キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第5回ドキュメンタリー作家 森達也さん-その4-世界はもっと豊かだ…

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魂の仕事人 魂の仕事人 第5回 其の四 photo
「こっちからはいいものが見える」って みんなに教えてあげたい 気づけないなんてもったいないし、そうした方が幸せになれると思うから
好きなことを仕事にして、かつその仕事が評価されているように見える森さんだが、「仕事」をしているという感覚はないどころか、引け目すら感じることもあるという。森さんにとって仕事とは? 働くとはいかなることなのか。何のために、誰にために仕事をするのか。仕事観とこの先の目標、夢を聞いた。
 
僕のやっているのは「仕事」じゃない
 

 何のために仕事をするかって? そりゃ、生活のため、家族のためですね。まずは食べていけないと話になりませんからね。

 それ以外には何だろう?うーん。やっぱり、自分の仕事を世間に認めてもらいたい、評価されたいという気持ちはありますよ。「みんな、僕の作った作品を観て! すごいでしょ、ほめて」っていう、……何か言葉にしちゃうと非常に子供じみていますね。でもそれはあります。そこから目を逸らしちゃいけないと思う。

 
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 「誰のために」は、自分のためです。楽しいからこの仕事をやってるわけですからね。反骨とか社会派とかよく言われますが、社会のためとか弱者のためとかは口が裂けても言いたくない。そもそも人を傷つける仕事ですからね。僕は自分をジャーナリストだと思ったことは、今までただの一度もありません。僕の定義では、ジャーナリストは社会正義を体現する人だと思うんです。僕はそうじゃない。もっとエゴイストです。身勝手で、自己顕示欲が強くて、社会より自分のほうが大事です。その自分を認めるところから出発しなくちゃならない。認めるといっても、肯定じゃないですよ。そんな自分を嫌いです。でもそれが自分なんだと覚悟しようと思っています。……うまく言葉にできないけれど。

 

 だからね、僕はいわゆる「仕事」はしていないんじゃないかと思うんですよ。どういうことかというと、僕の中の仕事の定義っていうのは、「おもしろくないもの」なんです。つらく、退屈なことを、それでも生活するため、家族のために淡々とこなしていく、それが僕の中での「仕事」のイメージなんですよね。

 そういう意味では、今の僕はすごく浮ついてますよね。ある意味で人気稼業ですから。確かに本を書いたり取材したりという行為は地道だけど、でもたまにテレビに出たり、今回のようにインタビューを受けて好き勝手喋ったり、……「これって仕事っていうのかな」って思う。好きなことをやりたいようにやって「仕事やってます」って言っちゃいけないんじゃないかなと。こんな好き勝手やっちゃって言うのもなんだけど(笑)。ほんとは仕事っていうのは、必死に歯を食いしばって我慢しながらやるもんじゃないかなって思うんです。歯を食いしばるときは僕だって頻繁にあるけれど、でも、何というか、食いしばり方が少し違うんじゃないかという思いがあります。

 こんなふうに思うのは親父の影響も大きいのかもしれない。親父は海上保安庁に勤めてたんだけど、僕が物心ついてからはずっと陸勤務で淡々と仕事をしてましたからね。海の仕事がしたくて海上保安庁に入ったと思うんだけど、毎日役所に行って、事務仕事しておもしろくないんだろうなっていう気はしてました。親父もそうやって家族のために我慢しておもしろくない仕事をしながら生きてきたんだろうし、みんなそうなんじゃないですか。ほとんどの人はね。

 みんな、こんな仕事でいいのかなって思いつつも、我慢しながらやってるんじゃないかな。でも逆に、それこそが「仕事」なんじゃないかなって。男の仕事なんじゃないかなって。そういう気がするんですよね。つらさに歯を食いしばるのではなくて、凡庸さや退屈さに歯を食いしばらねばならないこともある。それが本当の意味の「仕事」じゃないかって思うんです。

嫌なことは我慢できない
 

 嫌なことは我慢できないんです。これは絶対に自分の欠陥だと思う。特に朝の満員電車がダメなんです。サラリーマンをやってた当時は、阿佐ヶ谷ってところに住んでたんですが、中央線の朝のラッシュはスゴいでしょ。特に酒飲んだ次の日はつらい。それもあって、朝7時に起きなきゃいけないのがつらくてつらくて。でもその後に勤めた番組制作会社は、一応定時が朝10時スタートだったし、実質的にはみんな昼過ぎになんないと出勤してこなかったから、これでうまくラッシュをすり抜けられるかなって。幼稚な動機ですが。それで応募したんですよね。……それだけじゃないとは思いたいけれど(笑)。

 そういうくだらない理由を含めて、嫌なことを我慢せずに好きなことしかやっていない僕は、やっぱり本来の意味での「仕事」はしていないんじゃないという気がするんです。

 僕の場合は好きなことでたまたまお金になっちゃったからね。だからスゴく引け目があるんですよ。それはそれで楽しいんだけど、同時になんか申し訳ないなって。世間様に対して。こんな好き勝手やってすいませんって。どっかでね。後ろめたいです。今の自分が。いい気になりやがってと思うもの。

 たしかに好きな仕事だけど、つらいこともありますよ。身を削ってやってますから。『A2』を撮ったときはいろんな毒気に当てられて、毎日這うようにして現場に行ってましたしね。というかこれまで、ドキュメンタリーを撮ってて現場が楽しいと感じたことは一度もないですね。常につらく、苦しい。葛藤と煩悶の連続です。「現場が楽しい」なんて人は不思議です。

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 でも、それは自分が好きでやってることですから。胸は張れない。世の中のみんなが満員電車に揺られていたり、会社の中の人間関係でストレスを感じたりするのとは違うつらさなんだと思いますね。「実直なつらさ」をちゃんと味わってないっていうか。

「逃げの理由で転職しても同じことの繰り返しになる」──。半ば常識のように言われているこの言説。だが、「仕事や会社がイヤだったら、我慢せずに辞めてもいい」。自らも3度の転職を経験し、35歳以降は組織に属さずに生きてきた森さんは語る。
つらかったら逃げてもいいんじゃないかな
 

 でも逆に言えば、好きなことやっても食えるんだよってことですよね。ちょっと引け目はありますけどね。僕なんか転職を繰り返して31歳からこの仕事始めたわけでしょ。今よりもっと終身雇用制などのシステムが強い時期だったけれど、なんとかなりましたからね。だから、特に「やりたいことがわからない」って悩んでる学生さんとかに言えるとしたら「そんな焦らなくていいんじゃないの?」ってことですよね。

 学生だけじゃなくて、20代、30代の会社員だって、「自分にとってこれが天職だろうか」とか「この仕事や職場は自分に合ってないんじゃないか」とか、みんな悩みながら日々を過ごしている人に対しては、つらかったら我慢しなくて辞めちゃってもいいんじゃないかな、ゆっくり他の仕事探してもいいんじゃないかなって言いたくなります。よく「つらいからといって、ここで辞めるのは逃げだ」っていいますけど、僕は別に逃げてもいいんじゃないの? って思いますけどね。結果それで失敗することもありますけど、ずっと我慢し続けたって後悔するかもしれないし。何がどうなるかなんて誰にもわからないじゃないですか。

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 僕は考えが浅いし我慢できないから、もういいやって辞めちゃうんですけど。今までも転職先が決まってないのに我慢できずに辞表を出しちゃったこともありますしね。妻は、転職も含めて、僕の身の振り方、仕事のやり方に対して、今まで一度も反対したことはなかったですね。いろいろ意見は言ってくれるけれど、でもつらかったらやめたら、というスタンスの人です。

 好きなことだけやって、果たしてやっていけるのかっていう不安を感じてる人はいるかと思いますが、ただまあ、「好き」ってことはその段階でひとつ上にあがってますからね。好きってことは秀でてるわけですから。気持ち的に。だから好きなことがない人よりもアドバンテージあるんですよね。それは強みと思っていいんじゃないかな。生活のために好きでもない仕事を我慢しつつやるよりも、例えばコンビニでバイトしながら音楽やるっていう方が充実感を感じられるかもしれないし、発想の転換だと思いますけどね。だってこの国じゃ、今のところは「生活」はなんとかなるしね。

組織の中では生きられない
 

 僕の場合はそもそも組織の中で働くってことがダメなんでしょうね。29歳で初めて就職してからこれまでずっと、組織に入ってはダメってのを繰り返してます。

 組織に入ると、あれはダメ、これもダメって言われることが多いんですが、それがイヤなんでしょうね。会社は価値基準を均質化しないとやってけない部分があるじゃないですか。今思うと、そういう窮屈さがあったのかなぁ。

 テレビ番組制作会社で社員ADやってたときも、上司にディレクターが編集やってるときに後ろにつけって言われて。それでいろんな技術を盗めって言うんだけどさ、意味がないって思ったの。そんなのテレビ的な慣習で言ってるだけで、本人に直接聞けばすぐ教えてくれることなのに、なんでずーっと後ろで見てないといけないのって。それで編集が始まると家に帰ってたんですね。上司はそれが気に入らなかったみたいで。

 かといってあからさまに反抗するわけじゃないんですよ。初めは「はい」って聞くんだけど、だんだん耐えられなくなっちゃうんですね。面と向かって「そんなこと、意味ありませんからやりません」なんて言うタイプじゃない。だから自分でも気づかないうちに、電車乗っちゃって家に向かってるよ、みたいな感じ。一番タチ悪いよね(笑)。

 学校でもよくいるじゃないですか。クラスの中でも故意的に離れるんじゃなくて、隅の方でボーっとしているというか。あからさまに反体制的じゃないけど、みんなと歩調が合わない、みたいな。まさしくそのタイプです。

 こんな感じでやはり会社組織にいたら、納得行かないことを言われても素直に聞けないってこともあって、辞めてしまったわけですけど、あの業界はフリーが許されている世界ですから、ディレクターとしてやってこられたんでしょうね。ひとつの会社に帰属してなきゃ仕事ができない業界だったら、ディレクターの仕事も辞めてたかもしれない。でも振り返ると、妥協と挫折のドキュメンタリー人生ですよね。

基本的に自分に自信がない
 

 いまだに「俺って大丈夫かな?」って思うこと、よくありますよ。自分の言動に自信が持てなくて不安でしょうがなくなることもありますしね。

 基本的に自信がないんですよね。自分の才能を信じてない。ドキュメンタリーの仕事を始めたころ、自信なくしてディレクターからプロデューサーに回った時期もあります。でも結局は、プロデューサーとしてはもっとダメだったんです。僕はいたって普通の人間ですよ。これまでも普通のことしかやってきてないの。ただ、たまたま周りが普通じゃないから僕が突出したわけで、周りが普通なら僕なんか埋もれちゃうと思ってます。

 今は結構トークイベントや講演なども行ってますけど、本当は人前でしゃべることは苦手なんですよ。夏に中学の同窓会に初めて行ったんですけど、「あんなに暗くて何にもしゃべんなかったヤツなのに、どうしてこうなっちゃったの?」ってみんなから言われましたから(笑)。

森さんは1999年以降テレビドキュメンタリー番組は発表していないし、映画も2001年の『A2』以降制作していない(2005年11月現在)。一方で著作は増えている。2003年に4冊、2004年に6冊、2005年11月現在で6冊の書籍を執筆している。もうドキュメンタリー映像を作る気は失せてしまったのだろうか。森さんの本当にやりたいこととは……?
職業を聞かれるのが一番困る
 

 今、「あなたの職業はなんですか」って聞かれたら? それに答えるのが一番難しいですよね。映画監督で食えてるわけじゃないですからね。自主映画だから趣味の領域といえばそうだし。しいていえば、作家なのかな。「ドキュメンタリー作家」なんて変な造語も誰かにつけてもらったんですけど、でもノンフィクションだけを書いてるわけでもないし、まだテレビディレクターも辞めたつもりもないし。それでドキュメンタリーと作家を合わせたんです。自分でも変な言葉だと思うけど、他にないんですよね。

 もちろん映像関係の仕事に対して情熱を失ったわけじゃありません。『A3』は作ります。いずれ必ず作ります。『A2』の時に使わなかった素材がたくさんありますし。3部作で完結したいんですよ。『A2』のラスト、あれはto be continuedのつもりですから。

 でも今はお金がない。制作が始まったら1年、2年かかっちゃうし、作っても客が来ないのはわかってるから、貯金しなきゃいけない。今は蓄えの時期なんで、みなさん本買ってくださいって言ってるんですけどね(笑)。

 書く方では恋愛小説とか書いてみたいですね。誰も僕に頼む人、いないでしょうけど(笑)。

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 テレビの方では、今年は天皇をテーマにしたドキュメンタリー番組をフジテレビのNONFIXでやることになってたんだけど、製作途中で突然「手法に違和感がある」って編成の方から言われて、その後何度か交渉したんですが、結局撮影中止になっちゃったんです。以前から今上天皇には興味があって彼を被写体にしたドキュメンタリーを撮りたいと思っていただけに残念でした。

 あとは前々から興味があった中森明菜さんのドキュメンタリーを撮りたいと思ってたんですが、やっぱり自分の作りたいものはもうテレビじゃ無理なのかなって。今回の天皇のドキュメンタリーが中止になったのでトドメじゃないですか? もうテレビのプロデューサーは僕を使おうとは思わないでしょう。もっと優秀で安全なディレクターは、たくさんいるわけだし。

 でもやはり、今のメディアのありようには危機感を感じて、別の見方を呈示したいという思いはあります。

 マスメディアの代表のテレビは、だれもが分かりやすくするために脅迫的に説明しなきゃいけないっていうのがあるんですが、でもね、表現って説明しちゃいけないんですよ。いけないというか確実にポテンシャルが落ちる。つまり表現っていうのは与えるものじゃなくて感知するものなんですよ。観る側、聞く側、読む側がね。その人が持ってるものが感応するんですよ。それが僕は表現だと思ってるんですけど、テレビっていうのはどんどん与えるだけですよね。それだと見る側が感応できなくなるわけですよ。

 そうすると思考停止に陥っちゃって、テレビや新聞から流される情報を鵜呑みにしてしまうようになる。結果、ものすごく多くの人があるきっかけで同じ方向へどっと行きやすくなる。イラクの日本人人質事件が起きたときの、本人や親族に対するバッシングなんていい例だと思います。

僕のキーワードは「トロい」
 

 情報を発信する側だって、それに慣れちゃうと同じ方向にいっせいに走り出します。でも僕はそうはならない。意識的にやってるんじゃなくて、自然にそうなんです。正直に言えば、僕は人よりトロいんですよね。

 だから、例えば「こいつが悪い、バッシングしなきゃ」っていうのに出遅れるんですよ。で気づいたらまわりがみんなあっち(=バッシング)の方向に行っちゃっててね、わーってやってるわけでしょ。

 でも自分のペースで歩いてると、違う景色が見えるんですよ。ちょっとみんなとずれちゃうから。そうすると、足元の草花がきれいだなとか、夕日がきれいだな、とか発見があるんですよ。

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 もっと具体的に僕の環境に即して言えば、たとえば凶悪な事件が起きたとして、周囲とはちょっとだけずれた視点に立ったり、みんなが目を背けるときに思わずしげしげと眺めたりしたときに、全然違う位相や部分が見えてくるんです。多面的なんですよ、世界は。現象や事件や、そもそも人も。それを単面的にしてしまうのが今のメディア。でもね、多面性がわかると、世界って豊かなんだなあって思えますよ。優しくなれる。少なくとも僕はそうです。昔はもっと殺伐としていたから(笑)。

 時おり思うけれど、だから僕は、「こっちに来てみたら、もっと優しくて豊かでいいものが見えますよ」って言ってるだけなんです。余計なお世話かもしれないけれど。それに尽きます。気づけないなんてもったいないし、そうした方が、人は幸せになれると思うんです。同じ人生80年生きるんであれば、いろんな角度から物事を見た方が、より世界の多様性とか多面性とか実感できるし、その方が優しくなれますからね。

 だから森達也のキーワードは、「トロい」です。狙ってるわけじゃないんだけど、トロいからずれちゃうんですよ。本当にトロいと思う。自信あります。他は自信ないんだけど、トロさだけには自信あります。

 「世界はもっと豊かで人はもっと優しい」なんて言っているから、「森は性善説か」とかよく批判されます。そうじゃなくて善も悪もあるんです。だから豊かで優しいんだよというつもりなのだけど。加害者に対して違う視点を持つことで報復の連鎖から逃れられると発言したときに、ならばお前の家族が殺されても同じことを言えるのかって質問されたことがあります。答えは簡単。復讐します。だって僕は当事者なのだから。想像だけど、きっとその犯人を憎むと思う。でも僕は今、当事者ではない。社会の大半だって当事者ではない。ならばその役目があるんです。当事者の憎悪を、社会全体が共有しなければならない理由なんてどこにもない。

 そもそも被害者遺族の憎悪や絶望、深い悲しみなど、第三者が本当に共有できるはずはない。想像はもちろん大切です。でも今の日本社会は、遺族の悲しみやつらさへの想像ではなくて、加害者への復讐の気持ちだけを共有しているような気がして仕方がない。要するに便乗です。誰かを憎んで叩きたい、その欲望をかなえるために被害者感情に乗っかってるだけなんだと思うんです。それは報復の連鎖に繋がるんです。

島暮しの夢も捨てていない
 

 「これからやりたいこと」に関して言うと、そもそも僕自身、表現活動は絶対に映像じゃなきゃダメだってのもないんですよね。というより「何が何でも表現したい」という欲求そのものが希薄というか。いや、もちろん表現欲求はありますよ。ただ、「表現できないと死んでしまう」みたいな強い表現欲を持っている人に比べれば薄いということですけど。そもそも「ねえ、これ見て! すごいでしょ」のレベルですから。

 だからたぶん20代後半のときに応募した青ヶ島の役場にもし採用されてたら、今でも普通に島で暮らしてるんじゃないかと思うんですよね。総務とかでね。自然の中にいれば充足しちゃうし、通勤ラッシュもありえないしね(笑)。未だに島での生活には未練あるんですよね。もしかしたら後2年くらいしたら、離島に移住しちゃうかもしれない。

 仕事は向こうで見つけるか、今はネットの時代ですからね。島に移住したって原稿は書けるでしょうし。たぶん物価は安いからそんなに生活費はかかんないと思うし。食べていけるだけのお金を稼いで、晴耕雨読でできれば最高かなと。

 いまだに「自分らしく生きられる道って他にあるんじゃないか」って思うことがあります。その意味では、ずっとモラトリアム(笑)。恥ずかしいけれど、仕方がないとも思っています。

 

 
2005.11.7リリース フリーターからの出発
2005.11.14リリース 『A』後は田舎に帰るつもりだった
NEW!2005.11.21リリース ドキュメンタリーは毒である
2005.11.28リリース 僕は「仕事」はしていない

プロフィール
 
森達也(もり・たつや)

1956年生まれ。広島県出身。立教大学卒業後演劇の世界へ。その後広告代理店、不動産会社、商社を経て、1989年テレビ番組制作会社へ転職。ドキュメンタリー番組制作に携わる。以降、フリーランス、契約ディレクターとして、『ミゼットプロレス伝説〜小さな巨人たち〜(1992年放送)』、『職業欄はエスパー』(1998年2月24日放送)、『1999年のよだかの星』(1999年10月2日放送)、『放送禁止歌〜歌っているのは誰?規制しているのは誰?〜』(1999年11月6日放送)などを制作。大きな反響を呼ぶ。

1998年にはオウム真理教のドキュメンタリー映画『A』を公開、ベルリン・プサン・香港・バンクーバーなど各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。

最近は主に著述家として活動。『ご臨終メディア—質問しないマスコミと一人で考えない日本人』(集英社新書)、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)、『下山ケース』(新潮社)など、著作多数。

講演会やトークイベントにも精力的に出演しているほか、、大学講師としても活躍中。

映像、書籍ともに、現代社会が抱える問題に真摯に迫り続ける、日本を代表するドキュメンタリスト。詳しくは「森達也公式ウェブサイト」を参照。

 
 
おすすめ!
 

『ドキュメンタリーは嘘をつく 』(草思社)
『ドキュメンタリーは
嘘をつく 』

(草思社)

ドキュメンタリーを撮るということ、マスメディアが抱える問題、現代日本の病理など、森達也流ドキュメンタリー論が炸裂する一冊。


『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 』(昌文社)
『世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 』
(昌文社)

小学校時代のつらい思い出、ドキュメンタリーを志した動機など、森さんの原点が分かるノンフィクション・エッセイ。


『いのちの食べ方』(理論社)
『いのちの食べ方』
(理論社)

「肉が食卓に並ぶまで」と、と場で働く人びとのことの描写を通じて、いかに差別がばかげたことか、生きるとはどういうことかを小・中学生でもわかるように優しく書かれた一冊。すべての子供、大人に読んでほしい。

 
 
お知らせ
 
魂の仕事人 書籍化決!2008.7.14発売 河出書房新社 定価1,470円(本体1,400円)

業界の常識を覆し、自分の信念を曲げることなく逆境から這い上がってきた者たち。「どんな苦難も、自らの力に変えることができる」。彼らの猛烈な仕事ぶりが、そのことを教えてくれる。突破口を見つけたい、全ての仕事人必読。
●河出書房新社
●魂の仕事人ブログ

 
photo 魂の言葉 世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい
第6回 新聞記者/ノンフィクション作家・吉岡逸夫氏インタビューへ
 
協力/宮脇綾子
取材協力/マダム・シルク
TEL03(3984)4811

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