私が黒人教会に初めて連れられていった日、ちょうどアメリカから来ていたゲストスピーカーの牧師が話をしました。題材は、聖書に出てくる「ハンナ」という女性の話。ハンナは長いこと子供が身ごもれなかったために、周りの人々から蔑まれていました。思いつめてある日神殿へ行き、「神様、私はこんな者ですが、もしあなたが子供を授けてくださったら、それは私のものではなくあなたがくださったものですから、その子の一生をあなたに捧げます」という悲痛な祈りをしたそうです。その後ハンナは身ごもり、男の子を産みました。そして約束どおり、生まれた息子を神殿に預け、その息子は有名な聖職者として活躍していくという話です。牧師はこの話を元にしてこう呼びかけました。「皆さん、本来は自分のものではないのに、自分のもののように思っているものはありませんか。あなたの中に、ハンナのように神様に帰するべきものはありませんか」──。
そしてこの礼拝の中で、聖歌隊のリーダーの女性がソロを歌う場面がありました。「神様、木が育つように、鳥が鳴くように、嵐が轟くように、私はこのひと息ひと息と、人生の一歩一歩をもって、あなたを賛美する楽器になりたい」という内容の歌でした。全身から湧き出るような力強い声で、美しく浪々とこの言葉を歌い上げる姿。喉の調子が悪く思うように歌えない日々が続いていた私は、その歌声を聴きながら泣き崩れてしまいました。
その瞬間、「私は何より歌うことが好きだ」という思いが込み上げてきたんです。先ほどの牧師の話、私にとってそれは「声」だったんですよね。歌手になって有名になり周りからちやほやされたいというような不純な動機で、自分の声を使ってきたのではないか、と自分に問いました。それに加えて自分の声が細いとか、もっとうまく歌いたいのにへただとか、不満ばかりを抱いていたんです。でも一度喉の調子を崩したことで、声が自分のものではなく、神様からいただいた授かり物なんだというこということにようやく気付きました。だってどんなに頑張っても、自分の力で治せなかったんですからね。
歌える声がある、ということがどんなにありがたいことか。それに比べたら、歌手デビューをするとか、大きいコンサートホールで歌うとか、そんなことはもうどうでもいいと。私は周りに目もくれずに泣きじゃくりながら、心の中で必死にこう祈ったんです。「神様、私は歌いたい。私にもう一度歌うための声をくださったら、それはもう自分のものではないと思って、あなたのためにゴスペルを歌っていきます」と。
その数日後、本当に治ったんですよ、声が。この話を他の人が信じるかどうかわかりませんが、私にとっては神様がしてくださったまさに神業でした。それから8年経った今でも「声は授かり物」という思いは決して忘れていません。毎朝毎晩、感謝の気持ちで祈ります。神様ありがとうございます。今、歌っていられること、こういう活動をさせてもらえていることをありがとうございますと。だからゴスペル以外の仕事、例えばナイトクラブで場を盛り上げるために歌うとか、そういう依頼は一切受けないんですよ。ゴスペルという歌を通じて人を励ましたり力づけたりすることが、神様が私にくださったライフワークなんだと思っています。
でも、その一旦捨てたと思った夢が、いつの間にか別の形で現実になっていますよね。大きいステージで、大勢の観客の前でゴスペルを歌っていますから。それもひとりぼっちじゃなく、大勢の仲間と一緒に。私の指揮やソロに応えて何十人、ときには100人を超える仲間がそれぞれに気持ちをぶつけて満面の笑みで歌ってくれる。それを真剣に聴き、涙まで流してくれる観衆がいる。ほんとに最高ですね。神様は私の夢を別の形で叶えてくださったんだなとすごく思いますね。
黒人教会との出会いという転機を経て、横浜でのゴスペルグループ指導にも一層熱が入るようになった。しかしプレッシャーは予想以上に大きく、力尽きてしまったばかりか、戻る場所も失ってしまう。しかしこの挫折が新たな道を開かせた。 |