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魂の仕事人 第26回 其の三
再び将棋の楽しさに目覚め アマ最強からプロ棋士キラーに そして不可能への挑戦が始まった
絶望や悲しみを受容し、一歩踏み出した先の新しい生活で少しずつ自分を取り戻していった瀬川氏。そして、一度は恨みすら抱いた将棋の世界へ再び身を投じ、アマチュア棋士最強の称号を得、さらに、もう一度「夢」への挑戦を決意する。瀬川氏の背中を押したのは、あの「ライバル」はじめ、亡き父、そして周囲の仲間たちだった。  
プロ棋士 瀬川晶司
 

復活

 

 大学に入ってすぐのころは将棋のない生活に対して物足りなさは感じなかったんですが、1年くらい経ってくるとやっぱり、だんだん将棋が指したくなってきました。

 実は大学に入る前に旅行ついでにと友達に誘われて将棋の大会に出たことがあったんですが、それは全くおもしろくなかったんですよね。その時はまだ将棋を指す心境ではなかったんですね。

 再び将棋を本格的に指したくなったのは幼なじみの健弥くんのおかげでもあるんです。奨励会を退会になって実家に戻ってから、子供の頃と同じように健弥くんと交流するようになっていました。そのころ健弥くんはサラリーマンになっていました(※1)が、将棋はアマチュアとして続けており、それも日本最強と呼ばれるようなトップクラスのアマ棋士になっていたんです。

 そんな彼とある日将棋を指したことがあったのですが、久しぶりにやっぱり将棋って楽しいなと心底思ったんです。指したいように指すことがこんなにも楽しかったんだと。奨励会時代の、迫り来る年齢制限の恐怖におびえながら、指したい手じゃなく、自分を殺して相手も殺すような手ばかり指していたあの苦しい将棋はいったいなんだったんだと思ったんです。全く別のゲームのように感じました。

 結果は全く歯が立たず全敗したのですが、「負けて悔しい」じゃなくて、やっぱり将棋って楽しいなと思ったんですね。この原点の気持ちを思い出せてくれたのが健弥くんだったんです。

※1 健弥くんはサラリーマンになっていました──中学生時代、日本一となった瀬川氏と同等の強さを誇っていた健弥くんは、親の反対で奨励会に入ることができず、サラリーマンの道を歩んでいた

アマチュア大会に参加
 

 それでもう一度将棋の大会に出たいという気持ちが沸いてきたんですが、やはり葛藤はありましたよ。奨励会にいた者がアマチュアの大会に出ること自体、歓迎されることではありませんし。自分でも未練がましいんじゃないかという気持ちもありました。だからもう一度ちゃんと自分の心に問いかけてみたんです。「僕は本当に将棋が指したいのか?」と。すると返ってきた答えは、やはり「指したい」でした。

 それでアマチュアの大会に出て、楽しくは指せたのですが、準決勝で負けてしまいました。そこで勝てなかったのが悔しくて、やっぱりやるからにはトップに、一番になりたいと思ったんです。それ以降、また将棋の研究を始めました。

奨励会退会から2年後、再び将棋に対する情熱を取り戻しかけていた矢先、突然の不幸が襲う。今まで何があっても瀬川氏を暖かく見守ってくれていた父が交通事故で亡くなってしまったのだ。当然大きなショックを受けた瀬川氏だったが、しかし、この父の死が瀬川氏の背中を力強く押し、人生をも変えていくことになる。

父の死
 

 突然の父の死はやはり相当ショックでした。「人は好きなことをとことんやるのが一番いいんだ」というのが口癖で、幼いころから僕のやることに反対せず、認めてくれてました。小学生のときに将来はプロ棋士になりたいと言ったときも認めてくれて反対しませんでしたから。

 もう自分はプロ棋士にはなれないけど、この先心底好きだと思えることが見つかったら、今度こそ妥協しないでとことんやろうと決意しました。

楽しんで指せたらプロに勝てる
 

 それから本格的に将棋に取り組んで、父の死の翌年、アマチュアの大会(※2)で優勝して、アマ名人になりました。決勝戦では「生きててよかった。奨励会を退会になったとき、死なないでよかった」と思いました。このころから新しい目標というか楽しみが見えてきたんです。それはプロの棋戦に出場することです。

 アマチュアの大会でトップかそれに準じた成績を取ると、特別にプロの棋戦に出場できるんです。僕がなりたくてもなれなかったプロと対戦するチャンスを得ることができる。将棋はやっぱり強い人と指すのが一番の楽しみですから、プロと対戦できることは自分にとってはすごくわくわくするんです。それがひとつの楽しみというか目標になりました。

 実際の対戦もすごく楽しかったです。相手は当然プロで強いわけですから、こっちは負けて元々という気持ちで臨むんですよね。そうすると自分が指したい、自分が楽しむ手を指そうという気になって、のびのび指せた。そしたらプロに7連勝(※3)できたんですよね。

 奨励会の頃は、将棋は相手の手を殺して勝つものだというふうに自分で思い込んでたんですけど、実はそうとばかりも言えなくて、やっぱりリスクは大きくても自分の指したい手を指すことで、かえって力が出るということもあるんじゃないかって。僕の場合は、その指し方のほうが合ってるんじゃないかって思ったんですね。僕にとっての将棋の本質に目覚めたというか、新しい強さを見つけることができた。奨励会をやめたことによって、気づけたことっていうのもあるんですよね。

※2 アマチュアの大会──1999年に行われた第53回アマチュア名人戦全国大会

※3 プロに7連勝できた──2000年の銀河戦で対プロ7連勝。アマチュアの成績としては驚異的な数字

皮肉なことに奨励会を退会したことで本来の強さを取り戻し、アマチュアの世界でトップクラス、さらにプロにも連勝できる棋士となった。このとき30歳の大学4年生。人生の岐路で瀬川氏が次に選んだのは、普通のサラリーマンの道だった。

厳しかった就職活動
 

 いくらアマチュアの世界で将棋が強くてもあくまでも趣味ですから、それで生活してはいけません。趣味としての将棋を続けるためにも経済的に自立しなくてはと思い、就職活動を開始しました。

 大学4年生の頃には、弁護士になる夢はすでにあきらめてたんです。やっぱり不純な動機じゃ続かなくて(笑)。専攻は法学部だったんですが、情報処理の授業でパソコンに興味をもち、インターネットにも可能性をすごく感じました。そこでシステムエンジニアを志望したんです。

 でもやっぱり就職活動は厳しかったですね。なにせ大学4年生といっても30歳ですからね。かなりの数の企業説明会に行ったのですが、ほとんど相手にされませんでした。説明会が終わった後、その先の応募手続きについて一応、担当者に聞くんですよね。こういう事情でこういう年齢だけど、それでもちゃんと採用を検討していただけますかって。そしたらほとんどの担当者は、「正直言ってよほどのスキルがないとその年齢ではウチでは採れません」って言われました。

 やっぱりショックでしたね。でもしょうがないかなって。そのころは一般の学生にとっても厳しい時代でしたからね。ましてや僕なんて将棋しか知らない30歳の社会人未経験者ですからね。

第二の人生はSEで
 

 でもそんな中、僕を採用してくれた会社があったんです。NECの関連会社でワイイーシーソリューションズというシステム開発会社でした。書類選考、面接と、通常の採用過程を経て内定をもらえたんですが、NECといえば将棋部で有名なので、もしかしたら将棋部から何らかの口添えがあったのかもしれません。

 希望通り、システムエンジニアとして配属されたんですが、仕事自体はすごくおもしろかったですよ。会社の人もすごくいい人ばかりでした。特に上司に恵まれましたね。途中からは仕事も任せてもらえるようになったので、やりがいも感じていました。

 趣味としての将棋でもアマのトップとして活躍できていたので、この頃は充実感がありました。こんな感じで仕事と将棋を両立させて生きていくのもいいんじゃないかなと思っていました。

就職後も将棋の研鑽に努めた瀬川氏は、2002年、99年のアマ名人に引き続き、アマチュア王将の座を獲得。名実ともにアマの頂点に君臨した。さらに2004年、将棋界を揺るがす大事件を起こす。第12期銀河戦でA級棋士の久保8段を撃破し、羽生や谷川と肩を並べるベスト8にまで勝ち上がったのだ。150人のプロ棋士中、わずか10人しかいないエリート棋士がアマチュア棋士に敗北を喫するのは、もちろん将棋界始まって以来の大事件。さらに次の銀河戦でもプロに6連勝し、対プロ成績17勝6敗、勝率7割超という好成績を記録。この驚異的な強さが瀬川氏の運命を再び変えていく。

「プロを目指してみないか」
 

 これだけ強くても、もう一度プロ棋士になりたいとは思わなかったか? それは全くなかったですね。もう奨励会を年齢制限で退会した時点で、プロになる道は完全に閉ざされているわけですから。だからプロにはなれなくてもアマで将棋は楽しめるし、こういう生き方でいいかなって思ってました。

 でも、プロに連勝中だった11月のある日、将棋仲間と親睦会を開いたのですが、その席で、誰かが「こんなに強い瀬川君がプロになるにはどうすればいいかなあ」って言ったんです。もちろん言った本人も冗談で、その場にいたほかの人たちも酒の席でのよくある与太話としていろいろと好き勝手なことを言いました。「プロに20連勝すればいいんじゃないか」とか「羽生さんに1回勝てばいいんじゃないか」とか。もちろん僕自身も笑いながら聞いてました。

 でもひとりだけ笑ってなかった人がいたんです。遠藤正樹(※4)さんというアマチュアの強豪で、将棋を心底愛し、将棋界の現状を心から憂いている人でした。彼だけが本気だったんです。

※4 遠藤正樹──全国支部名人3回、グランドチャンピオン3回、平成最強戦優勝3回、全日本アマ選抜優勝などの戦績を誇るアマチュア将棋界トップクラスの実力者。平成18年に七段に昇段。瀬川氏のプロ入りプロジェクトの発起人で、プロ入り実現の立役者となった情熱家。

好きなことをとことんやりたい
 

 遠藤さんは、僕がその時、プロに対して7割近い勝率なのにプロになれないのはおかしいと思ってたんですよね。たとえ将棋連盟の制度上、奨励会を経ていない者はプロにはなれないということになっていても、プロに対する勝率がこれほど高い人間がノーチャンスっていうのはおかしいんじゃないかって。それで、もし僕に本気でプロになる気があるのならば、できる限り応援したいって言ってくれたんです。

 でも最初聞いたときは、絶対無理だと思いましたね。僕も将棋界にいた人間ですから、将棋界の伝統を変えることがいかに難しいかは骨身に染みてわかっていましたから。奨励会制度は60年の長きにわたって守られてきた将棋界の鉄の掟(※5)であり、そこに抜け道を作ることなど将棋連盟が絶対に許すはずがない。何より、奨励会で歯を食いしばりながら頑張っている人たちや、僕のように奨励会を強制退会になってプロへの道をあきらめた人にも申し訳ないという思いが強かった。そもそも奨励会を退会になった人間が「プロになりたい」なんて口に出すことそのものがすごく恥ずべきことでしたから。

※5 奨励会制度は60年の長きにわたって守られてきた将棋界の鉄の掟──昭和3年制定の奨励会制度の長い歴史の中で、奨励会を通過せずにプロになった棋士は花村元司氏ただひとり。昭和19年に座興で一流棋士と互角に指したことでプロ入りを薦められ、試験将棋を通過。五段と認定されプロ入りした。しかしそれも戦後の混乱期の中での一幕であった。以降60年もの長きにわたってひとりの例外者もなく、奨励会制度は厳格に守られており、現代で奨励会を通過せずにプロになることなど不可能というのが言うまでもない「常識」であった。

父の遺影で決意
 

 でもそれはあくまで客観的に見たプロになれない理由なんですよね。けれど、プロになりたいのかなりたくないのか、自分の心に聞いてみたら、将棋はすごく好きだから、やっぱりなれるものならば将棋のプロになりたいと思ったんです。いろんな人に迷惑をかけたり、不快な思いをさせるかもしれないけれど、プロ棋士になりたいという気持ちが僕の中にまだ強く残っていることに気づいたんですね。もしプロになれたら、自分にとってはそれが一番いい道なんだろうなって。

 それは、遠藤さんに「プロになる気があるんだったらバックアップする」と言われた夜、ふと父の遺影を見たときにそう思ったんです。父が亡くなったとき、「この先心底好きだと思えることが見つかったら、今度こそ勇気をもって妥協せず、全身全霊で取り組もう」と誓ったことを思い出したんです。

葛藤もあった
 

 でも葛藤もありましたよ。当時は僕も勤めていた会社で仕事も任されていて自立してましたし、収入もそれなりに安定してました。このとき34歳だったんですが、いくら将棋が好きとはいっても、この年齢でまたプロを目指すというのはどうかなと。かなり葛藤がありましたね。奇跡が起こってプロになれたとしても、収入が激減するのは間違いなかったですし。最悪半分以下になってしまう可能性もありました。(※6)

 だからかなり悩んだんですが、結局好きなことの苦労なら耐えられるかなと思って、遠藤さんに「将棋のプロになりたいです」と電話したんです。(※7)

※6 最悪半分以下になってしまう──プロ棋士のヒエラルキーは上から順にA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組、フリークラスとなっている。A級からC級2組まではそれぞれのクラスで順位戦を戦い、その成績によって棋士のクラスが上下する。当然上のクラスの方が収入が高い。しかし最下層のフリークラスの収入は不安定で、仮に年間すべての対局で負けてしまえば年収はわずか100万円程度になってしまう。C級2組に上がるためには規定の成績を残すしかないが、それも容易なことではない。さらにフリークラスのまま10年が過ぎれば強制的に引退させられてしまう。

※7 「将棋のプロになりたいです」と電話したんです──会社の後輩からの言葉も効いたという。「『アマチュアの瀬川さんが強いプロに数多く勝っているのに、どうしてプロになれないんですか? そんなのおかしいですよ』と言われたとき、一般の人から見たらやっぱりそう思うんだなあと。もし一般の人たちの共感を得られれば、もしかしたら不可能を可能に変えられるかもしれないと思ったんですね」

 

電話を受けた遠藤氏は瀬川氏の奨励会時代の仲間やマスコミ関係者を集め、瀬川氏のプロ入り実現のための「プロジェクトS」を結成。瀬川氏も2005年に将棋連盟にプロ入りの嘆願書を提出し、プロジェクトは本格的に始動した。しかしこの時点で瀬川氏がプロ入りへの第一関門にまでたどり着ける可能性は限りなくゼロに近かった──。

次回は不可能を可能にした男たちの戦いに迫ります。乞うご期待!


 
第1回 2007.10.1リリース 将棋に熱中 きっかけは恩師とライバル
第2回 2007.10.8リリース 奨励会退会 後悔と絶望と怨嗟の日々
第3回 2007.10.15リリース どん底からの復活 アマ最強からプロ棋士キラーに
第4回 2007.10.22リリース 不可能への挑戦 最後の希望を恩師がつなぐ
第5回 2007.10.29リリース 厳しくも楽しい勝負の世界 将棋は宇宙、その謎に迫る

プロフィール

せがわ・しょうじ

1970年生まれ、37歳。神奈川県出身。プロ棋士(フリークラス)

小学5年生で将棋に熱中し、小学6年生でプロ棋士を志す。以降、将棋の研鑽に励み、中学2年で全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝。安恵照剛七段門下に入り、日本将棋連盟のプロ棋士育成機関・新進棋士奨励会試験に合格。プロ棋士の道へ踏み出すが、26歳までに四段に上がれず、奨励会を強制退会。以降はプロ棋士の夢はあきらめ、大学入学、一般企業へ入社。将棋はアマチュアとして続け、2つの日本一のタイトルを奪取。対プロの勝率も驚異的な数字を記録。最強のサラリーマン棋士としてその名を将棋界に轟かせる。

2004年、周囲のすすめもあり、再びプロ入りを決意。元棋士仲間、マスコミ関係者が一丸となって瀬川氏のプロ入りをバックアップ。2005年、世論と将棋連盟を動かし、不可能と思われていたプロ入り編入試験を実現。6番勝負で3勝を挙げ、61年ぶり、戦後初の奨励会を通過していないプロ棋士となった。

2006年、NECとスポンサー契約を結ぶ。企業と棋士個人のスポンサー契約は将棋界初。

現在、フリークラスのプロ棋士として活躍中。また、執筆、講演、各種将棋イベントへの参加など、将棋の普及にも尽力している。

【関係リンク】

■瀬川氏ブログ
「瀬川晶司のシャララ日記」

■日本将棋連盟

■主な戦績
1984年 全国中学生選抜将棋選手権大会優勝
新進棋士奨励会に6級で入会

1989年 初段に入品

1992年 三段リーグ入り

1996年 年齢制限により奨励会退会

1999年 第53回全日本アマチュア名人戦優勝

2000年 第9期銀河戦で対プロ7連勝

2002年 第19期全国アマチュア王将位大会で優勝
第12期銀河戦で対プロ3連勝

2004年 第12期銀河戦でA級棋士の久保八段に勝利
第13期銀河戦で対プロ6連勝

2005年 将棋連盟にプロ入りの嘆願書を提出
戦後初のプロ編入試験実施が決定
・プロ編入試験六番勝負第1局
 佐藤天彦三段に敗北●
・プロ編入試験六番勝負第2局
 神吉宏充六段に勝利○
・プロ編入試験六番勝負第3局
 久保利明八段に敗北●
・プロ編入試験六番勝負第4局
 中井広恵女流六段に勝利○
・プロ編入試験六番勝負第5局
 高野秀行五段に勝利○
3勝を挙げ、試験に合格。プロ(フリークラス)4段に編入
第33回 東京将棋記者会賞

2006年 NECと1年間の所属契約を締結。所属契約はプロ棋士初

2007年度戦績 6勝5敗
通算 22勝19敗 (9月30日現在)

■関連書籍
『棋士 瀬川晶司—61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格した男』日本将棋連盟

『瀬川晶司はなぜプロ棋士になれたのか』(古田 靖/河出書房新社)

『奇跡の一手—サラリーマン・瀬川晶司が将棋界に架けた夢の橋』(上地 隆蔵/毎日コミュニケーションズ)

 
おすすめ!
 
『泣き虫しょったんの奇跡 サラリーマンから将棋のプロへ』(講談社)

将棋に出会ってからこれまでの栄光・挫折・復活への道のりと、そのつど瀬川氏が感じた気持ちが丹念に書かれた一冊。特に奨励会退会とプロ編入にいたるまでの経緯は、「プロジェクトX」さながら! 涙なしには読めません! インタビュー内容をより詳しく知りたい方はぜひご一読を。2007年度全国読書感想文コンクール高校の部の課題図書にも指定。

『後手という生き方』(角川oneテーマ21 角川書店)

将棋に先手と後手があるように、人生にも先手と後手がある。先手の人が必ず勝利者になるわけではない!  奨励会を年齢制限で退会し、アマチュアとして夢を追いかけた私はいわば「後手番」の人間。だが「後手」にも先手にない強みがある! 将棋界に風穴を開けたサラリーマン棋士の革命的プロ論。「早咲きの天才」渡辺明竜王との特別対談も収録。

『夢をかなえる勝負力!』(PHP研究所)

柔道家の古賀稔彦氏、女流囲碁棋士の梅沢由香里氏、「失敗学」で知られる工学博士の畑村洋太郎氏らとの対談集。「挫折は成功の母」というありがちな教えも、その正しさを身をもって実証してきた彼らから聞けば、ずしりと心に響く。

『棋士 瀬川晶司—61年ぶりのプロ棋士編入試験に合格した男』(日本将棋連盟)

「棋士・瀬川晶司」誕生までのすべてを、様々な角度から活写する。瀬川氏ロングインタビューや、「健弥くん」のコメント、プロ編入試験6番勝負の『将棋世界』誌連載観戦記、実戦29局のポイント解説、奨励会3段リーグ表などを収録。多角的な解析・情報で、瀬川氏プロ編入のいきさつがより深く理解できる。

 
 
お知らせ
 
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業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
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