さて、現在私が担当しているお客様も、色々と問題を抱えながらもサーバの統合化とICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)への移行への道筋をつけつつあるようで、そろそろ経費ばっかりくってるなんちゃってコンサルな私もお役御免のようだ。
1年半の間、お客様先の経営者達に出した提案書は金額にして100万ぐらいの小さな物から、1億を超えるビックプロジェクトまで合わせて30はくだらない。
我ながら、日々劣化しつつある頭を鞭打ちながらよく頑張ったと褒めてあげたい。
なんちゃってといいながら、いわゆるプレゼンテーションをやって金をもらう以上、その道のプロフェッショナルと扱われるわけで、それなりの理論武装はして
「よーし、このプレゼンでぐうの音も出せなくしてやる」
という勢いで挑むわけですが、それでもけっこう門前払いもくらったし、よく怒られた。
そして随分とお客様に勉強させてもらったような気がする。
お客様には色々と印象的な言葉をもらった。
「君にとってはたった100万の誤差かもしれないが、それが会社の株価にまで影響を及ぼすと考えた事はあるか?」
「100ページのパワーポイントなんて誰も見ない」
「プレゼンテーションの資料は最初の2枚で勝負が決まる」
「でもその2枚は100ページ分の調査が凝縮された2枚でなければいけない」
IT業界のエンジニアなんて、やたら難しい理屈を考え、やたら難しい言葉ですごく緻密な仕様書なり提案書を書いていると思われるかもしれない。
実際、仕事している私自身ついつい
「もうちょっと専門用語を駆使して立派な提案書にしないと・・・」
という術中にはまる事がよくある。
そんな専門用語を網羅した技術書まがいの提案書は、客の言葉を借りると
「自分はすごい技術者という事をひけらかしたいだけの自己満足提案書」
らしい。
結局、プレゼンテーションというものはIT業界にかかわらず
・なにが問題?
・その原因は××だから
・だから○○をする
・その結果問題が解決する
という、非常にシンプルな起承転結を指し示すだけの行いに帰結する。
技術的な仕組みやリスク調査やマーケティング調査で発生する膨大な専門資料はすべて
“補足資料”
でしかない。
膨大な補足資料から編み出した自信のあるその起承転結の言葉を作り出すという、もはや理系的作業というよりは文学的レトリックのテクニックが必要となる作業とも言える。
非常に当たり前の事を言ってるようだが、毎日毎日同じ仕事を繰り返していると、人はなにかとその基本を忘れ、わけのわからない自己満足の世界へと方向性を誤るようである。
今回の仕事はそんな事を気づかせてくれるいい仕事だった。
さてお役御免の40代なんちゃってエンジニアの私、中高年の働く場所がないなんていう話を聞く昨今、さっさと隠遁生活をしたいところではあるが、幸か不幸かまだ私を使ってくれる新しいお客様が現れたらしい。
さらなる学習を経てパワーアップしたはずなので、驕らず、シンプルでそして凝縮した仕事っぷりが発揮できるようもうひと踏ん張りしようかと思っております。
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