その後はとんとん拍子で話が進んだ。
一次面接の6日後に行われた二次面接ではアカウントマネジメント部の部長が登場。話の内容は一次面接とほぼ同じ。答えに窮するような質問も出ず、終始和やかな雰囲気だった。またしても終了後、その場で三次面接の日時が伝えられた。
三次面接は4日後だった。出てきたのは副社長COO。
「あなたの採用に関しては、私がどうこういう問題ではない。あなたを採用してくれと部下から言われているから」
副社長の開口一番のこの言葉で、内定を確信した。
「採用は内定していたけどどんな人物かを見に来た、そんな感じでしたね」
その後は小一時間ほど雑談して終了。その10日後【注15】、佐藤氏を通じて正式に内定通知が届けられた。
年収などの諸条件も希望通り。佐藤氏が企業側と交渉した結果だった。
「給料を含め、雇用条件になんの不満もありませんでした。その点でも佐藤さんに感謝しています」
初めてキヤリアプロセスを訪れてから1カ月のスピード内定【注16】。
「これもあの苦しかった暗闇の半年間があったからこそです」
転職活動スタート時は何をどうしていいか分からず、全く先が見えなかった。どういう人が転職できるのだろう? 私などでは無理なのではないか。毎日が不安の連続だった。
突破口は出会いだった。転職仲間に出会い、【人材バンクネット】に出会い、キヤリアプロセスの佐藤氏に出会い、そして自分を生かせる企業に出会った。
傷つき、涙を流しながらも行動し続けたことが出会いを引き寄せた。試行錯誤の過程で転職に対する心構え、情報収集の方法、職務経歴書の書き方、自己アピールの方法など、転職に必要な武器を一つひとつ獲得し、磨いてきた。それが内定につながった。
「でもすべてはこれからです」
自分が本当にやりたかった仕事、理想のキャリアパスへの第一歩を間近に控え、鈴木さんの目はきらきらと輝いていた。
「社会の第一線で活躍する方々を陰で支えることに働き甲斐を感じてきました。これまでもそうですし、今後もその姿勢は変わらないと思います。前職でも、日本や世界経済の背骨を担う企業をお客様としてきましたので、その方々の責務の大きさを痛いほど感じてきました。そんなお客様に自社の商品・サービスを提供することで、私も世の中のお役に立てると自負しています。本当の意味でお役に立てるようゆるぎない実力をつけていくことが、今後の夢であり目標です」
2005年2月。冬の朝独特の抜けるような青空の下、駅へ急ぐ人波の中に鈴木さんの姿があった。今日から新しい人生が始まる。朝の冷気も、身が引き締まる思いがしてなんだか心地よい。鈴木さんは前を向いてさっそうと歩いていた。新天地に向かって。
|