キャリア&転職研究室|魂の仕事人|第38回 ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル-その5-サークル…

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魂の仕事人 第38回 其の四
新教会設立に貢献するも 恩を仇で返される結果に 絶望のどん底から復活、新境地へ
社会に出ることで改めてゴスペルの素晴らしさを再確認すると同時に、恋人の後押しで次第にゴスペルを仕事にすることを考えるようになったナナさん。そしてあるNGOとの出会いで道は決まった。  
NGOゴスペル広場代表・ゴスペルアーティスト ナナ・ジェントル
 

スリランカ支援NGOとの出会い

 

会社勤めをしていた時期に、気分転換も兼ねて地元の国際交流フェスティバルに行きました。さまざまなNGOがブースを出している催しです。高校生の頃からそういうイベントは好きで、家には100を超えるNGO団体の情報があります。

そこでブースを出していたNGO団体のひとつが、内戦に苦しむスリランカを支援する「NGOテックジャパン」でした。その場にいた代表のスベンドリニ・カクチさんは、日本に20年以上暮らしているスリランカ人の女性ジャーナリスト。スリランカでは、長く続く内戦で人々は疲弊し更に2004年の津波でいくつもの町が壊滅したと現地の状況を話してくれました。至るところに栄養失調の子供たちがあふれており、その支援のために、給食を提供する保育園や、母親たちが現金収入を得られるよう技術指導をする裁縫センターを作っているというのがテックジャパンの活動内容でした。

カクチさんや事務局長の尾崎明子さんと親しくなり、別の機会を設けて話をしたり、テックジャパンの総会に参加させていただいたりするようになりました。カクチさんは「私たちの団体は決して大きくないが、だからこそ透明性が高い。無駄な経費は一切使っていないし、いただいた寄付もすべて私が現地へ行き、この手で渡し、現地の状況を常に自分の目で見て確かめています」と強調しておっしゃっていました。そしてこれまで3カ所に裁縫の訓練センターを立ち上げてきたこと、もう1カ所建てる計画があることを説明して、「どんな形でも構いません、何か力になってくれませんか」と懇願されました。

ゴスペルで立ち上がることを決意
 

当時、私はまだ会社員だったので、最初はお給料の中からいくらか寄付をしようかとか、会社に寄付を頼んでみようといった発想から始まりました。会社は私の呼びかけで既に2つの国際協力団体に寄付をしてくれていましたから。でも、カクチさんたちの真剣な表情に迫られて、考え直しました。「一会社員としては、私には数万円の寄付しかできないかもしれない。でも私が今ゴスペルで立ち上がれば、もっと多くのお金を集めることがきっとできる」と。

カクチさんに、ひとつの裁縫センターを開くのにいくら必要かと聞くと、答えは80万円。大金だけど、ゴスペルのイベントでなら実現できない額ではない。もっとも、私が今まで一度のイベントで集めた寄付はせいぜい10万円前後でしたから相当高いハードルではありましたが……。当時は仕事とFAFA GOSPEL HOUSEの両立に苦心しながら、さらに半年後には結婚式を控えていました。できるのだろうか、無理だろうか、揺れに揺れた挙句出した結論は、「よし。きっと集めてみせる!」でした。

その日家に帰ってすぐに、元フジテレビアナウンサーの政井マヤさんにお電話で出演をお願いしました。ゴスペル講師の仕事を通してマヤさんとは約1年前に知り合っていました。人柄がよく魅力的な方で、ゴスペルを知らない一般の方々にも広く顔が知られているし、今回のチャリティーイベントのイメージにぴったりだと思ったんです。マヤさんからはその場で快諾のお返事をいただきました。とてもうれしかったですね。

NGOゴスペル広場設立
 

同時にこのゴスペルイベントの企画をきっかけに独立を決意しました。ゴスペルで何かしたいという思いに、遂に火がついたんですよね。大きな挫折でどん底に落ちてから3年半、それ以来ワクワクするような「やる気」を抱くことが、恐くてできませんでした。もう一度何かに夢中になれる力がまだ残っていたなんて、正直自分でも驚きでした。

そして2007年10月にNGOゴスペル広場(※1)を設立し、その2カ月後に会社に辞表を提出しました。なぜ「NGO」という形態にしたのかとよく聞かれますが、企業のように利益の追求を目的として掲げるというのがどこか性に合わないんですよね。NGOにした方が、国際協力や社会貢献に重きを置いている私たちの活動の実態に沿っているのではないかと思ったんです。

また、社員対お客様という構図ではなく、関わった人が皆仲間として共に活動を作り上げていく、という団体にしたいという思いもありますね。現に、ゴスペルスクエアのメンバーの中にも何人かスタッフのように動いてくれるボランティアスタッフがいますし、他にもいろいろな提案をしてくれたり、イベントなどでお手伝いを申し出てくれるメンバーがたくさんいるんですよ。

※1 NGOゴスペル広場──詳しくは公式Webサイトインタビュー其の一を参照

FAFA GOSPEL HOUSEは解散
 

イベント準備スタッフは私以外に、高校時代に在籍していた合唱部の4つ下の後輩で音楽仲間でもあった今角(いまずみ)、インターン募集広告で仲間に加わった岸野、FAFA設立1年目からのゴスペル仲間の望月、この他に二人の学生が加わりました。最初の3人は今もNGOゴスペル広場のスタッフとして活躍してくれています。

イベント準備と並行して、事業として継続的にやっていけるものを考えなければと思いました。それが後に渋谷にオープンさせることになるゴスペルスタジオ「ゴスペルスクエア」です。私たち自身がそれで生活でき、なおかつ国際協力に使えるお金も生み出せる活動、というのが私の目指したものでした。同時に、6年間続いたグループFAFA GOSPEL HOUSEは、残念ながら解散することになってしまいました。でも中には遠くからゴスペルスクエアに通ってくれている元メンバーもいます。

活動第1弾 チャリティゴスペルマラソン
 

チャリティーイベントは2008年5月に開催することになりました。どうすれば80万円を生み出せるものかと、毎日寝ても覚めてもそのことが頭から離れません(笑)。当初はスリランカカレーを食べながらゴスペルを聞くという案が有力だったのですが、場所がなかなか見つからない、見つかってもバンド演奏はだめだとか、食器のレンタルが非常に高くつくとかいろいろと制約があってなかなか実現のメドが立ちませんでした。とにかく企画を作り上げるところが一番の苦労でしたね。そうこうしているうちにBee芦原さんとブラザータイスケさんという素晴らしいゴスペルアーティストの協力が得られることになったので、素直にゴスペルを前面に出す内容にしようと決めました。最終的にはこの決断が功を奏したと思います。

タイトルは「チャリティーゴスペルマラソン2008」。第一部ではBee芦原さん、ブラザータイスケさん、私の3人によるコンサート。第2部ではその3人が講師となり順番にワークショップをしていくという、計5時間のイベントです。Bee芦原さんは大阪で、ブラザータイスケさんは新潟で、それぞれ100人を超える生徒をお持ちです。その2人の人気講師のクラスを一度に受けられる機会はなかなかなく、東京のゴスペルファンには魅力的なのでは、という発想でした。

80万円を達成するには200人の参加者が必要です。さらに第1部のコンサートに一緒に出演するための、4カ月間の事前クラスを設けました。ゴスペルコンサートにはクワイヤ(聖歌隊)がつきものですから、この3人のアーティストのバックで歌いませんか、と呼びかけました。

スタッフ総出の手作りイベント
 

広告やPRの方法は本などで勉強し、スタッフみんなで作業を分担しました。メディア向けのプレスリリースを書いたり、Webに案内文を書き込んだり。毎週自宅で手料理をふるまいながらの作業でしたので、スタッフ同士の雰囲気もすぐに和みましたよ。そして事前クラスの申し込み受付開始日である12月10日、朝メールボックスを開けると、既に5件の申し込みが! その勢いはとどまることなく、40人の募集枠が1週間であっという間に埋まってしまいました。

私はその4日後には、自分の結婚式のためにニュージーランドへ飛ばなければなりませんでした。ニュージーランド人の彼の祖父の癌が進行していたので、このクリスマス休暇に晴れ姿を見せたいと決めていたんです。迫る時間と闘いながら、ここであと何人申し込みが来たらどういう対応をしようとか、いつの何時にどういう方法で何を発表しようとか、すべてをメールにまとめて他のみんなに託しました。成田空港からも全員に電話をかけ、ニュージーランドからも毎日メールをチェックし、みんなの様子を聞き、必要な指示を出していました。でも私が3週間不在にしていたことで、スタッフはとても自立したと思います。みんな大変だったと思いますが、よく頑張ってくれていました。


イベント準備中に迎えた夫ニックさんとの結婚式。ニュージーランドにて(写真提供:ナナさん。以下インタビューカット以外同)
イベント大成功
 

事前クラスには、最終的に当初の募集人数の倍以上、なんと88人が集まりました。そのお陰もあり、イベント当日は目標通りワークショップで200人の大合唱が実現できました。私たちの活動を応援してくださった方々からの寄付もいただき、80万円の収益が達成できたんです。イベント当日、サリー姿のマヤさんの存在も大きかったですね。心から感謝しています。

あんなに楽しいイベントはそうそうないですね。参加者からのアンケートもすごくうれしいものばかり。楽しかった、また来年も参加したい、次回は友達を誘いたいといったコメントに加えて、「自分が楽しんだことが国際協力になるなんて、素敵な企画をありがとう」とか「今まで国際協力とかボランティアとかに全く関わったことがなかったけど、楽しく歌ったことが誰かの役に立ってるなんてとてもうれしい」といった内容もありました。「楽しい時間のために使ったお金が、別の場所で大きな力になる」という私たちのコンセプトがちゃんと伝わっていたんだ、と感激しましたね。一人で悶々と考え込んでいたときからまだ一年も経っていないのに、200人という仲間が一気にできたんですよ。参加者の皆さんが優しい笑顔で歌ってくださる姿を見たときの、あの感動はとても言葉にできません。


チャリティーゴスペルマラソン当日の様子(※クリックで拡大)
スリランカに裁縫センターを設立
 

集まった80万円を早速NGO テックジャパンに送金し、スリランカで裁縫センターの設立準備を進めてもらいました。そしてイベントから5カ月経った2008年の10月、遂に裁縫センターが完成し、テックジャパンのスタッフと5人のゴスペルメンバーで現地へ赴きました(※2)。実際には建物を建設したわけではありません。縁あって協力してくださることになったアメリカ人のロリオ神父様が、小屋をひとつ貸してくださることになったんです。お陰でミシンの購入や裁縫講師の派遣といった出費だけで済み、寄付予定の半分の額をこの先1年の運営費に回せることになりました。

ロリオ神父はもう50年以上もこのトリンコマリーという町に住み、学校を開くなどの奉仕活動をしている方でした。内戦中のスリランカでは、民間人への暴行、レイプ、殺害は日常茶飯事で、北部の村の人々は自宅で寝るのも危険という悲惨な状況です。そこで教会が地域のシェルターとしての役割を果たしており、ロリオ神父も地元の人々からとても信頼されている人物のようでした。


ロリオ神父から縫製工房として貸与された建物

私たちはオープニングセレモニーでゴスペルを歌い、その後日本から同行した裁縫講師によるワークショップをお手伝いしました。研修生は10名の女性。仲良くなったある女性は内戦で父親を亡くしており、5人家族だけど現在誰ひとり職をもっている人がいないということでした。

内戦という厳しい現実の中で私たちの活動がどこまで成果を生み出せるのか、保証できるものは何もありません。でも、オープニングセレモニーで歌い終わった後、ひとりの研修生が「今の危険なスリランカに実際に来るということが、どれほど勇気ある決断なのか私たちもよく承知しています。私たちは、明日はどうなるかわからないというつらく暗い思いで毎日を過ごしていました。でも今、こうして遠い日本で私たちのことを応援してくださっている方々がいるということが、私たちの心に希望の光を灯してくださいました。本当にありがとうございます」と言って涙を流してくださいました。

オープニングセレモニーでテープカットするナナさん(左)と歌うメンバー(右)
裁縫指導の様子(※それぞれクリックで拡大)

ただお金やモノをぽんと送るとか、本当の支援というのはそういうことじゃないと思うんですよね。実際に現地とこまめに連絡をとり、足を運び、一緒になって汗を流す国際協力NGOの方々の働きがあって初めて、「希望」という一番大切なものを贈ることができる。このときはNGOテックジャパンの皆さんの熱い思いからも本当に多くのものを学ぶことができました。これからも日本で私たちにできることを、多くの人たちと一緒にやっていきたいと思います。

笑顔でミシンを踏むスリランカ女性
日本からのメンバーと現地の人々と一緒に(※クリックで拡大)

※2 現地へ赴きました──現地視察の様子はこちら。ちなみにこのWebサイトもナナさん制作。

2008年6月には、NGOゴスペル広場のメイン事業である「ゴスペルスクエア」を渋谷にオープンさせた。それはまさにナナさんにしかできないゴスペルスタジオだった。

「ゴスペルスクエア」オープン
 

ゴスペルスクエア(※3)はオープンして2週間経った頃にはメンバーが150人、現時点(2009年3月)で350人を超えています。ほとんどがゴスペル未経験の人なんですよ。これだけ各地にゴスペル教室もたくさんあるし、ゴスペル人口も増えているのに、まだまだ「興味はあったけどキッカケがつかめなかった」という方がこんなにもいたんですね。

ゴスペルはすべて原語のまま歌っているので英語ですが、日本語訳も添えてあります。歌詞には前向きな言葉がとても多いんですよ。「耐えられる以上の試練を神様は決して与えない」とか、「与えられているものに感謝しよう」とか。そういう言葉を、何か本で読んだり講演で聞いたりするのではなく、自分の声で歌い続けるということが、ゴスペルの醍醐味だと思いますね。落ち込んでいても歌っているうちに不思議と元気が湧いてくるんです。

※3 ゴスペルスクエア──渋谷駅東口ロータリーから歩いて徒歩5分ほどのゴスペルスタジオ。詳しくは公式Webサイトインタビュー其の一を参照


2008年7月13日に丸ビルで開催されたゴスペルスクエア初ライブ(※クリックで拡大)
強力な味方との出会い
 

ゴスペルスクエアには、黒人のプロゴスペル歌手、シャニータさんが教えるクラスもあります。彼女との出会いも非常に運命的でした。

チャリティーゴスペルマラソンのPRのために、2007年のクリスマスの時期に、各地で開催されるゴスペルコンサートの主催者に電話をかけてチラシの折り込みをお願いしました。その中でひとつのコンサートだけが、「チケットを買って観に来てくれればOK」ということだったので、多くの黒人歌手が出演するし、スタッフの勉強にもなるだろうと何人かで行くことにしました。

始まってみたら、主催者も出演者も皆クラブ系の人たちで、私たちはまるで場違い(笑)。黒人10人くらいで「オーハッピーデー」などゴスペルのスタンダード曲を歌っているとはいえ、明らかに今日のためにちょっと練習しましたという感じだったんです。

そんな中、シャニータさんが出てきてソロを歌い始めました。すぐに感じました、「この人は違う」と。私自身長く黒人教会の聖歌隊で歌っていたので、そういう違いははっきりとわかるんですよね。一度で彼女の歌に惹き込まれました。コンサート終了後に彼女を訪ね、「私はゴスペルのイベントを主催したりしている者なんですが、いつか何か一緒にやってもらえませんか」と英語で声をかけました。このコンサートのメインはアメリカからの来日アーティストでしたので、てっきり彼女もその一人だと思っていました。そうしたら返ってきた返事は日本語で「いいよ」。驚きましたね。シャニータは東京在住で、日本語もペラペラだったんです。

すぐに翌月彼女と二人で会ってゴスペルスクエアの構想を打ち明け、、講師依頼をしました。彼女のことはほとんど知らない、指導姿も見たことがない、本当に直感と言うやつですよ。彼女は快く引き受けてくださり、そこから交流が始まりました。過去には苦い経験がありますので、本場の黒人歌手とは手を組む予定は当初なかったんです。でも彼女は違いました。私たちがやろうとしていることを、とてもよく理解してくれています。時間も正確だし、受け持ちのクラスの準備もしっかりしてきてくれるし、メールもすぐにきちんとした返事を返してくれる。日本語ができるのでメンバーとも積極的に話をしてくれています。今となってはシャニータのプログラムはゴスペルスクエアの大きな魅力のひとつですから、まさに出会うべくして出会ったんですね。

日本人なりの癒され方がある
 

ゴスペルスクエアには、年齢も職業も様々な方が集っています。大半はやはり会社勤めの方ですね。若い人も多いですが、中には部長クラス、または会社を率いている方もいらっしゃいます。印象的だったのは、自分の抱えている部署の事業が伸び悩み、精神を病んでしまうまでに追い詰められていたときにうちに入会した、という方。毎週通い、イベントで歌っているうちに心身ともに健康になり、妻にも感謝されている、と語ってくださいました。こういう話を聞くと、ゴスペルというのはアメリカの教会という限られた世界の中だけでなく、私たちのような普通の日本人が歌っても力があるというか、私たちなりの楽しみ方、癒され方があるのだなと自信になりますね。


ゴスペルスクエアのメンバーのみなさん。それぞれ心底楽しそうにゴスペルを歌う姿が印象的だった
黒人文化と日本文化の意外な共通点
 

日本には「言霊」という概念があるでしょう? おまじないや忌み言葉なども、日本人が言葉の持つ力を信じてきた証拠ですよね。実はアフリカの黒人文化の中にも、それと全く同じ考え方があるそうなんですよ。書いてある言葉は死んでいる、人の口から発せられた言葉には力が宿る、と彼らは信じていた。だから言葉がとても重視されて、何度も同じ言葉を繰り返したり、楽譜など始めから作らずリーダーの発する言葉を繰り返して、節をつけて、ひとつの歌ができていったり。そういうところは、日本の伝統と少し似ているかなという気もします。

日本も元来、芸術は師匠から弟子へ「見せて、やらせる」という教育方針だったと思います。紙の上の音楽理論なんて日本には元々なかったわけです。音楽の授業が苦手だったという人にもゴスペルが受け入れられているのは、そういう背景もあるのかなと感じるんですよね。カラオケを歌うのに楽譜から入る人はいませんよね。ゴスペルもそれと同じで、耳で聞いて、何度も歌って覚える。音楽初心者でも気軽に仲間入りできますよ。

国際協力もグレードアップ
 

11月にはグラミー賞受賞アーティストであるゲイリー・ハインズさんをアメリカから招いたチャリティーワークショップ“Gary Hines Gospel Workshop”を開催しました。厳密に言うと私たち単独で招聘したわけではなく、大阪を中心に始まったこの企画の、東京の回を主催させてもらったという形です。私たちの東京でのチャリティーワークショップを通じて、ラオスの子供たち10人に奨学金を送ることができました。

このような単発のイベントだけでなく、ゴスペルスクエアの毎月のメンバー会費からも国際協力資金を積み立てています。2008年6月のオープンから年末まで半年間、その額は約30万円になりました。ゴスペルスクエアの活動そのものが、「楽しい時間のために使ったお金が、別の場所で大きな力になる」という私たちのコンセプトを体現しているんです。

支援先がどうしてラオスか、スリランカか、というのは、その国際協力NGOとの個人的な縁からですよ。支援を求めている国や地域はそれこそ世界中にあると思いますが、私たちひとつの団体で世界全体を救えるわけではないですからね。ラオスの日本民際交流センターや、スリランカのNGOテックジャパンは、私自身が担当者と直接会い、信頼を置いている団体です。そういうつながりを大事に、できることから始めていきたいと思っています。

サークルではなく、仕事として「ゴスペル×国際協力」に取り組んでいるナナさん。設立以来、目覚しい成果を上げているが、仕事としてやるには、それで生活していけなければ元も子もない。しかもナナさんひとりではなく、スタッフも抱えている。夢と生活の両立は実現できているのだろうか。

自分自身とスタッフの生活の保障は前提条件
 

今は夫と暮らしていますが、もし一人だったとしてもこの活動で生活していけます。そして立ち上げから1年経ってようやく、スタッフを2名フルタイムで雇えるようになりました。彼女たちにはこの1年間、他の仕事を掛け持ちしながらのハードスケジュールを強いてしまい本当に申し訳なかったと思っていたのですが、やっと専従にすることができました。そもそもゴスペルで独立すると覚悟を決めたからには、自分自身やスタッフの生活を保障できることは最低条件ですよね。

音楽という分野も国際協力という分野も、平均所得は決して高くない。でも、だからといって「音楽や国際協力の仕事だから仕方ない」と言われたくない。誇りを持って働けるゴスペルの仕事を作ることが、NGOゴスペル広場の夢でもありますね。

ゴスペルは、産業としてはまだまだ発展途上です。他の業種をみると、髪をいじるのが好きなら美容師になるとか、人の世話が好きなら看護師や介護士になるとか、教えることが好きなら先生になるとか、その夢を叶える「道」がありますよね。でもゴスペルには全然ないんですよ。今ゴスペルを歌ったり教えたりしてお金を稼いでいる方々は、ほとんどが何かしらの音楽演奏歴や指導歴を持っているか、自分が実際にアメリカでゴスペルを習ったという方。ただの一生徒としてゴスペルを習ってみて、楽しかったから先生を目指したい、という道がまだ全然開けていないんですよね。ゴスペルを好きな人が、ゴスペルで生計を立てられる、それが理想だと思っています。

どんどん広がるゴスペルの輪
サニーサイドゴスペルクラブ
 

今年(2009年)からは、具体的にそれに挑戦していきます。今年2月、ゴスペルスクエアのサテライト的な活動「サニーサイドゴスペルクラブ(※4)」が三重と横浜で始まったんです。

きっかけは、三重県出身の小西生峰さんでした。オープン1カ月目からゴスペルスクエアの熱心なメンバーであった小西さんは、ある日私にこう言ってくださいました。「ゴスペルスクエアの活動にとても共感しています。いいことをしよう、しかも安くやろう、そして楽しくやろう、その精神が大好き。三重県内には歌を歌える場所も少なく、三重で何か同じような活動ができないかと、ずっと考えていました」と。その言葉を聞いてひらめいたのがサニーサイドの活動です。

もともとゴスペルスクエアを始めたときから、どうにか私の次に続く人たちを育てていけるような仕組みを作りたいという思いがありました。いろんな道を模索していたのですが、メンバーの中にひとつの答えがあったんですね。ちょうど同じくらいの時期に、もう一人同様の意思を持ったメンバーがいました。神奈川県から通っていた服部まりこさんです。服部さんは長年ピアノを習っており大学でもアカペラサークルに所属する一方で、国際協力関係のゼミを取り、カンボジアの子どもに家庭教師をするなどのボランティア活動の経験もありました。そんな服部さんの目にも、音楽と国際協力を結びつける私たちの活動は大いに共感できるものに映ったそうです。この二人と何かできることはないかというところから、サニーサイドゴスペルクラブのプランが始まったのです。

サークルと教室の中間のような存在
 

サニーサイドは、ゴスペルスクエアの支部的な存在にはなりますが、それぞれ独立しています。ゴスペルスクエアよりもサークルのような集まりにしたいと考えており、服部さんや小西さんの独自のアイディアや、それぞれのメンバーの自由な発想で作り上げていってもらえればと思っています。

メンバーからは月会費を集める代わりに、運営の面倒な部分やパート音源制作、楽譜起こし、伴奏作りといった専門的な作業は私たちが担います。サークルと教室の中間のような形ですね。

「サニーサイド」という名前の由来は、明るい名前にしたくてふと思いついた言葉だったのですが、調べてみると本来の「日のあたる面」の他に、転じて「物事の前向きな見方」というような意味もあるようです。私たちの伝えたいゴスペルのメッセージとぴったりかなと思ってつけました。サニーサイドでも国際協力はしていきますし、ゴスペルスクエアとの合同イベントも企画しています。まだ始まったばかりで、今後どうなるかはわかりませんが、まずはこのふたつを軌道に乗せる事が目先の目標ですね。もちろん、これが成功事例となって、私たちの「ゴスペルで国際協力」の輪を少しずつでも広げていければうれしいです。

※4 サニーサイドゴスペルクラブ──入会金なし・月2回の参加で月会費3500円とゴスペルスクエアよりもさらに安い料金設定。NGOゴスペル広場の「楽しい時間のために使ったお金が、別の場所で大きな力になる」の合言葉に倣い、メンバー会費の一部をカンボジアの子供たちに送ることが決まっている。公式Webサイトはこちら

 

18歳のときに体験したアフリカでの暮らしから始まった国際協力への道。失敗を重ね、時には人間に絶望し、傷つき、立ち上がれないほどの挫折を味わった。それでも決してあきらめず、今ではゴスペルによる国際協力を事業として成立させるまでになった。しかしナナさんの旅はまだまだ終わらない。彼女には大きな夢があった──。

次回、最終回では、ナナさんにとって仕事とは何か、誰のため、何のために働くのか。そして今後の夢について語っていただきます。乞う、ご期待!


 
第1回2009.2.16リリース 新しい国際協力の形を作った ゴスペルの若きカリスマ
第2回2009.2.23リリース 高校生でゴスペル講師に 18歳で念願のアフリカへ
第3回2009.3.2リリース 国際協力への目覚め 運命を変えた黒人教会
第4回2009.3.9リリース 新教会設立に尽力も除名 絶望からの再出発
第5回2009.3.16リリース NGOゴスペル広場設立 サニーサイドゴスペルクラブ開設
第6回2009.3.23リリース 経営者としての重圧 仕事は生き甲斐

プロフィール

ナナ・ジェントル

NGOゴスペル広場代表、ゴスペルスクエア代表、ゴスペルアーティスト及び講師。
1981年10月神奈川県生まれ。10代の頃から歌手を目指し、中学時代からプロの音楽家に師事。15歳でゴスペルと出会い、高校在学中にゴスペル講師としての活動を始める。高校卒業後、アフリカ・トーゴで1ヶ月間のボランティアを体験。帰国後、トーゴ支援のプロジェクトを起こすが、あえなく挫折。19歳のとき米軍基地の黒人教会の聖歌隊に加入し、本場のゴスペルの歌、指揮などの指導を受けると同時に、フリーのゴスペル歌手としても活躍。また翌年には黒人夫妻のもとで日本初の本格的ゴスペル教会の立ち上げに参画。

ゴスペル教会のスタッフ、黒人によるゴスペルスクールの運営、大学生活と平行し、2002年にゴスペルサークル「FAFA GOSPEL HOUSE」を結成。ゴスペルを通じて途上国支援を行う団体として、その会費やイベントで得た収益の中から5年間に渡り200万円以上を国際協力NGOに寄付。2005年には神奈川県の公立高校で日本初のゴスペル授業を行い、好評を得る。

2006年には外資系IT企業のマーケティング部に就職。1年半後に退職し、「ゴスペルで国際協力」を事業として行うためにNGOゴスペル広場を設立。2008年5月に活動第1弾の「チャリティー・ゴスペル・マラソン」を代々木で開催。そのときの収益金80万円でスリランカに職業訓練センターを同年10月にオープンした。

2008年6月にはゴスペル教室「ゴスペルスクエア」を設立。会費、イベント収益金の一部をラオスの子どもたちの奨学金として寄付。2009年2月にはゴスペルスクエアから派生したサークル「サニーサイドゴスペルクラブ」が三重県と横浜にオープン。「ゴスペルで国際協力」の輪はますます広がっている。

【関連リンク】

 
お知らせ
 

第一回GOSPEL FOR PEACE
2009年4月11日(土)開催の誰でも気軽にゴスペルを「聴いて」「歌って」楽しめる3時間のチャリティゴスペルフェスティバル。

 
 
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