キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第30回 ナレーター 窪田 等-その5-生まれ変わっても同じ仕事を

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魂の仕事人   photo
魂の仕事人 第30回 其の五
ナレーションで人に生きる希望を与えることもできる 生まれ変わっても同じ仕事を
とにかく少しでも作品をいいものに仕上げたい。そのためにはどんな労力も惜しまない。そんな窪田氏だが、うれしいのは質の高い作品が仕上がったときだけではない。人としてそれを超える喜びがナレーターという仕事にはあるという。その反面つらいことも──。今回はナレーターとしての最大の喜び、そして辞めようとまで思ったつらい出来事を語ってもらった。  
ナレーター 窪田等
 

「やってきたことは無駄じゃなかった」

 

 これまでナレーターをやってきて一番うれしかったのは、4〜5年前に深夜のラジオ番組のナレーターをしていたときに聴視者から頂いた一通のお葉書です。

 ラジオ日本で放送していた「ヒーリングステーション」という番組で、内容は静かな音楽に乗せて、詩的な文章を読んでいくというものでした。聞いている人に安らいでもらいたいという番組だったので、ディスクジョッキーとして個人的なことや日常の出来事をしゃべるのではなく、情景をしゃべっていく。昔放送していた「ジェット・ストリーム(※1)」ってご存知ですか? 城達也さんという大先輩がナレーターをしていらっしゃった。イメージとしてはああいう感じです。

 番組で読む詩的な原稿は作家さんが書いていました。最初その原稿を読んだときに、非常に難しいけどすごい文章だと思ったんです。頭の中にすごく鮮明に情景が浮かぶ文章なんですよ。普通にテレビでしゃべるような文章じゃない。例えば「この風は夏のはじめの便りだったりして……」で終わるような余韻を持たせる文章。また、情景の中に「どんよりとした曇り空の下、女の子が遊んでいる。その赤い服が」と書いてあるとすると、その赤い色が鮮烈に印象に残るわけです。その色をリスナーがイメージできるように読まなきゃいけない。文章のセンテンスも長いし、読み手の技量が試される。だけどほかの仕事ではなかなか読めないなと思ったんです。だから難しいけれどチャレンジしようと。実際、非常にやりがいがありました。

 この「ヒーリングステーション」はそれほど広いエリアで放送していたわけではないのですが、ある日番組宛に千葉の聴視者の方からお葉書が来たんです。それがすごい内容だったんですよ。「私、死ぬのをやめました」という書き出しで。「え? 何これ?」ってびっくりしました。よくよく読んでみると「恋人とも別れて、仕事もつらくて、もう疲れて生きていくのが嫌になっちゃったというときに、たまたまラジオをつけたらこの番組が流れていた。初めてだったけどそれを聞き終わったとき、“明日なにかまたいいことがあるかもしれないから生きてみよう”という気になった」という内容だったんです。差出人は27、8歳の女性だったかなあ。

 その葉書を読み終わったとき、「人の役に立ったよな」と思ったんです。それが非常にうれしかった。

 僕はとにかく誰かの役に立ちたいと思いつつ仕事をしているわけです。ディレクターやスポンサーの役に立ちたい。もちろん番組を観たり聴いたりしてくれる人の役にも。

 だけど視聴者や聴取者とはあまり接する機会がないから、役に立っているかどうか、その実感が得られないんですよね。よくご年配の聴取者の方から葉書はいただいていたのですが、「毎晩これを聴かせていただいてから寝ています」とか「これからも頑張ってくださいね」とか「たまにはこういう曲もかけてほしいです」というような内容がほとんどでした。

 だからそんな葉書をもらってびっくりしたと同時に、初めて「聞いてくれる人の役に立ったよな」って思えた。「僕の番組を聴いてくれて生きる希望になったんだ。こちらはそんな思いでやっているわけじゃないけど、あなたにとっては安らぎになったんだね」と。すごくうれしかったですね。ディレクターと一緒に「俺たちの仕事が誰かの役に立ったね」「やってきたことは無駄じゃなかったね」「自分たちのひとりよがりじゃなかったね」「結果出たね」などと喜びを分かち合いました。

※1 ジェット・ストリーム——1967年(昭和42年)7月3日に放送を開始した音楽番組。放送時間は月曜日から土曜日の深夜0時から1時だったが、現在は月曜日から金曜日の深夜0時から0時55分。FM最長番組として現在も記録を更新している。キー局はTOKYO FM。初代パーソナリティは城達也。城の美しく落ち着いた声で海外の情景を紹介する内容と、心休まる音楽で多くのファンから熱烈な支持を集めた。城のナレーションに心癒された30代、40代も多いのではないだろうか。城の死後は小野田英一が引継ぎ、現在は伊武雅刀がパーソナリティを担当している。

たいへんなことも多々あるが、ナレーターという仕事が大好きだからこれまでやってこられた。しかし、この仕事を続けられないかもしれないと思ったこともあるという。それほどつらかった出来事とは……。

一度だけナレーターを辞めようと思ったことがある
 

 これまで一度だけナレーターを辞めなきゃならないかなと思ったことがありました。こんなこと言っていいかどうかわからないけれど……。

 30歳くらいのときに、A社という自動車のディーラー会社のCMの仕事をやっていたときに、B社という自動車メーカーの車のCMをやってくれないかという依頼が、他の事務所のマネージャーから来たんです。当然A社とB社は競合・ライバル同士ですから、「それはまずいんじゃないの?」とそのマネージャーに言いました。だけどマネージャーは「いや、ディーラーと車種は違うんだ。それにA社はラジオでB社はテレビだから競合にならない。だから大丈夫だ」と。

 それで結局B社のCMのナレーションを僕個人の判断でやってしまったのです。B社では問題にならなかったのですが、やっぱりA社で問題になってしまいました。それほど強くクレームを言われたわけではないですが「困りますね」と。当然ですよね。

 そもそもA社に対して失礼ですよね。今までお世話になったのに。僕が甘かったんですよ。「ディーラーと車種は違うんだ」という他の事務所のマネージャーの言葉にころっと騙されてしまった……いや、僕がちゃんと判断して自分の意思で「やりません」と言えばよかった。「こっちにもいい顔がしたい」、「この人の言うことは聞いておかなきゃいけない」という思いがありました。この業界で力のあるマネージャーだったから、その人の言うことを聞けば、うまく仕事がまわるかもしれないという思いもありました。それにテレビCMだから自分自身もやりたかった。だからついやっちゃったんですよね。弱さですよね、自分の。マネージャーのせいじゃなくてやっぱり僕の責任ですよ。

 自業自得とはいえ、このときはものすごく悩み、苦しみました。良かれと思って僕を使ってくれた人や会社に迷惑をかけちゃったから。でも解決しようにも自分ひとりの力じゃどうしようもできない。僕個人が謝ってすむレベルの問題じゃないですから。考えれば考えるほど苦しくなって。逃げ出したい。そんな気持ちでした。結局、やっぱり責任を取ってA社の仕事を降りるしかないなと。事務所もA社と話をつけてくれて、謝りに行って「申し訳ありませんでした。A社の仕事は降ります」と頭を下げました。謝りに行くときは相当つらかったですね。自分の甘さが引き起こしたことですからね。それから数年、A社の仕事はできなくなりました。

 さらにもうひとつ、タイミングの悪いことに、そのときちょうど事務所を移ることが決まっていたんです。その直前にやっちゃったので、辞めようと思っていた事務所にも新しい事務所にも迷惑をかけることになっちゃった。移籍そのものも揉めましてね……。

周りの人が救ってくれた
 

 だから一時期はナレーターという仕事そのものを辞めなきゃならないと思いました。本当に落ち込んだんです。悔やんで、悔やんで……。食事も喉を通らないほどでした。でも周りはそうは思っていないですよ。家の中で悶々としてるような姿なんて他人には見せられないから。

 でも、どんどんやつれていくから会う人みんなから「窪田くん、痩せたね」って言われていました。それに対して「うん、ダイエットしてるんだ」なんて笑って答えながら、さらにズシンと落ち込むんです。「やっぱり痩せているんだ。もしかしてガンじゃないか」とか。悪い方、悪い方に考えちゃってね。心配した友人が病院を紹介してくれて、ガン検診にも行きました。幸い軽度の胃潰瘍だったのですが。それくらい重く考えちゃったんですよね。

 本当にあの時の気持ちのままでは辞めざるを得なかったと思うのですが、周りが救ってくれたんですよね。みんなが慰めてくれて。自分では事を重大に考えていたのですが、マネージャーや周りの仲間が「やってしまったことはしょうがないから、これから注意すればいいよ」と言ってくれて。それから少しずつ、気持ちが回復していったんです。それからは二度と同じ過ちはしないぞと心に決めました。

 この件を通して身に染みて思ったのは、人生いいことばっかりじゃない。おいしいエサが目の前にぶら下がってきても、無条件に飛びついてはダメだ。守らなきゃいけないものもある。そういうときはぐっと我慢してあきらめよう。おいしさでは劣るかもしれないけど、世話になった方を頑張ればいいじゃないか。全てがうまくいくわけないんだから、という思いになりました。

 その後、ラジオ番組のナレーターの依頼が来たんですが、当時別の局で同時間帯に似たような番組のナレーションをやっていたので、「今の番組に対して操が立たないからお断りして」とマネージャーに伝えました。規模とか知名度は新しく依頼が来た番組の方がいいかもしれないけど、信義というものがあるだろうと。過去の失敗を教訓にして断りました。

ディレクターへの反発と
できない自分への怒りとのジレンマ
 

 仕事自体に関してつらいことといえば、やっぱりディレクターの要求どおりのナレーションがなかなかできないことですね。場合によってはギリギリまで追い込まれて「もう限界だ。これ以上は俺にはできない」と思うことありますよ。「どうしてディレクターはそこまで言うの?」「ディレクターの言うことはキツすぎるんじゃない?「何を要求しているのかわからないよ」と。でもその反面、「どうしてそれが自分にはできないのか」とも思う。その気持ちのギャップですよ、つらいのはね。

 ディレクターに対して腹立たしいという気持ちはありつつも、「もう俺にはこれしかできないよ」というのは、結局自分の「弱み」ですよ。もっと自分にナレーターとしての能力の幅があって、要求に対してできそうだったらもっと頑張るんだけど、「もうこれで目いっぱい」というところまで来るともうどうしようもない。後で「どうしてできないんだろう」と反省するんですけどね。もちろんそれは仕事を放り出すということではなくてね。そういう意味ではかなり我慢強いと思います。

 以前、ある仕事で外国人の女性ディレクターと衝突したことがありました。事前にマネージャーから「あのディレクター、うるさいからケンカしないでね」と言われて「はい、わかった」と。ところがかなり無茶なことを言うディレクターだったんです。

 その番組は尺(=時間)に対してあまりにも情報量が多かったんですね。だけどその外国人ディレクターは「あなたは尺数にナレーションをきっちり入れるのが仕事でしょう」と言った。その一言にカチンと来て「いや、僕はそれをうまく表現するのが仕事だ。それに日本人が観るんだからもっとゆったり伝えるべきだ」と反論したんです。

 相手も外国人で微妙なニュアンスのやりとりができず、自分の意見を引っ込めなかったので、収録現場は険悪な雰囲気になりかけたのですが、たまたまそこにいたスポンサーの方が助け舟を出してくれてね。「日本人が観るんだから、もっとゆったりわかりやすいように伝えてくださいね」と言ってくれたから、「やっぱり僕の言ったことが正しかった」って思った。

 でもディレクターとはやっぱり合わない。本当は最終的な決定権はディレクターにあるんだけど、やっぱりディレクターの言ってることは違うと思うと、なかなかうまくできない。

 その日はその後に別の収録の仕事が入っていたから「もういいや。ディレクターの言うとおりやって早く終わらせよう」と投げやりな気持ちになったんだけど、この作品はスポンサーのために仕上げなくちゃいけない。だからそこで逃げちゃうわけにはいかない。だからゆったりわかりやすく伝えるようにして、仕上げました。次の仕事に20分くらい遅れましたけどね。これは忘れられない仕事です。

スポンサーで困ることも
 

 ディレクターじゃなくて、スポンサーでも困ったことがありました。このときもマネージャーから「××会社のアメリカ帰りのナンバー2が収録現場に来るから、いろいろ言われるかもしれないけど我慢してね」と言われて、「わかりましたよ。怒らないから」と(笑)。

 ところがこのスポンサーのナンバー2がはっきり意見を主張する人で。この人も女性だったのですが、ディレクターが書いたナレーション原稿を平気で直すわけですよ。ディレクターは制作のプロであり、現場の最高責任者だから、いくらスポンサーとはいえそこまでする人はまずいない。周囲に緊張が走りました。

 直した文章は確かに言いたいことを表現しているんだけど、ナレーションの文章としては長すぎてわかりにくくなっていた。

 しかも、それを持ってディレクターを通り越して「ナレーターの窪田さんでしたっけ? これ、私が直したように読んでもらえます?」って言ってきたんです。僕も制作側の人間だからカチンときて「え〜? 直す前の方がわかりやすいんじゃないですか?」と言ったら、そのナンバー2は「日本語は私の方が長いんです」とおっしゃった。そこでさらにカチンときちゃって。

「日本語のキャリアはあなたの方が長いかもしれないけれど、僕らは映像に合わせて日本語を表現するプロだ。だからディレクターが言うように句読点をつけていかないと、聞いている方はわからない。だからあなたの直した文章は読めない」と突っぱねたんです。僕らはただ単に日本語をしゃべるだけじゃないんだ、そこを履き違えてもらったら困るという思いがあったからそう言ったんです。

 そしたらナンバー2もむっとしちゃって。周囲もさらにピリピリムードになりました。困ったのは板ばさみになったディレクターです。でもなんとかナンバー2をなだめて「僕らに任せてください」ってそのまま進めました。

 収録後、気まずいまま帰るわけにはいかないから、「いろいろ言ってすみません」とナンバー2に謝ったら、「いいものができました。ありがとうございました」と言ってくれたんです。

 後日、またその企業の仕事が入ってきました。そして、そのナンバー2がまた収録現場に来たんですよ。だけど、最初に「先日はいいものができました。ありがとうございました」と言ったっきり、一切僕らの仕事に口を出さなくなったんです。さすが大企業のナンバー2の人なんだなと思いましたね。周りはピリピリしていたけど、逆に僕はその人を尊敬しました。「こうでなきゃダメだ」と主張はするけれど、間違いだと思ったらすぐ引っ込めてプロに任せる。その潔さと判断力がすごいなあと思って。同時に、それって大事だなあと思わせてくれたので感謝すらしていますよ、そのナンバー2の方に。

ナレーションが大好きだから
 

 思うようにならないことはいろいろあるけど、ナレーターという仕事自体が嫌になって辞めたいと思ったことはないですね。仕事以外の悩みとか、自分の実力以外のことで悩むこともあります。でもそういう悩みも全部含めて、ナレーションという仕事はやっていて楽しいし、まだ嫌になっていない。まだまだこれからやりたいと思ってます。

 やっぱり自分の声で文章を表現することが好きなんですよ。きれいな絵(=映像)があって、心に染みる文章があって、美しい音楽があって、そこにふっと自分の声を乗せられたらもうご機嫌なわけですよ。だからマネージャーに「そういう仕事があったらノーギャラでもいいからやらせて」って言って怒られたり(笑)。作品を作ることがとにかく楽しいんですよね。

数々の困難やつらいことがありつつも、やっぱりこの仕事がやりたいと断言する。ナレーションという仕事は窪田氏にとって天職に違いないと思われたが、窪田氏から返ってきた答えは意外なものだった。

「天職」なんておこがましい
 

 自分ではこの仕事を天職だと意識したことはあまりないですよ。それはあまりにおこがましいだろうと思います。ナレーションという仕事を極められてるわけじゃないし。天職っていうと「持って生まれたもの」みたいじゃないですか。そうは思わないから。今に至るまでの紆余曲折があるわけだしね。

 やっぱり大事なのは努力だと思うし。当時も今もそうなんですが、「自分にできることは何だろう?」と常に思っていました。例えばスライドのナレーションの仕事だったら「これを極めたい」とか「これで日本一になってやる」とかね。「“この仕事だったら窪田に頼みたい”と思われたいなあ」と思っていたから、地味な仕事だろうがそうじゃなかろうか全く関係なく、頑張れたんですね。

 だけどこういうことを努力とか苦労なんて思っていません。一生懸命悩みながらやっているときは苦労だなんて思わないじゃないですか。後で「あのときは苦労したかな」と思い返してみても「いや、そんな苦労じゃないよ。一生懸命やっていただけだから」と思う。だけれども、持って生まれたものだとは思っていないから。だから天職という思いはないですね。

 ただ、今までの人生を思えば、いい仕事を選べたなあとは思っています。好きなことを仕事にして間違いなかったかな。まあまた死ぬときどう思うかは分からないけれど。

生まれ変わっても同じ仕事をやりたい
 

 もう一度生まれ変わっても同じ仕事をしたいか? やりたいですね(即答)。飽きるまで。それは夢というよりも「願い」なんですよね。夢というのは叶わないことを描くものじゃないですか。それよりも「ずっとやっていたいな」という「願い」ですね。

 ナレーションの仕事ができなくなったら、ほかにやりたいことはあるか? もし何かの原因で仕事が干されちゃったりしたら、また違うことを探す。もうあきらめるしかないじゃないですか。ただ今はナレーションのほかにやりたい仕事なんてないですね。

 遊びの延長ならやりたいことはあるんだけど、仕事となったら話は別でしょう。プロとしては生半可なものでは通用しないですしね。やっぱり今の仕事をもっともっととやっていく方が自分には合っていると思いますね。もっともっと突き詰めていきたい、極めていきたいという思いが強いです。そんなに器用じゃないから。

 そういうわけで今はこの仕事に一所懸命で、どうにかしようと思っているんだから、「ほかの仕事は?」という問いは失礼だけど「愚問だなあ」と思っちゃった。今この仕事がおもしろくてずっとやりたいと思っているのに、ほかに向くわけがないじゃないですか。ほかの仕事なんて考えられませんよ。

 

国内トップクラスの人気と実力を誇りながら、貪欲にナレーター道を極めんとする窪田氏。彼をここまで突き動かすものは一体何なのか──。

次回、シリーズ最終回では窪田氏にとって仕事とは何か、誰のために、何のために働くのかに迫ります。乞う、ご期待!


 
第1回 2008年3月31日リリース 1カ月の収録50本超 日本屈指の人気ナレーター
第2回 2008年4月7日リリース 運命を変えた一枚の広告 声の仕事を志す
第3回 2008年4月14日リリース こだわりの情熱大陸 100点満点の仕事は20代
第4回 2008年4月21日リリース 涙が出るほどうれしかった 聴視者からの手紙
第5回 2008年4月28日リリース 辞めようと思ったほど つらかった競合事件
第6回 2008年5月5日リリース ナレーター道を極めたい 人から必要とされていたい

プロフィール

くぼた・ひとし

1951年、山梨県生まれ。57歳。ナレーター(シグマ・セブン所属)。高校卒業後、大手情報通信企業の技術職を経て、ナレーターへ転身。以降、テレビ、ラジオなどの各媒体でドキュメンタリー、情報バラエティ、CMなどあらゆるジャンルのナレーションをこなす。明確でわかりやすい口調、過剰に主張しすぎない語り口、抜群の安定感などのナレーションに定評がある。現在日本で最も仕事の依頼が多いと言われているナレーター。

代表作に「情熱大陸」(毎日放送:毎週日曜日23:00〜23:30)「F1グランプリ総集編」(フジテレビ)などがある。

【関連リンク】
●株式会社シグマ・セブン
●窪田等氏のプロフィール

 
おすすめ!
 

窪田氏のナレーターとしての代表作のひとつ。2008年で10周年を迎えた。長期間に及ぶ密着取材でひとりの人物の核心に迫る上質なドキュメンタリー番組。登場するのはさまざまな業界で情熱をもって仕事に取り組み、挫折を超えて挑戦し続ける人びとなので、「魂の仕事人」とかぶることあり(伊勢崎賢治氏、野田義治氏など)。見終わったあと、働く勇気が沸いてくる番組。登場人物の真摯な生き様が、窪田氏の重厚かつ品格のあるナレーションとマッチして極上の雰囲気をかもし出す。

 
 
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好きなことを仕事にして間違いなかった 好きなことを仕事にして間違いなかった
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