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魂の仕事人 魂の仕事人 第17回 其の四 photo
仕事は生かされている証 これまでの苦労に感謝 これから先の人生にわくわく
 
海中でのさまざまなドラマを撮影しはじめて41年。還暦を迎えてもいまだ海と写真への情熱を燃やし、世界中を駆け回っている中村氏。しかし過去1度だけ海を憎み、カメラを置こうとしたことがあった。それは中村氏自身も死にかけたあの大災害がきっかけだった。  
水中写真家 中村征夫
 

奥尻島の大津波で

 

 これまで一度だけこの仕事を辞めようと思ったことがあるんだ。1993年7月12日に起こった北海道南西沖地震。僕はまさにあのとき、撮影のため10日間ほど奥尻島に滞在してたんだ。しかも、津波で壊滅的な被害を被った青苗地区に。

 津波が襲ってきたとき、ほかの撮影スタッフといっしょに宿にいて、宿のおかみさんが「早く逃げろ!」って叫んだからあわてて玄関に駆け下りてね。靴を履こうとしたら、おかみさんが「靴なんて履いている場合じゃない、早く高いところに逃げて!」って。そのまま裸足で高台の方に走ったんだけど、その直後に津波が襲ってきた。

 命は助かったけど、あらゆる撮影機材を津波で失っちゃった。でも一番ショックだったのが、大勢の住民の方が一瞬で亡くなったこと。10日も一緒にいるとよくわかるんだけど、奥尻の人たちはほんとにやさしい、心の温かい人たちばかりなんだよ。その人たちが一瞬にして、生命や財産を失ってしまった。どうしてこんなやさしい人たち、罪もない人たちがこんなひどい目に遭わなきゃならないんだって思った。生き残った人だって、大切な人や家や財産を失った心の痛みは一生残るよね。たとえ復興しても完全には消えないと思う。こんな理不尽なことがあっていいのかよって。そんなバカな、冗談じゃないよって。

 それまで海はいろんな感動を与えてくれて大好きだったけど、なんでこういうひどいことをするのか、このときは非常に海を憎んだね。僕も機材を全部なくしてすっからかんになっちゃったから、この機会に海に潜るのも撮影するのも全部辞めちゃおうかって思ったんだ。

「生かされた」実感で再び海へ
 

 それでしばらく放心状態で何もしないでいたんだけど、落ち着いてきたらだんだんこう思うようになってきた。一番危ないところにいたのに、どうして俺は助かったのかなって。いつも考えてたんだけど、ある日ふと、もしかしたら「助けられたのかな」って思った。

 何かが「海はきれいなだけじゃないぞ、時には暴れて人々にこういう悲しい思いもさせるんだ、これも自然の力、姿なんだ。そして今、この海がどうなっているのか、おまえをもう一回生かすから、きちんと伝えろ」っていうふうにね、命をもう一回、引き伸ばしてくれたのかなって思えなくもないなと思うようになったんだ。

 でないと、どうも理屈が合わないから。津波がきたときは、ほんとに1秒、2秒の違いだった。靴を履いてたら間違いなく死んでたと思う。何かに押されるように高台まで走ったって感じがあるから。青苗の人があんなに亡くなったのに、ただの旅人の僕がね、地理もほとんどわからない僕がなんで助かったのかわからない。でもそういうふうに思えば、納得もできるかなというかね。それで、今懸命に講演もやってるんだよ、環境についての。海の姿がどのようになってるのかということをね、できるだけ多くの人に伝えようと思って。

 

時々何か見えない大きな力に動かされていると感じることがあるという中村氏。それだけに写真家として謙虚に、真摯に、真剣に自然と対峙している。仕事のやりがいも自己満足ではなく、あくまで「伝える」ことにあった。

流行は追わない
 

 写真家としてのこだわりは、とにかく小細工をしないで、今、目の前で展開されていることをそのまま撮るってことかな。きれいなものも汚いものも含めて現実を正しく見つめて、それを作品にする。そして世に送り出すというのが僕の仕事だと思うんだ。要するに正統派で行きたいと。だから、流行は追わない。

 でも海の中のいい写真を撮るためには、実は陸上での人とのコミュニケーションが一番大事なんだ。なぜかというと、その海と関わる島の人とかとトラブルがあったら、その島にいづらくなっちゃうし、それ以降行きづらくなっちゃうのね。そうなるとどんなきれいな海でも、嫌になっちゃうし。そういう意味でね、人とのコミュニケーションは大事。

二度とない一瞬をとらえ、伝えていきたい
 

 水中で撮影してて一番喜びを感じるときは、「この瞬間は、今、俺しか見てないんだ」って思えるときかな。嘘のない、生の地球の動くさまを、生物たちのドラマを、この貴重な一瞬を目の前にしているのは俺しかいないって。それに同じ瞬間は二度とないからね。すべてが刻一刻と変わっていく。海は常に動いているから止まることがなくて。その時間で生き物たちのドラマも変わっていく。

 そしてその二度とない一瞬一瞬を切り取り、ストレートに作品にすることによって、大勢の人に伝えることができる。これは幸せなことだと思うわけね。もちろん、100人いれば100人すべてが僕の真意に対して感動するわけではないと思うけど、一部の人でも、作品を見て、わーっとね、胸を打たれるものがあれば、うれしいなと思う。そういう意味では、海の中というのは未知のものだから、地上にいるより遥かにその喜びを味わうチャンスは多いんじゃないかという気がするよね。

 水中で撮影してるときは、無の状態、空の状態になってる。頭も心も空っぽになって、邪心や邪念が全部消えてしまって、今、目の前に展開する風景や海の力、そして生き物たちが一瞬に見せるいろんな生き様に向かってるんだよね。

 潜り始めて今年で41年になるけど、海に入るたびに非常に心地よいというか、ストレスがなくなる。そしていいもの見せてもらったって毎回思う。こういうすばらしいものはお金払っても見れないよね。

野生の輝くドラマを撮るために
 

 自然の生き物たち、特に海の生き物たちは、明日のことなんて全く考えてなくて、今日しか真剣に生きてないから、輝いてるんだよね。人より真剣なんだ、何をやるにも。だから、学ぶところが多々あると思うんだよね。

 それだけに撮るのも難しい。魚たち、野生の生き物というのは、餌をあげれば食べるだろうけど、絶対慣れることはない。だから彼らとコミュニケーションを取るなんてことは無理だと思う。水族館にいる生き物とはわけが違うからね。彼らの輝く一瞬を撮るためには、裏をかくしかない。海に入ったら「俺はおまえに興味はないんだよ」って風を装って、危険を与えないように振る舞う。長い時間をかけてそうして初めて、彼らは僕らの前でも普通に行動してくれる。それを待ってるわけだ、こっちは。そして僕の狙ってたその瞬間を撮る。だから魚との騙し合いだよね。それを考えれば、野生と一体になって撮る、というのはおこがましい話だと思うよ。

 そういう意味では、写真展「海中2万7000時間の旅」で、お客さんに「水族館の帰りに来たんだけど、水族館の魚より写真の方が生き生きしてますね」って言われたのはうれしかったね。それだけ生き物の姿に肉迫できてるというか、輝く一瞬を撮れてるのかなって。だからそういう瞬間を、これからも撮って行きたいと思う。生き物たちの輝く一瞬を。

41年潜っても全く飽きず、海と写真が好きで好きでたまらないといった感じの中村氏。しかし意外にも水中撮影という仕事は天職とは思えないという。中村氏にとって仕事とは? 働くということとは——?

自虐的カメラマン
 

 僕にとって仕事とは? そうね……自分がこの世に生を受けて、生きてる、生かしてもらうための証みたいなものかな。だから、仕事で世間に認められ、報酬を受け、そして家を構え、家族を養い、ていうことになると思うんだよね。それでまた、新しい仕事にチャレンジしていく。そういう感じで、生きてきた証が僕にとっての「仕事」という表現になるんじゃないかという気がするね。

 だから僕の場合は、生まれたときから一生働かないでも暮らせる財産があったとしても、働かないで生きていくという人生は耐えられないと思う。とにかく何かに挑んでなければいられない性格なんだよね。だから自分のことを「自虐的カメラマン」と言ってるんだよ。自分を追い詰めて追い込んで、そこから這い上がってくるのがめっちゃくちゃ好きなんだよね。写真なんかも、ギリギリの危ないところで撮ってる。波であと1メートルも上昇したら、上にもっていかれて岩壁に叩きつけられるな、というような所で。そのギリギリのところで撮ったりするのが好きなんだ。怖いけど美しい世界、海の力はすごいぞということも見せてあげたい。だからとことん、歳は関係なく、自分の体が動ける限りは、自虐的カメラマンであり続けたいと思ってる。

人生には3回チャンスがある
 

 人生、3回チャンスがあると言うでしょ? 1つ目はこの世に生を受けたこと。2つ目は、この水中写真、写真の世界に目覚めて仕事として続けてこられた。3つ目は何かというと、これからあるんだよ、きっと。そう思ってるわけね。だからいつも、前向きに考えたいと思ってる。何があってもマイナス、ネガティブには考えたくない。いい方に考えたいよね。

 僕は昔から大器晩成型とよく言われてきたのね。自分の人生を考えてみると、確かにそうかなと思う。これまでいろんな困難があったけど、それは大器晩成になるための積み重ね。途中で断念してれば、今の自分はないよね。それをなんとか乗り越えてこれたから、これからもっと、楽しいこと、素晴らしいことが待ってるぞ、と思ってるわけ。

 だから、幼い頃里子に出されたり、実の父親にいじめられたり、会社で陰湿な嫌がらせをされたり、奥尻島で機材を全部失ったり、死ぬような目にあったり、あれだけいろんな苦しいことがあったのは、逆に感謝しなくちゃいけないことだったんだね。この先どうなるかわからないけど、すべては今があるためにあったことだと思うからね。写真を撮り続けるにしても人のために何かをするにしてもね。

 だから、僕の写真展やトークショーとかに来る学生に「どうすればプロカメラマンになれますか?」って聞かれるんだけど、決まってこう答えるんだよ。「もっともっと苦労しなさい」って。それしか言わない。人の嫌がること、人の避けていくことを、とことん、好んでやりなさいと。自分の体を動かしてね。それが一番なんだよ。

天職だとは思ってない
 

 でもね、僕は今の仕事を天職だなんて思ってないんだよ。というかそこまで考えたことがない。とにかく好きなことをがむしゃらに一生懸命やってきたというだけで。それが受け入れられなくなったら潔く辞めるしかないよね。天職かどうかは、ずーっと後になって分かることなんじゃないかな。

 もっと言うとね、今はまだ現役で写真をやってるけど、これが一生の仕事なのかどうか疑問に思っているんだ。もしかすると、これからの人生で、写真じゃなくて他の仕事をやるかもしれないし。人生、終わってみないとわからないから。

 もちろん今はまだ水中写真家としてやり残したことがあるし、いろいろありがたいお話をいただいたりしてるから真剣にやってるけどね。ただずーっとこの先写真家であり続けられたとしても、相手が海という全く未知の世界だから、やりきることはまず不可能だと思うね。だから、テーマとしては、非常に大きなテーマに立ち向かってしまったなというのはある。しかし、こんなに自分の人生に大きな影響を、何も言わない自然に与えられるということは、そうそうないことだと思うので、当分は、海にレンズを向けていくんじゃないかなとは思ってるけどね。

 でもね、自分がやりたくてもできなくなる可能性だってあるでしょ? 作品だっていつかはみんなから飽きられることがあるかもしれない。そうじゃなくても病気になったり、撮影中に事故に遭ってカメラを握れなくなるかもしれない。そうなったら潔く、石丸電気を辞めたみたいに、ぱっと生き方を変えたいと思ってる。もちろん、今の仕事を一生の仕事にしたいと思うんだけど、何が起こるかわからないから。そればっかりはわからないから。まあ、今までいろんなことがあったからね。たぶん、何があっても驚かないでしょう。

 ただ、そのときそのときを真剣に生きていけばいいんじゃないかなという気がしてる。今、2人に1人が癌になるというけど、たとえば僕が癌になったとしても、延命治療はしてほしくない。とにかく自分の力でできるだけ生きて、人生を全うしたいなと思う。現実になったら、もっと生きたいと思うかもしれないけど。でも、こういう仕事をやってるとなおさらにね、常に安全圏にいるわけじゃないから、覚悟だけは持っていたいなと思う。ただ、海をあなどらずに、海に対して真摯な気持ちで、これからも付き合っていきたいなと思ってる。

やりたいことは山のようにある
 

 現実的にもね、実はやりたいことがけっこうあるんだ。一つはね、沖縄とか南の島で小船を買ってね、船長兼ガイドをやりたいんだ。船に乗せる客は主にカメラ派ダイバー。いろんなのが来ると思うんだけど、彼らにチクチク説教したいわけ。フィルムの扱い方がなってないとか、技術とカメラが合ってるのか?とかね。口うるさい、嫌なおやじになりたいんだな。それもいいかなと(笑)。

 死んだ後だって、いろんなことがしたいと思ってるんだ。だから、僕が死んでも棺おけには、絶対、海の仕事のものを入れて欲しくない。あらゆるもの、カメラも、フィルムも、作品も、入れるなって言ってある。だって、あの世へ行ったらまた違うことを始めたいから。また違う世界が待ってるだろうから。

 ましてや海に散骨なんかやって欲しくない。海は僕の現場であって、油断も隙もない怖い現場だから。そんなところに散骨されても安心して死ねないって(笑)。潮流でどんどん遺灰が運ばれて、ずーっと世界中をぐるぐる廻るなんてたまらないよ。やっぱり、生命が終わったら一切なしにしたい。それでまた、あの世で新しい生活を始めたいと思うね(笑)。

 
2006.12.4 1 やりたいことがわからず 身もだえしていた10代
2006.12.11 2 命がけのスクープで 運命が変わった
2006.12.18 3 31歳、裸一貫で独立
2006.12.25 4 仕事は生かされている証

プロフィール

なかむら・いくお

1945年秋田県生まれ、61歳。日本を代表する水中写真家。撮影プロダクション株式会社スコール.代表。

高校卒業後、上京。大型家電量販店の販売員、酒屋の店員、お抱え運転手、お菓子の卸売り業など、職を転々としながら独学で水中写真を学ぶ。24歳のときに水中カメラマンとして水中撮影プロダクションに入社。

7年間勤務した後独立。以後水中写真家として新聞、雑誌、テレビなどの各種媒体に水中写真、映像を提供。自身の出演、講演も多数。写真集、著作、DVDなど受賞作品も多い。

2006年8〜9月には水中写真家としては初めて東京都立美術館で単独で企画展海中2万7000時間の旅を開催。大反響を呼び、ほぼ口コミで4万人の観客を集める。
(2007年1月4日(木)〜2月21日(水)10:00〜18:00 秋田市立千秋美術館でも開催されます)

●公式ブログ:水中写真家・中村征夫のぷかぷかブログ

●主な受賞歴・作品
1988 第13回木村伊兵衛写真賞受賞(『全・東京湾』『海中顔面博覧会』)
1994 第9回文化庁芸術作品賞。(NHKラジオドキュメンタリー『鎮魂奥尻・水中写真家中村征夫の証言』)
1996  第12回東川写真賞特別賞。(『カムイの海』)
日本産業文化映像祭第1位。(ハイビジョンソフト『カムイの海』)
1997 第28回講談社出版文化賞写真賞。(『海のなかへ』)
1998 年鑑日本の広告写真’98優秀賞。

詳しいプロフィール・受賞歴・作品はこちら

 
おすすめ!
 
 
『海中奇面組』(KKベストセラーズ)

『読売新聞』の人気連載が、カラー写真満載のフォトエッセイとして新登場!“半漁人”中村征夫が、長き水中の旅を通して撮ってきた作品の中から77点を選び出し、だれも知らない撮影秘話を交えたエッセイで紹介。今回は、特に魚の“面白い顔”に焦点をあてたスペシャル・エディション。

 
『海中2万7000時間の旅』(講談社)

東京都写真美術館での写真展に合わせて作られたDVD付き写真集。写真219点を収録。DVDは、オホーツク、小笠原、南オーストラリアなど7つの海の特別映像、約30分。

 
 
ラジオのパーソナリティも!
 
 
「中村征夫の世界の国から」
ニッポン放送(毎週水曜日放送)20:30〜20:50

2006年10月4日(水)〜半年間
さまざまな国を旅してきた中村氏が、それぞれの国での体験談や現地の様子をおもしろおかしく伝える。ニッポン放送のアナウンサーと一緒に、初めてのパーソナリティを務めている
 
 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
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