先週誕生日でした。
どんどんおっさん化している、というかもう十分におっさんなわけだが、昔は颯爽と博識を披露していた脳もやはりおっさん化しているらしく、物忘れがひどい。
特にカタカナ系がやばい状態にある。
珍しく女性と食事をしている時に
「すごいひげぱわーさん、映画詳しいですね。素敵!うふふ!」
という落とし所を模索するべく、サラッと通な俳優の話をしようと
「あのさあ、オレあの俳優好きなんだよね。『インセプション』に出てた・・・」
と話し出したのだが、そこから名前が出てこない。
「えー。だれだれ?ディカプリオ?」
「違うって、ほら、脇役の、こないだ惜しまれながらガンで亡くなった。」
「えー。知らなーい。」
「男優でけっこういぶし銀系のほれほれ・・・」
「もーわかんない!」
「・・・オレもわかんない(泣)」
全くダンディでもなんでもない、辛気くさいオヤジになっておる。
昔だとそのまましょんぼりお別れという事になるのだが、現代ではそんな時に強い味方になってくれる情報端末、いわゆるスマートフォンがある。
Google音声検索を立ち上げて、端末に向かって
「インセプション、男優、死去」
と話すだけで、すぐ目当ての俳優(ピート・ポスルスウェイトです)の名前どころか写真まで取得できる。
先週の連休は、自分でリビングの壁を塗り替えていたのだが、昔なら店に行って大量にあるペンキ缶とにらめっこしながらどれを買うか迷うところ、これもスマートフォンなりPCで情報を調べると、小一時間もあれば、ペンキの成分毎の特徴から1リットルあたりに塗れる面積、綺麗に仕上げる手順まで情報を引き出すことができ、素人の私でもそれなりに見栄えのする内装を作りだせる。
(まあ労働だけはしないといけないので翌日筋肉痛がひどかったが)
インターネットと繋がった情報端末の利用は、使いようによっては、世界レベルの超巨大な図書館をポケットに入れて歩く事に匹敵し、その利便性と有用性は計り知れないものがある。
しかしその反面、使い方を誤ると、自分の人生さえ変えられてしまう危険性を持っているのも事実。
「twitter」や「mixi」で飲酒運転を自慢したり、バイト先で悪行に及んだりした事を得意げに書き込んだ学生が退学に追い込まれたり、けっこう有名なスポーツショップに入社した新入りが、来店してきた有名人を中傷する書き込みをして退職に追い込まれたりしている。
7月はじめには、九州電力が原子力発電所を早く再稼働させようと、社員や子会社社員が一般市民を装って再稼働を支持する意見メールを送るという「やらせメール事件」があった。
学生や新人の悪行自慢の書き込みなんかは若気の至りでまあ許せたとしても、このやらせメールなんかは、私のようにIT業界に従事する人間からすれば非常に稚拙で、考え足らずの行為に見える。
「ばれないはずはなかろう。後先考えず何をやってるんだいったい?」
といった感じだ。
情報を自分の目的に合うように取捨選択し、活用できる能力のことを「情報リテラシー」というが、それはただ単に流暢に情報端末を操り、「ああ、便利だなあ」と無意識に利用することではない。
嘘を嘘と見抜ける能力(誰かこの言葉言ってたな)を持ち、嘘を仕掛けてもすぐ見抜かれるという事を肝に据えた上で、最大限にネットを利用して初めて、物忘れがひどくなってきた自分の脳を最大限に補完してくれるとても素晴らしいツールとなる。
これだけ進化し、そして今も進化し続けているネットに対してワケもわからず翻弄させられ、身を持ち崩していっているおじさま達を見ているのはあまりに悲しい。
そんなおじさま達は、今一度、情報リテラシーを上げる訓練をおススメします。
それは決して難しい訓練ではありません。
”鵜呑みにしない”、”余計な事をしない”
それだけでいいのです。
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