企業経営&IT戦略レポート

資生堂が描く理想のITスタッフ像とは

情報提供:株式会社アイ・ディ・ジー・ジャパン

緻密なカリキュラムで多様なスキルを創出する
日本を代表する化粧品メーカーである資生堂は、1960年代前半にIBMの大型コンピュータを導入して以来、先進ユーザーとして、業務や経営にITを生かしてきた。そんな同社のIT利用を支えてきたのは、社内IT部門に求められる役割を常に明確化し、自社で確保すべきITスキルを見極めることによって、計画的かつ継続的な人材育成を行おうというITスタッフ教育制度の存在であった。同社のそうした伝統と実績は、2年ほど前からスタートした「人材育成ユニット」の活動にも如実に反映されている。
宍戸周夫 契約シニアライター text by Norio Shishido

なぜIT人材教育が必要なのか

国内ではもちろん、世界市場においても確固たる地位とブランド力を築き上げてきた資生堂。化粧品事業を中心とする、同社の多彩な事業を支える社内情報システムの企画開発は、本社コーポレートリソース本部情報企画部に所属する約50人のスタッフが一手に引き受けている。具体的には、本社の「化粧品事業戦略本部」「マーケティング本部」「専門店本部」「国際営業本部」など各ユーザー部門から情報化に関するニーズを汲み上げ、事業計画に沿ってプロジェクトを企画し、それを遂行しているのである。

また、100余りの関連会社を有する資生堂では、ITガバナンスの観点から、グループ全体のIT戦略の立案や投資ガイドラインの提示、情報資源の管理などといったことも情報企画部が統括している。また、関連会社のIT部門をサポートするのも、本社の情報企画部の役割である。

さらに、ベンダー・マネジメントも、情報企画部の重要な仕事の1つである。資生堂では、日本IBM、NEC、東芝、エクサ、JBCCなど数多くのパートナー企業を持ち、ITアウトソーシングを積極的に活用している。プロジェクトの企画や基本設計、サービス・レベル保証など、システム開発の方向性の決定については社内で行う一方、詳細設計やコーディング、運用などは外部に委託しているため、ベンダーの選定・評価や管理を適切に行う必要があるのだ。

資生堂の情報企画部長を務める増田昭二氏は、同社のIT部門の役割と人材育成に対する考え方について、次のように説明する。

「今や、ITは企業経営に不可欠な存在だ。化粧品会社のIT部門である我々の役割は、単にシステムを構築するのではなく、ITを通じて経営の価値を高めることにある。それを達成できるかどうかは、スタッフ1人1人のスキルにかかっている。そのような理想のITスタッフ像を見据えながら、継続的に人材教育に取り組む必要があると考えている」

同社の広範なIT業務をカバーする情報企画部のスタッフは、定期採用や社内異動、社内公募制度「ジョブチャレンジ」、中途採用などによって採用・配属されるが、いずれも「総合職」待遇である。そのため、最初から特異なITスキルを備えている人材は少ない。増田氏は、そんなITスタッフのキャリアに関して、「本人に意欲さえあれば、一からITのスキルを身につけることは十分可能であり、実際に多くのスタッフが“ITの素人”からスタートして、高度なスキルを持つ人材にまで育っている。ただし、一人前の仕事をこなせるようになるまでには2〜3年の時間がかかるのが普通であり、技術の進展やビジネス環境の変化に対応するためには、その後もキャリアに応じて継続的にスキルを高めていく必要がある」と述べる。

資生堂は、こうした考え方の下、ITスタッフ教育に力を注いできたのである。さらに、2年ほど前からは、ITスタッフ教育の一連のプログラムを「人材育成ユニット」活動として体系化し、その取り組みをいっそう強化している。

詳細な個人別スキル計画に基づく教育

人材育成ユニット活動とは、ITスタッフ全員を対象に情報企画部が自主的に企画運営する教育カリキュラムで、OJT(On the Job Training)や社内外のセミナー受講、異業種交流、資格取得、通信教育などを通じて、各スタッフのスキルアップを支援することを目的としている。この活動には、主に2つのねらいがある。

第1は、アウトソーシングの拡大に伴って懸念される「専門的IT知識の空洞化」への対策である。すなわち、社内にストックすべきスキルと、外部パートナーに委託すべきスキルとを切り分け、社内にストックするスキルを各スタッフの育成計画に盛り込むことによって、組織内のスキルを常に一定のレベルに維持しようという試みである。

第2の目的は、社内ユーザーおよび開発パートナーとの“架け橋”となるITコーディネーター(コンサルタント)の養成である。言いかえれば、ITプロジェクトを進める際に必要となる、業務・マネジメント関連のスキルと、IT関連のスキルの両方を併せ持つ人材を育てようという試みである。

情報企画部は、これらの取り組みの中で、半年ごとに「ビジネススキル向上計画書」と呼ばれる各スタッフの個人別スキル・マップを作成している。同計画書は、「現在備わっている能力・技術」「中期目標」「半期のスキル育成計画」「成果物」の4つの項目から構成されている。そのうち「現在備わっている能力・技術」は、さらに「業務関連」「IT関連」「マネジメント関連」という3つのカテゴリーに分かれており、目標やスキル育成計画の項目もそのカテゴリーに対応している。

同計画書を作成するにあたっては、まず、各グループのマネジャーが、業務、IT、マネジメントの各分野で各スタッフのスキルを評価する。それに基づいて、増田氏とマネジャーが面接を行い、次の半期に各スタッフが習得すべきスキルについて話し合う。そこで、個人の能力や関心に加え、組織のスキル構成のバランスを考慮しながら、個人別の教育カリキュラムが決定されるわけだ。

内容は、非常に詳細かつ具体的である。例えば、業務スキル関連では「会計知識を向上させるための簿記の学習」「ITを活用した人事業務革新セミナーの受講」など、IT関連では「本社ホスト会計システムのOJT」「オラクル・データベース・セミナーの受講」「COBOLプログラミング中級レベルの技術習得」など、マネジメント関連では「人事システム体系整備への参画による、実務に即したプロジェクト管理の実施」「業務推進状況報告(週次リポート)を通じての業務指導OJT」などがある。

このうちITスキルに関しては、統一基準である「IT技術レベル確認シート」をベースに、さらに詳細な個人計画を作成している。そこでは、ベンダーとの折衝を想定した技術やノウハウの習得を特に重視しているという。「ベンダーとの間に対等なパートナーシップを築くためには、ベンダーと同レベルの技術知識を持っている必要がある」と増田氏は強調する。

スキル習得の成果を組織で共有

一方、「人材育成ユニット」の活動は、情報企画部独自の取り組みであり、あえて全社的な人事評価に結びつけることはしていないという。この取り組みのねらいは、評価そのものではなく、あくまでもスタッフの自己啓発を支援し、それを通じて、情報企画部全体の業務遂行能力を向上させることにある。

「人材育成ユニット」活動で必要になるセミナーの受講料や資格の取得費用は、計画的に予算化され、その額も多額に上る。また、スタッフの勤務時間に対して研修などが占める割合もかなり高くなっている。このように多くのコストと時間を教育に投じるからには、当然その成果を確実に組織に“還元”する必要があろう。

そのため情報企画部では、研修などの成果を「人材育成ナレッジ・データベース」としてイントラネット上の情報企画部のホームページに公開し、部員でこれを共有できるような仕組みを作った。同データベースでは、だれがどのような目的で何のセミナーや研修を受講し、いかなる情報を得られたかといったことをすべて閲覧できるようになっている。「研修内容やスキルの習得状況などを共有することにより、個人のスキル向上を組織力向上につなげることができる。互いに触発し合うことで、スタッフの意欲を高める効果も生まれる」と増田氏。

このほかにも、情報企画部では、新技術を紹介するIT研究会や事例発表会を開催するなど、組織内の情報共有に向けた取り組みを活発に行っている。また、外部から講師を招いて講演会を実施したり、先進企業のIT部門への訪問を奨励したりといったように、さまざまな情報交流を積極的に推進している。

多様なITスキルに対応

ところで、資生堂に初めてコンピュータが導入されたのは、1960年代前半のことであった。1960年代と言えば、まだ一般には、コンピュータが「海のものとも山のものとも分からなかった」時代である。その当時から、同社では経営幹部がその可能性に着目し、積極的に情報化を進めてきたという。

しかも、驚くべきことに、導入当初から、「コンピュータ・システムを利用して、店頭の売上げ状況や、資生堂の会員組織『花椿CLUB』のメンバーの個人データを、リアルタイムに反映する仕組みを作ろう」という高い“志”を持っていたというのである。もちろん、当時のコンピュータの能力ではそこまで実現できるはずもないが、同社はそのころから、自らが目指すべき到達点を明確に意識していたと言えるだろう。

そうしたユーザー企業としての長い歴史の中で、同社はIT人材教育にもいち早く取り組んだ。その過程ではさまざまな試行錯誤が重ねられてきたが、とりわけIBMのメインフレーム一辺倒だった時代が終わり、オープン系システムへの移行が始まったここ10年の間には、IT人材教育のあり方も大きく変化した。メインフレームやオープン系システムなど、さまざまなシステムが利用されるようになり、必要なITスキルが多様化・高度化する一方で、ITを活用する業務領域も広がり、ITスタッフに対して、より幅広いスキルが求められるようになってきたのである。

現在、資生堂が手がけるIT業務は、生産管理や販売管理、営業支援、CRM(Customer Relationship Management)、SCM(Supply Chain Management)、ナレッジ・マネジメントなど多岐にわたっている。そこで情報企画部では、ITとビジネスの両面を考慮することにより、それぞれの分野に必要なスキルを計画的にストックし、人材を適切に配置できる体制を整えた。

例えば、ネットワーク系の技術は少数のスタッフに習得させればよいが、アプリケーションを担当するスタッフは、分野ごとに主流となる技術が異なるため、それを想定してスキルを習得させる必要がある。具体的には、人事・財務系システムを構築する際には、ホスト系の技術とともに人事・財務知識を持つスタッフが必要になり、マーケティング関連のシステム構築には、オープン系の技術とマーケティング分野の知識とを併せ持つスタッフが必要になるといった具合である。

「数年前から、こうした多様なシステムに柔軟に対応できるようにするためには、より体系的に各スタッフのスキルを育てていく必要があると考えるようになった。そうした流れの中でスタートしたのが、人材育成ユニット活動というわけだ」(増田氏)

コア業務に人材を集中化

近年顕著になってきたITアウトソーシング領域の拡大も、同社のIT人材育成のあり方に大きな変革を迫ることになった。

同社では、プログラム開発などを中心に、比較的早い時期からITアウトソーシングを実施し、1990年代に入ってからは、開発や運用、ヘルプデスク業務など、アウトソーシングの対象となる領域をさらに広げてきた。なかでもシステム運用に関しては、日本IBMと長期のパートナー契約を結び、今年4月から全面的なアウトソーシングを開始した。これは、昨年から全社的に進めている経営改革の一環として、ITコストの削減を目指した結果である。委託範囲には、基幹業務を担うホスト系システムの運用だけでなく、中規模サーバや一部のPCサーバの運用も含まれている。

増田氏は、同社のアウトソーシングに対する考え方を次のように説明する。

「我々はITをビジネスとする企業ではない。情報企画部のコア・コンピタンスは、システム構築を通じて業務プロセスを改善したり、各事業に付加価値を生み出したりすることにある。それを考えたとき、ルーチン的な定常業務、例えば、OSのバージョンアップなどに社内スタッフを充てるのは、本来あるべき方向性とは逆行すると考えた。今後も、ルーチン業務、および自社でまかなうのが難しい高度なIT専門技術に関しては、積極的に外部のパートナーに委託することで、社内の人的リソースをコア業務に集中させていきたい」

資生堂がアウトソーシングを推進しているのには、もう1つ理由がある。それは、システムの連続稼働および安定運用への対応だ。同社は現在、海外71カ国に拠点を持ち、本社と海外オフィスを結ぶネットワークの強化に取り組んでいるが、こうしたグローバル化に伴って、システムにも24時間365日の連続稼働が求められるようになった。そうした人的リソースの面からも、人事政策の面からも対応が難しい部分を、アウトソーシングで補完しているのである。

もっとも、社内にストックすべきITスキルを見極めることは、コア業務の明確化に取り組んでいる資生堂にとっても、今なお難題であるに違いない。しかも、その領域はたえず変化し続けており、一度判断を誤れば、将来的にコア業務そのものが崩壊してしまうことにもなりかねないのだ。

実際、資生堂でも、4月からのIBMとの契約にあたって、開発業務についても全面的にアウトソーシングし、本社には戦略立案や企画、コンサルティング機能だけを残せばよいのではないかという議論がなかったわけではないという。しかし、同社はアウトソーシングの主たる対象をシステム運用にとどめることを選択した。この点について、増田氏は、「少なくとも現時点では、開発まで外部に全面依存してしまうと、コア業務を遂行できるスキルを失うリスクが高いと判断した」ためだと説明している。

求められる“ITプレゼンテーター”

このように明確な戦略の下で、順調にIT人材育成の取り組みを進めている資生堂であるが、変化の激しいビジネス環境にあって、いくつか“悩み”も出てきているという。

その1つが、情報システム構築プロジェクトが巨大化する中で、プロジェクト全体を包含して見る能力をいかに育成していくかという問題である。また、人事異動の少ない部署であるがゆえの、スタッフの「高齢化」問題にも直面しつつある。

こうした課題の解決に向けて、資生堂が今後取り組んでいこうとしている対策の1つが、ITスタッフのキャリア・パスの見直しと、人材交流の活性化である。例えば、ユーザー部門からより積極的に人材を募ったり、情報企画部である程度の経験を積んだスタッフをユーザー部門に異動させて業務経験を積ませ、そのあと再びシステム業務に戻したりすることによって、より幅広い経験を持つIT人材の育成を行っていくのである。さらに、各事業部や各支社に1名から数名いる「社内情報支援スタッフ」とのコミュニケーションを増やすことも想定している。

情報企画部が今、こうした対応を迫られているのは、見方を変えれば、従来は技術偏重であったIT部門の領域において、多彩な人材が能力を発揮できる可能性が広がっているということでもあろう。増田氏は、こうした状況の変化を受けて、今後のITスタッフ戦略を次のように方向づける。

「かつてIT部門は企業の“裏方”であり、その業務は、現場からの要求にこたえるという後追い型であった。しかし現在では、業務改革にも事業の立ち上げにもITが不可欠であり、事業プロジェクトの企画段階からIT部門が社内コンサルティング部門として加わるケースも増えてきた。今、ITスタッフには事業をITで具現化するITコーディネーター、あるいは“プレゼンテーター”としての役割が求められている。企業リスクを最小化する、効率のよい情報システムを構築・運用していくために、人材育成ユニット活動をフルに活用しながら、実効性のあるスタッフ戦略を実践していきたい」

企業経営の観点からIT部門のコア業務とその役割をたえず見極め、IT人材教育の理想的なあり方を追求し続ける資生堂。その姿勢からは、IT先進ユーザーとしての自負と、「企業は人なり」の精神に基づいた社員への期待が見て取れる。

記事提供/株式会社アイ・ディ・ジー・ジャパン (CIO Magazine 2002年8月号に掲載)
2004.04.15 update

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