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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第13回(前編)六馬さん(仮名)27歳/システムサポート
極悪会社に見切りをつけ 応募から10日で内定ゲット スピード転職の理由とは
大学卒業後、派遣社員としてデータ入力などの仕事をしながら、正社員を目指して転職活動をしていた六馬さんは、24歳のときに1回目の転職を経験。希望していたWebデザイン部門に配属され、期待に胸をはずませていたのだが、それはとんでもない会社との2年半にわたる戦いの始まりだったのである。

 2005年10月のある朝、いつもどおりに出社した六馬さんに、上司の部長がこう告げた。
 「社長が呼んでいるから、すぐ社長室に行くように」

 上司や同僚の手前、平静を装ってはいたが、社長室に呼ばれる用件といえば、大体察しがつく。会社の業績は半年ほど前からどんどん悪化しており、社員が次々とクビを切られていたからだ。

 「ネット部門はウチの社内では比較的高給の部署だし、リストラするなら上司とも何度もやりあった自分を辞めさせるに違いない」

 六馬さんは、「とうとう来るべき日が来た」と思いながら、足早に社長室に向かった。

 六馬さんが社長室に入ると、社長はいきなりこう切り出した。
 「君は協調性がないから、辞めてもらうことにした」
 「協調性がないというのは、どういう意味ですか?」
 「上司のM部長から、『六馬さんは職場での協調性がないし、仕事の上でもいてもいなくても関係ない』と報告があったからだ。悪く思わないでくれ」

 仕事はノルマ以上にこなしているし、担当しているネットショップはいつも売上ランキングの上位をキープしている。普通に考えたら、上司の一方的な判断で冬のボーナス目前にいきなり解雇されるなんて、こんなひどい話はないだろう。

 「今すぐ辞めるんですか? 私は入社して2年半ですが、3年勤続で出るはずの退職金はどうなりますか?」

 「残っている有給休暇を消化扱いにするので、会社には20日まで出社すれば解雇予告手当として次の1ヵ月分の給与は出す。退職金のことも考慮するから、とにかく辞めてくれないか」

 「………わかりました」

 険しい表情で、しぶしぶ解雇を承諾したかに見えた六馬さん。しかし、社長室を出るときには、心の中で「やった! これでやっと辞められる!」と、密かにガッツポーズをしていたのだった。


仕事内容も給与も環境も話が違う…
どの会社もこんなものなんだろうか?
 

 社長から解雇宣告を受けるまで、六馬さんが2年半在籍した会社は、ファッション関連の卸し会社だった。

 六馬さんが入社を決めたのは、正社員採用だったことと、IT部門で自社Webやショップページを制作するWebデザイナーの仕事に魅力を感じたからである。学生時代からパソコン好きで、オリジナルのパソコンを自作。自分のWebサイトやブログも公開していた六馬さんにとって、Webデザインは一番自分に合っていると思える仕事だった。でも、入社してみたら、いろんなことが求人情報に記載されていた内容と違っていた

 まず仕事内容は『HTMLのタグ打ち』だったのだが、いきなり入社後1週間足らずで楽天市場出店用のWebサイトを作るはめになった。もちろん本格的なWebサイト制作の経験は皆無。

 「入社4〜5日で、上司が『俺、2週間休むからその間にやっといて』って……。やれっていわれればやるしかないので、独学で勉強して作りました(※1)

 「年2回各2カ月」と書いてあったボーナスも、1年目の夏は出なくても当然とあきらめていたが、楽天ショップが軌道に乗った翌年も夏が5万円、冬が10万円出たのみ。また、自分の作業が終わっても、他の担当部署が残っているといつまでも帰れずに、付き合い残業させられることもあった。

 「ひどいときは、サービス残業が月に60時間以上になることもあって、次第に『これって、ちょっとおかしいんじゃないか』と思い始めました。でも、正社員として働いたことがなかったので、一般的な会社の正社員の待遇というのがよくわからなかったんですね。Webデザインも学生時代からいろいろ経験していたとはいっても、趣味の範囲で仕事としてやるのは初めてだったし、未経験なんだから最初は待遇もこんなものかなと思っていたんです」

 その後、1年たっても待遇が変わらなかったため、上司に話が違うと相談したが、「代わりはいくらでもいるんだから、イヤなら辞めろ」とあっさり言われた。そこで会社の近くの労働基準局にも相談に行ってみた。担当者には「そんな会社、今すぐ辞めなさい」と言われた。しかし、六馬さんはそれでもまだ踏みとどまった。仕事がおもしろかったというただそれだけの理由で。

ワンマン上司にズサンな経営
ここでは、自分の成長は望めない
 

 しかし、その会社がとんでもなかったのは、待遇や環境だけではなかった。六馬さんの直属の上司も、何でも自分が中心に動いていないと気がすまない超ワンマン人間で、人格的にも問題があった。

 「ささいなことでもすぐにキレて感情的になり、椅子や机を蹴とばしたり、ひどい暴言を吐いたりしてました。実際、私も殴られそうになって、隣の部長が止めに入ってくれたこともあったし、仕事上で大ゲンカをしたときには『お前、殺してやる』とすごまれ、警察に駆け込んだこともあります」

 一度は、上司の暴力行為や問題点を、社長に直訴したこともあった。しかし、社長は「あいつはああいうヤツだから、どうしようもない。あきらめろ」と言うだけだった。会社の業績が悪化していたときに、ネット部門を立ち上げて業績を回復した「英雄」だからだと、先輩社員が教えてくれた。

社員を使い捨てる会社の対応に
ついに本格的に転職を決意!
 

 会社の待遇や仕事環境には大きな疑問を感じていたものの、初めて手がけたショッピングサイト制作・運営の仕事に熱中していた六馬さんにとって、当初は退職や転職を考えるほど切実ではなかった。そんな六馬さんの頭に、「転職」の2文字が初めて浮かんだのは、1年たってもまともにボーナスが出なかった頃に、大手プロバイダでWebデザインを担当している友人と、給与の話になったときだった。

 「年代も同じで、やっている仕事もほとんど変わらないのに、年収が100万以上違うなんて……」
自分の収入とのあまりの金額格差に愕然とした六馬さんは、「いくら仕事が楽しくても、やはりこの待遇はありえない。この会社に見切りをつけて、転職を考えたほうがいいのかも」と思うようになった。

 その思いが決定的になったのは、業績が悪化し始めた一昨年の11月、後輩の男性が前触れもなく、いきなりクビにされたときである。 その男性は、六馬さんよりも年齢は若かったが、すでに結婚して子どももおり、家族を養う責任があった。それなのに、「スキルが足りないから」という理由で、何の予告も猶予も与えられずに、突然、辞めさせられてしまったのだ。

 「ひどすぎる! 社員を使い捨てにするような会社、絶対許せない!」

 青ざめてガックリ肩を落とした後輩の姿を目の当たりにして、六馬さんの上司と会社への怒りが爆発した。

 「スキルが足りないなんてとんでもない。仕事が忙しかったので、バナーを別の同僚に作ってもらったのを、上司が『俺の許可なく勝手に仕事をふってけしからん』と怒ったのが、クビの理由だったんです。上司のワンマンに振り回されて、社員の首切りまで左右するような会社じゃもうダメだと思ったし、こんなひどい会社にいたくないと思ったんです」

 この会社にいても上にいくことは望めないし、上司がそういう風に人材を使い捨てるような考え方では、ここにいても自分は成長できないと思い、本格的に転職を決意した六馬さんだったが、すぐには行動に移せなかった。

 ちょうどその頃、母親がガンで入院してしまい、六馬さんが定期収入を確保しないといけなくなってしまったのだ。そこで、しばらくは仕事探しを断念して、会社での仕事を継続。昨年の夏ごろからバレないように水面下で転職先を探し始めたが、やはり条件の折り合いなどがむずかしくて、すぐに転職しようと思えるまでの会社は見つからなかった。

仕事自体はすごく楽しかったし、
やりがいもあったのがせめてもの幸い
 

 六馬さんは、何度も「もう辞めたい」と思いながら、問題だらけのひどい会社で、なぜ2年半も耐えられたのだろうか?

 「今、思えば、自分でもあんなひどい会社によく2年半もいたと思いますよ。でも、仕事自体は本当におもしろかったし、楽しかったんです。ショップで紹介する商品をセレクトしたり、デザインを考えたり、Web店舗については制作も運営も任されていたので、いろいろ自由にやることができた。自分が『これは売れる!』と狙いをつけた商品が、予想通りに売れると『やった!』というやりがいもありました。『絶対、売れない』と言われていた商品を工夫して紹介し、ヒットさせたこともあったんですよ」

 そんな六馬さんでも、辞めるべきか、もう少し頑張るべきか、悶々としている時期は、つらいと感じることもあった。「もっといい仕事があるかも」と思いながらも、収入はつないでおかないといけない。辞めてすぐ仕事が見つからなかったら困るので、クビになるわけにもいかなかった。また、自分がいなくなると仕事が回らなくなるというのもわかっていたので、在職中に転職先が決まったとしても、辞める時期をめぐっていろいろ言われるのも目に見えていた。

どうせ辞めるなら、会社都合で
解雇予告手当をもらってやる!
 

 また、本格的に、転職活動をしようと決心したとき、六馬さんが迷ったのは、自分から辞めるほうがいいか、会社に首を切らせる形にして、1カ月分解雇予告手当をもらうか、ということだった。会社の雲行きがあやしくなってきた頃、社員の呼び出しが始まり、Webデザインの部署はその会社では比較的高給扱いだったので、六馬さんは、「経費のかかる自分からクビを切られるだろう」と予想していた。
 

 「ギリギリのタイミングを図って、会社から『クビにする』と言われるのを待ちながら、影で転職活動をしていたんです。それで、結局、思惑どおりにクビを切らせるまで待てたので、残りの有給も全部消化し、解雇予告手当ももらって、心置きなく転職活動をスタートできた。社長に呼び出されて、話を聞いたときは、『よし、これで相手の言質は取ったから、心置きなく転職活動ができる』という気持ちでした。ある意味、「やった!」という感じでしたね(笑)」

 2005年10月、社長室を出て「ヨシ!」と小さく握りこぶしを固めた六馬さんは、本格的に転職活動をスタートさせた。

後編」に続く

 
プロフィール
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東京都在住の27歳。大学卒業後、大学院進学を目指していたが、家族の勧めもあって就業に方向転換。派遣社員としてシステム会社で顧客名簿等のデータ入力作業に従事。その後、ファッション関連卸し会社に正社員として就職。Webデザイナーとして、楽天Web店舗や自社Webの制作・運営・更新業務を行っていたが、2年半後、業績不振により退社。現在は、消費者向け自動車関連サービス会社の開発グループで、システムサポートとして活躍している。
六馬さんの経歴はこちら
 

作りました(※1)
同じ部署の他の社員も、誰も楽天のショップなど作ったことはない。学生時代からWeb制作を手がけてきた六馬さんにとっても、未経験の分野だった。入社して1週間足らずで、制作環境も整っていない状態で、上司にそんなことを命令されて一人残されたら、普通なら逃げ出したくなるだろう。しかし、もともとパソコン好きで、スキルにもそれなりの自負を持っていた六馬さんは、持ち前のチャレンジ精神を発揮。楽天の機能やショップの仕組みを調べ、ゼロからショップを完成させたのである。しかもデザイン的な見栄えをよくするために、自分でタグを設定できる上級ページで作成した。

そのかいあって、商品の発注数も増加し、ショップは楽天のランキングに度々登場するようになったが、誰にも何の評価もされず、昇給もなかった。

 
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