林さんが会いに行ったのは、特に化学、機械業界の研究開発職に強いクラレテクノ株式会社の粟野泰弘氏。しかし、当初粟野氏に対して懐疑的だったという。手術前に会おうと言ってくれたコンサルタントの中に粟野氏は入っていなかったからだ。
「声のことを話すと、粟野さんは『手術して落ち着いてから会いましょう』と言いました。でも、どうせ会ってくれないだろうなと思ってました。他のコンサルタントと同じで、自分は使い物にならないと思ってんだろうなって」
しかし粟野氏から1カ月後に連絡が来た。まだ転職先が決まってなかったら面談したいという。もちろん林さんはすぐにクラレテクノに赴いた。そこで粟野氏から紹介された会社は、小さな化学系の商社。健康食品部門の開発と営業の両方をできる人を探しているのだという。しかし林さんは難色を示した。
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「健康食品(※3)ってのがね……。健康食品はうさんくさいというイメージがあってどうも気が進まなくて。だから、最初紹介されたときは、申し訳ないけど、健康食品の会社は行きたくないって言ったんです。でも、健康食品以外に、化学系の素材をいろいろ扱ってるからって。正直言って気が進まなかったけど、こんな体になっちゃったし、あんまり会社を選べないかなと思って。小さい会社だから、ゆくゆくは化学系の部署に移れるかもしれないし。だから一応話だけ聞いてみようかなって思って応募することにしたんです」
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元々化学メーカーで開発と営業を経験し、その両方で結果を出していたこともあり、書類選考は難なく通過。1次面接は社長、専務、上司となる部長が出てきた。スタートから学生時代の落語研究会と営業経験で培ってきた持ち前のトークパワーが炸裂。面接官たちのハートをのっけからわしづかみにした。
「あまりにも面接のこと以外の話で盛り上がったので、同席してくれた粟野さんもあきれて『あなたね、一応面接なんだから。世間話しにきたんじゃないんだよ』って(笑)。まあこんな感じで面接をとおして、ざっくばらんでいい会社だな、と思ったんですよ」
むろん、雑談だけしていたわけではない。業務内容をヒアリングし、中国やインドにベンチャー企業を設立して、現地のいろんな会社と取引してモノを作っていることを聞いたときには、熱い思いがふつふつとわいてきた。ゆくゆくはそちらの仕事もやってみたい。
「常務に、『私は化学式のことは全く分からないからだましだまし商売やってきたんだけど、そろそろ限界が来た。化学関係の仕事はキミに任せるからぜひやってもらいたい』って言われて。化学関係なら得意だし、ましてや、こんな体の僕を必要としてくれる(※4)ってんだから、やれるところまでやってみよう! そう思ったんですよ」
2週間後の2次面接では主に条件面の話となった。林さんの希望年収は700から800万円。大病、大手術を経て体も今までのようには動かないし、景気もまだまだよくなったとはいえないから、正直高望みだとは思う。でも、林さんには来年中学受験を控えた子供がいる。しかも心臓病の手術で貯金をはたいてしまうと同時に借金も抱えてしまった。
「子供を私立の中学に行かせようと思ったら、年間100万はかかる。だから生活費と学費を払ってプラスアルファの貯金ができるっていうのが理想で。そう考えるとやはり700〜800万円はほしいかなと。貯金も手術で使い果たしちゃった(※5)からね。いろいろあって、病気になる直前に生命保険を解約しちゃってたから。ツイてないときは重なるもんだよね」
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しかし小さな商社に高年収を期待するのはやはり無理があった。林さんと同年齢の社員の年収は会社の業績が良いときで600万円レベル。話し合いの結果、580万円からのスタートになった。理想とはかけ離れた額だが、林さんはそれほど落胆してはいなかった。
「確かに家庭の事情もあり、年収はたくさんもらえればそれに越したことないんだけど、こんな体になっても就職できるだけでありがたいと思ってね。入院中は、もう社会復帰は難しいかもしれないって思ってたから」
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