やっぱりね、なんだかんだいっても僕の根っこにあるものは、「ものづくり」なんですよ。それは音楽家や画家になりたかった少年時代と変わってないんです。職は変わってもね。
「開発」っていうのはものづくりの最たるものですよ。ゼロから国をつくる状況だってあるわけですからね。いうならば未来を思う人々の営みです。それを僕はずっとやってきた。
でも紛争はそれをすべて壊してしまうんですよ。1回の紛争で国がどれだけの被害を被るか、またそれを修復するのにどれだけの労力と時間と金がかかるのかを考えたとき、ものすごくバカらしくなる。ものづくりそのものが。紛争の現実を見ちゃうとね……。もう根こそぎ奪われますからね。
だから紛争に焦点を当てないとものづくりはできないんですよ。僕がDDRとか平和構築にこだわる理由はそこです。どこまで紛争の再発防止ができるかどうかわかんないけど、そこにこだわらないかぎり、ものづくり=国の開発をする気持ちも起こらないんですよ。
ものづくりやりたいんだけど、紛争をなんとかしないとそれもできない。でも、紛争をなんとかするのも難しい……(笑)。ジレンマの連続ですよ。
紛争と開発はたぶん連続しているんですよ。コインの裏表といってもいい。切っても切り離せないものなんですね。
次のDDRの依頼も来てます。年末にはインドネシアのアチェ(注1)へ行ってきました。外務省の依頼で、現在DDRなど和平プロセスが進行中の現場の動向を調べて、日本がどう貢献すればいいかを提案するためです。
何せ、インドネシアは日本の援助の最大拠出国ですからね。日本は、東チモールの時と同じように、インドネシアの軍事権力の蛮行をほとんど見て見ぬ振りをして、その国家権力を援助し続けてきましたからね。アチェの問題は、日本の責任とも言えるわけです。アチェは、東チモールとは違って独立の選択肢は取りませんでした。過去の国家権力の蛮行への怨念とどう折り合いをつけながら、インドネシア内の一自治州としてやって行くか。それをこれからずっと見守り続けるのは、日本の責務だと思いますよ。日本政府にも、そのへんの反省が芽生えてきたと言うことでしょうかね。
現地では、インドネシア国軍、警察と長年敵対してきた独立派武装組織「自由アチェ運動」(GAM)の首脳部と懇親会などで話し合い、和平、DDRが実際にどこまで進んでいるのか、その実態を調査してきました。
実際のところは、和平が進んでいるのは確かです。しかし一部新聞で報道(注2)されていますが、「完了」とまではまだまだいっていません。回収した武器の数はたった840丁で、これで武装解除が完了したなんて言えるわけありませんよね。まだ、お互いに疑心暗鬼になっている部分はあると思います。
帰国後、外務省に、日本がどう協力できるのかについての政策提言をしてきたところなんですが、これが難しい問題なんです。
今回の和平交渉はEUが仲介役になって、インドネシア政府主導で行われたのですが、そもそもアジアの国はアフリカと違って主権意識が強いので、基本的に干渉しにくいんです。日本なんて最大の援助国なのに、あまりに利権が複雑に絡み合っているために、インドネシアに対してあまり強気にものがいえないんですよね。インドネシアも日本の干渉を露骨に嫌がりますからね。お金をたくさんもらってるのにね。普通に考えれば、「それは逆だろ?」と思うような関係のねじれが、両国のこれまでの歴史、複雑な利権の絡み合いの中で起っているんです。
だからこれからが正念場でしょうね。
(注1 アチェ)スマトラ島最北部の地域。長年インドネシア国軍と独立派ゲリラ(GUM)との間で激しい戦闘が繰り広げられてきたが、ようやく和平交渉が始まった。
(注2 一部新聞で報道)昨年12月20日付けの朝日新聞で「GUMの武装解除完了」との記事が掲載された
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