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魂の仕事人 第19回 其の二
空腹と虐待で死をも思った幼少期 養護施設で見た夢に向かって 挫折を乗り越え、KOデビュー
 
坂本が最初にプロボクサーを目指したのはまだほんの子供、小学校低学年のころだった。あれから30年、いつも食べることに窮していた少年は、多くの人々に勇気を与えるボクサーにまで成長した。今回は不遇な幼少期を経て、プロボクサーとしてデビューするまでに迫った。  
元プロボクサー(元東洋太平洋ライト級チャンピオン) 坂本博之
 

弟がいたから死ねなかった

 

 僕がプロボクサーになろうと思ったきっかけは、7歳のときにテレビで見たボクシングの試合でした。

 そのときのことは今でも鮮明に覚えています。とにかくものすごい衝撃でした。ブラウン管の向こうのリングがものすごく華やかに見えて、あっち側へ行きたい、今の状況から脱したいと強烈に思ったんですよね。

 当時僕はひとつ違いの弟・直樹と福岡の和白青松園という児童養護施設で生活していたんです。僕が生まれてすぐ両親が離婚して、しばらく乳児院で育てられました。その後、母親と一緒に暮らしていたんですが、いろんな事情で弟と一緒に遠い親戚の家に預けられました。僕が6つのころです。しかし、その家では僕ら兄弟は完全に邪魔者扱いされました。

 僕らはトイレを使わせてもらえなかったり、ご飯もたまにしか食べさせてもらえませんでした。だから、小学校に上がると一日の食事はお昼の給食のみ。その給食も残して持ち帰って、夕食にしてました。土日は学校がないから近くの川に行ってザリガニやトカゲを捕って食べてました。とにかく毎日腹を空かせてましたね。あまりにも空腹状態が続くと拒食症になっちゃうんですよ。食べたものを胃が受け付けなくなっちゃって。よく学校で吐いたりしてました。

 預けられた家のおじさんから虐待もずいぶん受けました。何かにつけてブン殴られてましたからね。殴られ続けて顔が大きくはれてね。死を思ったこともありましたよ。「ああ、俺、もうここで死ぬんだな」って。だからもう、つらいという次元は超えてたね。

 でもそこで、「俺死ぬな、もういいや」とはならなかったんですよ。なぜかというと、弟がいたから。おふくろと別れ際に約束したんです。「直樹を頼むよ」「わかった。まかせて」って。

 だから小学生ながら、弟の面倒を見なきゃいけないという使命感がめちゃくちゃ強かったですね。俺の命に代えても、直樹だけは守らなきゃって強く思ってた。

 だから俺一人だったら、どうなってたかわからない。弟がいたからこそ、あそこで踏ん張れたんですよね。

 でも大人に対する不信感みたいなものをかなり感じるようになった。他人に心が開けなかった。これもまた必然なんですよね。そんな生活をしていて信じろって言うのは無理ですよ。同じ同世代の子供たちでも、僕は信じられなかったです、弟以外は。

同じ目線で話を聞いてくれる大人がほしかった
 

 昨今、自殺する子供が増えてますが、とても悲しいことですね。それを防ぐためには、まず子供の心の壁を取り払って、本当の気持ちを打ち明けてもらうことが大事だと思います。子供は話をしたい、聞いてもらいたいんです。でも壁があってできない。その壁を取り払うためには子供と同じ目線で話をすることですよね。

 僕の幼少期には、周りにそんな大人はいなかった。いなかったからこそ、その必要性がわかるんです。僕自身は話はしたかったんですよ、すごく。でも、聞いてくれる大人がいなかった。当時僕が一番してほしかったのが、それなんですよ。僕と同じ目線で、同じ気持ちで話をして、考えてくれる大人をいつも望んでたんですよ。あのおっちゃんに話すと気が楽になるというような人がいたら、また違っていたと思いますよ。もちろん何人かは一緒に話すと落ち着くなという人はいましたが、家庭の事情までは話せなかったですね。

空腹と虐待……そんな過酷な生活も坂本が7歳のときにようやく終わりを告げる。ある日、預けられていた家の人に、児童館のようなところに連れて行かれた。そこは和白青松園という児童養護施設だった。坂本兄弟が遊んでいるうちに、家の人はいつの間にか消えていた。不安に思っていると、和白青松園の職員に「今日からここで暮らすんだよ」って言われた。

養護施設での生活で運命が変わった
 

 和白青松園に入ってから、ようやく三度の食事に困らないような暮らしができるようになりました。職員の人や同じくいろんな事情で親と暮らせない子供たちとの交流のおかげで、少しずつ気持ちが解き放たれていって、柔らかくなったという気がします。

 でもいくらご飯が食べられるとはいえ、やっぱり施設で暮らしている自分がみじめに思えて、早く施設を出て一般社会の中で生活したいと思っていました。実際、弟と脱走しようと企てたのですが、やっぱり職員にバレてしまってこっぴどく怒られた、ということもありました。

 そんなときに、テレビでボクシングの試合を見たんです。施設の食堂でみんなでご飯を食べながら見てたんですけど、テレビの画面に釘付けになりました。そのとき、テレビの向こうがとても華やかな世界に思えたと同時に、そのときの自分の境遇と照らし合わせてしまったと思うんですよね。僕も早くこんな境遇から抜け出して、そっちへ行きたいって。僕自身の気持ちがわーっとヒートアップして、「これだ!」みたいな。そのときにボクサーになってやるって強く思ったんですよね。

 だから和白青松園に入ったというのが、すごくよかったです。それがなきゃ、正直、今の僕はなかった。あのままあの家にずっといたら希望をもてないまま死んじゃったり、気が狂ったりしてたかもしれません……。

 

8歳の誕生日を和白青松園で迎えた坂本だったが、その後母が迎えに来て、5年振りに家族で生活する幸せを得た。一家は福岡から東京に引越し、再スタートを切った。しかし学生時代にボクシングをする余裕はまだなかった。

高校入学後、早くも独立
アルバイトで弟を養う
 

 中学に入ってからは家は完全に俺が仕切ってました。弟の躾も特に厳しくしました。万引きはしちゃいけないとか、いただきますとごちそうさまはちゃんと言わなきゃいけないとか、かなり厳しく言い聞かせました。門限も俺が決めてたし。

 それはおふくろが同じように僕らを躾けてくれたからです。幼少期にそんなおふくろを見て育ったので、弟にも厳しく躾けたんですね。あとは、弟に厳しく言う以上は僕自身が弟の手本になんなきゃいけないと思ってましたから、いい加減なことはできませんでした。僕がやっちゃえば同じことをするから。よくそんな生い立ちで道を踏み外さなかったねって言われるんですが、それも弟がいたからかもしれないですね。

 ボクシングは施設のテレビで見てからずーっとやりたいと思っていたんですが、働きながら学校に行ってたんで、とても部活に入るという余裕はなかったですね。特に高校からは家を出て弟を養わなきゃならなかったから。バイトは肉体労働系のが多かったです。掃除とか工事現場とか。あの当時、バイト料は1日6000円だったかな。高校生にしてはけっこうもらえたんです。土日の2日行けば1万2000円でしょ。当時弟と住んでた家の家賃が1万円しなかったから、けっこう稼げたんですよね。

 かなりハードにやったおかげで高校を卒業するころには、かなり筋力とか体力がついてました。現役時代のパンチ力もこのときに基礎ができたといってもいいかもしれないですね(笑)。

 でも高校時代は楽しかったですよ。初めて遊び友達というのもできたし。バイトではけっこう稼げたので、生活費以外の余ったお金で中古のバイクを買ったりして遊びに行ってました。

高校を卒業した坂本はすぐに念願のボクシングジムに入門。子供のころに見た夢への第1歩をようやく踏み出した。

いよいよ夢への第一歩
 

 高校在学中、池袋でアルバイトをしてたんですが、その行き帰りに電車の窓から「角海老宝石ボクシングジム」の看板が見えてたんです。家から近いし、通うのに便利だなと思って、高校卒業してすぐ4月から通い始めました。

 最初にジムの門を叩いたときは、どういう世界なのかなってどきどきしましたね。テレビでしか見たことがないですからね。実際、ボクシングってどんな世界なんだろうって。

 入門してバンテージの巻き方とか基礎的なことを教えてもらうにつれて、ものすごくわくわくしてきました。7歳のときに児童擁護施設の食堂のテレビで見たあの華やかな世界へ、ここから始まるんだなって。だからもう最初から世界チャンピオンになるんだって思ってましたね。

 ボクシングの練習はやってみたらすごく楽しくて、すぐ自分に向いてると思いました。サンドバッグを思いっきり打ったり、スパーリングで相手を倒したりすると、ああ、俺ってパンチ力があるんだなとか思ってうれしくなったりね。

 

入門した当時から、のちにライト級の世界ランキング1位にまでなり、「平成のKOキング」と称されるほどのボクサーに成長する片鱗を見せていた坂本。練習に励み、入門からわずか半年後にプロテストを受ける。しかし結果は不合格。だが、これが坂本を真のプロボクサーにする大きな転機となった。

プロテストに落ちて目が覚めた
 

 もし最初のプロテストに受かってたら、世界タイトルマッチをやったり、大勢のファンが観に来てくれるようなボクサーにはなれなかったかもしれません。

 というのは、リングでは練習してきた姿勢が出る、リングでは嘘はつけないという意味で言うと、この時の僕はボクシングに対して真剣味が足りなかった。小学校、中学校と友達がいなかったんだけど、高校で初めて心を開ける友達ができた。うれしくてね。そいつらと遊んだ高校3年間はすごく楽しかった。ところが卒業してジムに入門した後も、そこから抜けきれてなかった。ボクシングをやりつつも、友達と夜中まで遊んだりしてたんですね。ちゃらんぽらんだったんですよね、ボクシングに対して。

 それと、不合格になることで、挫折感というか、不安を感じたんです。「俺はこのままダメになっていってしまうんじゃないか」って。そこで目が覚めた。

 だからプロテストに落ちるのと同時に、それまで住んでた家からけっこう離れた場所へ引っ越したんです。仲のよかった友達との縁を切るために。引越し先の住所も連絡先もいっさい教えませんでした。すべてを切って、ボクシング一本に絞らなきゃダメだなと思って。やっぱりそのとき、僕にとって一番大事なのはボクシングだったから。

 仲のよかった友達を切るというのはもちろんつらかったですが、本当の友達ならいずれわかってくれるだろうなと。俺が強くなれば、あのときこういう思いだったんだってね。だからそのためにも絶対に強くなってやると決心しました。

 その後、僕が新人王、日本チャンピオンと段々強く、名が売れていくにしたがって、音信不通になっていた友達は黙ってても僕の応援に来てくれるようになったんですよ。本当の友達だったということですよね。

引っ越しと同時にジムも移籍した坂本は、以後、ボクシング1本に打ち込み、翌年のプロテストは相手をKOして合格。20歳でプロボクサーへの道、小さいころからの夢へ向けて歩き出した。

鮮烈KOデビュー
 

 これまで4度の世界戦を含めて47戦、プロのリングで戦ってきたわけですが、その中でもデビュー戦は最も忘れらない試合のひとつですね。

 とにかくすべてが初めてですからね。初めてのプロのリング。8オンスのグローブで人を殴るのも初めてだし。練習のときは14オンスで打つんです。14オンスと8オンスって全然違うんですよ。8オンスは薄くて軽いんですよね。練習のときはヘッドギアもつけるから、守られた中での打ち合いなんだけど、試合はそういうものが何もないからね。

 でも試合直前は恐怖感や不安感はなかったですね。控え室で拳にバンテージを巻いて、グローブをはめてる間に、こみ上げてくるものがありました。暗い通路を通って、光り輝くリングに立ったとき、小っちゃいとき、施設のテレビでボクシングを観てた自分が、今、そのリングにいるんだ、よし、ここがそうなんだって。

 控え室から出てリングに上がるとき、当然お客さんの姿も見えるんですが、その時はまだ坂本博之を見に来てるんじゃなくて、お客さんもパラパラなんですけど、それでも「ああ、これこれ、テレビで見たまんまだよ」って。そういうことを確かめながらリングに上がったような気がするんですよね。そう思ったら「よし、やったるぞ!」って燃えてきました。アドレナリンがぶわ〜っと出てくる感じですよね。

 試合が始まるまでも、すごく冷静でしたね。でも心はものすごく燃え上がってるんですよ。僕は後輩達にボクシングで勝ちたいなら「心はホットに、頭はクールに」ってよくいうんですが、まさにそんな状態でした。リングの上からお客さんもよく見えてたし。

 試合が始まっても落ち着いて自分のボクシングができました。丁寧にジャブを出して、その後狙いすました左フックがスコーンって当たって。あとはもう、うわーって襲い掛かって1ラウンドKOで勝ったんです。

 勝った後はなんともいえない気持ちでしたね。初めてじゃないですか、レフェリーに「勝者、坂本〜!」って手を挙げられるのって。まばらなお客さんもパチパチって拍手をくれて。それを眺めながら「見てろよ、これから勝ちまくって絶対俺の試合を観に来るようにさせてやるからな、俺が世界チャンピオンになるんだ」って観客に向かって手を挙げてましたね。

 

デビュー戦をKOで飾った坂本は、その後もKO勝利を重ね、新人王、日本チャンピオンに輝く。驚異的なスピードで夢への階段を駆け上がっているように見えたがしかし、大きな落とし穴が待っていた──。

次回は強さの裏にあった苛烈な練習、そして最大のスランプをどう乗り越えたかに迫ります。乞う、御期待!

 
2007.2.5 ボクシングは「生き様」
2007.2.12 死をも思った幼少期
2007.2.19 練習で泣いて、試合で笑え
2007.2.26 突然襲った不幸 絶望の日々
2007.3.5 子供たちのために

プロフィール

さかもと・ひろゆき

1970年福岡県生まれ、36歳。日本ライト級チャンピオン、東洋太平洋チャンピオンに輝いた元プロボクサー。2007年1月に現役引退。

幼少時代を過ごした児童養護施設でボクシングのテレビ中継を見て、プロボクサーを目指す。

現役時代のニックネームは「平成のKOキング」。KOの山を築いた強打と打たれても前へ出るファイトスタイルで熱狂的なファンをもつ。4度にわたる世界挑戦の敗退、さらに椎間板ヘルニア手術による2年7カ月のブランクを乗り越え、最後の最後まで現役にこだわる。特に2000年に行われた畑山隆則とのWBC世界ライト級タイトルマッチは伝説の試合としていまだに語り継がれている。

困難や逆境にへこたれず挑戦し続けるその生き様は多くの人々に生きる勇気を与えた。記録よりも記憶に残る不撓不屈のボクサー。

●主な戦績
通算47戦39勝(29KO)7敗1分

1991年12月 デビュー戦をKOで勝利

1992年12月 東日本新人王ライト級チャンピオン(デビュー以来6戦連続KO勝利)

1993年12月 全日本新人王ライト級チャンピオン、日本ライト級チャンピオン

1996年3月 東洋太平洋ライト級チャンピオン

1997〜2000年 4度世界ライト級タイトルマッチに挑戦、敗れる

2002年 腰のヘルニア手術〜リハビリで2年7カ月のブランク

2005年5月 復帰戦に敗れる

2006年1月 3年7カ月ぶりの勝利

2007年1月 現役引退

●詳しいプロフィール、戦績、近況は、
角海老宝石ボクシングジム・オフィシャルWebサイトか、坂本博之さんのブログ:「ラストファイトまで不動心」へ!

●こころの青空基金
坂本氏が2000年7月に設立。各種チャリティイベントなどの募金活動を通じて、全国の養護施設にいる子供たちを支援している。
 
おすすめ!
 
『僕は運命を信じない 不滅のボクサー坂本博之物語』(西日本新聞社)

絶望の中でも夢を追い続け、はい上がってきた坂本の壮絶な半生を通じて、「生きる」という意味を問いかけている一冊。いじめによる自殺、児童虐待などが相次ぐ中、坂本さんは「どんな環境や境遇に生まれようとも、生きてさえいれば人は前に進むことができる」と訴えている(西日本新聞社Webサイトより)。

 
 
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協力/角海老宝石ボクシングジム
http://www.kadoebi.com/boxing/

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