僕がプロボクサーになろうと思ったきっかけは、7歳のときにテレビで見たボクシングの試合でした。
そのときのことは今でも鮮明に覚えています。とにかくものすごい衝撃でした。ブラウン管の向こうのリングがものすごく華やかに見えて、あっち側へ行きたい、今の状況から脱したいと強烈に思ったんですよね。
当時僕はひとつ違いの弟・直樹と福岡の和白青松園という児童養護施設で生活していたんです。僕が生まれてすぐ両親が離婚して、しばらく乳児院で育てられました。その後、母親と一緒に暮らしていたんですが、いろんな事情で弟と一緒に遠い親戚の家に預けられました。僕が6つのころです。しかし、その家では僕ら兄弟は完全に邪魔者扱いされました。
僕らはトイレを使わせてもらえなかったり、ご飯もたまにしか食べさせてもらえませんでした。だから、小学校に上がると一日の食事はお昼の給食のみ。その給食も残して持ち帰って、夕食にしてました。土日は学校がないから近くの川に行ってザリガニやトカゲを捕って食べてました。とにかく毎日腹を空かせてましたね。あまりにも空腹状態が続くと拒食症になっちゃうんですよ。食べたものを胃が受け付けなくなっちゃって。よく学校で吐いたりしてました。
預けられた家のおじさんから虐待もずいぶん受けました。何かにつけてブン殴られてましたからね。殴られ続けて顔が大きくはれてね。死を思ったこともありましたよ。「ああ、俺、もうここで死ぬんだな」って。だからもう、つらいという次元は超えてたね。
でもそこで、「俺死ぬな、もういいや」とはならなかったんですよ。なぜかというと、弟がいたから。おふくろと別れ際に約束したんです。「直樹を頼むよ」「わかった。まかせて」って。
だから小学生ながら、弟の面倒を見なきゃいけないという使命感がめちゃくちゃ強かったですね。俺の命に代えても、直樹だけは守らなきゃって強く思ってた。
だから俺一人だったら、どうなってたかわからない。弟がいたからこそ、あそこで踏ん張れたんですよね。
でも大人に対する不信感みたいなものをかなり感じるようになった。他人に心が開けなかった。これもまた必然なんですよね。そんな生活をしていて信じろって言うのは無理ですよ。同じ同世代の子供たちでも、僕は信じられなかったです、弟以外は。 |