キャリア&転職研究室|転職する人びと|第18回(後編)ゼロから築き上げた事業が縮小 失意の中、自分を…

TOP の中の転職研究室 の中の転職する人びと の中の第18回(後編)ゼロから築き上げた事業が縮小 失意の中、自分をリセットしたとき 新しい人生が開けた!

     
       
 
一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第18回(後編) 高木美香さん(仮名)30歳/プランナー
ゼロから築き上げた事業が縮小 失意の中、自分をリセットしたとき新しい人生が開けた!
外食チェーン店を経営する会社で、新規事業を任された高木美香さん。数々の困難を乗り越え、商品開発に成功。事業を軌道に乗せた。しかし、開発した商品は、会社の都合で製造打ち切りに。取引先のことを考えない会社の態度に不信感を抱いた。自分の将来にも不安を覚えたため、転職を決意したのだが……。
"オンナっぷり度向上期間"スタート
仕事を忘れ、やりたいことに没頭
 

 取引先のことを考えず、自社の都合で一方的に商品の生産をストップすることを決めた会社に不信感を抱き、「この会社ではこれ以上の開発はムリ」と見切りをつけた高木さん。その2005年の秋は、プライベートでも節目を迎えていた。

 

「以前からフードコーディネーターに興味があって(※1)、半年間、専門学校に通っていたんです。ちょうど基礎コースを終えたころでした。それに、年齢的にも30歳を迎える直前。このまま私の20代が終わってしまうのはイヤでたまらなかった。そんな事情も退職を決めた要因になっていたと思います」

 会社を辞めた2005年の年末。高木さんはどうしても、すぐに転職活動をする気になれなかった。身も心も疲れきっていたからだ。

 今まで一生懸命働いてきたんだし、じっくり時間をかけて考えればいい。

 「オンナっぷり度向上期間」——充電期間をそう名づけ、しばらく好きなことに没頭することにしたのだ。

 ずっと続けてきた月2回のパン教室、昔から興味のあった中国茶道、ヨガなどなど、これまで気になっていたけどやれなかったことに片っぱしから手をつけた。体調不良を改善するため、スポーツジムにも通った。すると、体脂肪が3%減少。体が軽くなったところで外見も磨いておこうと、メイクのレッスン(※2)を受け、ヘアスタイルも変えた。

「『仕事、探さなきゃ』なんてことはあえて考えず、好きなことだけをする生活。楽しくて楽しくて、ストレスゼロと感じる瞬間もありました」

 会社を辞める1カ月前の11月には、【人材バンクネット】に登録。何通かのスカウトメールが届いていたものの、どうしても見る気になれず、ほったらかしにしてあった。

徹底的にリフレッシュし
フードコーディネーターを目指す
 

 仕事のことを考えず、好きなことだけに没頭する生活は、高木さんに大きな実りをもたらした。少しずつ、やりたいことが見えてきたのだ。

「フードコーディネーターの道を真剣に考えてみようかな、と思って。テレビや雑誌で活躍するフードコーディネーターっておもしろそうだし、カッコイイ。そのつもりで学校にも通いました。今まで『食』に関わる仕事をしてきたし、趣味で学んできたことも多いから知識も生かせる。そう考えたんです」

 しかし、高木さんは今ひとつ、決断できないでいた。フードコーディネーターになるには、例えば料理スタジオのアシスタントから始めなければならない。それはいいとしても、将来はフリーランスで仕事をすることになるだろう。そんな不安定な生活を自分がやっていけるだろうか? 夢は大事だが、現実も見なくてはならない。

 基礎を終えていたフードコーディネートの専門学校は、結局、次のコースの申し込みをしなかった。しかし、先生に会って話を聞く機会を得た。

「順調に仕事があって、うまくやっているように見える先生も、フードコーディネーターになりたてのころは、休みもなく働きづめの上、勉強する毎日だったと聞きました。実は私、心のどこかで、仕事も大事だけど、今度こそ土日は休みたいとか、アフター5に趣味を楽しむようなゆとりがほしい(※3)とか、考えていたんです。甘かったな、と痛感しました」

 心の中に甘えがあるから、一歩踏み出す勇気がなかったことに、高木さんは気がついた。

 もう迷わない。やってやろう! そう決心して、料理スタジオのアシスタントに応募した。

ほったらかしだったスカウトメールに
運命の出会いがまぎれ込んでいた!
 

 料理スタジオへの応募をきっかけに、一気に転職へのモチベーションがアップした高木さん。ほったらかしにしてあったスカウトメールにも目を通してみることにした。

 そこで目に留まったのが、旭化成アミダス株式会社の滝山一夫氏からのメール。

「『通販会社の企画職の求人を紹介したいので、一度お会いしませんか?』という内容でした。なぜこの案件を私に紹介するのかな? と疑問に感じるメールもあったけど、滝山さんのメールは私のキャリアシートをしっかり見て、私という人物を理解してくださっているように感じたんですよね」

 そして2006年の2月下旬。高木さんは旭化成アミダスに出向いた。滝山氏は高木さんの今までの仕事内容、会社を辞めてからのこと、これからやろうとしていることなど、実に丁寧に話を聞いてくれた。

 

「最初に、私という人物をよく理解しようと努力してくださったので、とても安心感がありました」

 滝山氏が紹介したのは通販会社の求人。Web事業部門での人材募集だった。高木さんが前職でインターネット販売を成功させた経歴に注目して勧めてくれたのだった。高木さんが料理スタジオに応募済みだと説明すると、なんと、その会社の情報を調べてくれた(※4)

 ──なかなか良さそうな会社ですね。安心していいと思います。ただ、私が紹介する通販会社への応募は年齢制限があります。両方チャレンジしてから決めてもいいのではないでしょうか。もし、内定してから断っていただいても、構いませんから——滝山氏はやさしくこう言った。

 帰りの電車の中で、高木さんは考えた。

 あの通販会社は、新卒でも何万人と応募者が集まる人気企業。受けるだけ受けても損はないんじゃないか。仮に就職できたとしたら、週休2日。願っていた「ゆとり」もできる。フードコーディネーターの夢を軌道修正(※5)したとしても、十分おもしろい仕事ができる転職先ではないか……。

 それに……夢を追うのは悪いことじゃない。だけど、「30過ぎて何してるの?」って友だちから言われるような転職はしたくない。誰からも「いい方向に進めたね、よかったね」と言われたい。

 電車が降車駅のホームに滑り込んだとき、心は決まった。

「よしっ。利用できるものは利用しよう!」

1回で終わるはずの面接が3回目に突入
「プレゼン!? そんなの聞いてないよ〜」
 

 運命の日、3月8日がやってきた。

 採用試験は、人事担当者と採用部署であるWeb事業部門の責任者との面接、そして筆記試験という流れ。質問は前職での仕事に集中した。新規事業を一人で立ち上げたこと、商品開発のポイント、その後の売れ行き、あのときの苦労は「実績」という形に変わり、高木さんの口からとうとうと語られた。

うまくいったかな(※6)」。

 終了後、やれるだけのことはやったという充実感が高木さんの胸に広がった。

 合否を告げられると思った電話口で、滝山氏から意外な言葉が飛び出た。

「Web事業部門は別の応募者に決まったそうです。でも、ほかの部署での採用を考えたいから、もう一度面接に来てほしいそうです」

 残念ながら、Web事業に関するキャリアでは、高木さんを上回る経験の持ち主がいたらしい。しかし、高木さんの実績、はつらつとした人柄に興味を持った企業側が別の職種での採用を検討したいと言ってきたのだ。その職種はオリジナル通販商品を開発するプランナーだ。

「基本的には雑貨中心とのことでしたが、チャンスがあれば食品に携わることもできる。今までの経験が生かせるし、これはやってみるしかないという気持ちでしたね」

 そして翌日。高木さんの携帯電話が鳴った。滝山氏からだ。さぁ、いよいよ合否の連絡か? 覚悟を決めて、電話に出た。

「ちょっと、私もビックリしてるんですが……。もう一度、選考を行うそうなんです。今度は面接というよりも、与えられた課題に対してプレゼンテーションを行ってもらうそうです」

「えーっ!プレゼンですかぁ!?(聞いてないよー!)」

 思いもよらない展開に、思わず声がうわずった。

 課題は20〜30代の女性向けの料理本の企画を3パターン考えるというもの。期間は2週間ほどしかない。実はこのとき、高木さんは愛媛県にある実家に帰省していた。

 

「とりあえず、書店に走って参考になりそうな本をリサーチしました。自宅でできるところまで企画書を書き上げて、大阪に戻ってから仕上げました。でも、さぁ印刷、というときになってプリンターが故障しちゃって」

 滝山氏に電話して、ことの次第を相談すると、「大丈夫ですよ。企画書を私にメールしてください。プリントアウトして、面接場所の前まで持っていきますから」と言ってくれた。

 コンサルタントってこんなことまでしてくれるんだ……ホッとしたのと同時に、何が何でも合格しなければ! と闘志がわいてきた。

 プレゼン当日。無事、企画書を受け取った高木さん。

「では、がんばってください」

 滝山氏が差し出した手をがっちりと握った(※7)

 そして本番。居並ぶ面接官を前に、プレゼンは不思議なほど緊張することなく終えることができた。

「面接官のひとりに『とても余裕をもって話されてましたが、こういうプレゼンはしょっちゅうやってらっしゃるんですか?』と問われたくらいです。実際のところは、数えるほどの経験しかありません。社外の方に向けてというのは初めてでしたし」

 翌日、待望の内定の知らせが届いた。

好きな仕事とゆとりのある生活を得た
まさに「人生が変わった」転職
 

 今、高木さんは通販のプランナーとして雑貨や食品に関するオリジナル商品の企画開発を手がけている。入社してすぐに6本の企画を提出。モニター調査の結果が良かったいくつかのプランが、早くも来春、商品化される予定だ。

 

「会社には個性的なプランナーがたくさんいて、それぞれに得意分野を持っています。私も当初は雑貨担当でしたが、料理本やキッチン用品など、『食』に関わろうと思えば、いくらでもできます。ここでは、仕事は与えられるものではありません。自分の趣味や経歴を生かしたいと思ったら、それができるようにやればいいだけのこと。好きな仕事をしているから、全然苦にならないし、毎日がとても充実しています」

 現在の仕事では、『食』に関わることもできるし、アフター5を楽しむこともできる。今回の転職で考えていた2つの希望が両方とも叶い、「ほんと、ラッキーでした」と微笑む高木さん。

「通販はお客さまの声が何よりも大事。お客さまとふれあいながら、商品開発ができることはとても楽しく、満足しています。プランナーとして実績を積んだら、また新しい展望が開けるはず。この転職で人生が変わった。そう思います」

 前職での孤独で地道な苦労も、好きなことに没頭した充電の日々も決してムダではなかった。仕事に対して、自分の人生に対して、常に真剣に向き合ってきた高木さん。これからどんな困難に遭遇しても、明るく元気に乗り越えていくに違いない。

コンサルタントより
旭化成アミダス株式会社
 滝山一夫氏
向上心と行動力が決め手に
転職活動は優先順位が重要

滝山一夫氏
高木さんの場合、商品企画を考えるだけではなく、開発やPR活動まで携わっていたキャリアに注目しまし

た。30歳前後の年齢で、ここまで経験している方はなかなかいません。今回、ご紹介した通販会社は、求める人材のハードルがとても高く、たとえ20代であってもキャリアを重視する会社でした。だから高木さんのキャリアシートを見たとき「この方しかいない!」と思い、スカウトメールを送ったのです。

面談で実際にお話を聞いてみると、仕事に対してとても情熱を持っている努力家だとわかりました。とりかかった仕事はきっちりやらなければ気がすまないタイプのようですし、仕事も丁寧。この方なら大丈夫と確信しました。

でもこのとき、高木さんはすでにフードコーディネーターになろうと、料理スタジオのスタッフ職に応募していました。こちらとしては、本人の意思に任せるというスタンスですが、仕事に求めるものの優先順位を明確にしておきましょうという話はしました。

転職の際には、まず何を優先するかをきちんと考えることが大事です。収入、仕事内容、安定、福利厚生、通勤時間など、さまざまな項目がありますが、すべての条件を満たす希望通りの求人はありませんよね。だからこそ、最終的に後悔しない転職をするには、幅広い選択肢を持ち、比較検討するのが良いと思います。ですから、高木さんには「内定をもらってから断っても構いません。幅広い選択肢を持ってじっくり考えたほうがいいと思います」とお伝えしました。

当初はWeb関連の仕事での選考に臨む予定でしたが、他の人に決まってしまったんです。ところが先方が「高木さんをこのまま手放すのは惜しい」ということで、ほかの職種で採用できないかを検討してくれることになりました。それで、プランナーとしての採用枠を設けてもらったのです。

先方が最も評価したのは、高木さんの行動力ですね。彼女は多忙な仕事の合間を縫って、人気のあるレストランに食事に行ったり、話題のお店に足を運んでみたりして、感性を磨く努力をしていました。企画職はフットワークの軽さが大事。世の中の動きに敏感で、情報収集をいとわない行動力、向上心、そしてプレゼン能力を高く評価したようでした。内定後、「少しでも早く入社してほしい」と熱いラブコールがあったくらいですよ。

年俸交渉は、当初、高木さんの希望と先方の提示に開きがあったので、かなり粘りましたよ(笑)。その結果、企業側もかなり上積みしてくれましたし、成果評価制度のある会社でしたから、高木さんも納得してくれました。

 
プロフィール
photo
大阪府在住の30歳。愛媛県生まれ。短大卒業後、食肉専門商社の企画職を経て、外食チェーン店を経営する会社に入社。新規事業の立ち上げを任され、中華食材の商品を企画・開発。ネット販売も軌道に乗せた。しかし、会社の都合で突然、商品の製造打ち切りが決定。取引先のことをまったく考えない経営姿勢に不信感を抱き、退職した。現在は、通販会社のプランナーとして商品企画を担当。
高木さんの経歴はこちら

フードコーディネーターに興味があって(※1)
高木さんがフードコーディネーターに興味を持ち始めた時期は、前職でテレビショッピングの仕事でスタジオを訪れたとき(インターネットショッピング用のホームページを作ったとき)にさかのぼる。担当のフードコーディネーターと商品の魅せかたを打ち合わせしたり、てきぱきと作業をこなす姿を目にしたことがきっかけで、関心を持つようになった。

 

メイクのレッスン(※2)
「女性が30歳を過ぎても仕事を続けていくなら、仕事がただできるというだけでなく外見も小奇麗にしておいたほうがチャンスが広がると考えました。例えばプレゼンの時には説得力のあるメイク、交流会には親しみやすそうなメイクなど、もちろん遊び用にもです」

 

ゆとりがほしい(※3)
会社を辞める前の1年は81日しか休日がなかった。「仕事が好きだから」と割り切っていたが、もともと趣味が多く、新しいことにどんどんチャレンジしたいタイプ。「もう少しゆとりを持って、生活を楽しみたい」という気持ちが自分の中で大きくなっていた。

 

会社の情報を調べてくれた(※4)
さまざまな企業の情報を持っているのが人材バンクの強み。自分で見つけた求人情報や気になる企業があったら、積極的に相談してみよう。個人では知りえない情報が入手できる可能性がある。

 

フードコーディネーターの夢を軌道修正(※5)
「フードコーディネーターとひとことでいっても幅が広くて、フード撮影のスタイリストという意味ではなく、エキスパートとして食業界に関わるということです。私が考えたのは、企業に属しながらフードに関われるなら、コーディネーターとしての専門知識は必ず役に立つだろうということです」

 

うまくいった(※6)
滝山氏は「高木さんは模擬面接をする必要はないくらい、しっかりと自分の意見を話せる方でした」と振り返る。高木さん自身も、単なる記念応募の気持ちではなく、積極的に会社概要を調べたり、通販カタログを取り寄せて研究したりした。「入社したいという気持ちを強く持っていたこと」が転職の勝因ではないかと振り返る。

 

手をガッチリと握った(※7)
「滝山さんは面接のたびに会場まで来てくれて、入口で握手してから送り出してくれました。とても励まされたし、うれしかったですね。安心して面接に望むことができました」

 
取材を終えて

希望を持って転職したのに、想像していたような環境が用意されていなかったとしたら……。

みなさんなら、どうしますか?

クサることなく、なんとか結果を出そうと努力するのは、やはり、簡単なことではないと思います。

高木さんの場合、新規事業計画もあいまいで、周囲の協力も得られにくいという最悪な状況からのスタート。それにもかかわらず、一人で道を切り開いてきました。物腰がやわらかく、親しみやすいキャラクターの彼女ですが、仕事に対する責任感は人一倍強く、目標達成意欲も高い方だと感じました。

彼女が転職したのは、多くの人があこがれるであろう大手の通販会社。厳しい環境でがんばってきたからこそ、評価も高かったのだと思います。そう考えると、現在の職場で苦労している方も、少しは希望が見えてくるのではないでしょうか。

会社では責任の重い立場だったのに、仕事だけに忙殺されることなく、パン教室に通ったり、フードコーディネーターの専門学校に通ったりと、自分を磨くことを忘れなかった高木さん。その行動力と前向きな姿勢には、本当に頭が下がりました。

第19回「この会社にいてもは自分もダメになる キャリア不足と年齢の壁を突破し 希望の仕事に転職成功!」へ
 

TOP の中の転職研究室 の中の転職する人びと の中の第18回(後編)ゼロから築き上げた事業が縮小 失意の中、自分をリセットしたとき 新しい人生が開けた!