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魂の仕事人 魂の仕事人 第13回 其の三 photo
乗客の笑顔がなによりの喜び その日一日を悔いなく全力で 仕事は私を支えてくれている人々ために
 
地球の70%を覆う海。そこは命のふるさとであると同時に、人間の力などまるで及ばない未知なる大自然。そんな大海原を舞台に数百名の乗客を楽しませることはやはり容易なことではなかった。シリーズ最終回では船長という仕事のやりがい、つらさ、そして由良船長にとっての「働くということ」について語っていただいた。
客船船長 由良 和久
 

真正面から対応すれば
必ず分かってくれる

 

 船長として航海を成功させる上で一番の懸案事項が天候です。こればっかりは人間の力ではどうしようもできない。天候は完璧には予測できないし、ましてやツアーのスケジュールは催行の1年以上前に決めますからね。

 悪天候になるとクルーズ中にコース変更を余儀なくされることがあります。そんなときが一番心苦しい。何がってお客様に対してですよ……。数年前にこんなことがありました。

 ニューカレドニアのウベア島っていう、いわゆる天国に一番近い島っていわれている島に行くクルーズがあったんです。ウベア島はとんでもなくきれいなところなんですよ。砂浜も海も島自体もきれい。もちろんそのクルーズで大きな目玉でした。

 でも当時はまだ酋長さんがいるような島で、外国の船が勝手に土足で入っていけるような島じゃなかったんです。だから出航の半年くらい前に下見に行って、酋長に挨拶してね。どうぞ私たちを受け入れてくださいってお願いしたんです。じゃあ儀式を受けたら入っていいよと。もちろんお願いしますって受けて酋長さんに了解をもらえたんです。「わかった。君たちを入れてあげよう」と言われたときは、ほんとにほっとしましたね。

 当然お客様も楽しみにしていました。でもちょうどこれからウベア島に向かうぞというときに島の近くで台風が発生しちゃったんです。

 もう行きたいのは山々なんですけど、当然、行ったって船が停泊できないからどうしょうもない。だからお客様に状況を説明して、「やはり無理です」と。仮に行けたとしても、島全体が暴風雨で上陸できる状態ではないし、船は揺れるし、無理ですと。そうお客様に話をしたんです。もう断腸の思いでした。

 

 しかも、その時点では快晴だし、海もそれほど荒れてなかった。もちろんまだ船だって揺れてないんですよ。逆に暴風雨の中を走っていれば、お客様も納得するんですよ。ああこれはダメだなって。ところが、そうなる直前ですからお客様は、「ひょっとしたら行けるんじゃないか」って思っちゃうんですね。

 でも我々はそこを早めに行けないと決断した。島に行ってやっぱりダメだなってそこから戻ったって、ただの無駄足になってしまいますからね。やはりタイムリミットがあるんですね。この時点で島をあきらめて針路変更すれば、ほかのスポットに立ち寄って遊んで帰れるけど、無理して行ってしまったら、どっちも行けずにただ帰ってしまわないといけないですからね。

 お客様にはいろんな情報をお渡ししてちゃんと説明したら、非常に残念がられてはいましたが、納得していただけました。船長が言うんだから、残念だけど仕方がないと。

 こういう不可抗力のトラブルを含めて、基本的にトラブル全般に対しては、へたに取り繕うんじゃなくて、誠実に、真正面からしっかりと対応することが大切ですね。ある過程で過ちがあった場合でも、ミスはミスとしてちゃんと認めた上でしっかりとフォローするというか、事後ケアを含めたうえで、ちゃんとお詫びをする、説明するということが大事だと思います。そうすれば必ず分かってもらえると思います。ごまかそうとしてへたに隠し事をしたりするとダメですね。

ひとつ上の立場で仕事を見ることが重要
 

 このように船長は対お客様、対スタッフ、そして航海そのものなど、船における全責任を負わねばなりません。そこが一等航海士との大きな違いなんですよ。

 たとえば宿泊に関して不手際があったり、エンジンの不具合が起こったりしたら、すべて船長の責任になるわけです。だから普段からすべての部署に目を配らせる必要があります。

 一方、一等航海士は船体設備や航海のある部分だけの責任者です。要するに見ないといけない範囲が全く違うということです。一段階ランクが違うだけで仕事の責任の範囲が全然違ってくる。

 しかし、だからこそ、一等航海士のときから、自分が船長になったらどうするか、という視点で仕事をしなきゃならないんです。いきなりその瞬間から「船長」にならなきゃいけない可能性だってあるのですから、常にそういう視点で仕事をしていないといざというときに困るわけです。

 仮に船の航行中に船長が急病で倒れたときは、すぐには交代を用意できません。そのときは一等航海士が代行するしかない。緊急時には法律でも許されてるんです。そういう、いざというときのために、常にひとつ上のポジションをカバーできるように考えながら任務に当たれと、すべての航海士に言い聞かせています。三等航海士であれば二等航海士がカバーできるように、二等航海士であれば一等航海士の任務が遂行できるように。

 でも一般の陸上の会社でも同じではないでしょうか。ヒラなら主任の視点で、係長なら課長の視点で、というふうに。常にひとつ上の立場に立って考えた方がいい仕事ができますし、成長も早いはずですよね。

 特に船の場合は、何百人という乗客の命が懸かっていますから、それはもっとシビアに考えておかなければいけません。いざというとき、すぐには助けは来ないですからね。

すべては乗客のために──。由良船長の言葉の端々にはサービス精神と危機管理意識がうかがえる。そんなプロフェッショナルにとって、仕事の喜びもまた乗客の喜びだった。

乗客の笑顔がなによりの喜び
子供のころの夢がかなっている状態
 

 仕事の喜びですか? 月並みかもしれませんが、やっぱり、ひとつの航海を無事に成就させて、お客様が喜んでくれたときには、ああ良かったなと、それは本当に実感しますね。航海士時代にも同じ思いはありましたが、責任が大きくなる分だけ、喜び、充実感、達成感も大きいですよ。

 自分自身も、そうやってお客様と一緒に航海を楽しんで、滞在地で素晴らしい景色を見て、ともに楽しんで帰れる、そういうときは海に出てよかったなと思います。

 特に外国に行ったときはそう感じますね。地中海、パナマ運河、スエズ運河、キール運河……ああいう歴史のある水路はいいですね。ヨーロッパあたりもすごい港がありますからね。中世の町がそっくりそのまま残っているような港町に船を着けるわけですよ。ふっと振り返ったら、すぐ後ろにお城がどーんとそびえていたりね。そんなところへ行くと、やっぱり、ああ、いいなあって思いますよね。

 飛行機や電車やバスなどの旅の場合、こういうことは体験できないですから。飛行機に乗っても、着くのは飛行場でしょ。そこから電車やバスを乗り継いで観光に行くってことはできますけど、こういう船で行くのとは、やっぱり全然違うと思うんです。船の場合はもう着いた場所がその土地の名所ですから。

 また自然もいいですよ。アラスカの氷河や北欧のフィヨルド、時には皆既日食や満天の星空に無数の流れ星など。そういうクルーズならではの感動的な大自然に仕事をしながら出会えますからね。

太平洋のど真ん中に突然姿を現す奇岩など、客船の旅でしか味わえない風景に感動できるのも大きな魅力のひとつ。写真は鳥島の南方約76kmの海上に屹立する孀婦岩(そうふがん)

 だから今は、子どもの頃の夢がかなってる状態といえるかもしれないですね。だからいくら航海を重ねても飽きることはありません。飽きるどころか、常にいろんなことが起こりますから。いいことばっかりじゃなくて、たいへんなこともあるので、笑ってばかりもいられませんけど。でもたいへんなことがあったって、それをなんとか無事に乗り越えたときの充実感っていうのは、やっぱり、なにものにも代えがたいですからね。

 特に世界一周航海などはたいへんですよ。とにかく準備から膨大な時間と労力を費やしますから。航海の安全を保つために、事前に心配なところに下見に行ったりするわけですよ。この港、この海域に来たときにはどうするか、などということは事前にちゃんと入念に計画を立てるんです。私だけじゃなく会社全体で入念に企画立案し、懸命に下準備をする。

 もちろん安全面だけではなく、いかにお客様に航海を楽しんでもらえるかという意味での準備にも気を配ります。客船の場合は、単に人を乗せて運ぶんじゃなくて、乗ってくれたお客様にどれだけ楽しんでもらえるか、乗ってよかったって思ってもらえるかが重要ですから。

 だからこそ100日間、大きなトラブルなく終わったときの充実感というのは格別です。お客様が喜んでくれて、本当によかったって。そのために頑張っているようなものですからね。

 それは世界一周だろうが、3泊4日のショートクルーズだろうが基本的には同じですけどね。

乗船時にすべての乗客にお礼の挨拶をする由良船長。そんな人柄を慕う「由良ファン」は多い
いろいろとつらいことはあるけど
辞めようと思ったことはない
 

 こんな感じなので船乗りの仕事を辞めようと思ったことはないですね。あ、でも子どもが小さいときは正直つらかったです。子供が2つ3つのころって1カ月くらい一緒にいるとなついてくるわけですよ。でも船に乗ったらまた3カ月家に帰ってこられなくなる。そういうのはやっぱりちょっとつらかったですね。

 あとは、子どもの誕生日、卒業式、入学式といった記念イベントとか、あるいは自分の親が具合が悪いというようなときも、海の上にいると簡単には駆けつけられませんからね。そういうときは休ませてもらいたいとか、今ここでちょっと船を降りたいと思ったことはありますよ。でもそれは他のスタッフとの兼ね合いなどいろんな事情がありますから、自分の好き勝手にはできません。

 そういうようなときはやっぱり、つらいと感じることはありますけど、船自体を降りようとか、仕事をやめようと思ったことはないですね。やっぱり相当好きなんでしょうね、この仕事が。

 私にとって仕事とは? うーん……あまりじっくり考えたことはありませんが、敢えて言うなら家族のため、会社のため、乗組員のため、そしてお客様のため、いろんな意味で自身を支えてくれている皆さんのためだと思います。ただ自分のためと言う感覚はありませんね。

 今後の最大の目標は、これもありきたりですが、定年までまっとうに仕事を勤め上げること。事故もなく、まずは安全に。それから、ひとりでも多くのお客様に喜んでもらえるように、とにかくその日一日を一生懸命やろうと。

 あとは一度でいいから仕事抜きで客船に乗ってみたいんですよ。どんなにいいだろうと思いますよ(笑)。何も考えずにほんとに呑気に、船旅を楽しんでみたいですね。

船長室にて
 
2006.7.3 1 12歳で船乗りを志す つらかった商船学校時代
2006.7.10 2 さまざまな苦難を乗り越え 18年かけて船長に
2006.7.17  3 乗客の笑顔がなによりの喜び その日一日を悔いなく全力で

プロフィール

ゆら・かずひさ

1961年6月大阪府生まれ、45歳。練習船時代を含め、今年で船乗り生活24年目。

海軍の軍人だった父親の影響を受け、幼少のころより船乗りにあこがれる。1982年広島高等商船高専卒業後、西日本汽船に三等航海士として入社。「ゆうとぴあ」「ニューゆうとぴあ」に乗船。

1989年 二等航海士に昇進。5月「おりえんとびいなす」建造に立会。9月日本クルーズ客船株式会社に移籍

1992年7月から1993年9月まで本社海務課主任として陸上勤務、入出港手配・運航管理補佐に従事。

1993年海上復帰。1994年一等航海士に昇進。1996年「ぱしふぃっくびいなす」建造に立会。

2000年39歳で「ぱしふぃっくびいなす」船長に就任。現在に至る。多くの人々との出会いや常に自然と向き合って航海を続けることに生き甲斐を感じている。

ぱしふぃっく びいなす

1998年4月に就航した、総トン数26,518トン、全長183.4m、旅客定員696名を誇る日本屈指の豪華客船。豪華でエレガントなエントランス、ロビー、客室、レストランなど、まさに「洋上のホテル」の名にふさわしい。

2007年、この「ぱしふぃっく びいなす」で行く世界一周クルーズが催行される。2007年4月2日から104日間にわたって世界各地をめぐるもので、由良船長によると「最高のコースを最高の時期に通過できるように考え抜いて作成された」クルーズ。詳しくはこちら

協力:日本クルーズ客船株式会社

 
お知らせ
 
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