これまでナレーターをやってきて一番うれしかったのは、4〜5年前に深夜のラジオ番組のナレーターをしていたときに聴視者から頂いた一通のお葉書です。
ラジオ日本で放送していた「ヒーリングステーション」という番組で、内容は静かな音楽に乗せて、詩的な文章を読んでいくというものでした。聞いている人に安らいでもらいたいという番組だったので、ディスクジョッキーとして個人的なことや日常の出来事をしゃべるのではなく、情景をしゃべっていく。昔放送していた「ジェット・ストリーム(※1)」ってご存知ですか? 城達也さんという大先輩がナレーターをしていらっしゃった。イメージとしてはああいう感じです。
番組で読む詩的な原稿は作家さんが書いていました。最初その原稿を読んだときに、非常に難しいけどすごい文章だと思ったんです。頭の中にすごく鮮明に情景が浮かぶ文章なんですよ。普通にテレビでしゃべるような文章じゃない。例えば「この風は夏のはじめの便りだったりして……」で終わるような余韻を持たせる文章。また、情景の中に「どんよりとした曇り空の下、女の子が遊んでいる。その赤い服が」と書いてあるとすると、その赤い色が鮮烈に印象に残るわけです。その色をリスナーがイメージできるように読まなきゃいけない。文章のセンテンスも長いし、読み手の技量が試される。だけどほかの仕事ではなかなか読めないなと思ったんです。だから難しいけれどチャレンジしようと。実際、非常にやりがいがありました。
この「ヒーリングステーション」はそれほど広いエリアで放送していたわけではないのですが、ある日番組宛に千葉の聴視者の方からお葉書が来たんです。それがすごい内容だったんですよ。「私、死ぬのをやめました」という書き出しで。「え? 何これ?」ってびっくりしました。よくよく読んでみると「恋人とも別れて、仕事もつらくて、もう疲れて生きていくのが嫌になっちゃったというときに、たまたまラジオをつけたらこの番組が流れていた。初めてだったけどそれを聞き終わったとき、“明日なにかまたいいことがあるかもしれないから生きてみよう”という気になった」という内容だったんです。差出人は27、8歳の女性だったかなあ。
その葉書を読み終わったとき、「人の役に立ったよな」と思ったんです。それが非常にうれしかった。
僕はとにかく誰かの役に立ちたいと思いつつ仕事をしているわけです。ディレクターやスポンサーの役に立ちたい。もちろん番組を観たり聴いたりしてくれる人の役にも。
だけど視聴者や聴取者とはあまり接する機会がないから、役に立っているかどうか、その実感が得られないんですよね。よくご年配の聴取者の方から葉書はいただいていたのですが、「毎晩これを聴かせていただいてから寝ています」とか「これからも頑張ってくださいね」とか「たまにはこういう曲もかけてほしいです」というような内容がほとんどでした。
だからそんな葉書をもらってびっくりしたと同時に、初めて「聞いてくれる人の役に立ったよな」って思えた。「僕の番組を聴いてくれて生きる希望になったんだ。こちらはそんな思いでやっているわけじゃないけど、あなたにとっては安らぎになったんだね」と。すごくうれしかったですね。ディレクターと一緒に「俺たちの仕事が誰かの役に立ったね」「やってきたことは無駄じゃなかったね」「自分たちのひとりよがりじゃなかったね」「結果出たね」などと喜びを分かち合いました。 |