私事で恐縮だがこの原稿を書いているつい数日前に私の母が亡くなった。
無宗教者である私の家族はお坊さんも呼ばず、祭壇は花で埋めつくし、棺の前で泥のように家族全員で酔っ払った。
借りた場所の担当スタッフが
「何から何まで前代未聞でどう段取りしたらいいか戸惑ってます。」
とえらく困惑していたが、
「葬式と考えるからお坊さんの段取りとかご焼香の段取りとか式は1時間とか考えてしまうのでしょう。場所貸しのパーティと思ってもらって楽しくやりましょう。」
とさらに困らせてしまった。
バタバタとしながらも、まあまあよいお別れが出来たと思う。
そんな事があってからここ数日、母の年金の処理、健康保険の処理、銀行口座の処理その他諸々の処理に追われている。
ビックリしたことに、役所で除籍(死亡したから戸籍からはずす)処理しても年金が振り込まれてくるし、銀行の預金は死んだ人の名義でも数日経ってもお金を自由に出せる。
役所と銀行のつながりがないのはまあ許せるとしても、役所と社会保険庁は別管轄というのには驚く。
そしてその他にも、"申請しないと処理しません"的な事務処理が嫌というほどある。
これでは、人の死を悼んでいる暇もない。
あまりネガティブな発言をしない私でもさすがに
「まったくこれだから役所仕事というのは・・・」
と思わず愚痴をこぼしてしまった。
申請しなきゃ年金も止まらないし、銀行だって気づかないのなら年金は貰い放題じゃないか。長者番付に載っている内の何パーセントかは実は死んでるんじゃないか?という下衆の勘ぐりをしてしまいたくもなる。
そうそう、年金問題というのがここ数年取りざたされているが、こんな状態では全国民の年金を莫大な費用をかけて調査したところで絶対正解に行き着くことがないのは容易に想像できる。
昔、「国民総番号制」といういかにも"反発してください!"といわんばかりの名称の制度(誰だこんな制度名考えたのは・・・)を制定しようという動きがあったが、やはりその制度名の気持ち悪さから、「個人情報がばれる」だとか「その人の持病がばれたらどうするんですか!キー!」見たいな反発があって頓挫したようだが、やはり今こそ私たちは社会保障番号というユニークな「NO.」を持つべき時が来つつあるのではないだろうか?
肉親の死に直面し悲しみに打ちひしがれている裏で、銀行、保険、年金、全ての処理はひそやかに処理され、最後に花束と共に「国家を代表してお悔やみ申し上げます。」などといった丁寧な書面でやってくる事務処理完了のお知らせ。
・・・なんか手放しで賛成できない感じもあるが、書類を持ってうろちょろしている今よりずっとよさそうな感じではないか。
そしてそんな行政サービスを実現するべく、今こそセキュリティを含めて情報通信の根本的なインフラの再構築に取り組み、それに付随する各種サービスが再構築される事で未曾有のIT不況は一気に回復していく。
どうですかこんなシナリオ?
なんだ、結局公共事業頼みかよ!っと思うかもしれないんですけど、大変なんです今。
仕事なくて(笑)
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