キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第39回 「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 藤澤克己-その5-仕…

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第39回 「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 藤澤克己-その5-仕事とは社会の中での役割

魂の仕事人   photo
魂の仕事人 第39回 其の五
仕事とは社会の中での役割 やりがいはあるが、生きがいではない 目標は1000人のネットワーク
「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げ、メンバーの僧侶と共に自殺念慮者や自死遺族の支援に力を尽くしている藤澤氏。しかし現状に甘んじず、今後さらに活動を拡大していく予定なのだという。シリーズ最終回の今回では、自殺問題を解決するための壮大なビジョン、そして藤澤氏にとって仕事とは何か、働くとはどういうことかについて語っていただいた。  
「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 安楽寺副住職 藤澤克己
 

遺族のための追悼法要

 

「自殺対策に取り組む僧侶の会」(以下、「僧侶の会」)は、自殺対策全般に関わることを会の理念としています。よって、自殺防止だけではなく、残された遺族の支援も重要な対策のひとつとしてとらえ、2007年から自死遺族のための追悼法要(※1)を行っています。

「実態を知らない僧侶による二次被害の危険性」(※2)でも話しましたが、身内が自殺で亡くなった場合、菩提寺のご住職に死因を言えないご遺族も多いんですよね。

よく聞く話ですが、身内が自殺したら、葬儀をこっそり行う場合が少なくないようです。家族だけで葬儀を行い、親戚・知人には事後報告したり、本当の死因は伝えなかったり。地方出身者の場合、お骨にしてから菩提寺に持って行くとか。世間に自殺で亡くなったとは言えない空気があるからそうせざるをえないわけですが、やっぱり遺族は後ろめたい気持ちになるらしいんです。本当はやましいことをしたわけじゃないのに、故人をちゃんと弔ってあげられなかったというね。

だからそういうご遺族たちのために、自殺で亡くなった方の死にちゃんと向き合ってもらうことが大切で、これこそ宗教者としてできることだし、ぜひやらなければならないと思い、2007年から12月1日の「いのちの日」(※3)に追悼法要を行っているんです。

昨年(2008年)12月の第2回の追悼法要には127人もの自死遺族が集まってくださり、仏さまの前に座って“いのち”を見つめる時間を一緒に過ごしてもらいました。宗派を超えて集まった僧侶たちがそれぞれの特色を生かした法要を執り行い、会場に集まった自死遺族のみなさんと一体感のある空間と時間を共有することができたと思います。

追悼法要、お焚き上げの模様(写真提供:藤澤氏)

参加したご遺族からは感謝の言葉をたくさんいただきました。集まっている人はみんな自死遺族ですから安心感があるし、とにかくこれだけ多くの僧侶が追悼法要のために関わってくれたのがうれしいという声が多かったですね。その手応えは予想以上で、やっぱり皆さん、日常生活に追われ、なかなか故人を追悼する時間を持てていないんですよね。

※1 追悼法要──詳しい模様はコチラ

※2 「実態を知らない僧侶による二次被害の危険性」──死にたくて自殺する人はいないという事実を知らずに、自死遺族に対して「命は大切にしなければならない」などと上から目線で説教してしまい、それが遺族をも傷つけてしまう危険性がある。詳しくはインタビュー其の4を参照

※3 いのちの日──厚生労働省による「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」の自殺防止に係る啓発普及活動として、2001年(平成13年)に12月1日が「いのちの日」と制定された。毎年、自殺予防に係る啓発普及活動が行われている。

感動的だった茶話会
 

当日は、儀式を執り行うだけではなく、その後に参加した気持ちを話してもらえるようにと茶話会を開きました。そうしたら追悼法要に参加した127人のうち、100人以上もの人が茶話会に参加してくれたんです。

少人数のグループにした方が話しやすいので、約10人ずつの10グループに分けました。その際、本来なら、対面での自殺相談の経験者を進行役に置きたかったのですが、「僧侶の会」の中に面談経験者は3人しかいなかったので、面談経験のないメンバーにも進行役をしてもらうことになりました。

少し乱暴かもしれないと思いましたが、手紙相談活動を通じてご遺族の気持ちを受け止めることを実践してきていましたし、みんな肚を据えて取り組んでいる仲間だから大丈夫だろうと思い、任せることにしました。

ほとんどのメンバーは自死遺族と対面するのが初めてで、中には遺族にどういう声をかけていいかわからないと緊張していた僧侶もいましたが、上から目線ではなく、対等な関係、ビフレンダーとして遺族と向き合うことができたと思います。

参加者からも非常に好評でした。ほとんどの人がアンケートを書いてくださり、「若い僧侶が必死になって泣きながら話を聞いてくれたのがうれしかった」という声をいただけたりしましたので。

たぶん僧侶だからということだけで関わったらそうはならないんですよ。「安心して悩むことのできる社会作り」というコンセプトに賛同して、「自死の問い・お坊さんとの往復書簡」(※3)で実際に自殺相談者からの生の声が書かれてある手紙を読んで、必死に返事を考えて何通も書いてきた。そういった汗水流しながらの活動を積み重ねてきたからこそできたのだと思います。

※3 「自死の問い・お坊さんとの往復書簡」──自殺したいほど苦しんでいる人、大切な人を自殺で亡くした人、自殺未遂をした後、立ち直ろうとしている人など、自殺について思い悩んでいる人などを対象に、自殺に関する相談、質問などを手紙で受け付けている。電話相談の手紙版。詳しくはインタビュー其の4を参照。

独自の「分かち合いの集い」を開催予定
 

このような活動を通して、自死遺族の「分かち合いの集い」の重要性を改めて痛感し、今後の活動計画として追悼法要とは別に、「僧侶の会」独自の分かち合いの集いを開催しようと思っているんです。

「分かち合いの集い」は自助グループや民間団体が主催するものがいくつかあるのですが、なかなか曜日や地域が合わず、参加できないという遺族が多くて、いくつあっても足りない状況ですからね。

だから私たちも、いつ、どこでやるかはこれから具体的に決めていきますが、毎月1回、都内のお寺でやっていこうかなと思っているところです。

付き添い支援も推進
 

さらに、「付き添い支援」というものも推進していこうと考えています。

「安心して悩むことができる社会」の実現のためには、悩み苦しんでいる人と一緒に考えて、行動してあげる人の存在が必要不可欠だと先にも述べましたが、今、問題なのはそういった人があまりにも少ないということです。でも、「一緒に考える」だけなら難しいことではなく、先生でも、サラリーマンでも、主婦でも、学生でも、誰でもできることなんですよ。答えを見つけて与えるのではなく、「一緒に考える」だけでいいんです。

私も電話相談員になるときに、もしかしたら資格コンプレックスがあったのかもしれません。カウンセラーの資格を持ってないし、心理学も勉強してないから難しいかなと思ったけれど、実際にはそんなものは全く関係ないんですよ。一緒にやろうという思いさえあれば誰にだってできる。みなさんが苦しんでいる仲間をなんとかしようと思ってくださったら、それだけでも救われる人はたくさんいるはずなんです。

例えば、いろんな要因が重なって困っている人は、非常に精神的に落ち込んでいるため、自分で相談窓口を探すことはとてもたいへんです。エネルギーが枯渇していますからね。自分でちょっと探して見つからなかったら「もうダメだ。死ぬしかない。」と思ってしまいかねません。そんなとき、周りにいる人が一緒に探してあげたら相談窓口につながる可能性はある。一から十まですべてやってあげなくても、相談窓口を探すくらいなら誰だって一緒にできることじゃないですか。

中にはあるきっかけで生活苦に陥り、うつ病になってしてしまう人がいます。働けなくなって生活苦になり、行政に助けを求めようと生活保護申請をしても、「あなたは頑張れば働けるでしょ。出直しなさい」って言われたら精神的に弱っている状態では太刀打ちできずに、すごすごと帰らざるをえない。そして中には絶望して自殺しようとする人もいる。実際に生活保護の申請に行政に行っても、窓口の職員に邪険にされた(※4)という話だってよく聞きますから。

でも一緒に行って横にいて「ちょっと待ってください、この人、本当に病気で働けないんですよ。申請を受け付けないのはなぜですか?」と口添えをするだけで、そんなに邪険には扱わないはずなんです。だから法律のプロじゃなくても、社会保障の手続きに詳しくなくても、横にいるだけで、そして何かおかしいと思ったら代わりに発言するだけでいいんですよ。

ほかにも、住宅を出なくちゃいけない場合は一緒に住む家を探すとか、弁護士に相談しなきゃいけない事案だったら、法律事務所を探して一緒に付き添って行ってあげるとか、できる範囲で悩んでいる人と一緒に考える、一緒に行動することをやり始めようと思っているところです。

※4 生活保護の申請に行政に行っても、窓口の職員に邪険にされた──2007年7月、北九州市小倉北区で52歳(当時)の男性が孤独死した。死因は貧困による餓死。病気で働くことが困難になったため、同区役所に生活保護を申請したが、「生活保護の辞退届け」の提出を強要され、生活保護は受けられなかった。翌8月、男性が餓死したのは生活保護を認めなかったことによるとして、作家、弁護士、福祉施設職員ら合計364名および4団体が、同区福祉事務所長を公務員職権濫用罪、保護責任者遺棄致死罪で刑事告発した。当連載に登場していただいた宇都宮健児弁護士、作家の雨宮処凛氏も告発人として名を連ねている。

僧侶には可能性がある
 

こういった付き添い支援は基本的に誰にでもできますが、特に僧侶に最適だと思っているんです。例えば行政に付き添いで行く場合、窓口は平日しか対応していませんが、僧侶なら他の社会人より時間の都合がつく可能性が高い。法事の多くは土日ですし、お寺はある程度時間的な余裕がありますからね。説法なんてしなくていい。ただ一緒に行ってあげるだけでいいんです。

しかし、それは一人ではできません。時間的に融通が利くとはいえ、ほかにもやるべきことは沢山あるので、24時間365日はとても無理です。でも一緒に考えて行動しようという人が、たとえば100人集まれば随分違うわけです。その地域、その日時に動ける人が誰かいないかと探せば、誰かは動ける僧侶がいると思うんです。

そういう意味においても僧侶には大きな可能性があると思っています。今、日本全国にお寺は30万軒ほどあります。コンビニの数より多いといわれてるんですね。その中の数パーセントでもネットワーク化できれば、かなり力になれるはずです。地域ごとに連絡網を作って「何日何曜日の何時に動ける人はいますか?」と問いかけたらきっと誰かできる人はいますよね。

駆け込み寺の復活
 

相談したい側にとっても、今日だったらあそこのお寺に行けば受け止めてくれそうだ、一緒になって考えて力になってくれる人がいるとなれば、希望が持てると思うんです。

私がイメージしているのは江戸時代にあったといわれる「駆け込み寺」です。当時、困った民衆が助けを求めてお寺に駆け込んだのは、お寺にはいろんな情報が集まっていて、お寺に行けば何とかしてくれると思ったからでしょう。それを現代に復活させたい。

今はいろんな分野ごとに専門家がいて、細かく役割分担がされているため、よろず相談事でお寺に駆け込むことはほとんどなくなりました。例えば生活苦は行政の生活保護の窓口とか、借金問題は弁護士とか。そういう具体的な役割がないとお寺には来てくれないと思うので、「一緒に考える」という時間やノウハウを提供することで、駆け込み寺としての役割を果たせるんじゃないかなと考えてます。

宗教界も助け合うことが大事
 

ただ、現状では難しい面もあります。お寺の住職は、宗教法人の代表なので「一国一城の主」。だから何かをやろうというときにも、自分のお寺で自分を中心にやろうというのが常なんですよ。でも1人だと何かとたいへんだし、そもそも1人でできることは限られています。

「僧侶の会」も、みんなで一緒にやるんだからいいんだと思います。仲間になってくれる人はそれなりに大変なことがあるかもしれないけど、みんなで支え合うから続けていける。だから仲間を募ってお互い支え合いながら活動するということを、お寺の業界全体でやってもいいんじゃないかなと思っているんです。

現在、僧侶として実際に汗を流して自殺対策に取り組んでいる藤澤氏。しかし現状に満足せず、今後も活動をどんどん広げていく方針だ。なぜ無料のボランティアにも関わらず寝る間を惜しんで活動できるのか。藤澤氏を突き動かすものは何なのか。彼にとって仕事とは何か、何のために働くのか──。

激務の3年間
 

ここ3年(2006年4月から2009年4月)はとにかく忙しかったですね。IT企業のサラリーマンだったときも激務でしたが、それ以上に忙しくなりました。

ライフリンクの仕事だけで手一杯という状態でしたが、もっと自殺問題に関わりたいと思って、自殺の電話相談員の仕事も2つの機関で同時並行でやって、それとは別に「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げましたから。二日連続の半徹夜なんて当たり前でした。

しかもライフリンクは最初の1年間はまったくの無給で、同時並行して行っていたビフレンダーズなどの電話相談も完全なボランティアなので、サラリーマン時代の貯金をかなり食いつぶしてきました。

社会に開かれたお寺に
 

確かに仕事にもいろいろあって、お金になる仕事とならない仕事があるわけですが、お金になるかならないかは最重要事項ではない。甘いかもしれないけれど、お金は後からついてくるものだと思ってます。例えばですが、今のところ、「僧侶の会」にはあまりお金がありませんが、今よりももっと活動の規模を大きくしていったときに、賛同していただける方が増えて寄付をいただけるっていう可能性もあるんじゃないかなと思っているんです。

でも思えば、お寺の活動ってそもそもそうあるべきなんじゃないかなと思います。一般のお寺の多くはご門徒(檀家)さんからお布施をいただいて、お寺としての活動を支えてもらっています。つまり、ご門徒さんとのつながりの中だけで活動をしているわけですが、将来的には私が住職になるこの安楽寺は、ご門徒さんを大切にしながら、かつ、社会に対して開かれたお寺にしていきたいと思っているんです。そして、賛同していただける方が増えてくれればと。まだ具体的には分かりませんが、例えば、困っている人がいつでも相談することのできる「駆け込み寺」などに。今は「公益性」が宗教法人に求められている時代なので、その社会ニーズにも応えられるのではと思っています。

辞めようと思うほどつらいことはない
 

いろいろと大変なことはありますが、これまで自殺対策の活動を辞めたいと思ったことはないですね。

それはライフリンクで仕事をさせてもらったことが大きく影響しています。ライフリンクでは自死遺族の方と接する機会が多々あるのですが、その当事者のつらさ、苦しみたるや、私がいくらつらい、苦しいと感じたところで、到底足元にも及ばないレベルのものなんですよ。

とにかく、遺族になった人たちの苦しみ、悲しみは聞けば聞くほどすごい。彼らはその大きなつらさや苦しみを抱えながら、一所懸命生きている。だから私もいろいろとつらいことはありますが、泣き言なんて言ってはいられない、悲しんでなどいられない、こんなことくらいで挫けちゃいけないと思いますね。

何がつらいかっていうと、仕事が重なって思うように時間調整ができないことが私にとってはつらいですね。例えばライフリンクで担当している仕事の納期が迫っているのになかなか片付かないような時でも、ビフレンダーズの電話当番に出掛けなくてはいけないことの方がよっぽどつらい。ストレスって人によって違うんですよね。私の場合は、ビフレンダーズの電話相談の仕事があり、ライフリンクの仕事があり、「自殺対策に取り組む僧侶の会」の仕事があり、その関係でいろんな団体から原稿や講演を頼まれたりと、常にいくつかの仕事を同時並行でこなしていますので、優先順位の付け間違いをするとすぐに自転車操業になってしまいます。それがギリギリ何とかなっているうちはいいんですが、たまに、もうどうしようもなくなってしまって、はぁ〜どうしようって、悩むことの方が多いかなあ(笑)。

仕事とは社会の中での役割
 

私にとって仕事とは何か? 「仕事」の定義にもよりますけど、私にとっての仕事は「役割」だと思います。社会の中での役割。人間は社会的な動物なわけで、社会の中で生きていくときに「私はこういう役を引き受けます」と決断し、実行する。それが仕事なんじゃないですかね。

「僧侶の会」の主要メンバーで、ご自身でも長年自殺念慮者の相談に乗っている曹洞宗長寿院の住職・篠原鋭一さんは「キャスティング」という言葉を使っています。僧侶は生き死にの問題に関わって儀式もするし、悩み相談を受けたりするという役割をいただいている、つまり社会の中でキャスティングされているので、その期待に応えるような振る舞いをしようって、「僧侶の会」の中でも篠原さんは言ってくれているのですが、まさにその通りだと思いますね。

仕事のやりがいは心の交流
 

自殺を考えるほど苦しんでいる人や自死遺族と話をする中で、お互いに分かり合えたと感じる瞬間があるんですね。そんなとき、やりがいというか、ああ、この活動をやっててよかったと思います。今って世知辛い世の中じゃないですか。だからこそ心の交流ができたと感じたときの喜びは何物にも替え難いのだと思います。

自殺防止のための電話相談では、自殺を思いとどまらせることもあるでしょうが、それは心が通いあったときの結果であって、あくまで本人が思いとどまってくれるってことなんですよね。本当は生きていたいのに、死ぬしかないと追い詰められてしまった人が、電話相談を通して死ななくていいってことにやっと気が付く。心の交流があってそうなるんですが、そんなときは、気付くことができて本当に良かったねと素直に思います。

やりがいはあるけど生きがいではない
 

今の仕事は生きがいだと言えるか? 確かにやりがいはありますが、生きがいかと問われるとどうかなあ……ちょっとニュアンスが違いますね。自殺対策にうきうきして取り組めるかというと、決してそうではないですしね。

それよりも使命感に近いですかね。苦しんでいる人が目の前にいるから手助けしなきゃと思う。それだけです。

孟子の説に、子どもが井戸に落ちそうになったらどんな悪人でもとっさに助けようとするという「惻隠の情」というのがあるのですが、それと同じですよ。苦しんでいる人を見たらなんとかしたいという気持ちが自然に沸き起こる。それは人間誰しも持っているわけです。目の前に苦しむ人がいるのがわかっていながら放っておく人ってのはいないはずなんですよ。それに、自分がもし井戸に落ちそうになっていたら助けてもらいたいじゃないですか。たまたま支えることができるのだったら困っている人を支えたい。そして、もし自分が困ってしまったら、私は遠慮なく支えてもらいたい。そんな風に思っています。

だから目の前の人が苦しんでいると知った以上は、力になりたい。本来生きたいと思っているはずなのに、生きていかれないと苦しんでいる人たちが、何らかの支援をすることで生きてくれるのであれば、その活動に携わりたいなと思っているんです。

それが今の仕事、私の役割です。やりがいは大いに感じますが、だからと言って役割を果たすということが、そのまま自分の生きがいと言うわけではないんです。私の「生きがい」ってなんだろうな……。人の喜ぶ顔を見ることでしょうかね。人の喜ぶ顔を見ると、こちらが元気をもらえるじゃないですか。そう、それが私の「生きがい」かもしれません。

ビジョンを掲げることが大切
 

私は「僧侶の会」を立ち上げるときに「安心して悩むことのできる社会」というビジョンを掲げました。それから研鑽だけじゃなくて実際に行動する、お互いを認め合うということなどを会の指針として打ち出しています。当たり前のことと思うかもしれないけど、ビジョンを掲げるってことは大切で、それをしないとどうして手紙相談をやるのか、どうして追悼法要をやるのか、気持ちがそろわないわけですよ。ビジョンを掲げながらみんなをやる気にさせるというのがリーダーシップだと思います。

それはまさにサラリーマン時代のプロジェクトマネージャー(PM)としての仕事(※5)と全く同じで、当時の経験が非常に役に立っている、生きているんです。

会社を辞めて仏教界に入る決意をしたとき、私なりの社会貢献を実現したいと考えました。IT業界でのPMの経験と、ライフリンクやビフレンダーズでの経験があって、「自殺対策に取り組む僧侶の会」ができた。実態を正しく理解した上で、自分なりの問題意識から実現すべきビジョンを掲げ、それに向かって進もうとする。一人ではできないことだから、仲間を募って取り組んでいます。いろんな人びとと支え合うことの大切さ、旗を揚げれば人は集まるということが証明できた。だから私の中では業界や仕事は変われども、同じやり方をずっと続けてきたなという思いがあるんです。

※5 サラリーマン時代のプロジェクトマネージャー(PM)としての仕事──藤澤氏はIT企業のサラリーマン時代、有能なプロジェクトマネージャーとして強力なリーダーシップを発揮し、大きな成果を収めていた。詳しくはインタビュー其の1「ハートのあるプロジェクトマネージャー」を参照

目標は1000人のネットワーク
 

私の掲げたビジョンは、「安心して悩むことのできる社会の実現」。それが達成できれば、生き生きと暮らすことができるようになり、結果、自殺する人の数も減るのだと思います。

そのビジョンを達成するための現時点の目標として「自殺対策に取り組む僧侶の会」の目指すことに賛同する僧侶のネットワークを1000人ほどの規模にしたいと思っています。「安心して悩むことのできる社会づくり」という思いを共有でき、しっかりと“いのち”の問題に取り組める同志が1000人集まればいいなと。現在はまだ25人なので気が遠くなるような話なんですけどね(笑)。

でも決して不可能な数じゃないんですよね。宗教年鑑によると現在、僧侶は全国に約30万人いることになっていますが、中には資格だけの僧侶もいるので、実質10万人くらいだろうと思っています。1000人といえばその内のわずか1%です。100人あたり1人という割合で、この問題に積極的に関わってくれて、かつ、お互いに支えあえるような僧侶仲間のネットワークが構築できたらいいな、と思っています。

皆さんは明日にでもそうしろと言うかもしれないけれど、一方で簡単に人の輪を広げたくないとも思っているんです。正直言って実態をわからないまま自殺問題に関わるのは二次被害を生む危険性があるし、志が同じじゃないと一緒にできませんからね。僧侶だからという理由だけで関わってもらったら困るわけですよ。一緒に活動するにあたり、どういう“想い”で関わろうと考えているのかを確認しあってから、方向性が同じだと思えたときに限って、活動に参加してもらうようにしています。

死にたくて自殺する人はいないという実態がわかっていて、自殺を考えるほど苦しんでいる人や自死遺族たちとどういう気持ちで向き合えばいいかを分かってる僧侶のネットワークが、将来1000人規模になってくれたらいいなと思っています。そして、自殺問題を入り口にした“いのち”の問題、つまり「生きるための支援」に取り組めれば、世の中は随分変わるんじゃないか、きっと良くなるんじゃないか、それが私の目論見で、10年後くらいにそうなったらいいなと思っているんです。


 
第1回2009.4.6リリース IT企業の敏腕サラリーマンから 自殺対策に取り組む僧侶に転職
第2回2009.4.13リリース 自殺防止の電話相談員として 苦しむ人に寄り添う
第3回2009.4.20リリース 活動を通して得た大きな気付き 「救ってやる」は間違いだった
第4回2009.4.27リリース 安心して悩める社会を目指して「僧侶の会」設立
第5回2009.5.4リリース 仕事は社会の中での役割 生き甲斐とは違う

プロフィール

ふじさわ かつみ

1961年神奈川県出身。安楽寺副住職。
早稲田大学卒業後、IT企業に就職。21年間に及ぶサラリーマン生活を経て、NPO法人自殺対策支援センターライフリンクの活動に従事。また、NPO法人国際ビフレンダーズ東京自殺防止センターの電話相談員としても、自殺したいほどつらい思いを抱える相談者の気持ちに寄り添う活動を行っている。2007年5月、「安心して悩むことのできる社会の実現」を標榜し、「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げ、代表に就任。自死に関する悩みを手紙で受け付ける「自死の問い・お坊さんとの往復書簡」や、自死遺族のための追悼法要などを開催している。浄土真宗本願寺派東京教区自死問題専門委員として仏教界への啓発、提言も積極的に行っている。

【関連リンク】

 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
●河出書房新社
●魂の仕事人ブログ

 
魂の言葉 魂の言葉 ビジョンを掲げ一緒にやろうという気持ちでつながる ビジョンを掲げ一緒にやろうという気持ちでつながる
 
ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ氏インタビューへ

TOP の中の転職研究室 の中の魂の仕事人 の中の第39回 「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 藤澤克己-その5-仕事とは社会の中での役割