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2004年10月の新潟中越地震の皆川優太ちゃん救出劇で一躍注目を浴びたハイパーレスキュー(写真提供:東京消防庁)※画像をクリックすると拡大します |
東京消防庁に入って今年で25年ですが、最初に消防士になろうと思ったのは中学生のころでした。そもそものきっかけは両親から将来の職業として公務員を勧められたからです。父は過去に公務員として働いていた時期があったようなのですが、体を壊して途中で断念したみたいなんです。あまりしゃべりたがらないのですが……だから、やはり息子には自分がまっとうできなかった職業に就いてもらいたかったというのがあったんじゃないでしょうかね。
私も両親を尊敬していましたから、両親の希望に沿える形で生きていきたいと思ってたので、公務員になろうと。高校に入った時点でかなりその決意が固まっていたので、もう大学進学とか考えず公務員の模試ばかり受けてました。
でも公務員といってもいろいろありますよね。何の公務員が一番向いてるかなと考えたところ、やはり、どう考えてもデスクワークは向いてないだろうと。「体を動かして人の役に立てる仕事」がいいなと考えたところ、一番身近に感じたのが消防士だった……というより、自分の性格に一番合ってるのは、消防じゃないかと思ったんです。
今でもそう思ってますが、やはり人の笑顔を見るというのはいいじゃないですか。子供のころからそういう性格的なものはあったんですね。争い事はあまり好きじゃなかった。体を使う仕事には他に警察官とかもありますけど、自分の性格に合わないんじゃないかって思ったんです。警察官ていうのは、人の役に立ってるというのが分かりやすいじゃないですか。犯人を捕まえたりするとすぐ大々的に報道されるし。
しかし消防というのは、あまり表に出ないというか、人の見ていないところでの地道な活動ですから。私は性格的に、自分からアピールして分かってもらうんじゃなくて、やってるのを周りの方々に直接見てもらって、それで認めてもらう方が好きなんですよね。どうだ!というふうに見せるより、私の行動を見て、感じて、理解してもらう、分かる人に分かってもらえればそれでいい。いわゆる縁の下の力持ち、そっちの方が自分の性格に合ってるんですよね。
消防士を目指そうと思ったとき、火の中に入らなきゃならないとか、そういうことは一切考えてなかったです。何にも知らないと恐怖心って実感できないんですよ。消防学校や火災現場で実際にどういうことをやるかというのを知ってからですね、恐怖感が沸いたのは。
そしてどうせ消防へ行くなら、やはり首都である東京が一番いいんじゃないかと思って、東京消防庁を受験して合格、鹿児島県から上京して1981年の4月1日に、消防学校に入学しました。 |