「ナイフは、人間が火の次に手に入れた道具である」。これは僕の師匠であるボブ・ラブレス(注1)の言葉なんですが、ナイフは有史以来、人類が生きていく上でなくてはならない道具として使われてきたわけです。時代によってさまざまな人びとに使われてきたナイフですが、太古の人が使ったものと、現在僕たちが手にしているものとを比べてみても、形状は大して変わってないんですね。今後も人類が存続していく限り、形状は大きく変わらないと思っています。
ただ鋼材だけは進化し続けてきた。時代時代の最高の素材が使われてきたんです。石器時代の石をスタートに、骨、青銅、鉄と移り変わってきて、現代のステンレスに到達したわけです。
でも現代の一般の人はあまりナイフを使う場面ってないですよね。でもナイフという道具を使うことによって、本能として人類に刻み込まれている「切る」という行為を呼び覚ますことができるんですよ。
それだけにナイフに求められるものは厳しい。どういうことかというと、ただ「切る」といってもいろいろです。木を切るのと缶詰のフタを切るのとは違う。実際に「切る」というカテゴリーに入るものをすべて集めたらものすごい数になってしまうので、そんなものを持って移動できないでしょ? でもナイフ1本あれば、たいがいの「切る」ってカテゴリーのことは全部できちゃう。知恵を使えば、やりにくくても全部できちゃう。例えば缶切りは缶切りとしてしか使えない。缶切りで枝は切れないよね。だけどナイフだと開けられるでしょ。
やりにくいかもしれないけどナイフでできることってものすごく多くて広い。今の世の中、こういう道具ってナイフのほかにはないです。そこがナイフの一番の魅力ですね。特に日本の場合は、刃物が使う目的・用途によってものすごく細分化されていてそれぞれに名前がついてますよね。
でもナイフが西洋から入ってきたとき、日本語に訳せなかったんだよね。野球は訳せてもナイフは訳せなかった。用途が広すぎるから、訳しようがなかった。未だに訳せてない。
だからナイフとはなんぞやと問われたときに、得体の知れない漠たるものなんだけど、何か特別なものというイメージをみんな抱くんですよね。鉋(かんな)とか鋏(はさみ)とか日本語にちゃんとなってれば、イメージしやすいでしょ。イメージできると安心できますよね。そこが日本語に訳すことができなかったナイフの不幸な点なんですよね。
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