タツノコから離れても結果を出せることを証明したくて、『赤い光弾 ジリオン』という全31回のテレビアニメシリーズの制作を、フリープロデューサーとして独自のチームでやりたいと思ったんです。
やるなら最高のものを作りたいと思って、86年の大晦日から正月にかけての4日間で、これまで一緒に仕事をしてきた優秀なアニメーターやスタッフを口説いて回りました。そうしたらみんな快諾してくれて、最高といえるチームができたんです。
どうやって説得したか? 「やってくれ」。それだけですよ。必ずやってくれると思ってました。これまで一緒に仕事をしていく中で、そういう信頼関係ができてたと思い込んでましたからね。
だけど、みんなを説得する時点では、まだ『ジリオン』がやれる保証はありませんでした。だからこそ、タツノコを説得するために、当時最高といわれてるスタッフを集める必要があったんです。
それで正月明けにタツノコに「『ジリオン』をやらせてください」って直談判したんですが、タツノコはなかなか首を縦に振らなかった。最高のスタッフを集めただけじゃなく、制作費も通常では1000万くらいかかるところを580万でやる、赤字が出た分は全部自分がかぶるとまで言ったのに。
タツノコが大事なのは作品じゃなかった。タツノコは保守的になっていたから、もっとタツノコの自由になるようなプロデューサーやスタッフにやらせたい、だから石川にはやらせないと。
デニーズでその話を聞いたんですが、もうボロボロ泣きましたね。大人ってほんとに醜いなって。人前で悔しくて泣いたのは後にも先にもこのときだけですよ。
でもその後、タツノコの中の石川肯定派が上層部を説得してくれて、結局『ジリオン』の制作を請けられることになったんです。もちろん僕自身もどうしてもやりたいんだというメッセージはタツノコに送ってましたから熱意が伝わったというのもあるでしょうが、それよりも、周りの人間が押し上げてくれたんだと思います。いつもそうです。20年間ずーっと周りの人間に助けられているんですよ。 |