実は僕はね、写真には長いこと全く興味がなかった。なんせ写真を志したのがハタチのころだからね。ただ、今思い返すと、その最初の萌芽というかきっかけはもっと幼い頃、4歳くらいのとき、あの時がそうなのかな、というのがあったりするんです。
僕は秋田出身なんですが、生まれてすぐ、里子に出されたんです。母親は僕を生んで2週間後に亡くなったので、ウチにお乳をくれる人がいなくなっちゃったから。たまたまウチから8キロほど離れたところに、農家で親戚とかじゃなくて全然知らないお宅だったんだけどね、そこに、藤原さんというお子さんを亡くした方がいらして、代わりにというわけじゃないけど僕が預けられた。
僕は病弱だったから何度も死にそうになったらしくてね。そのたびに藤原家の人がウチに返しに来るんだけど、ウチは貧しい家で何もなかったし、お乳を上げる人もだれもいない。だから、死んでもいいから育ててくれって強引に引き取ってもらったらしいんだ。
ところが、4歳くらいになると今度は、「返せ、返さない」って、両家の間でもめるようになった。実の父親が僕を引き取りにたびたび藤原家に来るようになったんだけど、そのたびに藤原家の親父さんともめてたわけね。でも僕はその人が誰だかわからなかった。物心つく前から他人の家に預けられたんだから当然なんだけどね。
あるとき、いつもだったら近所の方が「あのおじさんが来たよ」って裏口から伝令を飛ばしてくれるんだけども、間に合わなかったことがあって、いきなり実の父親が家の土間に飛び込んできたことがあったんだ。僕は藤原家の親父さんに、広い土間の片隅にあった物置の中に閉じ込められた。「出てくるなよ!」って。
真っ暗な物置の中にいても、声は全部聞こえてくるわけだ。「あれほど返しにいったのに、今更何ですか! 死んでもいいって言ったのに何ですか! もうウチの子だ!」とか「何言ってるんだ! この子はオレの子だ!」とか、言い争ってる声がね。
そのときにね、僕は暗い物置の小さな穴から、その様子をじーっと観察してたんだよ。あのおじさんが来るたびに、なんで僕は隠されたり、山へ連れていかれたり、出てくるなって言われたり、何なんだろう、あのおじさんは? って思いながらね。
でも今考えると、これってまさにカメラなんだよね。暗ーい箱の中の小さな穴から外を見るって。
僕ね、それに気づいたとき、ほんとに「これだったのか!」と思ったのね。僕にとってカメラは長いこと何の関わりもなかったのに、なぜ二十歳のときにいきなり始めることになったのか。それを考えていたときに、ふとその光景が頭に浮かんできた。その瞬間、「ああ、そうか!」って。4歳のときにああいうことがあったな、あのときから、すでにレールが敷かれてて……。もっといえば生まれたときから決まってたのかもしれない。僕がカメラマンになるということは。そう思えてきたんだな。 |