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魂の仕事人 魂の仕事人 第7回 其の三 photo
DDRがおもしろいわけがない 弱者のため、世の中のため やれる人がいないからやるだけ
東チモールで1年間、復興の指揮を採った伊勢崎さんはその直後、内戦が激化していたシエラレオネ、ついでアフガンへ飛んで武装解除、治安回復に尽力する。紛争の現場で伊勢崎さんが見たものとは……。
武装解除人・日本紛争予防センター理事・立教大学教授 伊勢崎賢治
 
惨劇のシエラレオネ
 

 これまで手がけたDDRの中で一番キツかったのは、東チモールの次に行ったシエラレオネですね。このときも国連から派遣されるという形で行きました(国連シエラレオネ派遣団DDR部長として)。1988年1月から内戦に突入する直前の1992年3月まで国際NGOの責任者として僕が働いていた事務所はもちろん、精魂込めて作ったインフラがほぼ破壊しつくされていました。

 とにかく相手がまともな連中じゃなかった。朝から麻薬やって、交渉の現場でもラリったまま実弾の入ったピストルをくるくる回してるんですからね(笑)。ほんとにいつ撃たれるかわからない。ロシアンルーレットまがいのことをやられた同僚もいたしね。

 特に下っ端の少年兵とかはコワかったですね。10代のはじめから少年兵として雇われて、殺し方があまりにも残酷なんで、名を馳せて司令官になったとかね、そういう10代、20代の司令官を相手にしなきゃいけないわけです。これはきつい。ほんとにまだ子供で、何するかわかりませんからね。

 シエラレオネの内戦では、そのゲリラの少年兵が村の子供の手足を生きたまま切るとか目玉を抉り取るなんてことが日常的に行われてたわけですが、どうしてそこまで残虐なことをしたかはわかりません。彼らはいろんな言い訳をするんですよ。麻薬を打たれてたとか、命令されてやったとか。ひと思いに殺すよりも手足を切ったりしてまともに働けない人間を増やしたほうが、倒したい現政権にとっては負担になるからということなんですけど、そこまで考えてないですよ彼らは。絶対に楽しんで人間を殺してたね。

 中でも最も残虐だったのは、少年兵同士の「賭け」ですね。対象は妊婦。おなかにいる子供は男か女か? っていう賭け。で、妊婦の腹を割いて勝ち負けを決める。その後妊婦も子供もそのまま放置しちゃうから、当然死んじゃいますよ。これは非常に広範囲でやられたギャンブルなんです。遊び半分で人を殺す。ひどいですよね、本当に。狂気の世界ですよね。おぞましいですよ、証言とか集めていると。身震いしますね。

交渉は麻薬が抜ける夕方以降に
 

 そんなまともでない連中とどうやって話をするかって? まずは麻薬が抜けるのを待つ(笑)。夕方くらいから始めます。具体的な交渉、説得は、もっと上の指導者とします。そのクラスになるとさすがにまともに話ができますから。

 彼らも12年間戦ってね、子供の手足をもいで、妊婦の腹を割くなんて、それはもう完全に常軌を逸してる状態なんです。やってる人間もそれをわかってる。自分でもどうしようもない状態になってるんです。

 そんな中に我々が介入する。ある一定の恩恵をちらつかせながらね。そういうゲリラに銃を捨てろというときには、恩恵が必要なわけです。だけどまず恩恵ありきになるとよくないというのは、先に言ったとおりです。やったもん勝ちになってしまいますからね。

 

武装解除に集まったシエラレオネのゲリラ兵。まだあどけなさを残す少年兵が身長の半分もあるカラシニコフを抱えている

 

泣きながらAK47オートマティック・ライフル、通称「カラシニコフ」にハンマーを打ち下ろす少年兵。やはり長年慣れ親しんだ武器は自分の分身のように思えるのだろうか。シエラレオネDDRにて

 

5万人の武装解除・動員解除の完了の証として、3000丁のカラシニコフを燃やす。シエラレオネで10年余りにわたって続いた内戦が終結した瞬間である

 
シエラレオネのDDRを完了した伊勢崎さんは、今度はJBIC、国際協力銀行から「アフガニスタンを題材に『紛争と開発』というテーマで日本のODAに政策提言せよ」ととの依頼を受ける。アフガニスタンでの2週間の調査を終えて帰国した伊勢崎さんにまたしても外務省から連絡が。今度は、日本主導でアフガニスタンのDDRを行うことになったからその指揮を採ってほしいという。なぜ日本が? 一瞬耳を疑った伊勢崎さんだったが、2003年2月、再びアフガニスタンはカブールに降り立った。そこでまたしても大きな試練が待っていた。
軍閥よりも味方に不安を抱えたアフガンDDR
 

 アフガニスタンDDRもたいへんでしたね。アフガンは多民族国家で、当時9つの軍閥が互いに覇を競い合う群雄割拠状態でした。そんな彼らにとって、武器は武士の刀と一緒。「魂」なわけです。それを取り上げるということは、口に出して言えなかったですよ、あの社会では。だから武装解除っていう言葉はタブーでした。

 それをどうしたかっていうと、周りから固めていったわけです。僕ら外国人が言うんじゃなくて、世論として、国民の総意として武装解除しなくちゃだめだと。武装解除に抵抗している軍閥は、民衆の支持を得られないと。そういうムードづくりをしたのは、全部僕ら、日本政府のチームなんです。

 でも体制的にはとてもつらかった。アフガンDDRは国連の一員じゃなくて、日本政府の一員として取りくんだんですが、DDRなんて日本はやったことないわけですよ。どんなものかもわからない。よって危機管理、保安管理という概念がない。中には武装解除をしたくない軍閥もいて、刺客が送られるとか真剣に想定しなければならないんですけど、武装してないから身を守る術もないしね。非常に心細い思いをしました。

 さらに日本のダメなところは、武装解除を主導して成功させたのに、それをアピールしないんですよ。国内にも海外にも。現地政府国防省の首脳部の人事にまで介入して、軍人組織を解体したんですよ。さらに武器を回収して、整備までして新しい国軍を作ったんですよ。極めて軍事的なオペレーションでしょ? それを日本の血税を使ってやったんですよ。しかも自衛隊を使わずに。そういうことをみんな知らないでしょう? だから国益になってないんですよ。そういう意味では失敗だったと思ってるんですけどね。

 

ケシと大麻しか畑に植わっていない無法地帯のパキスタン国境付近で。当地の軍閥が所持する武器の調査中、RPG(無反動砲)を手にしているところ

 

アフガン南東部での武装解除の場面。山から下りてきた兵士を整列させ、カラシニコフの装填を解く作業

 

武装解除は、新しい国軍に使用させるため、「使える」武器しか回収しない。一つひとつ厳密に検査を行う。右手前の銃は明らかに旧式なので受け付けない

 
紛争はなくならない
 

 紛争はなぜ起こるのかって? 大きな理由のひとつに「貧しさ」が挙げられるでしょうね。そう考えるのがいちばんすっきりしますからね。だから、貧困をなくせばいいと思うでしょ? それが正論なんですけども、じゃあ果たして本当に貧困をなくせるかというと、現時点ではそれは不可能だと僕は思います。

 そもそも貧困削減とか国際協力をしなくちゃいけないという概念自体が新しいんですよ。戦後、国連ができてからの話ですからね。それからもう半世紀も経ってるわけでしょ。で、果たして貧困は削減できてるのか。逆でしょ? 貧富の差がどんどん広がってる。アフリカなんかどんどん貧しくなっていってるわけですよ。

 だから、貧しさが紛争の原因で、貧困をなくせば紛争がなくなるというのも正論なんですが、貧困はなくならないわけです。なくせたとしてもですよ、到底1、2年ではなくならない。ところが紛争というのは今起こっている。だからそれに対する解決には全くならないですよね。

アジア、アフリカの小国、中東の軍閥国家など、縁もゆかりもない危険な紛争地帯へ乗り込んで平和維持活動に尽力する伊勢崎さん。彼を駆り立てるものは何なのか。
ほかにできる人がいないからやるだけ
 

 そもそも最初からDDRをしたいと思っていたわけじゃないんですよね。むしろ、まさか自分がやるとは思わなかった。だから動機はないんですね。なりゆきでそうなっちゃった。

 じゃあおもしろいからやるのかって? とんでもない! DDRって仕事はぜんっぜんおもしろくない! 朝からラリってる少年兵や「武器は魂」っていう兵士とかを相手にしなきゃいけないんだから、おもしろいわけないでしょ(笑)。そもそも交渉事とか得意じゃないし、性格も内向的だしね。

 じゃあなぜやるか。基本的にやってくれと頼まれるからです。僕のほかにできる人がいれば、そちらに頼んで下さいと言いたいけど、なかなかいないですからね。

 使命感っていうのでもないですね。この世界から紛争をなくすために、なんて大それたことは全く思っていません。自分が生きているうちは、非戦は実現できないと思ってますから。自分が生きている間にできない理想を言ってもしょうがない。非戦を信じるんだったら、宗教家になったらいい。理想のために死ぬつもりもありませんし。

紛争屋を定職にするつもりはない
 

 しいていうならば、インド時代からそうですが、どうしても社会的弱者、スラムとかホームレスとかに、目がいっちゃうんです。手を差し伸べるとかそこまではしませんけど、何とかしてやりたいって思う。無視できません。だいたい視野に入ってきますよね。これはしょうがない(笑)。

 なぜかって・・・・・・。小さいころの体験がベースになってるとしか考えられない。少年時代は貧しい暮らしでしたから。

 でもね、新しい国に入って、その国、社会の本質・真髄を理解しろって言われたとき、一番いいのは弱者の視点から見ることなんですよ。これが一番手っ取り早く見える。だから逆によかったのかなと(笑)。

 あとは、たぶん世の中の役に立っているんだろうなあと思うからやる。それなりに意味のある仕事なんじゃないかと。ある程度食いぶちが稼げるならば紛争処理を職業としてもいいかなという思いがあるだけで。だから命懸けでやってるつもりもないし、この道一筋的なノリで一生やるつもりもありません。

 DDRとは、戦争犯罪に対してReward(恩恵)を与えることですから、いわゆる「正義」を建前として持っていたら、とてもできる仕事ではありません。でも、アメリカが「正義」を掲げてイラクを侵略したお陰で、昨今は「正義」が政治的に乱用されていますが、やはり少なくとも自分にとって何が正義なのかを見つめる瞬間は、僕にとって絶対に大事です。

 紛争屋に限らず、一つの組織で、同じような作業を継続的にやっていく場合、その作業が社会に影響を与えるものであればあるほど、「切れ目」が必要だと思います。

親父の存在はそれほど重いものではない
 

 紛争地に行くときも、たぶん女房や子供は僕のことを心配してると思うんですが、僕は家族のことは心配しないですよ。だって、ちゃんと保険もかけて行きますからね。保険金とかは高額に設定しますよ。アフガンに行くときは外務省と交渉して、僕が死んだときは1億300万円が支払われるような念書を交わして行きました。300万円は葬式代(笑)。そういうのがちゃんとしてないと行きません。

 もし万が一僕が死んでいなくなっても、当面のお金があれば人間って生きていけるもんですから。あんまり残すと、子供がスポイルされちゃう恐れがあるけど(笑)。僕、親父がいなかったんですが、ちゃんと育ちましたからね(笑)。そんなにね、親父の存在って重いものじゃないと思いますよ。

 だから家族のためにやりたい仕事をあきらめたことはないですね。シエラレオネ(注 内戦前のNGO時代)にも家族全員連れてってますからね。家族の存在は基本的には関係ないですね。

 子供には早く独立してもらいたいです。基本的に一流大学なんかに行かなくてもいいから、早く独立して欲しいですね(笑)。

今この瞬間にも世界のどこかで繰り広げられている紛争・内戦。泣くのはいつだって力のない一般民衆。国連の一員として日本もさまざまな形で貢献しているように見えるが、国際協力の観点から見たとき、その協力の仕方は間違っていると伊勢崎さんは言う。
最近の日本の右傾化に危惧
 

 僕はこう見えても愛国者なんですよ(笑)。でも右翼じゃないですよ。日本って愛国者っていうと右翼だと思われちゃう。こういった感覚っていうのも、日本だけですよ。

 最近、愛国者としての僕が危惧と怒りを感じているのが、「右傾化」。最近あまりにも日本が右傾化しているでしょ? 何かといえば自衛隊を出したがる。全然役に立ってないのに。ほんとですよ、コレ。外交的にも役に立っていればいいんだけど、本当に役に立ってないんだもん。

 いや、それは何でもやれば多少の役には立ちます。イラクに派兵された自衛隊だって現地の役に立っていないわけじゃない。でも、僕が言ってるのは役に立つ度合いのこと。あれだけお金をかけて、武装した組織がなんであんなことやんなきゃいけないの?

 東チモールのときもそうだけど、日本は今、国際協力しようというときに、すぐ大量に自衛隊送るじゃないですか。津波が起これば自衛隊、地震が起きれば自衛隊っていうふうに。小泉政権になってからそういう流れになってますよね。これは非常に間違ったことです。

 先進国における国際平和協力の派兵というのはね、大量に人員を送らないんですよ。アメリカは別として。そうではなくて、例えば紛争国があったとしたら、その国にね、良い国軍を作っていかに社会を安定させるか、住民に優しい警察力をどうやって作ってあげようかとか、そういうことをするのが、本当に頭のいい近代国家、お金と思慮のある先進国のやるべきことなんですよ。

 先進国の中で、唯一そういうことをやってないのは日本だけ。大量に派兵するのは、発展途上国がやってるの。パキスタンとかね。パキスタンを別にばかにしているわけじゃないけど、国連PKOでは非常に多く派兵している国なんです。なぜかっていうと、外貨稼ぎのため。軍を多く出せば国連から外貨をもらえますからね。

 それと全く同じことを日本はやってる。でも、外貨を稼ぐ必要はないわけです、我々は。じゃあ何のためにやってるのか。アジア近隣諸国に対する示威行為ですよ。やろうと思えば、これだけの規模の軍隊をいつでも、すぐに送れるんだぞというね。

 また、そうすることによって日本国内の右傾化した人たちが喜ぶからです。政治に利用されてるわけです。これはいかんでしょ? 僕はね、軍……あえて自衛隊を軍と呼びますけど、その軍は平和のために有効的に利用しなきゃいけないと思います。そうじゃなきゃ第二次世界大戦の反省がまるっきりされていないということになりますからね。

 メディアの責任も大きいですね。自衛隊が行けば役に立っているって報道するんで、そういう方向に動いちゃってるじゃないですか。みんな自衛隊の派兵にアレルギーがなくなっちゃってるでしょ?

 こういう状況にかなり頭に来てるので、愛国者という観点からそうじゃないと訴え続けていきたいし、もし必要であれば、自衛隊なしで成功させたアフガンDDRみたいな例をいくらでも作っていきたい。そういう使命感はあります。だから僕の授業や講演で若い人たちに積極的に話もしています。

 愛国者でね、憲法9条が好きで何が悪いんですか? 国の最高法規を愛するのは当たり前じゃないですか? 僕はそういう気持ちなんですよね。

 

今、伊勢崎さんは大学院の教授として危機管理やマネジメント論を教えている。まさか教職につくとは思っていなかったと語る伊勢崎さんだが、やってみたらとてもおもしろいと感じている。
最終回の次週では、大学で教えるということから、伊勢崎さんにとって仕事とは? 家族とは? そして今後の夢について熱く語っていただきます。

 
2006.1.9リリース 1 インドで40万人を指揮し アフリカで国づくり
2006.1.16リリース 2 東チモールから始まった 紛争屋への道
2006.1.23リリース 3 僕がDDRをやる理由 日本の右傾化に危惧
NEW! 2006.1.30リリース 4 やっぱり根底にあるのは ものづくりへの情熱

プロフィール
 

1957年7月東京生まれ。建築家を志し、早稲田大学理工学部建築学科に入学するも途中で「建築学」に失望し、インド国立ボンベイ大学大学院に留学。

●1983年4月〜1987年6月
大学院で学んだコミュニティ組織論、交渉術等を駆使し、スラム街に住みながらプロのソーシャルワーカーとして40万人の住民運動を指揮。ボンベイ市当局と壮絶な戦いを繰り広げる。大学院は前期で中退。あまりに苛烈さからボンベイ市公安局から国外退去命令を受け帰国。

●1988年1月〜1997年2月
世界最大規模の国際NGO「PLAN INTERNATIONAL」に就職。シエラレオネ共和国の現地事務所所長として、農村総合開発を計画、実施。国のインフラを整える。ケニア、エチオピアでも同様の事業に従事

●1997年3月〜1998年9月
財団法人 日本フォスター・プラン協会に転職。国際援助部長として予算管理、広報戦略を担当

●1998年10月〜2000年2月
財団法人 笹川平和財団に転職。主任研究員として中東和平に関わる

●2000年3月〜2001年5月
国連東チモール暫定統治機構の上級民政官としてコバリマ県の県政を指揮。DDR、治安維持、開発インフラの復興を手がける

●2001年6月〜2002年3月
国連シエラレオネ派遣団、国連事務総長副特別代表上級顧問兼DDR部長として、内戦後のシエラレオネでDDRを総合的に指揮

●2002年4月
立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の教授に就任

●2003年2月〜2004年3月
日本主導で行われたアフガニスタンDDRを指揮。軍閥の解体、国軍の再構築を実現

●2004年4月〜現在
立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科の教授に復職
リスクマネジメント、コミュニティ組織論を教えている
立教大学・伊勢崎研究室

●2005年12月
外務省の依頼で内戦終結したインドネシア・アチェへ。目的は日本がアチェの復興にどう協力できるか、視察。


『武装解除 ─ 紛争屋が見た世界』(講談社)、『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『NGOとは何か ─ 現場からの声』(藤原書店)、『インド・スラム・レポート』(明石書店)、『紛争から平和構築へ』(論創社)など著書多数。講演、新聞、雑誌、テレビ等各メディアに出演、NGO、国際平和実現、国際援助のあり方等について発言している

 
 
おすすめ!
 

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これまでの伊勢崎さんが手がけた国際援助、途上国開発、DDRが詳細に書かれた一冊。キレイごとではなく、国際援助、和平実現の在り方が本音で書かれてあるため、今後こっちの方面に進みたい人は必読。特に幼少期のエピソードに国際援助へのモチベーションの源泉が垣間見えて興味深い。

 
 
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photo 社会的な影響力が大きい仕事ほど「切れ目」が必要 社会的な影響力が大きい仕事ほど「切れ目」が必要 社会的な影響力が大きい仕事ほど「切れ目」が必要
インタビュー「其の四」へ
 
協力/パンチ広沢
 

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