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一年間に転職する人の数、300万人以上。
その一つひとつにドラマがある。
なぜ彼らは転職を決意したのか。そこに生じた心の葛藤は。
どう決断し、どう動いたのか。
そして彼らにとって「働く」とは—。
スーパーマンではなく、我々の隣にいるような普通の人に話を聞いた。
第14回 後編 菊池雄二さん(仮名)45歳/人事
すべては愛する子どものために——苦闘の果てにつかんだ5度目の天職
かつてない転職活動の不調に焦りを隠せない菊池さん。失業のことを家族にも言えないまま、日に日に追い詰められていく中、一人の人材コンサルタントとの出会いが、菊池さんの人生に大きな転機をもたらす。そのコンサルタントが打診した案件とは—。
年齢の壁の高さに連敗と挫折の日々
「もうアルバイトをするしかない…」
 

 転職活動を開始した最初のうちは、「すぐに次が見つかるさ」と、わりと楽観的だった菊池さん。さまざまな求人誌や求人サイトをチェックするのはもちろん、人材バンクにも登録した。そこで【人材バンクネット】の存在を教えてもらった。

「コンサルタントに、『いろいろな人材バンクに登録しておいた方がいいですよ』とアドバイスをもらったんです。【人材バンクネット】なら一度登録すれば、200社近い人材バンクにキャリアシートが匿名で公開できると聞いて、これは楽だ、利用しない手はないなと思ったんです。すぐにキャリアシートを匿名公開しましたが、その翌日にはスカウトメールが来たのはうれしかったですね」。

 だが、うれしい気分もそこまでだった。たとえスカウトメールで紹介された企業に応募しても、あるいは、「これは」と思った企業を自分で見つけて応募しても、書類選考で弾かれることがほとんど。面接まで進んでも、年齢を理由に不採用になってしまう。思うような手応えを感じられないまま1カ月が過ぎ、菊池さんは次第に焦りを感じ始めた。

「これまでの4度の転職では、どんなに長くても1カ月程度で決まっていたんです。だから、次の転職先を決めずに退職するリスクを深く考えていなかった。でも今回はなかなか決まらない。中高年の転職は難しいという話も、どこか他人事のように思っていたんですね……。45歳という年齢の壁を、イヤというほど実感させられました」

 これまで朝出勤して夜遅くならないと帰ってこなかったお父さんが、平日の昼間にしょっちゅう家の中にいる。子供たちが不審に思わないわけはない。ある日「お父さん、最近帰り早いね」といわれたとき、「これはマズい」と思った。

 
「子供たちには絶対にバレないようにしなければと思いました。心配をかけさせたくなかったことももちろんですが、子供にバレたら、九州の私の親にも自動的にバレますから。ウチの子、おしゃべりだから(笑)。東京で仕事を見つけて子供たちと暮らすといって、実家から出てきたわけですから、無職だと知られたらタイヘンなことになる。すぐに戻ってこいといわれるのは火を見るより明らかでしたからね」

 それから、失業したことが子どもたちにバレないように、毎朝スーツを着て出かけ、街をぶらついたり、当てもなく電車に乗る日々が始まった。たまに通った面接では、訪れた会社の社内風景を眺めながら、「どこでもいいから早く自分の居場所を見つけて仕事をしたい」と強く願った。

「何がつらいって、貯蓄がどんどん減って、経済的に追い詰められていくこと。するとだんだん精神的にも追い詰められてきて、子供たちにも些細なことで怒ったりして……。これでは本当にまずいと思い、アルバイトを真剣に検討し始めたのが3カ月目に突入する頃でした」

 もちろん、ただ毎日フラフラしていたわけではない。 前回の転職では、応募する企業の情報収集が十分にできなかったという反省から、インターネットなどを利用しての情報収集も怠らなかった。そしてこれだと感じた求人に片っ端から応募。

「今回企業を選ぶ際に重視したのは、会社の雰囲気や社風が自分に合うかどうか。それに、自分なりの人事のスタンスが、『人を育てる』ということだったので、教育制度などで社員を大切にしているかどうかも、チェックしました(※1)。年収は、極端に下がらなければ、これまでの年収額より少しぐらい下がってもいいと思っていましたね」

 3カ月で応募した求人数は50社超。なかなか通過できない書類審査。ようやく通った面接でもなかなか内定がもらえない。特に最終面接で不採用になったときは、体中のすべての力が抜け落ちるような気がした。

 いよいよアルバイトをするしかないか……。散歩コースの公園が紅や黄に色づき始めた2005年10月、一通のスカウトメールが菊池さんの元に届いた。

 それは、絶望の淵に立ち尽くす菊池さんを照らす一条の光となった。

信頼できるコンサルタントから打診された
オーナー企業へのエントリー
 

 スカウトメールはヒューマンタッチ株式会社(旧・ヒューマンリソシア)のコンサルタントからだった。そこに記載されていた求人案件を読み、応募してみたいと思った菊池さんは、早速返信、新宿西口のヒューマンリソシアを訪れた。

 面談室で待っていると、ふたりのコンサルタントが現れた。スカウトメールを送ってきたコンサルタントとその上司の田中明子コンサルタントだった。

 まず、コンサルタントから発せられた言葉に菊池さんは大きく落胆した。

「スカウトメールに書かれていた案件は、年齢が理由でダメになったといわれたんです。やっぱり年齢かとひどくがっかりしました」

 しかしそれで終わりではなかった。田中氏は菊池さんのこれまでの職務経歴について詳しく質問、菊池さんも尋ねられるまま、正直に(※2)詳しく答えた。

 

「田中さんの第一印象は、人当たりがよくて、信頼できそうな感じ。出身地も偶然近いという共通点があったせいか、私もリラックスできて、とても話しやすかったですね」。

 ひとしきり話し終えると、田中氏は、「実は他にもこんな求人があるのですが……」と切り出してきた。大手ビール会社の下請けとして100年ほど前に創立された会社で、現在従業員数約600人。業務内容は、人材派遣業や工場の請負業など、いくつかあるグループ企業の管理・運営。その会社の管理部門を統括し、いちから人事制度を作り直せる人材を探しているということだった。しかもオーナー企業だった。

 「今、お話をうかがって思ったのですが、菊池さんにはこの会社、合っているかもしれません。先方にお話ししてみるので、OKが出たら行ってみませんか?」

 田中氏の言葉に、菊池さんはうなずいた。ひどく漠然とした話ではあったが、人事制度を新しく構築するということに魅力を感じたのだ。

「今思うに、恐らく田中さんは、私の話を聞きながら、私がオーナー企業でうまくやっていけるかどうかを見られていたんじゃないでしょうか。その段階では、仕事内容もはっきりしていませんでしたが、丁寧に私の話を聞いてくれた、信頼できそうな田中さんの人柄から、挑戦してみようと思ったんです」

少しずつ進む面接の裏に
コンサルタントの奮闘あり
 

 面談での言葉通り、田中氏が企業に出向いて菊池さんのことを話した結果、「ぜひ一度面接したい」と、話は進展。最初の打診から2週間後に、1次面接が行われることになった。

「具体的な仕事内容は、従来の人事制度がうまく機能していない状態なので、新しい制度を構築すること。また2007年問題を控え、工場で用いられている技術を若い世代に継承するため、仕事のマニュアルを整理するなど、教育制度を組み立てることも求められているとのことでした」

 人事担当者と1対1で行われた面接では、おもに菊池さんの経歴について質問されたが、菊池さんも、会社の業務内容や社風などを積極的に質問。担当者は、オーナーである社長の人柄や社内の雰囲気などについて話してくれ、いつしか菊池さんは、思わず「わかります、わかります」と相槌を打っていた。

「北九州で働いていたスーパーがオーナー企業でしたから、担当者の話はどれも、思い当たることばかり。この会社なら、今までの経験を活かせそうだし、自分に合いそうだと確信しましたね」

 感触良し。うまくいくかもしれない——。菊池さんの直感は当たり、2週間後には2次面接へ。今度は、1次面接時の担当者に加え、その上司が同席した。内容は1次面接とほぼ同じ。最後に「うちの会社で大丈夫ですか?」と尋ねられたので、「もちろん大丈夫です」と答えた。しかし、これで内定決定とまでの確信は得られなかった。

 

 1次面接と2次面接の間が2週間空いたことも、不安材料のひとつだった。この転職活動中には、最終面接まで行きながら、結局不採用になった(※3)という経験が菊池さんを弱気にもさせていた。だがこうした不安を払拭してくれたのは、田中氏の驚くような粘り強さだった。

「面接の時は、必ず田中さんも同行してくれました。次の面接がなかなか実施されないのも、担当者が忙しいせいだと説明してくれたので、心強かったですね。入社して面接担当者から聞いたのですが、田中さんは面接終了後、面接担当者がいるとわかれば夜でも会社に駆けつけて、結果はまだ出ないのか、どんな感触なのかを確認してくれていたらしいんです。『田中さんには頭が下がるよ』と、担当者も脱帽していましたよ(笑)。こういう点も直接転職とは違う、大きなメリットですよね」

いよいよ社長面接
念願の内定を掌中に!
 

 オーナー企業なだけに、最終的に社長が面接しなければ内定は確定しない。人事担当者からそう聞かされていた菊池さんは、今か今かと社長面接の日を待ちわびていた(※4)。そして2週間後、いよいよその日はやって来た。

「人事担当者から、社長面接は5分ぐらいだから、と言われていたのですが、実際、本当に短かい面接でした。社長から聞かれたのは、私が感じた会社の魅力についてと、入社したらどんなことをやりたいかについての2点でした」

 離職率が低く(※5)、人を大切にする社風に魅力を感じたこと、そして2007年問題を控え、会社の技術を受け継いでいくシステムを構築するなどして、今後の企業成長に貢献したい。菊池さんは、自分の気持ちを率直に、熱っぽく語った。

 そして、結果は———「その日のうちに内定をいただきました!」

 入社日も2日後とスピーディーだったが、子どものため、そして自分のために一日でも早く仕事復帰したかった菊池さんにはむしろ好都合だった。

 失業して3カ月。応募した会社数50社以上。ようやく手にした内定に、菊池さんは喜びと同時に安堵のため息をもらした。

「もちろんうれしかったのですが、なにはともあれ、ホっとしました。だって来月からアルバイトを始めなくては、と覚悟していたわけですから。ああ、これで家族3人食べていける、やっと仕事ができると、心の底から安心しました。もう一気に悩み解消(※6)ですよ!(笑)」

自分の経験とノウハウを注ぎ込んで
この会社に貢献していきたい
 

 菊池さんが入社し、マネージャーとして人事課に配属されて2カ月が経過した。人事課だけでなく、会社全体が明るく気さくな雰囲気で、社内コミュニケーションもきわめてスムーズ。「自分に合っている」と、面接の時に感じた自分のカンに狂いはなかったと実感する毎日だ。

「人事制度の改革には、少しずつ手を付け始めてはいますが、今はまだ、これまでの業務内容やシステムをしっかり観察し、どうしてこうなっているんだろう? と疑問を整理するなど、情報収集している段階です。予想はしていましたが、やらなくてはいけないことがいっぱい。今でも同時進行の案件を10個ぐらい抱えているんですよ」

 そう話しながらも、菊池さんの表情は、イキイキと楽しそうでさえある。

 菊池さんにとって、働く意味とは何なのだろうか。

「やはり、人の役に立ちたいという気持ちが一番ですね。私の仕事は、社員が働きやすい環境やシステムを整えること。社員の喜びは私の喜びです。人事という仕事は、すぐに結果が出るものではなく、何年か後に少しずつ花開くもの。自分が構築したり整備した環境で、新入社員が管理職に育ったり、会社への定着率が上がっていくのをみると、本当にやりがいを感じます(※7)よね」

 

「今回の転職で、辞める前に次の就職先を見つけておくことの大切さを、しみじみ実感した」と、笑いながら話す菊池さん。とはいえ、ようやく自分の経験とスキルを活かせる会社に就職した現在、その実感から得た教訓を生かす機会はなさそうだ。

「将来もずっと、この会社で働いていきたいと思っています」

 菊池さんは晴れ晴れとした顔で笑う。

 もちろん、菊池さんなら、会社の期待通り、いや期待以上に、人事制度改革や教育システム構築などをやり遂げるだろう。そして近い将来、会社のキーパーソンとなり、さらに大きな仕事に取り組んでいくに違いない。社員のため、自分のため、そして愛する子どもたちのために。

コンサルタントより
ヒューマンタッチ株式会社(旧・ヒューマンリソシア)
 アシスタントマネージャー田中明子氏
転職活動にネガティブは厳禁!
フットワークの良さや
意欲のアピールも心がけて

田中明子氏
 最初に菊池さんにお会いした時の印象は、なんとなく表情が暗く、転職活動に苦戦していそうな雰囲気でした。


ところがそれまでの経歴について話すうちに、穏やかながらもどんどん熱っぽい口調になって、表情も見違えるようになってきました。人事制度の一からの構築など人並み以上の実績や経験談に、菊池さんの能力の高さと、内面の芯の強さのようなものを感じましたね。

そうした素晴らしい実績、そしてオーナー企業での勤務経験など、菊池さんのキャリアはまさに、今回入社された企業にぴったりだと確信し、それで先方の人事担当者へご紹介に踏み切ったわけです。

1次面接後、人事担当者の印象としては好印象とのことでしたが、各役員および社長がOKを出さなければ内定にはつながりません。そこで、2次、3次と選考が進む中で、以前から面識のあった取締役の方に、菊池さんを推薦する社内プレゼンを依頼したんです。「経験は申し分ないが、オーナー色の強いうちの会社で、物腰の柔らかい菊池さんはやっていけるだろうか」という懸念にも、「人柄の印象は、会っていくうちに変わっていくもの。実績はゆるぎません。菊池さんはもちろんですが、彼を推す私も信じてください」と、やや強気で推薦しました。

人事担当者に連絡が取れるまで繰り返し電話するなど、とにかく、私ができることはすべてやったつもりで、あとは企業側の調整や決断を待つばかりという感じでしたね。

今回は、内定が出るまで2カ月もの選考期間を要した特殊なケースだったため、決まった時にはうれしさ以上に、本当に心からホッとしました。菊池さんにはこの企業のほかにいくつか案件をご紹介し、実際に2〜3社ほど並行して面接まで進んでいたのですが、菊池さん自身の第一志望がこの企業だとわかっていたので、社長のOKが出て内定が決まるまで、私も内心、ハラハラしていました(笑)。

年収交渉は、菊池さんと希望額を事前に打ち合わせておいたものを基に行いました。菊池さんに限らず、年収や雇用条件的な細かい交渉は、コンサルタントである私の役目。求職者側と企業側、双方のモチベーションが下がらないように、折り合いのつく条件を見極めて提案しました。

40代の方が転職に臨まれる際に、絶対に気を付けてほしいのは、ネガティブにならないこと。確かに高倍率になる可能性はありますが、経験やキャリアを優先する企業は決して少なくないんです。また求職者側も、選り好みせずに企業に足を運ぶなど、フットワークの軽さと働く意欲の旺盛さをアピールする努力は必要だと思いますね。

菊池さんの場合も、お会いした時こそ元気はありませんでしたが、どれだけ自分が企業側に貢献できるかなどを話す熱意や前向きさが、内定につながったポイントのひとつではないかと思います。

 
プロフィール
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埼玉県在住の45歳。最初は営業として活躍していたが、コンサルティング会社で企画開発部に異動となって以来、経営コンサルタントとして17年のキャリアを誇る。妻の病死をきっかけに、子どもの養育のため、いったんは実家のある北九州に帰ったものの、2005年、やはり子どもの教育のために再び上京。その際入社した会社への不信感から転職活動を開始。現在は人材派遣業などを統括する会社の人事課でマネージャーとして活躍中。
菊池さんの経歴はこちら

チェックしました(※1)
「長期にわたって、それも複数の人材バンクに求人を出している会社があったのですが、調べてみるとすぐに人が辞めている。こういう会社は、入社後に何か問題があるに違いないと考え、避けましたね。またメールや面談で、人材バンクそのものの雰囲気もチェック。あるところなど、なぜか貸金業の証明書が掲げられていたのですが、結局そこには登録しませんでした」

 

正直に(※2)
「食品スーパーがオーナー企業だったということもありますが、オーナー企業で働くにあたっての、自分なりのスタンスや心構えというものも、田中さんに率直に話しました。すなわち、オーナー企業は、大河ドラマに登場するような親方様と同じ、トップダウンなんですよね。側近や下が何を言おうと、すべては親方様の胸先三寸で決まる」。外部からの改革を期待されて採用された場合の、菊池さんのスタンスとはこうだ。「いきなり、オーナーに『それはおかしい』とか『それではダメだ』などと言ってはだめ。オーナーのプライドが傷つきますから。そして、まずはその会社のシステムや流れを把握することが大切。そうすることで、オーナーとの関係を悪化させずにほかの社員の心を掴み、改革に手をつけることができると思っています」

 

不採用になった(※3)
今回の転職活動中、内定の出た会社以外で面接まで進んだ会社は7社。そのうち2社は、最終面接まで進んだのに不採用だった。「不採用の理由は今でもわかりません。でも結局のところ、不採用になった会社には、行かなくて正解だったんじゃないかと思っています」

 

待ちわびた(※4)
現在の会社に入社するまで、菊池さんが臨んだ面接は4回。すべての面接が終わるまで、約2カ月を要した。「この期間中に、会長が亡くなられたり、年末に入って多忙を極めたりということで、人事担当者も社長も、なかなか時間が取れなかったのが原因。でも、『いよいよ来月からアルバイトだ』と思っていた矢先に決まったので、本当によかったですね」

 

離職率が低く(※5)
「驚いたのは、定年退職者がとても多いということ。これは、この会社が働きやすいということであり、会社が社員を大切にしているということの証拠だと思います」

 

悩み解消(※6)
「私が失業し、転職したことは今も子どもたちには話していませんが、失業期間中、父親の様子がおかしいというのは、なんとなく感じていたみたいです。『パパ、最近すぐに怒るね』と言われたりして。自分でも、イライラしているなと自覚していました」

 

本当にやりがいを感じます(※7)
以前勤めていた食品スーパーでは、菊池さんが人事制度改革に乗り出すまで、離職率が90%を超えていたが、菊池さんが退職する頃は、定着率が90%にまでなっていた。「自分が採用に関わり、育てた社員が店長にまで昇格するのを見るのは、本当にうれしかった。今の会社でも、そういったやりがいを感じられるようにがんばりたいですね」

 
取材を終えて

人当たりの柔らかい風貌に、穏やかな微笑みをたたえながら、ドラマチックな転職の軌跡を話して下さった菊池さん。

失業期間の、美術館や博物館をまわったり、電車に毎日乗っていたエピソードを、時にコミカルに話してくださいましたが、当時の気持ちは、不安で仕方なかったはずです。それでも、そんな気持ちを感じさせない大らかさに、お子さんを何よりも大切にする父親、あるいは、会社の人間関係に細かく気を配る上司の顔を見た気がしました。

菊池さんの転職へのこだわりは、職種以外には「社内の雰囲気が自分に合っているか」というただ一つだけ。働く上で、このこだわりは非常に重要なことですが、年収や労働条件など、ほかにもさまざまな点にこだわりを持つ人も少なくない中、潔いとさえ言えるでしょう。

そしてこのこだわりを持つ菊池さんが、やむなく退職した会社で、常に惜しまれ、復帰を望まれたのは当然ではないでしょうか。菊池さんなら、現在の会社でも、多くの人から慕われ、頼りにされていくに違いありません。

人との関係を丁寧に作っていくことの大切さを実感した取材でした。

 

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