第32回 神戸大学大学院経営学研究科教授 金井壽宏-その5-まれにでも喜びを感じられたら その仕事は十分“天職” 研究の道に入って30年。人や組織を元気にする経営管理論の研究及び教育に尽力し続けてきた。現在では経営学における研究者として、学会・実業界から熱烈な支持と尊敬を集めている。そんな金井教授にとって、仕事とは何か、そして納得のいくキャリアを歩んでいくための心得を語っていただいた。[2008/7/14] vol.132
第32回 神戸大学大学院経営学研究科教授 金井壽宏-その4-最終的に自分で決めるのがベスト 金井教授の唱えるキャリアデザインは「普段からキャリアのことを考えなくてもいいから、人生にそういくつもない大きな節目のときだけ真剣に考えて進むべき道を決めよう」というものだが、金井教授自身もこれまでいくつかの節目をくぐりぬけてきた。そして、この「今」も、大きな節目となる可能性が高いという。[2008/7/7] vol.131
第32回 神戸大学大学院経営学研究科教授 金井壽宏-その3-継続には役立ち感が重要 他者からの承認もパワーに 30歳で世界レベルの研究者が集うMITに留学し、マネジメントのPhD(博士)を取得。39歳の若さで神戸大学経営学部教授に、そして45歳で神戸大学大学院経営学研究科教授に就任。今回は長く仕事を続けるために必要な「キャリアの3つめの問い」と、キャリアの成功とは何かについて訊いた。[2008/6/30] vol.130
第32回 神戸大学大学院経営学研究科教授 金井壽宏-その2-自信がもてずつらかった助手時代 逃げずに乗り越えたことで 次のキャリアが開けた 大学卒業後、臨床心理学から経営学に方向転換した金井氏。経営学の中でもこれまで大学で勉強してきた心理学とほぼ同じ分野の研究は楽しく、充実した研究生活を送っていた。しかし、2度目の大きな節目を通り抜けた後、人生最大の苦しい季節がやってきた。[2008/6/23] vol.129
第32回 神戸大学大学院経営学研究科教授 金井壽宏-その1-キャリア研究の第一人者の仕事論 働く個人も組織も幸せになるための理論を研究している神戸大学大学院経営学研究科・金井壽宏教授53歳。研究・教育において優れた業績を残す一方、企業での研修、講演、書籍執筆と働く人々のために力を尽くしている。このキャリアの第一人者に幸せなキャリアの築き方、そして仕事の意義を聞いた。[2008/6/16] vol.128
第31回 大工育成塾 塾長 松田妙子-その3-仕事は世のため人のために 必要だと思うからやるだけ 日本人女性初のNBCプロデューサーから始まり、日本初のPR会社、全くの未経験での住宅会社、財団法人、そして大工育成塾の設立と、新たなチャレンジの度に成功してきた松田氏。しかし、なぜ成功をあっさり捨て去り、あえて困難な新しいことにチャレンジするのかを語っていただいた。[2008/6/2] vol.127
第31回 大工育成塾 塾長 松田妙子-その2-家づくりは人づくり 日本ホームズを設立した松田氏は「よりよい住宅をより安く」をモットーに、日本で初めてツーバイフォー方式を導入し、通産省や建設省と協働し「ハウス55計画」を推進。その結果、家を購入できる人が急増し、日本ホームズも順調に成長した。順風満帆かと思われたが、しかし、ある出会いで松田氏の人生は大きく変わる。[2008/5/26] vol.126
第31回 大工育成塾 塾長 松田妙子-その1-現代日本への危機感で大工育成塾を設立 その信念は国をも動かす 国を動かし、大工を育てる世界初の塾を立ち上げた人がいる。大工育成塾塾長・松田妙子80歳。住宅産業研修財団、生涯学習開発財団の理事長でもある松田氏は、これまで国のため、社会のため、人のために、粉骨砕身の人生を送ってきた。そんな松田氏に、仕事の意義、人生の意義を語っていただいた。[2008/5/19] vol.125
第30回 ナレーター 窪田 等-その6-ナレーションという仕事が大好きだから ナレーションの世界に足を踏み入れたのは20歳。サラリーマンを辞めるときは悩んだが、ナレーションがやりたいという気持ちが強かった。現在57歳、仕事の依頼は引きも切らない。ナレーターとしてはまだまだこれからだと語る窪田等にとって仕事とは何か、何のために、誰のために働くのか。[2008/5/5] vol.124
第30回 ナレーター 窪田 等-その5-生まれ変わっても同じ仕事を とにかく少しでも作品をいいものに仕上げたい。そのためにはどんな労力も惜しまない窪田氏だが、うれしいのは質の高い作品が仕上がったときだけではない。人としてそれを超える喜びがナレーターにはあるという。その反面つらいことも。今回はナレーターとしての最大の喜び、そして辞めようと思ったつらい出来事を語ってもらった。[2008/4/28] vol.123
第30回 ナレーター 窪田 等-その4-ただいいものを作りたい 1秒以内の世界でナレーションを調整する。まさに匠の技ともいうべき窪田氏の間の感覚だが、この技術も若い頃の修行で培われた。今回は窪田氏の作品つくりにかけるこだわりと忘れられないナレーションについて語ってもらった。[2008/4/21] vol.122
第30回 ナレーター 窪田 等-その3-一皮向けた仕事で一人前に 声の仕事で生きてゆくと覚悟を決めたのは23歳の頃。当然、不安はあった。だからこそ誠実に頑張った。その積み重ねがやがて窪田氏を売れっ子ナレーターにしていった。シリーズ第3回では国内トップクラスのナレーターになるまでのプロセス、そしてナレーターとしてのこだわりを熱く語ってもらった。[2008/4/14] vol.121
第30回 ナレーター 窪田 等-その2-将来の不安より今の気持ちで 人生を切り開く 声の仕事30年超。今でこそ仕事の依頼が途切れることはない超売れっ子ナレーターだが、声の道に入る前は普通のサラリーマンだった。今回は窪田氏がなぜ声の仕事を志し、いかにして名ナレーターと呼ばれるまでになったか、その軌跡を語っていただいた。[2008/4/7] vol.120
第30回 ナレーター 窪田 等-その1-声だけの仕事だから伝えられることがある ナレーター・窪田等57歳。彼の声が映像や音楽と合わさったとき、感動は増幅され、聞く人の心に不思議な安心感を与える。今、テレビやラジオから彼の声が流れない日はないといっても過言ではないほどあらゆるメディアからオファーが殺到している声の職人の仕事魂に迫った。[2008/3/31] vol.119
第29回 交通事故鑑定人 林 洋-その5-自分のため、世の中のため 遊びのように熱中できる仕事が最高 6つの会社、7つの職種を経験した末に、53歳で独立。77歳の今も現役の交通事故鑑定人として活躍している林氏は、まだまだ辞めるつもりはないと、老いてますます盛んである。なぜこの歳でここまで意気軒昂でいられるのか。いくつになっても輝いていられる秘訣を聞いた。[2008/3/17] vol.118
第29回 交通事故鑑定人 林 洋-その4-転職を繰り返すことで志を持って生きる重要性に目覚めた あくまでも自らの信念に基づいて交通事故鑑定に取り組んできた。しかし世間にはいい加減な鑑定をする者も多いという。そんなエセ鑑定人を林氏は許さない。そこには交通事故鑑定人としての譲れない矜持があった。[2008/3/10] vol.117
第29回 交通事故鑑定人 林 洋-その3-潜在需要を掘り起こして第一人者に 大学卒業後、6社を渡り歩き、交通事故の工学鑑定を行う「林技術事務所」を立ち上げた。このとき53歳。不安もあったが、生きがいとしての仕事の醍醐味に心は奮い立った。そして独立して間もなく業界のトップランナーへと駆け足で上り詰めていった。[2008/3/3] vol.116
第29回 交通事故鑑定人 林 洋-その2-最初の独立は失敗するも 6社目で交通事故鑑定の世界へ 30歳にして「俺の仕事」と思える仕事に出会い、懸命に取り組んだ結果、いくつも革新的な成果を出した。さらに研究結果を論文にまとめ、学会で発表。会社での評価はうなぎのぼりだったが、またしても暗雲が立ち込めてきた。なかなか安住の地を見つけられない林氏の人生の奮闘劇はまだまだ続く。[2008/2/25] vol.115
第29回 交通事故鑑定人 林 洋-その1-交通事故鑑定の達人が語る仕事魂と放浪のすすめ 残された証拠から、物理法則と己の知力を武器に、交通事故の真実に迫り続けている男がいる。林洋77歳。25年間で約千件もの交通事故の嘘と真を解き明かしてきた。70代後半になっても現役バリバリの交通事故鑑定人である林氏に、一生の仕事を見つけるための極意を聞いた。[2008/2/18] vol.114
第28回 スポーツドクター 辻 秀一-その5-自分のために働くことが 必ず他人のためになる 「スポーツで社会貢献」という理念を胸に、東奔西走を続ける辻氏。彼には「東京にプロバスケチームを作る」ことのほかにも、実現すればまさに日本を変えてしまうくらいの大きな夢があった。シリーズ最終回の今回は辻にとって仕事とは何か、何のため、誰のために働くのかに迫った。[2008/2/4] vol.113