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魂の仕事人 魂の仕事人 第15回 其の四 photo
仕事はただ生きるために プラス人の役に立つものを作れれば、それで満足
 
常に未来を見つめ、人のため、社会のため、地球のために役立つものを作り続けている三鷹光器。シリーズ最終回の今回は、職人としても経営者としても「一流」の中村会長に、仕事とは何か? 何のために働くかについて聞いた。
三鷹光器株式会社会長 中村義一
 

最初から負けると思ってやる

 

 これまで、ものづくりがつらくて辞めたいと思ったことはないね。ものを作ることが好きだから。辞めるとしたら、ものづくりが自由にやれなくなったときだろうね。

 自由にやれないというのは、例えば同業者が真似してきたら、すぐ別のものにチェンジできないとかね。次の新しいものをすぐに作ることができなきゃ、もう辞めるしかないと思う。僕らは、こっちを攻められても、その間に僕らはあっちに陣地を作っちゃう、ということをやってるわけです。そうしないと僕らのような中小企業は生き残っていけないから。

 そもそも将棋にしてもそうだけど、僕はいつも勝つ将棋は絶対やらない。負ける将棋をやる。最初から絶対勝てないと思ってやる。勝てなきゃ、次にやらなきゃいいってだけのこと。それが、みなさんはどうしても勝たなきゃいけないんだと頑張ってる。僕はそうじゃない、最初から負ける、勝たないってやる。そうすれば結果的には勝てるんだよ。

 どういうことかというと、今、大手企業はみんな、別の会社の名前を借りて、ウチの製品を買って分解して、中身を全部見てます。それを入手して分解してみるとその企業がどこまで進んでいるかがわかる。なぜかというと、僕が作った製品にはみんな、ネジひとつひとつ、全部仕掛けがしてある。分解して元に戻すとしても、ネジをちょっとでも間違えて戻したら、絶対元通りにならないようになってる。そうすると、ライバル会社はココが見たくてバラしたな、もうここまで調査が進んできてるなってことがだいたいわかる。

 そうすると自分はこれ以上やるべきじゃないと分かる。もう、この製品の生産はストップしないといけないと。ここまで来たら、負けたと考えなきゃいけないんですよ。

 なぜか。大企業と同じもので勝負したって勝てるわけがないからです。ウチの製品のからくりが分かれば、財力にものをいわせて工場設備して量産体制を敷く。そして、こんないいものをこれからは半額で売りますよと客に売り込む。

 でも僕はすぐ、「あのタイプはあまり良くないので、生産ストップします」とやっちゃう。そして別の製品の開発に取り掛かる。そうすると工場を設備した大企業は設備投資をしちゃった以上、元が取れるまでウチが生産をストップしたモノを量産するしかない。しかし三鷹光器はもうやめたかなと思ったら、全く別な将棋盤で別の製品の開発をまた始めるわけ。つまり、ひとつひとつの勝ち負けにこだわらないということだね。

ものづくりと会社経営は同じ
 

 ものづくりと会社を経営することは違うんじゃないかって? そんなことはないよ、一緒ですよ。それはね、難しく考えるからだよ。本来は作った品物とお金を交換するだけのことなの。それをね、商業を勉強した人はそんなことしないで手形にしなさい、小切手にしなさい、振込みにしなさいっていうから、面倒くさくなる。

 日本はモノを作って売らなきゃ成り立たない国なんです。それを商人の国にしようと思うからダメになっている。ここ最近、技術力をもった中小企業がどんどん潰れたり、東南アジアや中国に移転したりしてるでしょ? 日本でものづくりをする人がどんどん減ってる。かなり危機的状況だよ。再来年あたりになったら、はっきりとわかると思うよ。

苦労はしていない
 

 これまでのものづくりの過程で苦労したという記憶はないね。ただ今までにないもの、おもしろそうなものを作ろうってやってきただけだから。でも、これまで、こんなボロ工場で貧乏してるってことは、傍目からみたら苦労してるんだろうね。友達の会社なんて、みんな立派だもの。「おまえはなんでいつまでもこんなボロ工場なんだ」ってよくいわれるけど、でも俺はこれで十分幸せなんだからいいじゃないかって思ってる。食べ物だってラーメンやそばを食ってるくらいで喜んでられるんだから(笑)。でもさすがにここにきてこの工場では手狭になってきたから、新しい工場を作ってる最中なんだけどね。

 会社の規模を大きくするつもりも毛頭ないね。自分はバカだと思ってるから。会社を大きくしようってへんなところに深入りしたら潰れることはわかってるから、絶対に深入りはしない。社員の数もそんなに増えてないしね。今少し増えて40人くらいかな。

 バブル時代もこれまでどおり、普通にやってました。みんなからはバカだバカだって言われたけど、俺はバカだからこれしかできないって、深入りしなかった。でも結局株とか土地とかマネーゲームのほうへ走った職人はバブルが弾けたとたんにすってんてんになったんだけどね。

今年で75歳になる中村会長。だがまだまだこれから作りたいものが山ほどあるという。老いてますます盛んという言葉がぴったりだが、いくつになっても好きな仕事をやり続けられる秘訣のようなものはあるのだろうか?

環境問題にも取り組む
 

 最近は環境問題に取り組んでます。少し前に、太陽の光からメタノールを作って、それを燃料にしてディーゼル車を走らせようというプロジェクトをやってました。都内でディーゼル車の走行が規制されたのは、軽油で走ると有害物質を含む排気ガスを大量に排出するから。だから石原都知事に「軽油を使わないでメタノールで走らせれば公害にならないからいいんじゃないの?」と提案したら「それはいい。ぜひやってくれ」ってなって、通産省からも予算が下りて1年間実験をやった。実験は成功して、さあこれから実用化というときにストップがかかっちゃった。理由はよくわからないけど、これをやられると困る業界から圧力がかかったんじゃないかな。

 僕らとしては、太陽の光を使うとメタノールができることは間違いない、この実験がうまくいったってことでオッケーなんだけどね。

 今は水の研究開発をやってます。海の水を真水にしたり、汚れた水を飲めるようにしようって。これもおもしろいでしょ? 日本は水が豊富でいいんだけど、世界には水不足で苦しんでいる国がたくさんある。先日も真水を作るプロジェクトでバーレーンに行ってきたんだけど、見渡す限り砂漠だからね。なんでこんなに不公平なんだろうって思ったよ。

 僕らがこうやって生きて好きなことをできるのは、宇宙や地球のおかげ。だったらひとつしかない地球はもっと大事にしなきゃならない。僕らの技術でそれができればいいと思ってる。

いくつになっても好きな仕事を
するために必要なこと
 

 僕がこの歳になっても飽きずにものづくりに取り組めるのは、常にこれまでなかったものを作ろうと挑戦しているからじゃないかな。あきらめたらもうその時点でものづくり職人としては終わりなんだよ。

 今後も実現させたいアイデアがたくさんあるけど、とりあえず、今は水を作ることを成功させなきゃならないと思ってる。それが終わったら、米を作る技術を考えなきゃならない。その次は大豆を作る技術。これから取れなくなるだろうから。

 政府はこれだけ農家をいじめちゃって、大失敗だと思いますよ。今、農家になりたいなんて人、あまりいないでしょ? でも本当は農家が好きでやりたいって人が増えていかないとだめなんだけどね。

 車のメーカーはもっといい農機具を作るべきですよ。車なんてトラックとワゴンの2種類作れば十分。それで政府が日本中の土地をもっと管理したら、食料のことで外国にお世話にならなくていいと思うよ。

人と話しているときが休み
 

 仕事とプライベートの区別はないね。人と話をしてる間が休み。それが終わったら後は全部仕事。だから僕にとっての日曜日ってのは、お客様と話してる間だけだよ(笑)。仕事のことを完全に忘れてほっとする時間なんかはないね。それでも苦にはならない。

 日曜日にはウチの工場に天体観測のアマチュアの人が大勢集まるんだよ。僕は星が嫌いだってのに、会社が望遠鏡を作ってるからしょうがない(笑)。夏休みなんて、みんな集まってきて、工場でわあわあ騒いでます。一部、材料をあげて、機械も貸してあげるから、勝手に作ってくれってやってます。来るのはほとんどが学校の先生たち。集まって話をしながら、自分の好きなもの作ってる。

仕事のやりがいはない?
 
本当は農業がやりたかったと語る中村会長。工場の裏にある畑とビニールハウスは会長の自作。トマトをいただいたが、みずみずしくて実に美味だった

 僕がこの仕事をやっててよかったなと思う瞬間? そんなの何もないよ。いつもやだなと思いながらやってる(笑)。

 苦労して開発した製品ができたときも、特別うれしさは感じないよ。できて当たり前だと思ってるから。よく、料理人はお客さんの「おいしかった」っていう声を聞くのが一番の楽しみだっていう人がいるけど、僕にはそんなのは関係ないんだよ。料理人である以上、おいしい料理を客に出すのは当たり前でしょ? 

 だから「仕事のやりがいは?」って聞かれても困るんだよね。僕は仕事はただ生きるためにやってきただけ。これまでも、これからもね。あとは人の役に立つものを作れればそれで満足。お金を儲けようという気も会社をもっと大きくしようなんていう気もないしね。

 僕は結婚をしなかったから、妻も子供もいない。6人の兄弟の面倒を見るので精一杯だったから。その代わり兄弟の仲はすごくいい。会社も兄弟でうまくやっていけてるし。

 だから僕はものづくりが終わったら人生終わり(笑)。それで何の悔いもないよ。

 
2006.10.2 1.ものづくりの原点は 子供時代のいじめだった
2006.10.9 2..35歳でついに独立 スーパー町工場の誕生
2006.10.16 3.誰にも負けない新しいモノを 便利じゃなくて役立つモノを
2006.10.23 4.仕事はただ生きるために 人の役に立てば満足

プロフィール

なかむら・よしかず

1931年東京生まれ、75歳。光学機器メーカー三鷹光器株式会社代表取締役会長

父親が東京天文台(現・国立天文台)に勤めていたことから、幼少時よりものづくりに親しむ。

13歳のとき、学徒出陣で携わった飛行機づくりで本格的にものづくりに目覚める。

16歳で自力で家を作る。

17歳で東京天文台に就職。22歳で府中光学に転職、望遠鏡づくりに没頭。一生ものづくりで生きていこうと覚悟を決める。

28歳で府中光学を退職。1〜2年就職せずにふらふらと過ごす。

30歳で資産家の知り合いに乞われ、三鷹光機製作所を設立。技術部長に。東京大学と組んでロケット関連の機器を製作。

1966年 35歳で独立。三鷹光器設立。南極観測隊の観測機器を製作。観測隊にも参加。

1981年 三鷹光器製の特殊カメラがスペースシャトルに搭載される。

1986年 ライカから業務提携依頼。脳外科手術用のレンズ開発スタート。

1988年 医療業界に本格的に進出。

1994年 画期的な脳外科手術用顕微鏡を全世界に向け販売開始。

1998年
・世界で初めて太陽コロナを高解像度で観測に成功
・非接触三次元測定装置NH-3が中小企業優秀新技術
・新製品賞優秀賞受賞
・火星探査衛生「のぞみ」の4つの観測機を搭載。

2005年 脳外科手術用顕微鏡で「勇気ある経営賞」優秀賞受賞、脳神経外科用バランシングスタンドで「東京都ベンチャー技術大賞」受賞

2006年 産業振興の一環として天皇陛下が三鷹光器をご視察。

テレビ出演、講演多数。現在も、産業、天文、宇宙、医療、環境の分野で新製品の研究・開発に多忙な日々を送る。

 
おすすめ!
 
『お金は宇宙から降ってくる』(中経出版)

なぜいち町工場から世界が驚く新製品が生まれ続けるのか……。中村会長の生き様、ものづくりにかける職人哲学、未来の新技術まで、中村会長と三鷹光器のすべてがつまった一冊(会長自身はタイトルを『宝は空から降ってくる』としたかったらしい)。

 
『社員はこの「型破り」教育で伸ばせ!—なぜ町工場に、世界のライカが一目も二目も置くのか』(三笠書房)

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