2月に入ってから北原さんは思い切った行動に出る。会社に退職の意思を伝えたのだ。まだ内定の目処すら立っていないにも関わらず……。
「自分を追い込みたかったんです。当時は会社の寮に住んでいたので、退職日までに転職先が決まらなかったら職場に加え、住むところも失う。己にプレッシャーをかけ、転職活動をより真剣にやるために背水の陣をしいたというわけです」
ここで新しい仕事を見つけること。それは、北原さんにとって、25年間の人生すべてを賭けた勝負なのだ。ここで負けてしまっては、かつて自分を軽く扱った上司や、勝手な都合で出向を命じた会社にひれ伏すことになる。
しかし、本当に仕事を見つけることができるだろうか……。焦りと不安があったのも事実である。
そんな中、2月下旬に若色氏が薦めてくれたある企業に応募した。小規模ながらも上り調子のIT企業のひとつだった。一次面接・二次面接とも、社長が対応。これまで臨んだ面接は、いずれも1時間程度だったのに、ここではいずれも2時間近くに渡って行われた。
「社長は、自ら現場で仕事をするタイプなので、現場で働く者の気持ちもよくわかっている人だなという印象でした。しかも、ダメなものはダメと、何でも忌憚なくズバズバと言う人でした。そんな人が、私の話を長時間かけて聞いてくれて、思ったことをハッキリと言ってくれる。コミュニケーション能力があるということは、こういうことなのかな、などと思いながら話を聞いていました。でも私自身は、こんなに長時間あれこれしゃべってしまったので、今回もコミュニケーション能力について言及され、不採用になってしまうのではと落ち込んで帰ったのです」
しかし、北原さんの予想に反して、数日後に採用通知が届いた。
「本当にびっくりしたし、とにかくほっとしました。会社を辞める時期は決まっていて、後には引けない状態だったので。所詮、私のような人間はどう頑張ってもダメなのかなと悲観的な気分になっていましたから。自分のような人間でも努力することをあきらめなければ転職することはできるんだと、大勢の人たちに言って回りたい気分でした」
応募した企業は全部で15社を超える。応募しても応募しても届くのは不採用通知ばかり。やはりこんな自分では転職などできないのだろうか。くじけそうになったこともあった。しかしここであきらめたら自分自身に負けを認めさせてしまうことになる。そうなったら自分の働く未来に希望はない──。その思いが北原さんを支えた。そして若色コンサルタントの献身的ともいえるサポート。それらすべてが結実した唯一の内定。うれしくないわけがなかった。
会社の命令ではなく、自分自身で決めた新しい職場。北原さんはついにそれを手にした。
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