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第22回
臼井二美男氏インタビュー(その4/全5回

臼井二美男氏

いい義足を作るのに必要なのは
技術ではなくコミュニケーション
理想とするのは「血が通う義足」

義肢装具士臼井 二美男

義足をつけたままもう一度走る喜びを味わわせてあげたい──。臼井氏の熱い思いで始まった「ヘルス・エンジェルス」は年を追うごとにメンバーが増え、ある程度レベルが上がってくると、選手を障害者の陸上競技大会に出場させるようになった。中には日本人で初めてパラリンピックに出場する選手も現れる。臼井さんにとって忘れられない義足のひとつも、そのときの選手用に作った義足だった。

うすい・ふみお

1955年群馬県生まれ。義肢研究員・義肢装具士。大学中退後、8年間のフリーター生活を経て28歳で財団法人鉄道弘済会・東京身体障害者福祉センターに就職。以後、義肢装具士として義足製作に取り組む。
89年、通常の義足に加え、スポーツ義足の製作も開始。91年、切断障害者の陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」を創設、代表者として切断障害者に義足を装着してのスポーツを指導。やがてクラブメンバーの中から日本記録を出す選手も出現。2000年のシドニー、2004年のアテネパラリンピックには日本代表選手のメカニックとして同行する。
通常義足でもマタニティ義足やリアルコスメチック義足など、これまで誰も作らなかった義足を開発、発表。義足を必要としている人のために日々研究・開発・製作に尽力している。 その類まれなる技術力と義足製作の姿勢でテレビ出演等多数。

忘れられない義足

スポーツ義足の中で特に印象に残っているのは、2000年のシドニーパラリンピックの走り高跳びに出場した鈴木徹(注1)くんの義足かな。

写真:鈴木徹選手と臼井氏

そのとき作った義足が本格的なスポーツ義足の最初の作品なんです。本番までにかなり苦労したんですよ。鈴木君もその当時20歳と若かった上にパラリンピックに出るのは初めてだし、僕も作るのは初めてだったから。お互い経験が少なかったから、いい記録を出すための義足がどういうものなのか、切断部に合ってるのか合ってないのかの微妙なところなどがなかなかわからなかった。1年で何度も作り直したりいろいろやってね。ほんとに毎日が試行錯誤の連続でした。

ああでもないこうでもないとやってる間にパラリンピックが始まっちゃって。慌ててシドニーに乗り込んだって感じでしたね。結果は6位入賞でした。日本人として初めてパラリンピックの走り高跳びに出場しての6位だから悪い結果ではないのですが、鈴木君も僕もとても悔しかったですね。本来の実力ならもっといけるはずでしたからね。

一番大変だったのは、鈴木君の気持ちと義足の調整を図ることでした。鈴木君はナーバスになったときや記録が出ないときは原因を義足に求める傾向が強かったんですね。こちらから見れば義足には問題はないんだけど、どうしても義足に目がいっちゃう。その辺の気持ちと義足の調整をうまくやって本人の気持ちを落ち着かせるということがたいへんでした。鈴木君に限らず若い選手はだいたいみんな同じです。まだ精神的に未熟だからしょうがないんですよね。

写真:臼井氏の作った義足で世界記録を出した鈴木徹選手(写真提供/臼井氏)

選手から義足に問題があると言われたときには、とりあえず「よしわかった。義足をなんとか調整する」って言うんですが、実は大したことはやらないんです(笑)。でもこの効果は結構大きくて「任せろ。なんとかしてやる」と言うと、選手の気持ちも前向きになって調子が上がったりするんですよ。プラセボ効果(注2)のようなものですね(笑)。

注1──鈴木徹 高校時代はハンドボールの国体選手として活躍。その後筑波大学に推薦入学が決まるが、卒業直前に交通事故で右足膝下を切断。リハビリのため入所した東京身体障害者福祉センターで臼井氏と出会い、走り高跳びを始める。陸上競技を開始してから3カ月でシドニーパラリンピックの大会参加基準を越え、日本人初の走り高跳び選手として出場を果たす。シドニーパラリンピック、アテネパラリンピックでは6位入賞に留まるが、パラリンピックワールドカップ、ヨーロッパ選手権では銀メダルを獲得。 2006年のジャパンパラリンピックでは世界2位となる2mを記録。現在は日本人初にして唯一のプロの障害者アスリート。

注2──プラセボ効果 有効成分を含まない偽薬でも「これはよく効く薬ですよ」といって渡されて服飲すると症状が改善されることがある。一種の自己暗示による効果。

リアルな義足

一般の義足では、2005年に開発した「リアルコスメチック義足」が思い出深いですね。

ある女性の要望で作ったリアルコスメチック義足。従来の義足に比べてリアル度が格段にアップした(写真提供/臼井氏)

作ろうと思ったきっかけは、片足を失った20代の女の子が「もう一度ミニスカートを履きたい」と言ったことです。特に大腿部から切断した人は義足が大きくなっちゃうし、今までの義足だと色とか見た感じでどうしても義足とわかっちゃうから、なかなかおしゃれできないんですよね。スラックスやパンツ、スカートでも足首まであるロングスカートしか履けない。本当は履きたいのに。だから、膝上切断でもミニスカートが履けるような義足を作ろうと思ったわけです。

実際は表面を皮膚のように見せるためにシリコンで覆ったり、形状もなるべく本物の足に近づけるように型を取ったり仕上げたりしました。

できあがったものを見せたらまずはびっくりしてましたね。「うわあ、気持ち悪い!」って(笑)。でも装着したら「これでミニスカートが履ける」って喜んでました。

そのときの様子がちょうどいいタイミングでテレビで放映されて、その後大阪の女の子とか名古屋の女子高校生とか全国から問い合わせがけっこう来て、これまで6人に作りました。中には泣いて喜ぶ女の子もいましたよ。一年中その義足でミニスカートを履いてる子とかね。そういうのを見るとうれしいですよね。

マタニティ義足

また最近では「マタニティ義足」も開発しました。妊娠している間の、例えば妊娠5カ月くらいから履いて、出産までちょうど5カ月間くらい履ける妊婦用の義足ね。

世界初のマタニティ義足。ソケット部が柔らかい素材でできているので妊娠していても着けられる (写真提供/臼井氏)

これも実際に相談を受けて作りました。大腿部から下が義足の女の人が妊娠して、心配になって相談に来たんです。5カ月後を考えると不安だって言うんです。おなかが大きくなって義足が合わなくなっちゃったらどうしようって。できるだけ夫とか親とか家族の面倒にならないで、義足を履いていたいと。男の人にこんな相談するのは恥ずかしいんだけどって泣いてましたね。

すごく思いつめているようだったからなんとか作ってあげようと思ったんですが、過去に例がないですからね。文献にもないし。ヨーロッパとかアメリカでは妊娠したら車椅子、日本だったら義足を外して松葉杖だけで生活していたり、いろんなことを我慢しなきゃいけなかったんです。東南アジアの人になると、義足そのものを持ってなかったり。

ゼロから作るのは難しかったですが、試行錯誤の末できたときはうれしかったですよ。何より相談に来た妊婦さんの笑顔がうれしかったですね。

失敗した義足

当然、うまくいった義足ばかりじゃなくて、失敗した義足もありますよ。

シドニーパラリンピックの100m走に出場が決まった選手がいたんですが、出場前にアメリカに合宿に行ったときに、練習初日に義足が折れちゃったんですよ。合宿場所が南部の州だったから高熱でね。炎天下で気温が30度とか40度になるとグランドの温度はもっと上がる。そうすると義足が熱で柔らかくなって、割れやすくなるんです。

走ると、普段歩く3〜4倍の体重が一瞬で義足にかかるわけですよ。体重70kgの人だったら200kgくらいの重さが一瞬でかかる。ただでさえものすごい重さがかかるのに、そんな炎天下で思いっきり体重をかけたらどうなるか、なかなかイメージが湧かなかったんですよ。

ちなみにその後は現地で義足を修理してもらって練習はなんとか継続できました。初日から練習ができなかったのは痛い経験ですが、過酷な状況下で体重をかけても折れない義足を作るにはどうしたらいいか、真剣に考えるようになったからすごくいい勉強にもなりましたね。

義足を履かざるをえない人のために、ただ足に合う義足じゃなく、一人ひとりの心に合わせて義足を作る。そんな臼井氏が理想とする義足、そしてそれを作るために必要なこととは──。

義足に血が通うまで

僕にとっての理想の義足は、よく「血が通うような義足」って言うんですが、まずぴたっとフィットして履いているのを忘れるような義足。機能的には足があったときと似たような感覚で歩ける。履いている人が日常生活で使って問題ない、痛くなくて傷もできないで、なおかつ壊れない義足ですね。かなり整形のお医者さん的な考えになっちゃうし、今はまだまだですが、せっかく作るんだったらそういう義足を作ってあげたいですね。

また、それにプラスアルファーで愛着が湧くとか、いつも履いていたいと思えるような義足。これはけっこう大事ですね。例えば、僕と相談しながら作り上げていい義足ができたと思うと、やっぱり大事に履いてくれますよね。寝るときも履いたままとか、そういう愛着というか信頼をもってくれたらうれしいですよね。

機能面と愛着、この両方がセットになった義足が理想ですね。親からもらった一つしかない身体だから大事にしよう、というのと似た感覚をもってもらえれば義肢装具士冥利に尽きますね。

女心も配慮して

愛着が沸くという意味では、見た目も重要です。女性の場合は花の絵を描いてあげるとかかわいさも付加してあげたり。そうすると気持ちも明るくなったりしますからね。

だから依頼者には、老若男女関わらず「義足でできることはすべて俺に任せろ」って感じで、要望や思いつくことを何でも言いなさいと言ってます。

想像力とコミュニケーション力が大事

義足を作る上で大事なのは想像力。義足って完全なオーダーメイドなんですよね。それもただ体に合わせるだけじゃなくて、その人の好みとか性格も考慮しないとダメ。見た目は同じでも、履き心地の好みってみんな違うわけですよ。きつめが好きとか緩めがいいとか人それぞれ。最初はそれがなかなかわからずに失敗してました。きついのが好きな人に緩めのを作っちゃったり。

結局、患者さんの望みがわからなければいい義足は作れない。だから一番重要なのは知識とか技術じゃなくてコミュニケーションなんですよね。人の気持ちをどれだけわかってあげられるかが基本にないとダメなんです。

そういう人それぞれの微妙な好みがわかるようになるには、とにかく数をこなして、いろんな苦い経験をしないとダメですね。僕もこれまで患者さんに作った義足が「合わない」って言われて、苦い思いを随分しましたよ。自分としては患者さんのために時間をかけて丁寧に作ったのに、履いた瞬間「こんなの履けねえ」「俺が言ってんのと全然違う」って、義足を投げつけられたこともありますよ。みんなが見てる前でね。こういうことがあると非常にショックで落ち込みます。 難しい患者さんを担当したときは途中で逃げ出したくなったこともありました。

逃げちゃダメ

だけどそこで逃げ出すわけにはいかないんですよね。その人の「足」を作ってるわけですから。合う義足がなかったら、痛くて歩くこともできないし、会社にも行けない。すごく困りますよね。僕は手足があるので本当のつらさは理解できないかもしれませんが、困ったときのことやつらさを想像するんですね。そうするとどんなにうるさい人でも嫌な人でも、この人のために逃げずに頑張ろうと思えるんです。逆に心底そう思えないと、この仕事を長く続けていくことはできないでしょうね。

だからせっかく作った義足を突き返されたときでも、この人が本当に求めているものは何か、立ち止まってもう一度よく考え直します。そしてその人がいいと言ってくれるまで、とことんまで向き合って、何度でも作り直す。だから精神力みたいなものが必要ですね。

そういうことを繰り返していくうちに、だんだん分かってくるんですよね。この人はきつめが好きでいつもぴたっとしていないと納得できないとか、この人は緩めに作って自分で調整したり、イージーに履くのが好きだとか。そういうのがわかってきてからは、患者さんから合わないと言われるケースが減ったような気がします。

ウチは患者さんと直接会って作りますから、でき上がったときはそれなりにいいものになっていると思うんですけど、それでも90点とか100点レベルにもっていくのは難しいですね。

また、技術的な意味での想像力ももちろん大事です。人間の身体ってもともと曲線のラインがきれいなんですよ。そんな生身の人間に機械的な義足をフィットさせるには、ただ合わせるんじゃなくて、美しさみたいなものが頭の中にイメージできないとダメ。そうじゃないとトータルでどこかチグハグになっちゃうと思うんですよ。美しさに対する追求心、こだわりのようなものがあったほうがいいですね。

ただひたすらに、足を失った人がよりよい人生を送れるための義足を作り続ける臼井氏。しかし誰のために仕事をするかと聞いたときに返ってきた答えは意外なものだった——。 次回は臼井さんにとって仕事とは、働くとはどういうことかに迫る。

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