転職お役立ち情報|キャリアデザイナー|「中南米への憧れ」を原動力に築いていったキャリアとは

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クインタイルズ・トランスナショナル・ジャパン勤務 宮田知子さん
クインタイルズ・トランスナショナル・ジャパン株式会社
クライアント・デベロプメント・アドミニストレーター

宮田 知子さん

中南米への憧れからから、単身ペルーへ。自分の気持ちに正直に道を見いだしていくのが宮田さんの転職スタイルだ。

profile: 1965年生まれ。学習院大学経済学部卒業後、大手アパレルメーカーに入社し、マーチャンダイザーとして3年半勤務。退社後、派遣社員として働きながらスペイン語を学ぶ。ペルー企業での勤務を経て、35歳でペルーに渡り、日系大手自動車メーカーの現地法人に入社。2002年7月に帰国し、現在はヘルスケア・アウトソーシング企業 クインタイルズ・トランスナショナル・ジャパン株式会社にて活躍中。

夢破れ、次の目標を得る
 待ち合わせの場所に現れた女性は、鮮やかな赤いポンチョ姿。宮田知子さんは、半年前にペルーから帰国したばかりだ。「ペルーの洋服や雑貨を見ると、日本で受けそうなものがいっぱいあるんです。将来はそんな輸入販売の仕事ができたらと思っています」と夢を語る。

 宮田さんは、自分がやりたいと思うことに対してまっすぐ歩んできた女性だ。新卒の就職では大手アパレルメーカーに入社。洋服や雑貨が好き、どうしてもアパレルの企画をやりたいという一心で、学生時代は業界リサーチを兼ねてずっとアパレル関係のアルバイトをしていた。念願の企画職につけたものの、時はバブル崩壊の頃。徐々に自分の目指す仕事ができないことを感じ、3年半で退社することになる。
「まさに夢破れて退社しました。ちょうど趣味のサルサダンスを通して中南米に憧れを抱いていた頃。派遣で働きながらスペイン語を学ぶようになりました」
 いずれは中南米で働くことも考え、スペイン語の勉強以外に日本語教師の1年間の講座も終え、派遣で働きながら、スペイン語圏の生徒に日本語を教えていたある日、宮田さんに転機がやってくる。就職活動中の友人が偶然ペルー企業の日本法人の求人広告を見つけて連絡をくれ、その求人に応募、就職することになったのだ。
「社員が全員ペルー人という環境で働いていくうちに、知り合いもたくさんでき、『この国の人とは肌が合う』と感じるようになりました。中南米への憧れが、"ペルーに住もう"という具体的な目標になったのです」

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