また、その年はNHKがパリダカを初めて大きく取り上げて、連日レースの模様を放送していたおかげで、世間一般に「パリダカ」の知名度が上がりつつあった。過酷なラリーで日本人が上位を目指していると応援してくれて、「3位入賞しました!」と大々的に結果を報じたことが追い風になって、他のマスコミにもたくさん取り上げられるようになった。それ以降、パリダカとパジェロと篠塚というのは、セットのようにして一般の人の中にもワーっと広がっていったわけです。同時に、パジェロの売り上げもドーンと上がっていったんですよ。会社の中でも、パジェロ、篠塚、パリダカが認められて、水戸黄門の印籠みたいになってしまった(笑)。
それからはもう、ほんとうにすべてガラッと変わりましたね。日本の中でのモータースポーツの地位というか扱われ方が変わった。87年は中島悟がF1のレギュラードライバーになった年でもあったから、パリダカとF1の両方でモータースポーツがお茶の間の話題に上るようになったんです。
乗るはずの車が壊れ違う車に乗った運、マスコミが報道してくれた偶然。マシンにしてもマスコミにしても、考えてみればすべてがいい方向に行きいい結果が出た。運とか偶然とか出会いとか。そういうものに僕は恵まれていると思いますね。
もちろん、そういう好機をしっかりとつかみ取る力も必要です。チャンスっていつでも目の前にあるのに、それに気づかず、すっと通りすぎていっちゃうことがいっぱいあるはずなの。だから、ああ、これがチャンスだと感じたら、いい方に転がりそうだと思ったら、それをぐっと引き寄せることのできる力を常に備えていることが、生きてく上ですごく大切なことだと思うんです。日頃の心構えとか人一倍の努力とか、どれだけ味方がいるかとかね。
周囲の理解や協力を得ておくのも大事ですね。せっかくチャンスが来たのに、例えば家族の問題とかお金の問題とか自分自身の健康の具合とか、いろんな問題でみすみす逃してしまうということもいっぱいあるでしょ。いつでも、チャンスが来たときにしっかりつかめる環境を整えておくというのも大切だと思いますよ。僕は、家族に感謝しています。カミさんと息子には頭が上がらない。支えられて守られているから、こうして走り続けていられるわけですからね。 |