また、ちょうど同時期に、浄土真宗本願寺派の中にある「基幹運動推進本部」という部署が自殺問題の啓発用リーフレットを作ることになっていて、その編集にも関わらせていただきました。
やっぱり編集会議の中で出てきたのは「命は尊いから粗末にしちゃいかん」というトーンの内容だったので、それは違いますという話をしました。
するとここでもやっぱり、僧侶は現場に近いところにいるからすぐにピンときてくれて、間違っていたということをちゃんとわかってくれました。先ほどの作文の件も含め、自殺問題の実態について、これからもっと学ばなきゃいけないと本願寺派も少しずつ変わりつつあると思いました。
でも編集委員は自殺対策に関わってきたわけではないので、どう書いていいかわからない。だから、リーフレットの原稿の執筆を依頼されたので書きました。そうしたら、ほぼそのまま全面採用してくれたんです。
それが以下の文章です。
年間自死(自殺)者数は九年連続(2007年当時)で三万人超、
未遂者はその十倍といわれています。
自死する人は 弱い人なのでしょうか?
いのちを粗末にしていると、そう思いますか?
自死された方の多くは
本当は もっと生きていたかった。
でも、生きていくのが つらくて
生きていくことができなくなって
死ぬことしかないと 思いつめて
亡くなっていったと
これまで 実際にかかわってきた人たちが
そう うけとめています。
自死への偏見をなくし
自分のこととして 考えていきたい。
つらいとき あなたは
そっとしておいてもらいたいですか?
それとも
声をかけてもらいたいですか?
「いま、私にできることは何だろう?」
ということを いっしょに 考えてみませんか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もしかしたら…
自死(自殺)するしかないと 考えている人が
あなたの近くにいるかもしれません。
思いつめている人は
まわりの人を 心配させないように ふるまってしまうとも いわれています。
つらいときや 悲しいとき、何かに 追いつめられたとき、
まわりの人に 助けを求めたくても なかなか気づいてもらえない。
勇気が出なくて、言い出すこともできなくて、
ますます つらくなってしまう…
わたしたちは
どのようにかかわっていけば よいのでしょうか?
相手を ありのままに認めて 気持ちに寄り添うことができたら、
言えなかった悩みを 話せるようになるかも しれませんね。
◇◇
「いいんだよ 今のままで」
「いっしょにいることができて うれしい」
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あなたの 思いやりのひとことが
わたしを ホッとさせてくれることがあります。
『こころの ふれあいを たいせつに 〜自死(自殺)について考える〜(共にあゆむVol.68)』より
これに書かれてあるように、本当はもっと生きていたかった。でも生きていくのがつらくて、生きていくことができなくなって死ぬしかないと思いつめて亡くなっていく。思い詰めている人は本当は周りの人に気付いてもらいたい、助けを求めたいのに、心配をかけちゃいけないと思って本当の気持ちを言えないからますますつらくなっていく。そうすると、本当なら助けを求めなきゃいけないのに助けを求めることもできない、ああ、ダメだなと。もうこんな状態だったら生きていてもしょうがないな、生きる価値がないなと思って自ら命を絶ってしまうわけです。
死にたくて自殺する人はいないんだから、宗教者が「命は粗末にしてはいけない」と上から説教をするのではなくて、「自殺してしまうほど苦しんでいる人が周りにいるかもしれないし、そういう方は自分から言い出せないでいるからそっと声をかけませんか。そういうアプローチが宗教者としては大事なんですよ」というメッセージを第1弾として作ったんです。
同じ宗教者に対して自殺問題の実態と対処の仕方を訴えかけるという活動をきっかけにして、自殺問題をただ考えるだけではなく、一緒に行動する僧侶のネットワークをつくりたいと具体的に考えるようになった。その思いが日本初の仏教者による自殺対策の団体の創設へと繋がっていく。 |