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魂の仕事人 第39回 其の三
自殺問題は国家の問題 自死遺族との交流で 取り組み方が変わった
日本における自殺者は11年連続で3万人を突破した。この社会問題を何とかしたいと自殺対策の世界に飛び込んで丸3年。電話相談業務では、数百人の自殺したいと思うほど苦しむ人の魂の声に耳を傾けてきた。さらに自死遺族との交流を通して、当初の動機が間違っていたと思い知らされた。この重大な気付きが、「自殺対策に取り組む僧侶の会」の設立に繋がっていく。  
「自殺対策に取り組む僧侶の会」代表 安楽寺副住職 藤澤克己
 

「11年連続で3万人以上」の異常事態

 

日本の年間の自殺者は11年連続で3万人を超えました(1998〜2008年)。毎年3万人というとあまりピンとこないかもしれませんが、ものすごい数なんですよ。東京マラソンの参加者とほぼ同じだというとイメージが湧くでしょうか。これだけの人が1年間で自らの命を絶っている。1日に平均すると90人です。

当然ですが、一人ひとりに名前があり、家があり、仕事があり、生活があり、いろんな人間関係の中でその人ならではのかけがえのない人生を送っている。自殺で失われているのは、その、ふたつとして同じものはない命だということを忘れてはなりません。

また、自殺予備軍や未遂者はその10倍以上はいると言われています。この日本において、年間30万人、毎日1000人もの人が自殺を試みているんです。自殺未遂者はなんとか立ち直ろうとしても社会の偏見で社会復帰が難しいから、また自殺したくなってしまう悪循環に落ち込んでしまう人もたくさんいます。

さらに、自殺問題は遺された家族たちの問題でもあります。悲しみやつらさは時間が経っても決して消えることはありません。ひとりの自殺者が出たらその周りで深刻な心理的ダメージを受ける人は少なくとも5〜6人はいると言われていますので、年間の自殺者は未遂者を含めて30万人だから150〜180万人、10年間で約2000万人にも上るわけですよ。自殺でつらい思いをしながら悶々と生きざるをえない人がこれだけいる。まさに社会とか国レベルの問題なんですよ。

500人以上の悩める人に対応
 

その社会問題を何とかしたいという思いで自殺対策に関わり始めたわけですが、自殺防止という目的で行っているのが、自殺念慮者の相談に耳を傾ける電話相談業務です。3年前から行っていて、月に計5回、1日の相談時間は4時間で5〜6人ほどの相談に応じています。時間は相談者によってまちまちで、5分、10分で終わることもあるし、1時間半、2時間くらいかかってしまうこともあります。最長は3時間ほどですね。だいたい平均すると1人40〜50分くらいです。電話相談をやり始めてこの3年間で対応した総数は約5〜600人だと思います。

これまでの電話相談で強く心に残ってるケースですか? う〜ん……これまでに何百人も受けてますが、これが特別っていうのは特にはないですね。みんな特別でみんな特別じゃないって感じです。一人ひとり、事情が違うんですが、みんなひとつやふたつの理由じゃなくて、いろんな理由が重なってるし、事情を聞いてくと、それは死にたいと思ってもしょうがないって話ばかりですから。あんまり「この人が特別」って感じじゃなくて、みんな同じように沢山の悩みを抱えこんでいるっていう感じなんですよね。

つらさはみんなで分かち合う
 

確かに死にたいという人ばっかりの電話相談を受けているわけなので、つらくなることも時にはありますよ。電話してる最中に、もしかしたら自殺されてしまう危険性だってあるわけです。もしそうなったらとてもショックですよね。だからそういうことを含めて気持ちが重たくなったときには、隣の相談員に「ちょっと聞いてください、今、相談者からこんな話を聞いてね、こんなにつらくなったんです」と話したりして、相談員同士でつらい気持ちを分かち合うことにしているんです。ビフレンダーズにはそういうルールがあるんですよ。

そのため、電話相談は複数人で行います。つらい気持ちを自分ひとりで抱えちゃうとますます苦しくなるけど、仲間がいたら自分の気持ちを吐き出して、仲間に知ってもらうことによって、つらい気持ちが少し楽になる。それで今のところ大丈夫ですね。仲間に支えられてる感がありますから、安心して自殺念慮者の電話相談に取り組める。仲間がいるということはそれだけで大きな支えになるんです。この点が組織で自殺防止に取り組むことのメリットですね。

共感と同化は違う
 

もうひとつ、ビフレンディングをする上で大切なことがあるんです。それは、共感と同化は違うということをはっきりと自覚することです。相談者に共感はするべきだけど、同化はしちゃダメなんです。相談員はあくまでも相談者の気持ちに寄り添うべき=共感するべきであって、相談者の気持ちを勝手に自分のものと一緒にしちゃう=同化するのは、極論すれば相談者に対する冒涜なんです。つらい話を聞いたからといって勝手に相談者に同化して気持ちがわかった気になったり、つらくなったりするのは相談員の思い上がり、おごりなんだと思ってます。だってつらい体験をしてるのは、あくまで相談者本人であって相談員ではないですからね。

だから相談者の話を聞いて「あなたのつらい気持ちはわかった」なんて絶対に言えないわけです。「わかる」わけがないですから、他人の本当の気持ちなんて。その代わりに「こういうことなんじゃないかなと私は受け止めたけど、合ってますか?」と確認しながら「わかろう」とするようにしてますけどね。

あくまで、「あなたの気持ち」と「私の気持ち」は別のもの。それぞれ独立した個と個で対等な関係の上で話を聞いているわけです。そこは電話相談の訓練から実戦を重ねていく過程で段々わかってきました。「あなたの気持ちはこういうことですよね、私はそのことに関してこう思うけど、つらいのはあなたです」と。だから私自身はつらくならないで済んでいるんじゃないかなと思いますね。

こうした活動を通して、藤澤氏の中で大きな気付きがあった。それは同時に自殺対策に関わる上で非常に重要なことだった。

「救ってやろう」は間違いだった
 

IT会社を辞めて僧侶になろうと思ったとき、せっかくやりがいのある仕事を辞めるのであれば、僧侶として全力で取り組めるテーマを見つけたいと思って探したところ、自殺問題にめぐり合えた。当初は、電話相談員になって死にたいと思う人を救ってやろうという、今思えばおごった気持ちがあったんです。正直言って、その頃は自殺する人は卑怯とか弱いという偏見をどこかでもっていたからだと思います。

でもそれは大きな間違いだった。決してそうじゃない。自殺する人は弱くもないし卑怯でもない。ましてや私に救えるものではない。私には、自分で助かろうとする人を見守ることしかできないんだということを、自死遺族や電話相談に掛けてくる人の話から痛感するようになったんです。

一瞬で「あの日」に戻る
 

ライフリンクの事務所では自死遺族の方と一緒に働く機会があるのですが、3万人署名の仕事(※1)をしたときに60歳くらいの男性のご遺族がボランティアで手伝ってくれたことがありました。その方があるときこう話してくれたんです。

「藤澤さん、もう娘を亡くして7年経つんだけどね、自分の中に“スイッチ”があって、突然スイッチが入っちゃうことがあるんだよ。一瞬にして娘が自殺したときの状況に戻っちゃってね、そのときの情景や心情とかいろんなことが思い浮かんで、涙がどーっと流れてきて止まらなくなっちゃうんだよ、ときどきね。藤澤さん、わかる?」

つまり、遺族が身近な人の自殺を受け止めて、その事実と一生付き合っていかねばならないということを改めて知らされたんです。普段は大丈夫にしてるけど、急に思い出されて涙を流して泣いてしまうんだと言ってるわけですよ。非常にしっかりした気丈な大人の男がですよ。女性が泣くのはなんとなくイメージできていたんですが、男の人が涙を流して泣くというのは想像できていなかっただけに衝撃でしたね。

この方の話を聞いたとき、「わかっていませんでした。申し訳ありませんでした」という気持ちになったと同時に、人を救うなんて自分じゃとてもできないことなんだ、自分なんかの手の届かないことなんだと思い知らされたんです。これが私の中で気づきの大きなきっかけとなりました。

※1 3万人署名の仕事 自殺対策基本法成立のための署名活動。詳しくはインタビュー其の1を参照

『自殺って言えなかった』
 

また、『自殺って言えなかった』(※2)という本があるんです。自殺で父親・母親、主に父親を亡くした高校生や大学生の遺児たちの手記集です。

遺児たちはみんな親の自殺に打ちひしがれて、自分は世界一不幸だと思ってしまうのですが、この本の中に、彼らがどうやって親の自殺のショックから立ち直ったのかが書いてあるんです。

親を亡くした子どものための学資支援と心のケアを行っている「あしなが育英会」(※3)という団体があって、毎年夏に泊りがけでキャンプに行くんです。サポートを受けている遺児たちは全員参加で、そのキャンプの中で自分の親はどうして亡くなったのかを話す時間があるそうなんです。

みんな、病気や事故などいろいろな理由でお父さんやお母さんを亡くしている。その中でも親が自殺してしまった子どもは、親が自殺で死んだとはなかなか言えないんですね。キャンプ生活で仲良くなったけど、みんなの前でそう告白したら、「『あいつの親は自殺で死んだから弱いやつだな』と思われるんじゃないか」と思ってなかなか言えない。話す順番になったけどなかなか言い出せなくて、長い沈黙が続き、やっと5分くらい経ってから自殺の「じ」が言えたっていう子どももいたそうです。でも思い切って自殺だったと告白して、「もうダメだ、もうこれでみんなから相手にされなくなる」と思うんですが、話し終わったあと、みんなが集まってきて優しく受け止めてくれるんです、「つらかったね」と。それによってやっと受け入れてもらえる、自分はひとりじゃないと気付けて、つらい親の自死という事実を受け入れて、立ち直るきっかけをつかむ。そういったことが書かれてあるんです。

まさに衝撃的でしたね。このような手記を読んで、誰かが救ってやるんじゃなくて、本人が勇気を出して告白して、みんなに受け入れてもらうことを体験することによって、やがて立ち上がっていくんだと教えられたんですね。

この本を読んだときも「知らなくてごめんなさい」という気持ちになりました。遺児が勇気を出して書いてくれた手記から、私なんかが彼らを救うなんておこがましいにもほどがあると思い知らされたのです。

※2 『自殺って言えなかった』──小学生から大学生まで、18人の自死遺児たちが思いをつづったはじめての手記集。あしなが育英会から奨学金を受けている大学生、専門学校生で組織する自死遺児編集委員会が、自分たちの「思い」をまとめた。自死遺児編集委員会、あしなが育英会編集/サンマーク出版。詳しくはこちら

※3 「あしなが育英会」——何らかの理由で親を亡くした子どもの「自助・自立」をサポートしている団体。これまで6万人の遺児の「進学支援」と「心の支援」を行っている。公式Webサイトはこちら

死にたくて自殺する人はいない
 

電話相談でも大きな気付きがありました。死にたいと電話をかけてくる人の話をよくよく聞いてみると、ひとりとして命を粗末にしている人はいないんですよ。本当はみんな死にたいのではなくて、生きていくのがつらいから死ぬしかないと思いつめているだけであって、死を望んでいる人はひとりとしていないんです。

実際に、死にたいと電話をかけてきた人に「あなた、本当は死にたいとは思っていないんじゃないですか?」と聞くと、相手は「いや、死にたいんです」と答えます。でも「死にたいと言うけど、それは生きていくのがつらいってことなんじゃないですか?」と聞きます。そうしたらしばらく沈黙した後、「そう言われてみれば、そうですね。生きていたくないんですよ。消えたいとか逃げたいとかそういうことであって、確かに死にたいんじゃないですね」と、ほぼすべての人が答えます。

言葉としては死にたいと言うけれど、「逃げたい」、「消えたい」、「生きていたくない」、といった気持ちですよ。「死にたい」と「生きていたくない」は似てるけど違います。それを死にたいとしか言えないんです。追い詰められて言葉が見つからないんです。本当はみんな生きていたいんです。

縁起の法
 

ではなぜ、死にたくて自殺する人はいないにも関わらず、年間3万人もの自殺者が出てしまっているのでしょうか?

お釈迦様の教えの中に「因縁生起=縁起の法」というのがあります。「因」と「縁」によって「果」が生じる。原因となる「因」と条件となる「縁」、それらが折り重なって結果が導き出されるという教えです。

この教えがまさにその答えのヒントで、死にたいと思う気持ちは突然起きるのではなくて、いろんな原因が積み重なって、死にたくなるんですね。これまでいろんな相談を受けてきた中で、いじめにあってるとか、親からお前なんか生まなきゃよかったと言われてるとか、虐待を受けてるとか、借金を抱えているとか、いろいろ悩みの元があるわけです。そういった悩みの元がもしなかったらどうしたい? と聞くと「生きていたいです」と答えるわけです。

自殺念慮者のほとんどはこのような悩みの元、原因がいくつか重なって、死にたいという気持ちになってしまうんです。

例えば、私が電話相談を受けた中でこんな人がいました。家庭をもつ中年のサラリーマンの男性が会社の都合で突然解雇されるんです。収入が断たれてしまったので、奥さんには内緒で消費者金融から借金をする。最初は一社だけだったのが次の就職先が見つからないので、返済のために別の消費者金融からお金を借りる。いわゆる多重債務状態になってしまうんです。すると雪ダルマ式に借金が増え、やがて借金取りが家まで取り立てに押しかけてくるようになってくる。家庭の中はぎすぎすした感じになり、夫婦仲も悪くなって離婚、子どもにも会えなくなってしまう。生活苦、借金苦に加え家族もバラバラになってしまったことで、うつ病を発症。それでも容赦なく借金の取り立てが続く。精神的にも経済的にも絶望してしまい、死にたいと思うようになってしまった。そういう方がいました。

またある人は、働き過ぎから病気になってしまい、会社を辞めざるをえなくなった。治療に専念するけどなかなか治らず、そのうち貯金が底をついてしまう。そこで役所に行って生活保護を申請するのですが、「あなたは頑張れば働けるでしょ。生活保護なんて受けないで頑張りなさい」と拒絶されてしまったんです。働きたくても働けない、貯金もなくなり、唯一の生きる望みだった生活保護も却下されたことで生きる望みを失い、死にたいという気持ちを持ってしまった。そういう方もいました。

障害を取り除いてあげるだけ
 

こういう人たちの話を聞いて「自殺する人は精神的に弱い」とは私には思えません。話を聞いてみて、このような状態になった時に、死にたいと思わない方がむしろおかしいんじゃないか、いろんなことが積み重なってうつ病になったとしても、その方が反応としては健全なんじゃないか、とさえ思えました。

先ほど言った「縁起の法」が私たちに教えてくれるのは、「因を滅せば、果は滅す」ということでもあります。つまり、原因となるもの=「死にたいと思うほどの悩みの元」を取り除けば、結果は変わる=「自殺をせずにすむ」ということなんです。

つまり、自殺したいと電話を掛けてくる人は、なんとか生きようと思っているのに、それを邪魔しているものがあるわけです。それを取り除いてあげさえすれば、本人が自分の力で立ち上がるということなんです。それを手伝うのが、ビフレンダーズという言葉に表れているように“Befreinding”「友達になる」ということだと思ってます。

決して私が救うということではないんです。ここに気付けたのは本当に大きかったと思います。

電話相談員としての活動や自死遺族の体験談を通じて、次第に独自の自殺対策のコンセプトが固まっていった。それはやがて自らの団体を立ち上げるモチベーションへと変換されていく。

安心して悩むことができる社会の実現
 

それまでの活動を通して、私なりの自殺対策キーワードは「安心して悩むことのできる社会づくり」に決まりました。

つらく苦しい気持ちにふたをして、前向きに明るく考えようと無理をすれば、心がポキッと折れてしまう危険性が高いと思ったのです。安心して悩むことがとても大切だと思ったのは、そうすることで、人間のもつ回復力が発揮され、やがて立ち直っていくことができると思えたからです。そして残念なことに、この社会には安心して悩むことのできる場がほとんどないと改めて気づいたので、安全地帯を作っていくことを目標にしようと思ったのです。例えば、一般の世間に比べてかなりの安全地帯であるはずの「あしながの集い」の自死遺児ですら、なかなか自分の正直な気持ちを言えなかったわけです。「あしなが」のようなコミュニティをもたない世の中一般の自死遺族の人たちは、なおさら言う場がないわけです。

また、現在死にたいほど悩んでいる人も同じです。死にたいなんて言うと、お前は負け犬だ、もうダメと社会から排除されてしまいかねません。会社でも非常に精神的、肉体的につらいときに、「今つらいからこの仕事はできません」とは現実問題としてやっぱりなかなか言えないですよね。そう言ったら最後、もうあいつはダメだと言われちゃうような社会。だからつらくても無理して仕事を続けちゃう。その結果、精神的にも体力的にも追い詰められ、うつ病になったり、限界を超えて自殺してしまう人もいる。

でも、いろんな要素が悪い連鎖を起こして自殺しなくちゃいけないような社会は、やっぱりどこかおかしい。今はちょっとつらいから勘弁してくださいって無理なく言えるような社会、自分の身内は自殺で亡くなって淋しいと抵抗なく言えるような社会になればいい。そのために、自殺したいと思いつめている人や自死遺族の人たちが、自分の気持ちを安心して話せる場、その思いを受け止められる場を作らなければいけないと思うようになったわけです。

困っている人のために
 

私が個人的に活動するだけなら、それまでの経験で知ったことを私だけのものにしていればいいけど、それでは自己満足で終わってしまい、とても安心して悩むことのできる社会作りなどできません。

そればかりか、私が知ったことを広く正しく伝えないと、それを知らずに「救ってやろう」と思う人による二次被害が生まれてしまう危険性もあります。

それは私のためじゃなくて、困っている人のためにやらなくちゃいけないことなんだと思いました。ライフリンクの清水代表がよく言うように、自死遺族や自殺念慮者からいのちのバトンを受け取った気がするんですよ。「私たちの気持ちはちゃんと藤澤さんに伝えたよ。つらいけど心を開いて本当の気持ちを打ち明けたのは、ちゃんと自殺対策に取り組んでもらうためだからね。後は頼んだよ」というメッセージを託されたと。

そのとき、「自己満足のために自殺対策に取り組むんじゃなくて、必要としてる人のためにやらなくちゃいけない」と思ったんです。だから、いつもつらい目にあっている人たちのために、私の知ったことを私だけのものにせず、知るべき人にきちんと伝えなきゃいけない、恥ずかしがってちゃいけない、と思ったわけです。

人知れずの活動では不十分
覚悟を決めて手を挙げる
 

日本では善行は人知れずやることが美徳とされていますよね。世間には人知れず善い行いをやってる人もたくさんいるでしょう。人知れずやるのは、それはそれでいいことだと思います。自分の周りにいる人は喜んでくれるでしょうし、それによって何人かの方が助かるとは思うからです。

だけど、自殺対策としての関わり方はそれでは不十分なんです。人知れずやってると、助けを必要とする人には届きません。私のための活動ではなく、困っている人、助けを必要としている人のための活動ですから、人に知られて行うことにこそ意味があると、私は思っています。

また、助けを求める人に活動の存在を知ってもらうためには、ひとりでやるのには限界があります。そもそも1人ではたいしたことができないんですよね。これもライフリンクの清水代表の言葉ですが、「一人ひとりは微力だけども決して無力ではない。繋がりあうことによって1+1=2じゃなくて3にも5にもなる」。ライフリンクのモットーに「新しいつながりが新しい解決法を生む。」っていうのがあるんですよ。ある問題をなんとかしようという同じ思いの人が少しずつでも集まれば大きな力になる。私が取り組みたいと思っていることに賛同してくれる同志が集まれば、1人でやるよりも比較にならないほどの大きな力になって、人や社会に対する影響力も強くなる。

だから1人で人知れずやるのではなく、助けを求めている人に知ってもらうために、覚悟を決めて「ここに自殺対策をやってる人がいますよ」と手を挙げることが大事だなと。そして、私は僧侶として自殺の問題をなんとかしたいと思っていたので、僧侶の仲間を集めて自殺問題に取り組む団体を作ろうと決意したわけです。

 

ビフレンダーズやライフリンクでの活動で、死んでしまいたいと思うほど苦しんでいる人や自死遺族の魂の叫びを聞くことによって、自殺問題に取り組むための独自の団体の立ち上げを決意した藤澤氏。まずは身の回りの僧侶に呼びかけたところ、彼の思いに賛同した僧侶たちが宗派を超えて続々と集結した──。

次回は「自殺対策に取り組む僧侶の会」設立までの経緯と、現在取り組んでいる活動について詳しく語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回2009.4.6リリース IT企業の敏腕サラリーマンから 自殺対策に取り組む僧侶に転職
第2回2009.4.13リリース 自殺防止の電話相談員として 苦しむ人に寄り添う
第3回2009.4.20リリース 活動を通して得た大きな気付き 「救ってやる」は間違いだった
第4回2009.4.27リリース 安心して悩める社会を目指して「僧侶の会」設立
第5回2009.5.4リリース 仕事は社会の中での役割 生き甲斐とは違う

プロフィール

ふじさわ かつみ

1961年神奈川県出身。安楽寺副住職。
早稲田大学卒業後、IT企業に就職。21年間に及ぶサラリーマン生活を経て、NPO法人自殺対策支援センターライフリンクの活動に従事。また、NPO法人国際ビフレンダーズ東京自殺防止センターの電話相談員としても、自殺したいほどつらい思いを抱える相談者の気持ちに寄り添う活動を行っている。2007年5月、「安心して悩むことのできる社会の実現」を標榜し、「自殺対策に取り組む僧侶の会」を立ち上げ、代表に就任。自死に関する悩みを手紙で受け付ける「自死の問い・お坊さんとの往復書簡」や、自死遺族のための追悼法要などを開催している。浄土真宗本願寺派東京教区自死問題専門委員として仏教界への啓発、提言も積極的に行っている。

【関連リンク】

 
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