実は私、この歳になってもテレビゲームなるものでよく遊んでます。
なんて遠慮がちに言ってみましたが、多分はたから見たら自分はけっこうなゲーマーのような気もいたします。
日本では、「ゲームばかりやってると頭が悪くなる。」などといった、"ゲーム脳"といわれる学説というか疑似科学がまことしやかに謳われているので、テレビゲームをする人に対して若干ネガティブな印象を持つ方も多いかもしれないのですが、海外、特に米国ではテレビゲームは映画、音楽と並ぶ立派なエンターテインメントとして肩を並べており、また学術的な研究対象にもなっていて、そしてそれが未来のIT技術のアイデアに応用されたりもしています。
テレビゲームはテレビに映し出される映像に向かってコントローラーやボタンを操って、敵を倒したり崖や障害物を乗り越えて目的地まで到達したり、難解なパズルを解いたりする遊びなわけですが、色々なテレビゲームをやっているとある一定のパターンというか、うーむこれだからゲームは面白いと思わせる現象に出会えます。
それは、ストレスの蓄積とそのストレスを解放する事からくる一種の快感(カタルシス)を味わえるという事。
倒さないといけない敵が強い!自分のコントローラーの操作もおぼつかない!何度もゲームオーバーになるイライラ・・・とストレスを溜め、何度目かにそこをクリアした瞬間に訪れる「うは!やったーーー!」という達成感と解放感をテレビゲームは繰り返し味わえるようになっています。
このテレビゲームによるストレスの蓄積と解放の繰り返しというのはまるで自分の人生を短時間に圧縮して味わっているようなものです。
・売上げが上がらない。
・世の中不況で転職活動がうまくいかない。
・自分より随分年下の社員からダメだしされて気分が悪い。
・家に帰ったらご飯の用意もなく邪魔者扱いされて辛い(笑)
こういったストレスは何時でも繰り返しやってきます。でもいつかはきっと(多分)
・新しい仕事を受注した!
・人事が気に入ってくれて転職できた!
・その年下の社員から「色々言ったけど本心はリスペクトしてますから」と言われた。
・ある日「パパいつもありがとう。ウフ!」ってネクタイプレゼントされた(笑)。
ていうストレスの解放とカタルシスを得る時が来るのです。
というわけで、今回は世の中の経済があまりうまく回っていない今だからこそ
"人生はゲームだ!"
という感覚で生きるという事を提唱したいわけです。
これは不真面目になるとか、自分の仕事を「所詮ゲームだ」とシニカルに捉えることじゃなくて、試練は試練として真面目に向き合いその辛さに悶え苦しみ(必死でコントローラーと格闘し)、そしてそれを乗り越えた時(やった!ボスを倒した!)にやってくる解放感を気持ちよく味わい、そしてそんな出来事を冷静に振り返ってみる(このステージはなかなか難易度が高かったなぁ・・・)、そんなゲーム感覚が今の私達には必要なんじゃないかなという事なのです。
一喜一憂ならまだしも、今の時代もしかしたら零喜十憂なんて試練がやってきそうな気もします。そんなに真正面から立ち向かってはまり込んだら自分の体が持ちません。
「こんなクソゲーやっとれんわ!」
とブン投げるぐらいのゲーム感覚を持ってたほうが、案外楽しい人生のような気がいたします。
ここ最近の日本のIT業界は、宝箱のお金はよその国に奪われるわ、新しいアイテムはなかなか手に入らないわ、一旦洞窟に入ったらなかなか抜け出せないわ、出てくる敵は容赦なしに攻撃してくるわで、なかなか難易度の高いRPGゲームやってるような気分になります。
でもその試練に立ち向かい、すれ違い通信で地図という情報を交換しながら、最後は皆で幸せなエンディングを目指そうじゃないですか。
うん。うまくまとめた(笑)
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