その日、珍しく会社に来ていた社長は、得意先企業の社員と商談を進めていた。そこに契約社員の女性がお茶を運んだ。いつもの見慣れたシーンだった。しかし、クライアントが帰ったところで、上原さんが社長室に呼ばれた。
開口一番、告げられたのは「あのお茶を運んだ女性をクビにしろ」という言葉だった。
なぜですか?──思いもよらなかった命令に一瞬絶句した後、そう聞いた。
「いや、接客態度は問題ない。彼女の見た目だよ。太り過ぎだ。取引相手がどう思うかだ。会社というものはイメージが重要なのだ」
しかし、彼女の経理事務の能力は、申し分ありません。そもそも容姿で採用したわけではないはずです——。上原さんはもちろん、食い下がった。明らかに不当な命令であり、社長の横暴だと感じた。新社長のこの傲慢なやり方のために、部署全体がぎくしゃくしていたのだった。
「つべこべ言わんでいい。お茶汲みを代えろ。それだけだ」
社長は、それだけを言って会社を出て行ってしまった。
上原さんが自分のデスクに戻ると、その女性社員が、不安げな顔でやってきた。
「社長が、私のことで何かおっしゃっていましたか?」
(おまえは、誠実に働いている自分の部下を守ることすらできないのか)
一瞬、自分の頭の後ろの方からそんな言葉が聞こえた気がした。上原さんは、それを振り払うように首を振り、
「いや……。きみは気にしなくていいよ。私が決着をつけるから」と言って、笑ってみせた。しかし、その力ない笑顔に女性社員はかえってさらなる不安を抱いてしまったようだった。
会社の管理全般を任せてくれれば、小さなところから合理的な組み立てをしていく自信はある。組織の根本がダメになっていても、自分に任せてもらえるのなら、全力で大改革に邁進しようと決意を固めていた。ところが……。
「この会社は、自分にその権限を与えてくれる意向は全くないのだなと痛感しました。女性社員の配置にまでいちいち口を出してくるなんて……。何より自分の部下の一人さえ守ってやることができない環境で、自分は何をすればいいというでしょうか。こちらが考えに考え抜いたプランも、上司の判断の下、一瞬で却下となるのが日常茶飯事です。説得にも応じてくれるものではありません。あの社長室に呼ばれた日、ここではダメだ、今一度振り出しに戻ろうと決めたのです」
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