第10回弁護士 宇都宮健児さん-その1-サラ金被害者は俺が救う!落ちこぼれ弁護士の逆襲 社会の闇と戦う弁護士、宇都宮健児59歳。28年間、サラ金による苛烈な取り立てから弱者を守ってきた。常につきまとう危険、甚大な労力、もらえる確証のない微々たる報酬。なぜそこまで体を張るのか。その姿は漢の中の漢に見えるが、宇都宮氏は「私は落ちこぼれ弁護士です」という―。[2006/4/3] vol.32
第9回船医・作家 西丸與一さん-その4-「今この瞬間」を頑張ってみろ 79歳でありながら、一年の半分以上、海の上で働く西丸氏。さらに陸でもさまざまな団体、イベントの実行委員長を務めるなど、多忙な毎日を過ごしている。西丸氏は言う。人間は働いてないとダメになると。西丸氏にとって仕事とは? 働くとは? そして人生とは?[2006/3/27] vol.31
第9回船医・作家 西丸與一さん-その3-思い出深い人命救助 船医でよかったと痛感 大勢のお客を乗せてのオセアニアクルーズの航海中、グアムのコーストガードから一通のFAXが送信されてきた。内容は、人命救助の依頼。日本国籍の漁船の機関長が発作を起こしており、このままでは確実に死ぬと。西丸さんと船長は迷わず人命救助に向かった──。[2006/3/20] vol.30
第9回船医・作家 西丸與一さん-その2-常に「初心を忘るべからず」 38年間、監察医を務めた後、老人介護、精神病患者のケアなどを請け負う横浜市総合保健医療センターの設立に参画。普通ならとっくに引退している65歳で初代センター長に就任する。物言わぬ死者を相手にする仕事から180度の方向転換。その動機とは?[2006/3/13] vol.29
第9回船医・作家 西丸與一さん-その1-38年間の監察医時代「自分」は二の次だった 齢79歳にして現役バリバリの医師がいる。彼の診察室は大洋の上をゆく客船の中。医師の名は西丸與一。「法医学教授・監察医」→「老人福祉」を経て「海」にたどり着いた。ベストセラー作家や劇団実行委員長などの横顔ももつ人生の大先輩に、働く意味、生きる意味を聞いた。[2006/3/6] vol.28
第8回四国アイランドリーグ代表 石毛宏典さん-その3-仕事は自分以外の誰かのために プロ野球選手時代の輝かしい実績があれば、第2の人生を楽に生きられたはず。しかし石毛氏は48歳にして「独立リーグの創設、経営」という厳しい世界へ私財とともに身を投じていく。石毛氏を突き動かすものは何なのか?石毛氏にとって、野球とは?仕事とは?誰のために、何のために働くのか。[2006/2/20] vol.27
第8回四国アイランドリーグ代表 石毛宏典さん-その2-元々目指していたのは教師 プロ野球時代、チームリーダーとして常勝・西武ライオンズの黄金時代を支えた石毛氏。スター選手の名をほしいままにしたがしかし、意外にもプロ野球選手になろうと思ったことは一度もないという。四国アイランドリーグ設立までにいたる野球人としての栄光と挫折の日々を聞いた。[2006/2/13] vol.26
第8回四国アイランドリーグ代表 石毛宏典さん-その1-日本の野球界、日本の若者のために 2005年4月29日、松山・坊ちゃんスタジアム。日本初の独立プロ野球リーグ「四国アイランドリーグ」が産声を上げたそのとき、石毛宏典代表は感激に震えていた。プロ野球選手として輝かしい成績を残した男が、なぜリーグ経営という厳しい道を選んだのか。その核心に迫った。[2006/2/6] vol.25
第7回武装解除人 伊勢崎賢治さん-その4-根っこにあるのはものづくりへの情熱 現在は立教大学や国士舘大学で教鞭をとり、開発政策、非営利経営、DDR、危機管理など、国際協力関係のテーマを教えている。しかしその一方で昨年末には内戦終結の兆しが見えたインドネシアのアチェを視察してきた。伊勢崎さんにとって仕事とは、働くとはいかなることか、聞いてみた。[2006/1/30] vol.24
第7回武装解除人 伊勢崎賢治さん-その3-やれる人がいないからやるだけ 東チモールで1年間、復興の指揮を採った伊勢崎さんはその直後、内戦が激化していたシエラレオネ、ついでアフガンへ飛んで武装解除、治安回復に尽力する。紛争の現場で伊勢崎さんが見たものとは…。[2006/1/23] vol.23
第7回武装解除人 伊勢崎賢治さん-その2-武装ゲリラ相手のDDRは危険を伴うが 命懸けという意識はない 理事会と大ケンカして国際NGOの日本支部を退職した伊勢崎さんは、国際協力系のシンクタンクに転職。調査役主任研究員として中東和平に尽力する日々を送る。そして1999年10月、伊勢崎さんの運命を変える電話が鳴った。かけてきたのは外務省。ここから「紛争屋」としての人生が始まった。[2006/1/16] vol.22
第7回武装解除人 伊勢崎賢治さん-その1-あっけなくついえた最初の夢 アジア、アフリカ、中東など、世界の紛争地に赴き、内戦を終わらせ、平和を取り戻す仕事がある。敵対する戦闘集団と交渉、武装解除、動員解除、兵士の社会復帰を実現させる通称DDR。その仕事に命を賭ける漢の名は伊勢崎賢治。しかしその一歩は挫折から始まった。[2006/1/9] vol.21
第6回新聞記者・作家 吉岡逸夫さん-その4-表現至上主義者にはなりたくない いち会社員でありながら、本の執筆や映画の撮影など自由に表現活動を展開しているように見える吉岡さん。しかし本人いわく、理想のサラリーマン像を追求した結果なのだという。吉岡さんにとって報道という仕事とは、究極のサラリーマンの姿とはどんなものなのだろう。[2005/12/26] vol.20
第6回新聞記者・作家 吉岡逸夫さん-その3-カンボジアで「世界」が見えた 新聞社にカメラマンとして入社した吉岡さんはがむしゃらに働いた。するとチャンスが訪れた。海外取材からまた新たな道が開けてきた。[2005/12/19] vol.19
第6回新聞記者・作家 吉岡逸夫さん-その2-二度目のエチオピアが人生を変えた 青年海外協力隊としての任期を終える直前、吉岡さんにとって運命的な出会いがあった。伝説の報道カメラマン、岡村昭彦氏(故人)。彼が放った一言は若き吉岡さんを打ちのめしたばかりか、生き方までも変えてしまう。[2005/12/12] vol.18
第6回新聞記者・作家 吉岡逸夫さん-その1-放浪の始まりは青年海外協力隊 吉岡さんのキャリアは青年海外協力隊→テレビCMの制作会社→旅行雑誌記者→報道カメラマン→報道記者とめまぐるしく変わっている。現在は東京新聞の社会部の記者でありながら、著書10冊を超え、5本の映画を撮り、1冊の写真集を出している。吉岡さんがここまでやりたいことができるのはなぜか?[2005/12/5] vol.17
第5回ドキュメンタリー作家 森達也さん-その4-世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい 好きなことを仕事にして、かつその仕事が評価されているように見える森さんだが、仕事をしているという感覚はないどころか、引け目すら感じることもあるという。森さんにとって仕事とは?働くとはいかなることなのか。何のために、誰にために仕事をするのか。仕事観とこの先の目標、夢を聞いた。[2005/11/28] vol.16
第5回ドキュメンタリー作家 森達也さん-その3-切り捨てたものの中にこそ 大事なものがある 1998年に公開されたオウム真理教のドキュメンタリー映画『A』は、各国際映画祭に招待されたほか、各国のメディアで高い評価を得た。森さんは一躍気鋭のドキュメンタリー監督として世界デビューを果たす。2年後には続編の『A2』も発表。国内ヒット間違いなしだと思っていたのだが。[2005/11/21] vol.15
第5回ドキュメンタリー作家 森達也さん-その2-撮り終えたら田舎へ帰るつもりだった 大学卒業から8年、森さんは31歳でテレビ番組制作会社に入社。ディレクターとして念願の映像関係の仕事にバリバリ打ち込んだのかと思いきや……。その会社も長くは続かなかった。[2005/11/14] vol.14
第5回ドキュメンタリー作家 森達也さん-その1-フリーター7年、転職3回を経て オウム真理教(現アーレフ)のドキュメンタリー映画『A』、差別問題を扱った『放送禁止歌』、動物実験をテーマにした『1999年のよだかの星』など、数々の「問題作」を発表してきたドキュメンタリスト・森達也。これまでの人生は意外にも「迷いと妥協と挫折のドキュメンタリー人生」だった。[2005/11/7] vol.13