通関業務の担当になって10年が過ぎたころ、吉田さんは上司から呼び出された。
「どうだ、そろそろ営業に出ないか?」営業部への異動の打診だった。
「わかりました。ぜひ、やらせてください」通関業務はやりつくしたという実感を持っていた吉田さんは、喜んで新しい仕事に挑む決意をした。
「通関業務は与えられた仕事をこなすという受動的な態勢でしたが、営業は能動的に仕事を進めなければなりません。仕事の性格が全く違いますから、自分に営業ができるだろうか? という不安はありました。でも私は元来、新しいことにチャレンジするのが好き(※4)ですから、前向きに取り組むことができました」
航空輸送による輸入部門の担当となり、200〜300社の顧客を抱えた。スピーディーな対応を求められるため常に多忙だったが、持ち前のバイタリティーで確実に成果を上げ、しばらくすると「主任」の肩書がついた。吉田さんの希望通り、営業戦略の策定から若手の人材育成まで幅広い仕事に携わることができた。
しかし、上の立場になって頑張れば頑張るほど、会社に対して不満を感じるようになっていった。まず、目についたのが社員に対する評価の仕方。会社側は言葉では「成果主義」を標榜していたが、実際のところは有名無実だった。成果を上げた分だけ評価や給与に反映されるというシステムはなく、やってもやらなくても評価はほとんど変わりがない。そうなれば当然、手を抜く社員も出てくる。
「評価されないからといって手を抜くなんてことは私にはできない。プライドだけでがんばり続けていたのですが、だんだんそれもむなしく思えてきましてね」
さらに、上司から無理難題を押しつけられる(※5)ことも続き、次第に「この会社でこれ以上の成長ができるのだろうか?」という思いが頭をよぎるようになっていた。今まで感じたことのない不安だった。
そのとき、ちょうど入社20年を迎えようとしていた吉田さんは、今までの仕事について振り返って考えてみた。若いころは常に新しい仕事を覚える楽しさがあり、好景気だったこともあって給料も年々上がってきた。だから、辛いことがあっても頑張ることができた。しかし、今はどうだろう? 20年経った今、「これがあるから頑張れる」といったモチベーションが全くなくなっていることに気づいた。
そんなとき、テレビや新聞で将来の年金不安に関するニュースを見て、吉田さんは考え込んでしまった。会社に退職金制度はないし、ここのところ給与額も頭打ちだ。2人の子どもを育てるのはなんとかなるだろうが、その後にやってくる老後の生活が成り立つかどうか。大いに不安だった。
入社して20年。定年まであと20年間働くと考えると、今がちょうどビジネスマン人生の折り返し地点といえる。どうせなら、自分を必要としてくれるところ、喜んで迎えてくれるところで培ってきた経験とスキルを生かしたい。老後の人生に備える意味でも、今が転職のときだと思えた。
「会社にも頼れないし、国にも頼れない。よし、こうなったら自分でなんとかしようじゃないか。40歳の転職だ!」
吉田さんは膝を打って立ち上がった。 |