職に内定
税理士試験に合格

2004年2月 32歳
事業会社に入社。現在に至る

【注1】マーケティングコンサルタント
佐藤さんは、コンサルタント時代、クライアントの競合スーパーに調査のため、よく客を装って潜入していた。その方法は、テープレコーダーとピンマイクをばれないように体に装着し、店内の様子、どこの棚の何段目に何という商品がいくつ陳列されてるか、という情報を自らしゃべってテープに吹き込むというもの。帰社後、録音した内容を図面化すると、その競合店の内部の様子が丸ごと分かるというわけだ。時には店員にばれて店の裏から脱出、川辺を走って逃げたこともあったという。コンサルタントといえば華やかなイメージで語られがちだが、現実はもっと地味で泥臭い業務でもあるのだ。

【注2】CFO
チーフ・フィナンシャル・オフィサー
(Chief Financial Officer)の略。
単なる経理・財務の責任者というだけでなく、経営戦略の意思決定にも関与する重要なポスト

【注3】アメリカのCFOがたどる典型的なキャリアパス
アメリカのCFOのキャリアパスは、1.教育機関に入学。会計士資格を取得→2.会計事務所で会計・税務業務→3.事業会社で経理・財務業務、という流れが一般的

TOP の中の転職研究室 の中の転職する人びと の中の第1回・前編 目標を定めてキャリアを構築